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第32話 学園での聖女誤解が加速
王妃陛下との謁見から数日後。私は久しぶりに学園へ向かった。
あの日の王妃との面会は、予想外に穏やかに終わった。陛下は私の説明に耳を傾け、むしろ好意的な態度さえ示してくれたのだ。
それでも心は落ち着かない。なぜなら学園という場所はまだ危険地帯だからだ。原作では数々の陰謀が渦巻き、ヒロインのミレイユさえも時には裏切る可能性がある場所。だからこそ私は祈っていた。
(今日は静かに過ごしたい。お願いだから、誰も私に気づかないで。目立たず、動かず、息をひそめるように)
そう心の中で何度も唱えながら校門をくぐった瞬間、それが無駄だったことに気づいた。
「あ、あれはリリアナ様だ!」
「本物だ! 生で見た!」
「今日もお美しい!」
「聖女様だ! 聖女様がいる!」
(え、普通に聖女様って呼んでいる?)
違う。違う違う違う。何かがおかしい。なぜか、周囲の視線が痛いほど集まっていた。正門から講堂へ向かう通路に立っているだけなのに、まるで聖地に現れた神聖な存在を見るような、そんな光に満ちた瞳が私を貫いていた。
(な、なんで私、何もしてないのに。何か悪いことでもしたのか、私?)
その時だった。
「リリアナ様ぁぁぁ!!」
あの独特の声。ゲーム本編のヒロイン、ミレイユが全力疾走で私に向かってきたのだ。スカートがふわりと舞う。まるで少女漫画のワンシーンのような光景である。
彼女は容赦なく私に抱きついてきた。抱きついた勢いは相当なもので、私は思わずよろめいた。
「み、ミレイユ嬢どうしたの、そんなに慌てて?」
私が訊ねると、ミレイユは息を切らしながら、両手を握りしめた。瞳には涙さえ浮かんでいた。
「あの、あのリリアナ様の噂が、学園中に広まってしまって!」
「広まった?」
私の心臓がドクンと高鳴った。
「何が広まったの?」
「皆さん、リリアナ様のことを聖女様って、そう呼んでるんです!」
(聖女? 聖女ってなんですか?)
心の中で悲鳴を上げた。聖女。原作ゲームでは、超越的な存在として描かれるアーキタイプだ。道徳的であり、他者を救い、自分を後回しにする人物。正反対が私で悪役令嬢だというのに。
「わたし、リリアナ様の素晴らしさを、皆さんに知ってほしくて」
ミレイユの言葉を聞いた瞬間、嫌な予感は確信に変わった。
「ちょっと待ってください。何をしたんですか?」
「あ、あの」
ミレイユはもじもじとうつむいた。
「階段で助けていただいたこと。ガルド様を救ったこと。王太子殿下に信頼されていること。皆さんに全部お話ししました」
(全部、全部話したの。ミレイユ嬢ぉぉぉ!!)
内心で叫びながらも、表面上は落ち着きを保った。ミレイユに怒ることはできない。彼女は純粋に、私のことを尊敬してくれているのだ。でもでもですよ、その純粋さが私を殺すんです。
「そしたら皆さん、リリアナ様は聖女だって、そう言ってくれたんです」
ミレイユの声は誇らしげだ。彼女は本当に、心からそう思っているのだろう。でも私は違う。階段で彼女を助けたのは、彼女が倒れるのを見て反射的に動いたから。ガルド騎士団長を救ったのは、普通にが危ないと思ったから。王太子に信頼されるようになったのは、必死に自分を良く見せるよう気をつけたから。
全部、保身だ。全部、計算だ。
(違う! 違う違う違う! 全部保身! 私はただ生き延びたかっただけで聖女じゃない。偽物です。詐欺師です)
講堂へ向かう廊下は、もはや異様な雰囲気に包まれていた。私の周囲では、生徒たちが囁き合っている。その声は確実に、私に対する崇拝に満ちていた。
「リリアナ様。あの優雅なたたずまい。まるで王族の血筋を感じさせる」
「人を助ける心。ミレイユ嬢を助けたっていう話」
「それにね、王太子殿下に信頼されている。あそこまで信頼される人は聖女以外にいない」
「誠実さだ。リリアナ様は誠実さの塊なのだ」
「やはり聖女だ。間違いない」
(誠実じゃないってば! ただの保身! 何度も言わせないで)
私は必死に否定しようとした。時間を無駄にすることはわかっていたが、試してみる価値はあるかもしれない。
「あ、あの皆さん、わたくしは聖女などでは」
その瞬間、全員の顔がぱっと明るくなった。
「ほら、謙虚だ!」
「聖女の証だ!」
「本当の聖女は自分を聖女と言わないものなのだ!」
「リリアナ様、謙虚で素敵です!」
(詰んだ。完全に詰んだ。どう言おうと聖女認定される。言わなくても聖女だし、言ってみても聖女だ。これはもう逃げ道がない。詰んでいる。人生、詰み)
ミレイユが手を高く掲げた。
「皆さん!!」
ああ、まだ続くのか。この悪夢は。
「わたし、本当のことをお話ししたいんです。リリアナ様は、本当に素敵な方なんです」
周囲の生徒たちが、ミレイユに注目した。ヒロインの言葉は力を持つ。ゲーム内でも、ミレイユの影響力は絶大だったはずだ。
「わたし、リリアナ様に救われたんです。階段で転びそうになった時。優しくて、強くて、誠実で、わたしの憧れなんです!!」
ミレイユの瞳は輝いていた。純粋さは疑いようのない真実だ。でも、それが私の死刑宣告だ。
(違う違う違う違う! 私はただ階段から落ちたくなかっただけ! 自分が危ない思いをしたくなかったからバランス取ったんですよ。それが結果的にミレイユ嬢を救っただけで私は英雄じゃないのよ。ヒーローじゃないただのごく普通のどこにでもいる凡人です!)
ミレイユの純粋な瞳が眩しすぎて、私は何も言い返せなかった。言い返したら、彼女を傷つけてしまう気がした。
「リリアナ、何かあったのか?」
深い声が、廊下に響き渡った。王太子アレクシス。ゲーム内ではメインルートの攻略対象である。学生ながら王族の血を引き、すでに国政に関わっている人物だ。同時に、別の声が聞こえた。
「リリアナ様、危険はありませんか?」
騎士団長ガルドだ。私に助けられたと思い込んでいる。実は違う、いや、もう説明するのも疲れた。
(二人が揃うと面倒なんだよな)
そして三番目。
「ふむ。今日も人気者だね」
宮廷魔導士セレス。どこからともなく現れて、涼しい表情で笑っている。
(なんで全員そろって来るの? なんでやめて! 誤解が加速する。このままだと私は本当に聖女として扱われてしまう!)
案の定、周囲の生徒たちは大騒ぎになった。
「王太子殿下が」
「あ、あの王太子殿下が」
「騎士団長まで」
「何が起きてるんです?」
「宮廷魔導士も」
「リリアナ様、守られすぎではないですか?」
「いや、待ってください。これは」
「聖女だ!」
「間違いない!」
「やっぱり聖女!」
(違ううう!! 違う違う違う違う!!)
内心で絶叫していても、外には何も伝わらない。三人の男は、私を見つめている。瞳には期待と信頼が満ちていた。
何をしに来たのやら、王太子アレクシスが、ゆっくりと口を開いた。
「リリアナは信頼できる人物だ」
その瞬間、学園の空気そのものが爆発した。
「殿下のお墨付きです!」
「聖女確定です!」
「いや待て、聖女ではなく救世主では?」
「救世主だぞ」
「リリアナ様は国を救う人物かもしれない!」
(救世主じゃない!! 違う! 私はただ静かに生きたいだけ。ただそれだけなのに、なぜこんなことに)
王太子の一言は、学園全体の誤解を決定的なものにしてしまう。もう、逃げ道はない。話すほど誤解は深まる。行動するほど聖女度は高まる。
もう無理だった。心が折れた。精神が悲鳴を上げている。
(この場を去るしかない)
「あの、わたくし今日は帰りますわ」
私は周囲の視線から逃げるように、ミレイユの手を掴んだ。
「え? リリアナ様どこへ行かれるんですか?」
返事をしている暇はない。
「リリアナ、待て!」
「リリアナ様、危険です!」
「逃げた? リリアナ様が?」
(逃げるわよ! こんな地獄から!)
私は全力で走った。ただ、ここから離れたい。視線から。誤解から。聖女というレッテルから。
さらに学園では、こんな噂が広がった。
「リリアナ様は謙虚すぎて、崇拝されるのを嫌って逃げたらしい」
「聖女は人前に出るのを避けるものなのだ」
「やはり本物だ。本当の聖女に間違いない」
「王太子殿下や騎士団長までもが信頼する。これはもう誰の目にも明らかだ」
学園に通いにくくなった。もう行きたくない感じだった。転生直後の処刑シナリオからは回避されているので、最悪な展開ではないものの、新たなシナリオは、これはこれでどうかと思う。
(マジで登校拒否しようかな)
私は寝室に戻ると、枕に顔を埋めた。
(どうしてこうなるのよ!!)
叫んだ。誰にも聞こえない場所で、心の奥底から。今、私は気づいた。逃げても逃げ方が聖女らしいと解釈される。否定しても謙虚さの表れと受け取られる。つまり、私はもう逃げられない。聖女という檻に、自分で足を踏み入れてしまったのだ。
そして最悪なことに、檻は誰にも破壊できない。なぜなら、檻は他者の期待と信頼で作られた、目に見えない壁だからだ。




