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第26話 家庭教師マグヌスの悲鳴
王妃陛下からの謁見の知らせが届いた翌朝。
私は、胃の痛みとともに目を覚ました。
窓からは朝日が差し込み、小鳥たちが気持ちよく歌っている。そんな平和な朝の中で、私の心は暗雲に覆われていた。
(どうしよう。王妃様に会うなんて、絶対に誤解されるわ。破滅フラグがまた増える)
王妃。王家の象徴であり、王太子アレクシスの母。そして、王国全体の有力者だ。そんな人物に会う。それだけで十分に恐ろしい。
(話が広がっています)
さらに恐ろしいのは、謁見の理由が不明だということだ。なぜ、王妃は私に会いたいのか。何か悪い情報を聞いたのか。アレクシスが変だと気づいたのか。
(破滅フラグが立つ音が聞こえた気がする)
そんな私の不安をよそに、公爵家の廊下には妙な緊張感が漂っていた。
そして中心にいたのは、私の家庭教師マグヌスだった。
「リリアナ様ぁぁぁぁ!!」
朝から全力の叫び声が響き渡る。
声は、公爵家全体に響き渡るほどの迫力を持っていた。私は跳ねるように起き上がった。
「な、なに?」
寝ぼけ眼のまま、廊下へ出ると、そこには書類の山に埋もれたマグヌスがいた。彼の目の下にはクマができており、髪は寝癖でボサボサになっていた。一夜で一気に老け込んだように見える。
「王妃陛下との謁見が決まったと聞きました!! これは非常事態です!!」
マグヌスは書類の束を抱え、身を乗り出してきた。まるで戦場から帰ってきた兵士のような迫力。
「非常事態?」
「ええ、あなたは公爵令嬢であり、王太子殿下の婚約者。王妃陛下に失礼があってはなりません!!」
(いや、婚約者って言わないで破滅フラグが疼く)
その言葉だけで、私の心は更に沈んだ。婚約者という立場は、単なる事実上のものにすぎないのに、周囲はそれを既定事実として扱うようになっていた。
マグヌスは机を叩いた。机から書類が舞い上がる。
「というわけで、今日から礼儀作法の特訓を開始します!!」
「えっ、今日から?」
「今日からです!! むしろ昨日から始めるべきでした!!」
(昨日はまだ招待状届いてなかったよ)
マグヌスの執着は、単なる家庭教師としての責任ではなく、もはや執念に近いものに見えた。
「まずは歩き方です。王妃陛下の前では、音を立てず、揺れず、乱れずが基本!!」
マグヌスは私を廊下へ引き出した。
(原作にもいたと思うが、まさかこんな感じだったとは)
「そ、そんなロボットみたいな」
「ロボットとは何ですか。もっと優雅に!!」
私は廊下を歩かされ、背筋を矯正され、手の角度まで細かく直された。マグヌスは私の歩く様子を見つめながら、時折りダメ出しを繰り返す。
(き、厳しい!)
「その足運びはダメです!! 足を引きずるな!!」
「歩きすぎて足が痛いんです」
「痛みは気の問題です!! 貴族のたしなみです!!」
(こいつ、完全に暴走している)
一時間経過。私の足は悲鳴を上げ始めていた。
(父様、お願いですから、この人を解雇して!)
「次はお辞儀です。角度は30度!! 深すぎても浅すぎてもいけません!!」
「こ、こう?」
私は腰を折り、お辞儀をした。
「違います。その角度は謝罪です!! 王妃陛下に謝ってどうするのですか!!」
「え、謝罪と敬礼の角度って違うんですか」
「当然です!! 謝罪は45度、敬礼は30度、深い敬意は25度です!!」
(令嬢って大変。細かすぎる!)
マグヌスは一本の棒を取り出した。
「この棒を背中に当てます。この棒が落ちないようにお辞儀をしてください。王妃陛下の前では、これくらいの正確さが必要です!!」
(死ぬこのままじゃ死ぬ)
「次は会話の練習です。王妃陛下に何を聞かれても、落ち着いて、簡潔に、丁寧に答えること!!」
今度はマグヌスが王妃役を務めることになった。彼は急に優雅な動作に変え、威厳のある声を出す。
「リリアナよ。噂に聞く君の変化とやらは、本当なのかね」
その場面を想像しただけで、私の心は凍りついた。王妃がそんなことを聞いてくるかもしれない。そして答え方によって、全てが決まるのだ。
(王妃に嘘だとバレると処刑シナリオあるかな)
「え、えっと本日はお招きいただき、ありがとうございます?」
「違います!! そうではなく、質問に対して直接答えるのです。声も小さい」
「えぇぇ」
「もっと自信を持って。あなたは公爵令嬢です!!」
(自信なんてない! むしろ逃げたいのは、私はちょっと前まで一般人だったのよ!)
マグヌスはさらに書類を広げる。書類には、王妃が過去に口にした台詞や、王妃の好みが細かく記されていた。
「王妃陛下は植物をこよなく愛されます。もし庭について聞かれたら、まずは王妃陛下の好きな花について触れるべきです。このように、相手に好意を示すことが大切なのです」
(こいつ何者、王妃の事を何ここまで調べてる?)
「次はティーカップの持ち方です。王妃陛下の前で手が震えたら終わりです。練習しましょう」
マグヌスは優雅なティーカップを私に渡した。
「ひ、ひぃ」
私は震える手でカップを持ち、マグヌスは鬼の形相で見つめてくる。視線の圧力だけで、手はさらに震える。
(家庭教師ってこんな厳しいのですか)
「震えてます。もっと落ち着いて!!」
「無理よ!!」
「無理な事はありません。これは訓練です。心を無にするのです」
マグヌスは私にお茶を飲ませ、その様子を観察する。まるで修行僧を見守る師匠のようだ。
(ああああ〜助けて〜〜)
そこへ、執事セバスティアンが静かに現れた。
(執事さん、助けて)
彼は何も言わず、ただ立っているだけだが、存在感だけで周囲の空気が変わる。
「マグヌス様。お嬢様を追い詰めすぎでは?」
「追い詰めてなどいません。これは必要な訓練です。王妃陛下に失礼があっては」
「お嬢様は十分に優雅でございます。むしろ、過度な緊張を与える方が逆効果かと」
「むっ!」
マグヌスが言葉に詰まる。顔は、自分の方法を否定されたことへの困惑で満ちていた。
(セバスありがとう。あなたがいなかったら私は気絶してたよ)
セバスティアンは私に微笑みかけた。執事の笑顔は、いつもの穏やかで、どこか思慮深い表情だ。
「お嬢様。ご安心ください。王妃陛下との謁見は、私が事前に調整しておきます」
「調整?」
「はい。穏やかな場になるよう、根回しを。王妃陛下は非常に聡明な方でいらっしゃる。飾られた礼儀作法よりも、本心の言葉の方を重視なさいます」
「え、そうなんですか?」
「ええ。むしろ、あまり緊張なさらず、素の状態でお会いすることをお勧めします」
(セバス有能すぎる。これでマグヌスは引き下がるだろう)
マグヌスの特訓は、セバスティアンの一言で意味が変わった。マグヌスは諦めるでしょう。
「セバスティアン殿の言うことも一理ありますが。それでも最低限の礼儀作法は必要です。リリアナ様、続けますよ!!」
「えぇぇぇ」
「逃げないでください。あなたは公爵令嬢です!!」
(だめだこの人。逃げたい! 全力で逃げたい!)
マグヌスの執念は衰えず、午後も特訓は続いた。ドレスの着こなし、靴の脱ぎ履き、手袋の扱い、髪の毛の一本に至るまで、全てが指導の対象となった。
夕方、私はもう立つのがやっとの状態だった。足は痛み、背筋は張り詰め、声はかれている。
「お疲れ様でした。今日はここまでにしましょう」
セバスティアンの声で、ようやく解放された。
「ありがとうございます」
私は廊下の壁に身を寄せ、ため息をついた。
(今日は? この家庭教師はまた来るのか)
夜、ベッドに倒れ込みながら私は呟いた。
(王妃様との謁見、絶対に何か起きる。破滅フラグがまた増えそう)
明日は謁見の日だ。セバスティアンは大丈夫だと言ったが、本当だろうか。王妃は何を考えているのか。アレクシスはなぜ、あんなことを宣言したのか。
色々な思いが頭の中を駆け巡る。そんな中でも、マグヌスの執念だけは消えない。
翌朝、私が目を覚ますと、すぐに廊下から大きな声が聞こえた。
「リリアナ様。朝の準備をしましょう。本番まであと数時間です!!」
(また来たのか。逃げたい!)
しかし、家族も王宮も学園も、誰も私の不安には気づかない。
そしてマグヌスの特訓は、謁見の直前まで続くのだった。




