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第15話 番外編 アレクシス視点
王宮の執務室。机の上には、山のような書類が積み重ねられていた。
国境警備の報告。領地の産出量調査。外交使節団の予定。
アレクシス・ルーヴェンは、これらの報告書に目を通していた、はずだった。
「……にて確認されたため、今月中に警備体制を」
副官の声が聞こえているのに、内容が頭に入らない。集中できない。
視線が文字を追っていても、意味が理解できない。それは、アレクシスにとって極めて珍しい状況だった。
原因は分かっている。リリアナとミレイユ嬢だった。最近、二人が一緒にいる姿を見る。
階段での事故以来、ミレイユはリリアナになつき、リリアナもそれを拒まない。むしろ、積極的に関わっているように見える。
その光景がなぜか胸に引っかかっていた。
「殿下。確認でございますが」
「すまない。もう一度」
副官が眉をひそめた。王太子が集中を欠くなど、珍しいことだ。
これは何だ?
アレクシスは自分の感情を整理しようとした。しかし、その努力はすぐに頓挫した。
◆
その夜、ガルドが報告に訪れた。
「殿下。本日のリリアナ様は、ミレイユ嬢と図書室に」
「そうか」
アレクシスは淡々と返したが、内心はざわついていた。
また一緒かと思う。
ガルドは続けた。彼の声には、リリアナへの好感が満ちている。
「ミレイユ嬢が本を落としそうになった際、リリアナ様が支えておられました。まるで姉妹のように」
「支えた?」
アレクシスの瞳がわずかに揺れた。姉妹のようにの言葉が、胸をチクリと痛めた。
「はい。二人の関係は、本当に麗しいものです。ミレイユ嬢は、先日もリリアナ様は、わたしの憧れですとおっしゃっていました」
「そうか」
アレクシスは、書類に視線を戻そうとしたもののガルドの言葉は続く。
「殿下。リリアナ様の変化は、本当に素晴らしいものです。冷酷さから、これほどまでに優しい人へ」
「ガルド」
アレクシスが静かに言った。
「それで良い。下がってくれ」
ガルドは一礼して退出した。アレクシスの胸のざわつきは、決して消えなかった。
「リリアナ」
彼女の名前を呟く。
その直後、アレクシスは思わず握っていた書類を机に置いた。手が、わずかに震えていた。
◆
翌日の昼間。
アレクシスは学園を訪れた。
公式には学園の運営状況確認という名目だったが、実際の目的は別のところにあった。
「確認しよう」
理由は分からない。ただ、胸のざわつきを抑えるために、彼は足を動かしていた。
向かった先は、学園の中庭。
バラが咲く庭園。そこに、二人の姿があった。
「リリアナ様、ここの花、とても綺麗ですね!」
「ええ。ミレイユ嬢の方が綺麗ですわ」
「そ、そんな!」
笑い合う二人の姿。
ミレイユは嬉しそうに頬を染め、リリアナは柔らかく微笑んでいる。
楽しそうだなと感じ、アレクシスは思わず足を止めた。
リリアナの笑顔は、彼が以前見たことのない柔らかさを持っていた。それは、アレクシスの前では決して見せない顔だ。
あの笑顔は胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
それは痛みに近い感覚だった。
◆
アレクシスは中庭の陰から、二人を見つめていた。
私は何をしていると思ったのは、王太子が婚約者の様子をこっそり見ている。それは、王族にあるまじき行動だ。滑稽であり、同時に危険でもある。
足が動かない。
リリアナは、あんな表情をするのか。
アレクシスは、リリアナの笑顔に見入っていた。
以前の彼女は、冷たく傲慢で、近寄りがたかった。王太子の前ではなおさらだ。高圧的で、不愉快な笑顔しか見せなかった。
今は違った。
「リリアナ様、お身体は大丈夫ですか?」
「ええ。ミレイユ嬢こそ、転ばないようにね」
「はい!」
その優しさ。その思慮深さ。優しさの変化が、アレクシスの心を乱していた。
彼は理解できない。
なぜ、リリアナはミレイユの前では、こんなに違う顔を見せるのか。
そして、なぜ彼は、それが気になるのか。
◆
「リリアナ様って、本当に素敵な方ですよね!」
ミレイユの声が、中庭に響く。
「そ、そうかしら?」
「はい! わたし、リリアナ様みたいになりたいんです!」
アレクシスの胸が、また痛んだ。
それは、鋭い痛みだ。
ミレイユ嬢、君は悪くない。悪くないが、なぜか、その言葉が気に入らなかった。
リリアナはそんなに簡単に誰かのものになっていい存在ではない。
自分でも驚くほど、独占欲に近い感情が湧き上がる。
それが何という感情なのか、アレクシスはまだ気づいていない。
確実に心の中に存在していた。
「リリアナ様、教えてください。どうしたら、あなたみたいに誰かのために」
「あ、あのミレイユ嬢。それは」
リリアナが答えかけた時。アレクシスは決断を下した。
◆
「リリアナ」
気づけば、アレクシスは二人に近づいていた。
「ア、アレクシス殿下!」
リリアナが驚いた顔をする。ミレイユは慌てて頭を下げた。
「ほ、本日はごきげんよう、殿下!」
「うむ」
アレクシスはリリアナを見つめた。
「二人で散歩か?」
「はい!リリアナ様が、わたしに色々教えてくださって!」
「そうか」
アレクシスはリリアナを見つめる。
「君は随分と、ミレイユ嬢と仲が良いようだな」
「え、ええまあ」
リリアナは困ったように微笑む。
その笑顔は、美しいし優しい。確実にアレクシス自身に向けられたものではない。
その笑顔をなぜ私は見ていなかったと、胸の奥がざわつく。
◆
「ミレイユ嬢」
「は、はいっ!」
「リリアナと仲良くするのは構わないがあまり独占しないように」
「えっ?」
「えっ?」
二人が同時に固まった。
あれ? アレクシスは自分の言葉に気づき、わずかに眉をひそめた。
理性は、自分が何を言ったのか理解していた。心は違う。心は、その言葉を支持していた。
「リリアナは忙しい身だ。あまり時間を取らせるのは良くない」
いや。違う。そうじゃない。私は何を言っていると混乱している。
口は止まらない。理性と感情の二つが、アレクシスの中で衝突している。
ミレイユは慌てて首を振った。
「も、もちろんです! リリアナ様のご迷惑には!」
「迷惑なんて」
リリアナが小声で呟く。
「え?」
「いいえ、何でもございません」
迷惑ではないのかと、アレクシスの胸が、またざわついた。
彼女は、自分の前では迷惑そうな顔をするのに。なぜ、ミレイユの前では違うのか。
◆
その夜、アレクシスは執務室で、窓から夜空を眺めていた。
月が照らす王宮。その中で、一人の少女のことを考えていた。
「私は、何をこんなに気にしている?」
答えは出ない。
「リリアナ。君が誰と笑うかなぜ私は、こんなにも気になる?」
その問いだけが、胸の奥に残った。
アレクシスはまだ知らない。それが嫉妬という感情であることを。
嫉妬は、やがて彼の判断を狂わせることを。
断罪イベントで、どう動くか。
それは、このざわつきによって決まるのだろう。
王太子は、自分の感情の奴隷になることを、まだ知らない。




