二十八話 ご挨拶
「クランドール伯爵ご夫妻、ご到着」
紹介役が宣言した瞬間、貴族達の視線が会場の入口……いえ、私と旦那様に集まった。
私は旦那様のエスコートに身を委ねながら、薄く微笑んでゆっくりと会場へ足を踏み入れた。
____私と旦那様は今、アイゼンベルク公爵家主催の夜会に来ている。
馬車を降りた時は、想像以上に大きなお屋敷に少し驚いたけれど……この国の三大公爵家のうちのひとつだもの。比べるのはお父様に悪いと思いつつ、マガーリッジ子爵邸とは流石に格が違うわよね。
会場中の視線を独占している気分になりながら、優雅にゆっくりと歩みを進める。興味・嫉妬・羨望……その全ての感情が、私達に突き刺さっているのがわかる。
けれどまずは、旦那様の旧知の仲であるというアイゼンベルク公爵とその夫人に挨拶をしなければ。
失礼のないようにと、お母様から身体に叩き込まれたカーテシーがまさかこんなところで役に立つなんて思ってもみなかった。旦那様が口を開く。
「アイゼンベルク公爵閣下、公爵夫人。本日はこのような素晴らしい夜会にお招きいただき、心より感謝申し上げます」
「お前は相変わらず生真面目だな、アーノルド。いつ結婚するのかと思っていたが……なるほど、大変お美しい」
「えぇ、素晴らしい妻に出会いました」
旦那様がキッパリとそう答えると、公爵閣下は一瞬目を見開いてから、「まさかお前がそんな風になるとはな」と楽しそうに笑った。……随分仲がよろしいのね。
公爵様が私を見て笑いかける。私も笑顔を返しながら、公爵閣下に挨拶をした。
「お招きいただき光栄に存じます。ルチナ・クランドールと申します。本日の夜会のご盛会をお祈り申し上げます」
「ようこそお越しくださいました、クランドール伯爵夫人。どうか、アーノルドのことをよろしく頼みます」
「もちろんでございます」
……会場中が私達の会話に注目している。それでも無事に挨拶を終えて、私達はホールの中心へと向かった。
すると、様子を窺っていた貴族達が続々と集まってきて、旦那様に押しかける。
……私はお邪魔かしら?
そう思って少し離れようとしたけれど、旦那様が貴族一人一人に私のことを「彼女は私の妻です」と紹介するものだから、全く休める気がしない。私は紹介される度にニコリと微笑んで、貴族達の名前と顔を記憶に刻み込む。誰がいつ役に立つかわからないもの、覚えておくに越したことはないわ。
そんなやり取りを、何回こなした頃だろうか。とある派手なご令嬢が、私達のもとへ現れた。
「アーノルド様、お久しぶりでございます。……そちらの方は?」
「フルールベル伯爵令嬢の……リディア嬢だったか。こちらは私の妻、ルチナだ」
「お初にお目にかかりますわ、ルチナ・クランドールと申します」
私がそう挨拶すると、リディア様は明らかに引き攣った笑みで「よろしくお願いいたします」と返してきた。
「アーノルド様がご結婚なさるなんて、思ってもいませんでしたわ。お二人は、政略結婚ですか? もしかして、白い結婚だったり……」
思いもよらない質問に、私はギョッとする。なんて失礼な子なのかしら……!と思ったけれど、実際初夜には何もなかったのだからその通りなのよね。
けれどその一方で、旦那様はリディア様の質問など全く気にも留めていないようだった。
「いや……私はルチナを心から愛している。他の令嬢など目に入らないくらいに」
「……え? どうして、ですか……? だって、ルチナ様は、悪評の絶えない悪女ではございませんか……」
リディア様の表情が固まる。私もまさかここまで直接的に悪意をぶつけられるとは思わず、何も言えなくなってしまった。
しかし、旦那様は違ったみたいで。ふと隣を盗み見ると、見たこともないような冷たい……氷のような瞳で、リディア様を見下ろしていた。
「ルチナは素晴らしい女性だ。無駄遣いをするどころか、領地経営の補佐をこなす働き者で、頭も良い。君のように、着飾ることだけが取り柄の令嬢と違ってな」
「な……なんで……? だって、アーノルド様は、誰のことも相手になさらなかったじゃない……なのに……なんでこんな貧乏令嬢に……」
旦那様は褒めすぎだけど、この子は失礼すぎない?
まぁ、この態度を見る限り……おそらくリディア様は、アーノルド様のファンのうちの一人なのでしょうね。なのに、いきなり私みたいな噂の悪女と結婚したものだから、取り乱しているのかしら。
「……君は噂ばかりを信じて、本当の彼女を知ろうとは思わないのだな。だから、私は君を選ばない。永遠に。それ以上ルチナを侮辱するようなら、私も容赦はしないぞ」
「………………ふざけないで!!」
リディア様はそう叫びながら、テーブルに置いてあった白ワインのグラスを手に持って……私の顔を見た。
____まずい、かけられる。
直感的にそう思って、ギュッと目を瞑った。けれど、いつまで経っても冷たい感覚が襲ってこない。おかしいわと思って目をゆっくり開くと……目の前に見えたのは、旦那様の広い背中だった。
まさか…………。
「旦那様、私を庇われたのですか……!?」
私がそう問いかけても、旦那様は何も返事をしてくださらない。その代わり、リディア様が真っ青な顔をしながらガタガタと震えていた。
「も、申し訳ございません……!」
「……私が汚れるのは構わないが、君はこのワインを本来はルチナにかけるつもりだったのだろう」
「ひっ…………!」
「私はどうなっても良い。だが……ルチナに害をなす人間は、例え誰であっても許すつもりはない。……衛兵、連れて行け」
「ご、ごめんなさい、やだ、嫌いにならないでっ……!」
リディア様が泣きながら、衛兵に無理やり引き摺られていく。私はその光景を呆然と見ていたけれど、旦那様の髪からぽた……とワインが滴り落ちたのをみて、ハッと我に返った。
「旦那様、大丈夫でしたか!?」
「あぁ、むしろ……ルチナは無事か?」
「私は旦那様が庇ってくださったおかげで、なんともありませんわ。ドレスも無事です。ですが、旦那様は……」
「そうか、それなら良かった。俺は少し着替えてくるから、ルチナはゆっくりしていてくれ」
そう言って、旦那様は優しく笑いながら、私の側から離れていってしまった。
「……お礼、言いそびれてしまったわね……」
ウェイターに案内されて控え室へと向かってしまった旦那様を眺めながら、私はぽつりとそんなことを呟いたのだった。




