二十三話 おまじない
「旦那様が倒れたですって?」
「はい、先程……。執務室にお倒れになられて、今は伯爵様のお部屋で寝ております」
「……私のせいかしら」
「え?」
「いや、こっちの話よ」
伯爵家に帰ってから少し休んで、さぁ仕事でもしようかしらと思ったところに入った報せ。スーザンが困り眉で部屋に駆け込んで来たものだから何事かと思ったけれど……成程これは大事ね。
……王都で私と話していた時は、元気だったわよね……。いえ、でも最近様子がおかしかったのは、具合が悪かったのかも。本人は恋だと思っているようだけれど……。
「……お見舞いにいかなきゃね」
「何かご用意いたしますか?」
「いえ、大丈夫よ。お気遣いありがとう」
スーザンの申し出を断って、着替えたばかりの部屋着で廊下に出た。そして旦那様の部屋まで早足で歩くと、控えている使用人たちが静かに頭を下げる。
私は小声で「お疲れ様」とだけ声をかけて、旦那様の部屋に入った。
「失礼します、ルチナです」
「…………」
敢えてノックはせず、部屋に入って声をかける。返事はない。代わりに、少し荒い吐息が聞こえてくる。
……どうやら、眠っているみたい。熱で魘されているのか、苦しそうだけれど……。
私の存在に気付いた専属医が、「疲労による風邪でしょう」と静かに告げてから、気を遣って退出した。
疲労ね……それなら、少し休めば元気になるかしら。
それにしたって、図書室で私に庇われた時は「俺は丈夫だ」なんて仰っていたのに……結局私より先に倒れているんだもの。自己申告なんてアテにならないわね。
……まぁ、この疲労は……少なくとも、私の影響はあるでしょうね。旦那様を混乱させるようなことを言った自覚はあるもの。
なんだか、悪いことしたわ……。
「…………っ、はぁっ……」
旦那様が苦しそうに息を吐いた。それを見て、私は思わず旦那様の手を両手で包み込む。
「……ルチナ、か……?」
「はい、ルチナです。すみません、起こしてしまいましたね。手はすぐに離しますので……」
「……いや、このままがいい。俺の側で、しばらく……こうしてくれないか。……亡くなった母上を思い出す……」
「…………わかりました」
少し、驚いた。
旦那様がこんな風に弱っているのを見るのは、初めてだったから。それに、旦那様がお義母様について言及するなんて……。
……そういえば、旦那様は齢二十三でクランドール伯爵家の当主になったのだ。社交界の噂に疎い私でも、それが当時伯爵だったお義父様が亡くなったからだと知っている。
けれど、伯爵夫人だったお義母様については……私は、何も知らない。
けれど、きっと優しい人だったのだろう。こんな風に手を握られて、思い出すということは。
「……私は逆だったな」
三年前亡くなった母は体調を崩しがちで、その度にこうして私が手を握っていた。「元気になるおまじないよ、早く元気になってね」なんて言いながら、手の甲にキスをして……。母はその度に、「ルチナのおまじないがあればすぐに元気になっちゃうわ」って笑ってくれたっけ。懐かしいな……。
「? どうかしたか……?」
「いえ、少し昔を思い出していただけです」
さっきまで魘されていた旦那様が、少しだけ落ち着いた声で私に問いかける。病人に心配されちゃうなんて、だめね、私ったら。
「……旦那様も、早く良くなりますように……」
「っ……!?」
そう言って、ちゅっ、と旦那様の手の甲でリップ音を鳴らした。旦那様の身体がびくりと揺れる。
「……い、いまのは……?」
「早く元気になるおまじないですわ。旦那様はおまじないがお嫌いですか?」
「いや……そうではないが……」
旦那様は何やらもにょもにょと口を動かしていたけれど、最終的には力尽きたように眠ってしまった。
……なんだか、こうして見ると子供みたいね。いつもキリッとした表情をなさっているのに、寝顔はあどけないなんて。
やっぱり、この人が私に恋しているだなんて、信じられない。こんなにも純粋で素直な人が、私みたいな捻くれた女を好きだなんて……。
けれど、きっと旦那様もこの夢から覚めたら、淡い恋心も冷めるでしょうね。
私はそんなことを思いながら、しばらくの間、静かに温かい手を握っていたのだった。




