第79話 謝るために、手順にした
ルーカスは、稽古を休みにしていた。
三日、空き地に人が集まらなかった。
十四人は、それぞれの仕事に戻っている。港は今日も回っているし、火が出せなくても誰も困らない。
俺は彼を探した。
この街で人を探すのは簡単だ。ノクスに聞けばいい。
ノクスは、面倒くさそうに一言だけ言った。
「川上です」
行ってみたら、本当にいた。
水の音がうるさい場所で、彼は一人で座っていた。
膝の上に、あの厚い束が乗っている。
前置きは、無しで
「隣、いいか」
「どうぞ」
俺は座った。石が湿っていて、正直、あまり良い席ではなかった。
「休みにしたのか」
「はい」
「なんで」
「入口が、間違っていたので」
彼はそう言った。
「直せば済むだろ」
「直せます」
ルーカスは、束の一枚目を指でなぞった。
「直せますが、直したら、たぶん、私は他のところも全部疑います」
「疑えばいい」
「疑うと、書けなくなります」
その言い方は正直だった。
書く人間の話だ、と思った。
俺は書かないから、その怖さは分からない。
あの日の話
「この間の」
俺は切り出した。
「笑った、って言ったやつ」
ルーカスの肩が、少しだけ動いた。
「はい」
「あれ、何の話だ」
「言葉のとおりです」
彼は、川を見たまま言った。
「実技場で、あなたに『おい、ゼロ』と言いました。取り巻きが笑って、私も笑いました」
「憶えてる」
「憶えていますか」
「憶えてる」
嘘をつく理由が無い。
「そのあと、お前は口を開けたまま固まってた」
ルーカスは、そこで初めてこちらを見た。その顔は、少しだけ笑っていた。
「はい」
「まあ、あれは俺も通しすぎた」
「知ってます」
彼は、また川へ視線を戻した。水音が、しばらく会話を埋めた。
理由
「私は、あの日から、ずっと考えていました」
ルーカスは、静かに話し始めた。
「なぜ、笑ったのか」
「そんなの、若かったからだろ」
「それも、あります」
彼は、否定しなかった。
「でも、いちばんの理由は、教わったからです」
「教わった?」
「魔力は量だ、と」
彼は、束の背を軽く叩いた。
「私は、そう習いました。習ったとおりに、量の無い人間を下に見ました。習ったとおりにやると、人を笑うようになる。あれは、私の性格の話ではなくて、順番の話でした」
俺は黙っていた。
「だから、順番を作りたかったんです」
ルーカスの声が、少しだけ強くなった。
「習ったとおりにやると、人を笑わないで済む順番です」
「……それが、これか」
「はい」
彼は、束を両手で持った。
「これを読んで、そのとおりにやった人は、誰も『ゼロ』とは言いません。量の話をしないので」
俺は、その厚みを見た。
指三本ぶん。
その全部が、あの日の一言の埋め合わせだったのだと分かると、急に重く見えた。
謝られても
「ルーカス」
「はい」
「謝られても、俺は困る」
彼は、一度だけ、目を伏せた。
「……はい」
「怒ってないんだ。これは本当だ」
俺は続けた。
「お前が悪いことにできたら、俺は楽だった。悪いやつの作った紙を、破けばいいからな」
「はい」
「でも、お前は悪くない。だから破れない」
言いながら、自分でも整理がついていった。
「俺が困ってるのは、そこだ」
ルーカスは、しばらく黙っていた。それから、たぶん本人も予定していなかった言い方で、こう言った。
「――では、私は、どうすればよかったんですか」
問いだった。
この街に来てから、俺に「それでいいのか」と正面から聞いてきた人間は、たぶんこいつが初めてだった。
みんな、いつのまにか、俺の言うことを先に飲むようになっていた。
「分からない」
俺はそう答えた。
「二回目ですね、それ」
「三回目だ」
水がうるさかった。
うるさい場所で聞く「分からない」は、思ったより、悪くない響きだった。
主人公に「それでいいのか」と聞ける人が、この街にはいませんでした。
今、一人だけできました。




