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第四十一話 さよならダンジョン


 あるじの使い?

 ジュヌヴィエーヴの主といえば、お向かいの屋敷のお嬢様のはずだ。どういうことだ。


「頼みごと?」

(そう……)

「俺たちにできることなのか?」


 はななと雨宮も怪訝な顔だ。雨宮のは見えないからあくまで雰囲気だけど。


 ジュヌヴィエーヴが立ち上がり、くわっと大欠伸(あくび)をする。口を開けたまま下を向き、背中を弓形ゆみなりに膨らませる。全身が痙攣する。苦しんでるのか。


「ジュヌヴィエーヴちゃん!?」


 げえげえとえずきながら塊を吐き出す。ぼとりと結晶が落ちる。お馴染みの青い輝きを放つ。


「ダンジョンコア()か!」

『ウソ、でしょう……あれが桜堤ダンジョンの……』


 大人の握り拳より大きい。とても喉を通るサイズじゃないのに。猫は液体だから問題ないのかな。いや、有り得ない。

 疲れたのかジュヌヴィエーヴは足を投げ出して横座りしている。息も荒い。産後か。


(このだんじょの……それ……とらんさ……すきる……あと……もてる……さくりふぁす……をとるの……とれ)


 トランサとサクリファス。

 スキルを取れってことか。

 胃液だか唾液だかでぬらぬらする結晶をウエットティッシュで拭く。恐々手に取って念じる。スキルの名称と効果が頭の中に浮かんでくる。


「〈移空トランサ〉。エクセキュート(実行)スキル。結晶化した魔素核を異空間に封印。これは?」

(にゃ)


 魔素核。

 馴染みのない言葉だが、一つだけ心当たりがある。

 さらにエクセキュートスキル。

 これも先日耳にしたばかりのスキルタイプだ。コアスキルは三から四の候補の中から一つを選択できる。でもこれは選択肢が一つだけ。〈移空〉しか選べない。しかもエクセキュートスキルは一人一つまで。複数の取得はできないようだ。


「これを俺たちに使えってのか」

(にゃっ)


 いやいや。こんな怪しいスキル、安易に取れるかよ。まして猫に勧められてなんて猶更だ。


 そして〈凝命サクリファス〉。半月ほど前に、庭先ダンジョンから持ち帰ったダンジョンコアのエクセキュートスキルだ。

 まだ俺もはななも取得していない。結晶ダンジョンコアを家に置いたまま扱いを保留にしている。名前からして地雷なので手が出せないのだ。確か魔素核という結晶を作るスキルだったはず。ここで初めて魔素核という言葉を知ったのだ。


(あとね……さらさらの……てがみ)

「さらさらって、もしかして沙羅さらちゃん?」

(にゃあ)


 沙羅といえば塔屋とうや沙羅。お向かいの屋敷に住むお嬢様。ジュヌヴィエーヴの飼い主でもある。

 何度か挨拶したことがある。足が不自由らしく、伏し目がちの無口な少女で、元気なはななを眩しそうに見ていた。今は中学生のはず。

 ジュヌヴィエーヴが首筋を引っ掻く仕草をする。

 はななが首輪を調べると、蛇腹じゃばら折りにした小さな紙片が挟んであった。


「おとうさん。これ」


 はななが広げた名刺大の紙にはこう書かれていた。


〈ご一緒にお訪ねください お話があります さらさら〉


「沙羅ちゃん、ダンジョンのこと知ってるのかな」

「それは桜堤ダンジョンのこと? それとも……」

「ジュヌヴィエーヴちゃんにお手紙持たせてるんだから、両方じゃない」

「……だよな」


 庭先ダンジョンのことも知ってそうだ。人語を解しそうな飼い猫を通じて。俺たちのことも見られていたのかも。


「塔屋沙羅ちゃんには、ちゃんと会いに行くことにして……」


 取りあえず、それはそれとして。


 俺たちはダンジョンの最奥に到達した。

 そしてコアを手に入れた。

 岩室を見回す。

 何もない四角い部屋だ。本当に何もない。何の気配もない。

 ここにいるのは俺たちだけだ。

 三人と一匹以外には誰も、何もいない。


 あれから三年経ってしまったのか。いろいろあったはずなのに、ずっと立ち止まっていたかのようにも思える日々だった。

 俺たちは今、大きな区切りを迎えていた。


 桜堤ダンジョンのダンジョンコアをはななに渡す。

 はななは青い結晶を見詰め、両手で強く握りしめる。

 ここでコアスキルを吸収するか、コアをダンジョンから持ち出せば、その時点でダンジョンは死ぬ。縮退が始まる。今桜堤ダンジョンの命運は、はななの手に握られている。


 俺はバックパックを下ろし、はななを正面からぎゅっと抱きしめる。察したはななも縋り付いてくる。黙って俺の胸に顔を埋める。


 そして、ゆっくりと完了の言葉を告げる。


「これで、終わったよ」

わったね。おわっちゃったね」

「うん。終わったよ」


 はなながぽろぽろと涙をこぼす。

 久しく涙を見せなかったはななが。


「おかあさん……おかあさん、いなかったね」

「ああ。いなかった」

「やっぱり、会え……ないんだね」


 絞り出すような声に胸が詰まる。


「そうだね」

「さよなら、しないとね」

「さよなら、だよ」

「……おかあさん。おかあ……さん……おとうさん……ぅわあああぁ!」


 体を震わせて叫ぶように泣き出すはなな。

 三年もの間、ちゃんと泣かせてやれなくてゴメンな。子供にとっての三年は長い。とてもとても長い。

 そして雨宮も、俺の背中に顔を埋め、声を殺して泣いていた。

 こいつも家族をこの桜堤ダンジョンに殺されている。雨宮がコアスキルによって強化された俺たちをストーキングしたのも、その目でダンジョンの最期を見届けるためだ。


 達成感も虚無感も疲労感も、まだ湧かない。

 それでいい。

 劇的なエンディングはいらない。日常の延長でダンジョン退治ができたのだから文句はない。あの日は手も足も出なかったけれど。妻を奪われるままだったけれど。今はこうしてダンジョンを殺せる。始末できる。

 正直他愛なかったよ、桜堤さくらづつみダンジョン。

 ゆっくり死ぬがいい。


 二人を落ち着かせて帰り支度。

 ダンジョンコアのスキルはここでは取得しない。というか俺とはななにはもう不要なのだ。桜堤ダンジョンを踏破した以上、ダンジョン探索から離れるつもりだ。庭先ダンジョンの発生さえ止まれば探索者は廃業だ。


 けれど、ジュヌヴィエーヴの話と塔屋沙羅からのメッセージを見る限り、もう少しダンジョンに関わることになりそうだ。後始末的な意味で。


「ジュヌヴィエーヴは一人で帰れるのか」

(うにゃい)

「無理か」

(にゃ)


 転移か転送で帰れないのかな。もしダンジョン間転移みたいなスキルでここに来たのだとしたら、出発点は庭先ダンジョンだったのかな。留守の間にまた発生してたのだろうか。


「うちのダンジョンが攻略済みで消えてるなら戻れないな」

(にゃぁ)

「このダンジョンコア、もう一回呑める?」


 俺が鼻先に結晶を近付けると、嫌そうに明後日の方を見る。ちぇっ。猫に運ばせようと思ったのに。たまには猫の手も借りてみたい。


 通路を戻り石段を上って島階層(第三十一層)へ。

 見上げると、第二十層から三十一層までをぶち抜いた大穴が見える。数キロメートルも続く見事な吹き抜けだ。


『どうします? 第三十層への通路はないようです。落ちて来るしか道はなかったみたいですよ』

「手はあるよ。はななはジュヌヴィエーヴを頼む」

「はいはーい」

「雨宮は俺が運ぶ」

『〈飛行フライ〉なら私も……』

「それだと低速で一分間しか飛べない。時間切れで墜落はゴメンだ」

『なら……』

「俺とはななには〈変位プレイス〉がある。雨宮とジュヌヴィエーヴを運ぶくらいはできる」


〈変位〉は庭先ダンジョンで得た、現在地と目的地の二点間を任意の速度で直線移動するコアスキルだ。歩く速度でも音速でも自在なスピードで。ただし目的地を視認していること、二点間に障害物がないことが条件だ。戦闘には使いにくいが空も飛べるし疑似瞬間移動もできる。ただし空気抵抗はしっかりあるので無茶な速度は出せない。

 はなながジュヌヴィエーヴを抱え上げる。


「雨宮は俺にしっかり抱き着いて。前からな」


 デカいバックパックがあるので背負うことはできない。


『抱かれるんですから責任取って下さいね、お父さん』

「断る。娘は間に合ってる。怪しい透明人間とはいかなる約束もしない主義だ」

『もう。他人の気がしないのにぃ』


 雨宮が両腕を俺の背中とバックパックの隙間に入れる。胸と胸が密着する。


「脚もきっちり巻き付けろ」

『よろこんでっ』


 おっさんか。少しは恥じらえよ。

 雨宮の全体重と荷物の重さが俺に乗る。うぐ。腰に来ないといいな。


「はなな。あの目立つ出っ張りは崩れそうだから、その脇の岩棚へ飛ぼう。秒速五〇〇センチメートルで」

「らじゃ」


 ジュヌヴィエーヴを抱えたはななを追うように、雨宮にだいしゅきホールドされた俺も飛び上がる。


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