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第二十九話 マッパ


 レトルトのカレーライスセットを、はななの〈発振オシレーション〉で温めて食べる。やっぱりキャンプはカレーだよね。ちぎりレタスのサラダも付ける。これも〈発振〉で冷やしてあるからシャキシャキ感が復活。もちろんフルーツも冷やす。

 食後のお茶を飲みながら今日の収穫ドロップアイテムをチェック。これで夜の八時を回る。水を出して歯磨きを済ませ、ちょっと早いけれど寝袋を出してその上に転がる。


 何の物音もしない。

 空気は澱むことなく静かに流れている。風とも言えない穏やかな対流だ。

 何とも居心地がいい。


「おとうさん、なんでだろう。わたし、なんかキモチいい」

「父さんもそうだよ。不思議だね。ダンジョンでこんなにリラックスできるとは思ってなかった」


 これも一種の秘境体験なのだろうか。

 ここは人間の世界から隔てられた場所。獰猛な魔物のうろつく地の底、人間など簡単に呑み込まれてしまう恐ろしい場所だ。けれどそんな危険と引き換えに、いろいろと解放された気分になっていた。

 悔いの残る過去も、見えない未来も忘れて、ここには今しかない。背負ったモノの重さを感じない。重荷から意識を解き放つことができる。些末で面倒な約束事しがらみを振り切って、俺とはななが単純に父と娘として寄り添っていられる。


「なんだか初めて地平線を見たときを思い出すよ」

「ちへいせん? 外国?」

「うん。学生の頃一人で旅行してね。お金がないから自分の足であちこち回ったんだ」


 もろにバックパッカーだった。そしてある所で視界を遮ることのない全方位の地平線を見た。誰もいない凍てついた冬景色だった。ふと足の下の大地がぐんぐん上昇していくような奇妙な感覚を覚えた。そうやって運ばれるだけのちっぽけな自分が無性に嬉しかった。その時感じた自由と歓喜、孤独と寂寥を思い出す。


「すっごく淋しいけど、すっごく自由な感じがして、嬉しいんだか悲しいんだか分からなくなった」

「えと、いまもそうなの?」

「ちょっとだけね」


 自分という個を強烈に実感したせいか、胸の中から人間への愛おしさがどんどんと溢れ出てきた。ぽろぽろと。特定の誰かに向けたものではなく、痛い言い方をするなら、人類愛的なものが。止めどなく湧き続ける温かさに呆然としていた。

 そして余計な意識がキレイさっぱり削がれたことで、唯一の正解を見つけることができた。


「父さんはそのとき大切なものに気付いたんだ」

「なんだったの」

「急いで日本に帰って、母さんにプロポーズした」

「のろけたー!」


 あの時の気分が蘇っていた。あくまで似た感覚に過ぎないが、久しく感じることのなかった気持ちだ。

 これがダンジョンハイなのかダンジョンローなのかは分からないけれど、こうした深層部ならではの心理状態なのかも知れない。もちろん身の安全が大前提ではあるが。

 俺はゆっくりと体を伸ばし、仰向けになって目を閉じた。


「……あれ?」

「なにこれー」


 心地よい微睡まどろみから浮上する。

 もうちょっとでインスタントな悟りが開けるところだったのに。

 かすかな気配が接近中だった。魔物のものではないが人間にしても弱過ぎる。

 ちょっと得体が知れな……


「これって」

「おねえさんだ。すけすけの」


 雨宮ぁ。

 パーカーとカーゴパンツ姿でバックパックを背負い、電気槍エレスピアを手にした透明人間(人体部分のみ)が現れた。〈隠身ハイド〉を発動しているようだ。


『こんにちは、園先そのさきさん、はななちゃん。来ちゃった』

「こんばんは、だろ」

『まあまあ。……うぎょっ!』


 近付こうとした雨宮が、見えない壁にぶつかって仰け反る。


『なっ、なんです、これは』

「ああ、ちょっと待て」


 コアスキル〈包殻シェル〉を解除。これは設置型の球状結界を発生させ敵性生物の侵入を阻止するスキルだ。庭先ダンジョンで手に入れた、ダンジョンキャンプの要となるスキルである。お陰ではななも俺も安心して休むことができる。起動時に中にいた者以外は通り抜けができない。


「ここで会うとは。さすがに驚いたよ」

『いえ、お困りと思いまして』

「どういうことだ」

『ナビが必要かと。それも優秀な』

「売り込みかよ。まあ、座れ」


 また携帯ポットに湯を沸かす。


「ミルクティーでいい?」

『ありがとうございます』


 雨宮は自分のバックパックから寝袋を出して、はななの隣に広げる。泊まる気満々だった。


「すすス(すけすけスネーク)は大丈夫だったのか」

『そう何度も吞まれませんよ』

「そろそろ吞まれ馴れたかなと」

『もうゴメンですよ。今日はいなかったみたいです。元々あの階層の魔物モンスターとも思えませんし』


 確かにイレギュラーな魔物だ。もっと深層にいそうな。今回は俺たちも出くわさなかった。河岸を変えたのかな。

 ミルク多めで適温になったマグを雨宮に渡す。


『はあ、美味しいです。温かいものは落ち着きますね』


 カップを何度も傾けてほっと息を吐く雨宮。透明人間なので表情は全く見えないが。


「ご飯はどうする」

『用意はありますからお気遣いなく』


 アルミラミネート入りの炊き込みご飯らしきものを、プラフォークを使って食べている。常温でも美味しいのが売りらしい。


『ど、どうしてそんなに見るんですか。お二人して』

「透明人間の食事なんて珍しいから。食べたものも消えるんだなって」

「すごーい」

『そうじゃないとグロいですよー。胃の中見えたら恥ずかしすぎます』


 透明人間あるあるネタの、光が透過するから視力を失う、ということもないようだ。見た目だけ透明とは、実に謎なスキルだ。認識阻害の一種だろうか。

 俺はリンゴの櫛切りを雨宮に。


「よかったら食べて」

『今日はとてもお優しいです。肌も見せてないのに』

「見せ過ぎてたから警戒されたんだよ。今日は今までで一番普通だからな。まあ、透明人間が来たときの対応としてどうかとは思うけど」


 雨宮は少なくとも三つのスキルを持っている。〈隠身ハイド〉は気配を小さくし、姿を見えなくするオーブスキル。そして〈繭包シールディング〉が致命時身体保護。仮死状態になり命を保つオーブスキル。

 そしてもう一つが、コアスキル〈地図マッパ〉。

 雨宮が高校時代にダンジョンコアから得たスキルだ。この能力でプロの探索者になり、今日も俺たちを追跡することができたのだ。


「ナビを提供する。〈地図〉スキルを使うってこと?」

『はい。そうなります』

「説明を頼む」

『〈地図マッパ〉は一度見た地形を完全記憶し、それに結び付いた情報エピソードを完全記録するスキルです。さらにその情報から目的のルートを推測することもできます』


 ダンジョンの構造だけでなく、遭遇した魔物や探索の詳細まで記録できるということか。そしてそれを元に不明部分の構造まで予想すると。


『つまり、迷路抜けはお手の物ですね』


 俺たちにはマッピングスキルがない。下手をすれば下層への出口を探して延々と歩き回ることになる。雨宮をナビとして使えばその問題が解決すると。


『じつは、JECA提供の桜堤ダンジョンの地図、その第六層以深はすべて私が作っているんです』


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