第十四話 奈落
「ふうー」
暗く巨大な縦穴を覗き込み、思わず溜息をつく。
「おとうさん、みどるさーてぃー」
「酷いよはなな。けど下りたらまた上らなきゃいけないんだよ」
一般探索者としては異常なペースでダンジョンを進む父娘チームは、桜堤ダンジョンの難所の一つ、通称〈奈落〉に到達していた。
呼び名は大袈裟だが特に危険な場所ではない。強い魔物がいるでもなく物理的に突破不能でもない。たんに巨大な吹き抜けになった縦穴で、螺旋に下る石段が延々と続いている。ぽっかりと開いた暗黒の大穴と長い長い階段が、心理的足腰的ストレスになるだけなのだ。
心挫けたダメ親子は〈御動〉を発動してズルをする。〈奈落〉の底に快速で下りる。
スキルは、ダンジョン内に満ちているとされる未知のエネルギー、通称魔素を消費して発動するそうだ。本人の体力や生命力がその代償として奪われたりはしない。それでもスキルを使えば応じた疲労はあるし、特に身体強化系の〈御動〉は、全身に負荷が掛かるため疲労が残りやすい。だから戦闘時以外は使わないようにしている。
今回はラセンカイダンというモンスターとの戦いだったのだ。手強い相手だった。帰りも再戦予定。頑張らないと。
第十一層では岩壁に発光する鉱脈が混じっている。
なんとかサイトというダンジョンでしか見られない鉱物だ。常夜灯ほどの明るさもないが、ぼんやりとした白い光が幻想的。
岩盤を強引に掘り抜いたような荒々しい洞窟が続く。ここまでの階層より幅も高さもある。いかにも大きな魔物が出そうな雰囲気だ。
頻繁に襲って来るマンバットとトゲコオロギを叩き落としつつ通路を進む。手の届く魔石は拾っているけど、岩襞に落ちたものなどは放置している。〈重量軽減〉のマジックオーブで軽くなってはいるが、バックパックの容積が有限なのは変わらないのだ。
魔物の気配のない空洞で休憩する。瘤みたいな形の岩に二人並んで腰掛ける。
「時間的に十二層まで行けるかどうかだね。日帰りだとやっぱり厳しいな」
「夏休みまでおあずけだね」
「はななは普通の夏休みを過ごしてもいいんだよ。誰かと遊びに行くとか」
「友だち一人もいないからダンジョンでいいよ」
「きっぱりと言い切ったな。ちょっと感動した」
クラスの様子はどうだろう。はななは学校のことも話してくれるけど友達の話は出てこない。
「今のクラスの子たちは?」
「しかとしたら、しかとされた」
そうですか。そうですね。
「イジメられてる?」
「わたしがイジメるってイジメられたね。今はみんなに合わせてうまくやってるよ。ふつうに話もするし。まだちょっとコワがられてるけど」
「怖がられてるって」
「ほらわたし、やられたらバイガエシだから」
「〇〇さんかよ」
「わたしに気がある男の子たちもこそこそ見てるだけだし」
「それは、喜んでいいのかね」
「友だち、いないとダメかな」
自然に友達になれるなら。
無理に百人とか作らなくていい。
「いてもいい。けど、いなくてもいい」
「やったっ」
「喜ばない。ボッチが恥ずかしくて仲良くするだけなら、まあ、要らないかな」
「いらないよねー」
「とはいえ、面倒もあるけど楽しいことも沢山あるよ。いい友達がいれば」
「楽しいのはわかるけど」
「人は強くちゃダメ。弱くてもダメ。頼りっ切りも、頼られっぱなしも、一人で頑張り過ぎてもダメ。みんなで仲良く協力しても案外ダメ。なんてことを楽しく教えてくれるからね」
「なんじゃそりゃー」
「友達いれば笑えるよ。いないよりは。そんな程度かな」
「ふーん」
「気の合う人がいたら、大切にってだけでいい」
「ならわたしには、おとうさんとジュヌヴィエーヴちゃんがいるし」
それは実の父と余所の飼い猫だ。友達なのか。
俺と一緒だと自然体に見えるはなな。
しかし俺はいつも自問している。今が最悪ではないが、最良でもないだろう。それでもこれが、はななが自然な答えとして選んだ形なら、きちんと向き合いたい。
三年前のあの日、はななは普通を失くしてしまったのだから。
最愛の母親を亡くして一月後、日常に戻ったはななの学校での様子をこっそり見に行った。学校側から連絡があり強く提案されたからだ。
そして衝撃を受けた。
カウンセリングは受けたはずだった。錯乱も自傷行為もなく、問題なく日常生活が送れると判断された。父娘二人になった生活でも、よく話し、ときには笑い、きちんと食事をし、身の回りのことも自分でできた。睡眠も正しく取れていたのだ。もちろん、はななが無理をしているのは分かっているつもりだったが。
教室の隅。表情の抜け落ちた蒼白な顔で、はななが膝を抱えて座り込んでいた。体を強張らせ四肢にギュッと力を込め、まるで自分で自分を折り潰そうとするかのように。
周りの子供たちははななを遠巻きにしてひたすら困惑していた。
担任の話では、いつも静かに授業を受けているが、他の子たちと雑談したり遊んだりすることはない。そしていつの間にか、こうして床に座り込んでいるという。こうなると誰にも反応せず、クラスの子供たちが声を掛けても目も向けないそうだ。
それは子供がしていい表情ではなかった。
瞬きもせず何も映さない瞳。まるで黒く冷たい石だ。はななと瓜二つの人形を見るようだった。何かにひたすら耐えている人形。あんな顔をさせては絶対にいけない。
『はななっ!』
『え? おとうさん。なんでいるのー』
さらに驚いたのが、思わず声を上げた俺を見て、一瞬でいつもの笑顔に切り替わったことだ。その急変は異様で、はななにも自覚できていないようだった。
ありきたりな慰めの言葉ははななの心に届かない。
自分が母親を殺したという罪の意識は、全く薄れてなどいないのだ。今もはななの記憶は、はななの心の中で母親を殺し続けているのだろう。
あの時、両親の言葉のままに穴から離れていれば、再び転げ落ちることはなかったはず。そうすれば、はななを受け止めた母親が、身代わりに穴の底に落ちることはなかったと。
母親を突き落とした感触が今も消えないのだ。
あの時妻はどんな顔をしていたのだろう。
俺からは見えなかったけれど、はななは見たはずだ。驚きか悲しみか諦めか。それとも許しか。妻のことだ、決して娘を責めはしなかったろう。娘に苦悩を残そうとはしないだろう。
けれどはななは、そこに何を見たのだろう。何を感じたのだろう。
はななは周囲にいくつもの壁を作っている。それを使い分けている。
そしてはななが心を開いているのは、仲間である俺だけだった。
あの時おかあさんを助け損ねたおとうさんとして。突然の異変に対応できず、妻をむざむざ死なせてしまった役立たずとして。悔恨を共に背負わざるを得ない家族として。
それからははななの心身の保全が最優先となった。こんな父親でも一緒にいることで支えになるのなら、躊躇うことはない。
転居をし、はななも転校させた。環境を一新した。
意識と心を整理するために、一から居場所を作り直した。
そのために仕事も取捨した。イラストレーター兼グラフィックデザイナーの仕事も、時間拘束が甚だしい企画広告関係はほとんど諦めてエディトリアル中心にした。収入面ではかなり厳しくなるし、身軽なフリーランスだからこそ、一度切ってしまえば仕事関係を元に戻すのは困難だ。
それでも、はななの心が壊れてしまっては取り返しがつかない。
そして妻の実家の伝手で、今の小さな家を新たな住まいとした。なぜかダンジョンが続々と湧くことになるあの家を。
「もうあんなことないって。おとうさん安心して」
「それは分かってるけどさ。ずっと見ていたからね」
「おとうさんヒッシだったもんね。ちょっとおかしかった」
「まーな。上手いやり方なんて知らないから」
「ぷふふー」
「むう、笑うな。大人だって空回りはするもんだ」
「はいはい」
「それより、学校で困ってないか? 自然に仲良くなれるのが一番だけど」
「だいじょうぶ。クラスにもイバショはあるもん。いまくらいの感じがラクチンだよ」
「そうか」
「だから、心配いらないよ」
クラスで浮いていたり一目置かれたりするのは仕方ない。
他の子たちとは意識も違っているだろう。これほどのコアスキルを揃え、ダンジョン深くまで潜る女子児童なんて、他にいないのだから。無闇に注目されてはいけないことも、はななは理解している。つまり人には言えない秘密があるということだ。
はななも難しい年頃だ。
もっとも父親からすれば、娘に難しくない年頃なんてないけれど。




