第6話:仕組まれた大夜会と、公開処刑の罠
建国記念大夜会当日の夕刻。
王都の天蓋を覆う暗雲から、音もなく大粒の雪が降り注いでいた。
ジュリアン閣下の執務室には、朝から仕立て屋が届けにきた豪奢な深藍色の夜会ドレスが、トルソーにかけられたまま静かに佇んでいた。
私のために閣下が特注してくださったというそのドレスは、上質のシルクに細やかな銀糸の刺繍が施され、まるで満天の星空を切り取ったかのように美しかった。
けれど、私はそのドレスに触れることすらできなかった。
「……申し訳ありません、閣下」
私はいつもの地味な灰色の雑用服に身を包み、机の上に一通の手紙を置いた。
そこには、今夜の同伴を辞退する旨と、これまで私のような者に居場所を与えてくださったことへの、溢れんばかりの感謝と別れの言葉を綴っていた。
王命による婚約の勅許。
ロシュフォール公爵家と国王陛下の思惑。
私が鉄兜を被ったままジュリアン閣下の隣に立てば、あの方が築き上げてきた名声も、筆頭魔導師長としての地位も、全て一夜にして灰燼に帰してしまう。
あの方を破滅させてまで、自分の淡い初恋に縋り付くことなど、私には到底できなかった。
「さようなら、私の光……」
暖炉の火が静かに爆ぜる執務室に深く一礼し、私は足音を忍ばせて魔導院を後にした。
そのまま王都の外へ向かう乗合馬車に乗るつもりだった。
――あの男たちが、行く手を塞ぐまでは。
「どこへ行く気だ、オルコット家の『鉄兜の恥さらし』」
魔導院の裏門を出た細い路地。
降り積もる雪を蹴立てて現れたのは、見覚えのある外套を羽織った男たちだった。かつて私を虐げ、路頭へと追い出した実家――オルコット伯爵家の私兵たち。
そしてその中央から、嫌悪に歪んだ顔を扇子で隠しながら現れたのは、異母妹のカメリアだった。
「カメリア……なぜあなたがここに……」
「お父様に言われて迎えに来てあげたのよ、不気味なお姉様。魔導院でジュリアン閣下に擦り寄り、エレナ様の怒りを買ったんですって? 本当、どこまで我が家に泥を塗れば気が済むのかしら!」
カメリアは金切り声を上げ、私兵たちに顎で合図を出した。
「捕まえなさい! エレナ様から直々にご命令をいただいているのよ。『あの鉄兜の化け物を、大夜会の会場へ引きずり出してきなさい』ってね!」
「なっ……?!」
逃げようと踵を返したが、雪に足をとられ、背後から屈強な私兵たちに両腕を羽交い締めにされた。
抵抗しようにも、魔導具で編まれた特殊な鎖を巻きつけられ、身体から力が抜けていく。
「離しなさい! エレナ様が何を企んでいるの……?!」
「ふふっ、知りたい? 今夜、国王陛下と国中の貴族の前で、ジュリアン閣下とエレナ様の婚約が発表されるの。その晴れやかな舞台で、閣下を誘惑しようとした『呪われた下賤な悪女』として、あなたを公開処刑して差し上げるのよ!」
カメリアの嘲笑が、冷たい風に乗って耳朶を打った。
全ては仕組まれていたのだ。
ジュリアン閣下を逃げ場のない罠に嵌め、公衆の面前で私という「汚点」を暴き立てて断罪することで、閣下にエレナ様との婚姻を完全に飲ませるための、残酷な見世物小屋。
私は馬車へと乱暴に押し込まれ、光り輝く王宮へと連行されていった。
――王宮、大夜会場「金獅子の間」。
無数のシャンデリアが眩いばかりの光を放ち、着飾った貴族たちが歓談の声を響かせる大広間。
その優雅な音楽が、突如として耳障りな不協和音とともに掻き消えた。
ドォンッ!
会場の重厚な扉が左右に押し開かれ、鎖に繋がれた私が、私兵たちによって大理石の床へと無造作に投げ出されたのだ。
「きゃあっ……?!」
「な、何事だ?!」
「おい、見ろ……あの頭……鉄兜を被っているぞ?!」
広間を埋め尽くす貴族たちから、一斉にざわめきと悲鳴が上がる。
冷たい床に膝をつく私の頭上から、鈴を転がすような、冷酷な美声が響き渡った。
「皆様、お騒がせして申し訳ございませんわ」
一段高い貴賓席から優雅に歩み出てきたのは、純白の聖女ドレスをまとったエレナ様だった。
その隣には、満足げな笑みを浮かべたロシュフォール公爵と、私の父であるオルコット伯爵の姿もある。
エレナ様は慈悲深げに眉をひそめ、広間の中心にいる私を憐れむように指差した。
「今宵、建国を祝う神聖なる夜会に、禁忌の呪具を身に宿した邪悪な魔女が紛れ込もうとしておりました。我が実家の騎士たちが、危ういところで捕縛いたしましたの」
「魔女だと……?!」
「なんておぞましい姿だ……!」
貴族たちの視線が、刃となって私に突き刺さる。
エレナ様は扇を広げ、冷笑を隠しながら会場の一角へと視線を向けた。
そこには――国王陛下の隣に立ち、凍りつくような冷気を放ちながら立ち尽くすジュリアン閣下の姿があった。
「ジュリアン様」
エレナ様が甘い声で呼びかける。
「この憐れな娘は、禁忌の兜で正体を隠し、魔導院の機密を盗み出そうとしていた罪人です。あまつさえ、寛大なるあなたを惑わし、我が国を混乱に陥れようとしておりましたのよ。……さあ、筆頭魔導師長として、この場でその悪しき兜を叩き割り、魔女の正体を白日の下に晒してくださいまし!」
広間中から「そうだ!」「処刑しろ!」「化け物の正体を暴け!」と、狂乱じみたシュプレヒコールが巻き起こる。
仕組まれた公開処刑。
ジュリアン閣下が私を庇えば、反逆の共犯者として失脚する。
庇わなければ、閣下自らの手で私を断罪させられ、エレナ様への忠誠を誓わされる。
どちらを選んでも、破滅しかなかった。
(閣下……私のことなど、見捨ててください……!)
私は床に額を擦り付け、鉄兜の中で血を吐くような思いで祈った。
私の命など、どうなってもいい。
ただ、あの気高く優しい人を、私のせいで汚したくはなかった。
エレナ様の合図で、屈強な近衛騎士が歩み寄り、抜き身の大剣を私の頭の鉄兜へと突きつけた。
「さあ、見せてごらんなさい! その鉄屑の下にある、醜悪な化け物の顔をね――!」
騎士の剛腕が振り上げられた、まさにその瞬間――。
――パリンッッッ!!
会場の空気そのものが凍りつき、硝子が砕け散るような凄絶な轟音が、広間中に炸裂した。




