第9話:証拠の地下室と、黒幕の罠
夜の静寂を切り裂き、セドリックの漆黒の愛馬は王立薬師ギルドの裏手へと辿り着いた。
屋敷の正面では、今ごろガルスが警備兵を引き連れて「毒殺魔を出せ」と怒号を上げているはずだ。敵の首謀者が屋敷へ向かっている今こそ、奴の本拠地であるこの薬師ギルドの地下へ侵入し、決定的な証拠を押さえる最大のチャンスだった。
セドリックは馬を降りると、汐里の腰を抱きかかえて優しく地へと降ろした。
セドリックは革手袋をはめた手で汐里の頬を優しく包み込むと、そのまま彼女の額へ愛おしそうに唇を寄せた。
「ここから先は危険だ。俺の背から絶対に離れるな」
「ええ……セドリック、私も一緒に行くわ」
セドリックは自身の大角のマントを汐里に抱え直させると、長剣の柄に手を掛け、重々しい鉄の勝手口を無音で押し開けた。
静まり返った館の奥、地下へ続く螺旋階段を下りていく。
階下へ進むにつれ、カビ臭い空気の中に、ツンと鼻を突く化学薬品の異臭——水銀と硫黄が混ざり合ったような刺激臭が強くなっていった。
(やっぱり……! ガルスはここで大量の有害物質を精製していたんだわ……!)
汐里はカバンの中の試薬ケースとメモ帳を強く抱きしめた。
最下層の扉を、セドリックが静かに押し開ける。
そこは、無数のフラスコや蒸留器が立ち並ぶ広大な『地下調合室』だった。大きな釜からは、王都の井戸水に混ぜられていたあの有害な毒素が湯気を立てて煮詰められている。
そして、留守の調合室で大量の『魔力回復薬』を箱に詰め込んでいた職人たちが、侵入者に気づいて一斉に振り返った。
「な、何者だっ! ガルス様は今、黒狼騎士団の屋敷へ向かっているはず……っ」
「動くな。黒狼騎士団長セドリックだ」
セドリックが長剣を抜き放ち、圧倒的な威圧感とともに一歩踏み出す。
「王都の民に重金属の毒を撒き散らし、高額な偽薬を売りつけていた決定的な現場を押さえた。大人しく投降しろ」
職人たちが恐怖で腰を抜かす中、汐里は素早く作業台へ駆け寄った。そこには、ガルスが記録していた「水銀の購入帳簿」と「東地区への毒の散布指示書」がそのまま残されていたのだ。
「セドリック、あったわ! ガルスが故意に毒を流し込んでいた決定的な帳簿よ!」
「よくやった、汐里」
証拠を完全に確保した——まさにその時だった。
パチ、パチ、パチ。
調合室の暗がりから、嘲笑うような手拍子の音が響いた。
「見事な観察眼だな、異世界の小娘よ」
姿を現したのは、豪奢な貴族服に身を包んだ小太りの男——東地区の領主、アルノー子爵だった。後ろには弓を持った大勢の私兵たちが立ち並んでいる。
「アルノー子爵……! やはり貴様がガルスの後ろで糸を引いていたか」
セドリックが汐里を背後に庇い、冷徹な刃を子爵に向けた。
アルノー子爵は蔑むような笑みを浮かべる。
「ガルスがセドリック団長を屋敷で足止めしている間に、ここで証拠を処分するつもりだったのだが……まさか裏をかいてここに乗り込んでくるとはな。……だが、好都合だ」
子爵が手を挙げると、私兵たちが一斉に弓を引き絞った。
「ガルスには『毒殺魔の女とセドリック団長が、地下調合室を爆破して無理心中した』とでも報告させよう。真実を知る者ごと、ここで灰となれ!」
「くっ……! 弓兵か!」
敵の数は三十以上。狭い地下室で射抜かれれば、いかにセドリックといえど防ぎきれない。
「セドリック、伏せて!」
汐里はカバンから取り出した濃塩酸の試薬瓶を、調合室の中央にある『水銀の煮え立つ大釜』目掛けて思い切り投げつけた!
バシャーンッ! ガァァァン!!
「なっ!?」
激しい化学反応とともに、視界を埋め尽くすほどの猛烈な刺激臭と白煙が部屋中に爆発的に広がった。
「ぐあああっ!? 目が、目が開かない!」
「息が……ゴホッ、息ができないっ!」
弓兵たちが悲鳴を上げて崩れ落ちる。
「行くぞ、汐里!」
セドリックは一瞬の隙を見逃さず、帳簿を抱えた汐里を横抱きに抱え上げると、圧倒的な脚力で地下室の出口へと突風のように駆け抜けた!
「追え! 逃がすな! 証拠を奪い返せぇぇっ!」
アルノー子爵の怒号が背後で響く中、二人は証拠を手に、夜の王都へと脱出したのだった——。




