第10話:密やかな隠れ家と、繋がる真実
アルノー子爵の私兵たちの追撃を振り切り、セドリックの愛馬は王都の喧騒から離れた北の深い森へと入っていった。
辿り着いたのは、鬱蒼とした木々に隠された古い石造りの館——黒狼騎士団の極秘の「隠れ家」だった。
「着いたぞ、汐里」
セドリックは馬を止めると、腕の中の汐里を大切に抱き降ろした。彼の漆黒のマントに包まれていた汐里は、安堵の息を漏らしながら彼の胸元にすがりつく。
「セドリック、怪我はない……!?」
「ああ。君が投げた薬品のおかげで、かすり傷一つ負わずに済んだ」
セドリックは安心させるように目元を緩めると、手袋を外した素手で汐里の頬を優しく撫でた。分厚い掌の熱が肌に伝わり、汐里の緊張がふっと解けていく。
館の中へ入り、重い扉を閉めると、密やかな静寂が二人を包み込んだ。
小さな暖炉に火を灯すと、やわらかな橙色の光が部屋を照らし出す。セドリックは汐里の肩から自分のマントをそっと脱がせると、暖炉前のソファへと彼女を座らせた。
「……まずは、身体を温めろ」
「ありがとう、セドリック……」
セドリックは汐里の隣に腰を下ろし、彼女の細い身体を引き寄せて力強く抱きしめた。
大人の男の厚い胸板、昨夜何度も確かめ合った力強い心臓の鼓動。そして、甘い香木の香り。
「急に屋敷を追われることになって……怖かっただろう」
「ううん。セドリックがいてくれたから、少しも怖くなかったわ。……それに、証拠はちゃんと守れたもの」
汐里は抱えていたカバンから、地下調合室で手に入れたガルスとアルノー子爵の「水銀の購入帳簿」と「毒の散布指示書」を取り出し、卓上へ広げた。
「見て、セドリック。この帳簿、やっぱりおかしいわ」
「何がだ?」
汐里は手書きのデータを指で辿りながら、プロの研究員としての鋭い眼差しを向けた。
「ガルスたちが買い占めていた水銀の量……東地区の井戸に流し込んでいた量と比べて、圧倒的に多すぎるの。それに、この購入資金の出処……アルノー子爵個人の財産から出ているにしては、金額の桁が二つも違うわ」
「何……?」
セドリックの黄金色の瞳が、騎士としての冷徹な光を宿す。
「アルノー子爵は、領地経営に失敗して借金まみれだったはずだ。一子爵の懐から出るような金額ではない……」
「ええ。つまり、アルノー子爵やガルスも、誰かから莫大な資金を提供されて動いていた『ただの実行部隊』に過ぎないのよ」
汐里の分析に、セドリックは深々と頷いた。
「やはりそうか……。王都の貧民街を病で見せかけて排除し、土地を再開発する……それだけの規模の計画、王宮のさらに上層部にいる『権力者』の手が加わっていなければ不可能だ」
「王宮の……権力者……」
「ああ。アルノー子爵の背後には、王都の医療と利権をすべて牛耳る『王立薬師ギルド総裁』……すなわち、王弟であるガルディス公爵がいるはずだ」
事態は単なる街の悪党の不正にとどまらず、国の中枢を揺るがす巨大な国家陰謀へと繋がっていたのだ。
「セドリック……そんな大きな相手に、私たちは……」
一瞬不安で声が震えた汐里の肩を、セドリックの大きな手ががっしりと受け止めた。
「案ずるな、汐里」
セドリックは汐里の顔を覗き込むと、愛おしそうに彼女の唇へ短く甘いキスを落とした。
「やつらがどれほど巨大な権力を持っていようと関係ない。君が命がけで手に入れてくれたこの証拠と知識、そして俺の黒狼騎士団の全戦力をかけて、必ずやつらの陰謀を打ち砕く」
「セドリック……」
「君は俺の妻だ。君の正義と命は、俺が死に代えても守り抜いてみせる」
黄金色の瞳に宿る、揺るぎない絶対的な愛と信頼。
昨夜心も身体も結ばれたからこそ、二人の絆は何者にも引き裂けない固いものとなっていた。
汐里は胸の奥から湧き上がる温かい熱を感じながら、セドリックの胸元へと強く抱きつき、力強く頷いたのだった——。




