第8話:誓いのマントと、絶体絶命の逃避行
昨夜、セドリックと心も身体も深く結ばれた甘い余韻。
その情熱的な温もりがまだ肌に残る中、汐里はセドリックの腕の中で幸せな朝のひとときを過ごしていた。
セドリックが騎士団の職務のために一足先に部屋を離れると、汐里は気持ちをプロの製薬研究員へと切り替えた。
「……よし! 今日で絶対に証拠を掴むわ」
自らの両頬をパンと叩いた汐里は、セドリックの部下が極秘で入手してくれていた、ガルス特製の「魔力回復薬」の小瓶を机の上に並べた。
日本から持ってきた愛用の臨床用メモ帳を開き、試薬とガラス器具を使って実験を開始する。
小瓶の薬を数滴抜き取り、反応させていくと——透き通っていた瑠璃色の液体が、瞬く間にドロリとした黒濁色へと変色し、底に重々しい沈殿物が溜まった。
「……やっぱり……っ! 水銀と鉛だわ……!」
ガルスは『魔力回復薬』と偽り、人々に強力な重金属毒を飲ませて中毒にさせていたのだ。
手作業で緻密なデータをメモ帳に書き込み、実験結果に息をのんだ——まさにその時だった。
バタンッ!と激しい音を立てて部屋の扉が開いた。
「汐里……!」
駆け込んできたのは、漆黒の甲冑を身に纏い、険しい表情を浮かべたセドリックだった。後ろには汗をかいた副団長のライナーも控えている。
「セドリック! 大変なの、ガルスの薬から水銀の毒が出たわ! これで奴らの悪行を——」
「……話は後だ、汐里。今すぐここを離れるぞ」
セドリックは汐里の言葉を遮ると、迷うことなく彼女の肩を抱き寄せ、自らの背後へと庇った。
「え……? セドリック、どうしたの……?」
「ガルスが動いた」
セドリックの黄金色の瞳に、冷徹な氷の光が宿る。
「ガルスが王都の警備兵を大勢引き連れ、この屋敷に向かっている。『身元不明の毒殺魔(汐里)を庇い、王都に混乱を招いた』という言いがかりで、君を罪人として拘束し口を封じる気だ」
「な……っ! 毒を撒いていたのはガルスなのに……っ!」
「やつらも必死なのだろう。君の手で真相を暴かれる前に消す気だ。……ライナー、奴らの到着までどれほどある?」
ライナーが苦々しい顔で報告する。
「すでに屋敷の外囲いを警備兵が取り囲みつつあります! 門前でガルスが『毒殺魔を出せ』と叫んでおり、突破されるのも時間の問題です……!」
「……ちっ、動きが早すぎるな」
セドリックは低く舌打ちをすると、汐里に向き直った。
不安に揺れる汐里の額へそっと愛おしいキスを落とすと、自らの『黒狼騎士団長の紋章が入った重厚な漆黒マント』を汐里の華奢な肩へ羽織らせた。
「セドリック……これ……」
「俺の身分と生命を示すマントだ。これを羽織っている限り、誰一人口出しはさせない。……君は俺の妻であり、俺の命そのものだと証明するものだ」
汐里をすっぽりと包み込むマントからは、セドリックの体温と、昨夜何度も確かめ合ったあの甘い香木の香りが強く立ち上る。
「私、絶対に逃げたりしない……! 奴らに濡れ衣を着せられてたまるものか!」
汐里は今実験していた黒い沈殿物の出た試験管を慌てて頑丈な保護ケースに収めると、臨床用メモ帳と一緒にカバンへ詰め込み、ぎゅっと抱きしめた。
「この実験データと証拠の試薬があれば、奴らの嘘を暴けるわ! 私、セドリックと一緒に行く!」
「ああ、頼もしい俺の妻だ」
セドリックは汐里の腰を力強く抱き寄せると、部屋の隠し壁を押し開けた。そこには、屋敷の裏手へと繋がる暗い地下通路が伸びていた。
◇
地下通路を駆け抜け、屋敷の裏手にある森の中に待機させてあった漆黒の馬へと辿り着いた二人。
「乗れ、汐里」
セドリックは汐里を軽々と抱え上げると、自らの前に座らせるように馬背へと乗せた。彼の厚い胸板が汐里の背中にぴったりと密着し、力強い腕が汐里の身体をすっぽりと包み込む。
ヒヒーンッ!
馬が力強く地を蹴ると同時に、背後の屋敷から警備兵たちの叫び声があがった。
「裏だ! 逃げたぞ! 追え!!」
かがり火を手にした警備兵たちが、馬に乗って追撃してくる。
「くっ……! 本当に追ってきた……!」
「喋るな、舌を噛むぞ!」
セドリックは手綱を絞り直すと、汐里の頭を自分の胸元へと強く抱き寄せた。風を切り、馬が夜の王都の裏通りを猛スピードで駆け抜けていく。
背中から伝わるセドリックの体温は暴力的なまでに熱く、追手から庇うように抱きしめてくれる腕には決して緩むことのない力が込められていた。昨夜、彼と心も身体も一つに結ばれたからこそ、汐里の心に恐怖はない。
「セドリック……どこへ向かっているの?」
「ガルスたちが拠点にしている、王立薬師ギルドの最下層……『地下調合室』だ」
セドリックは風を切りながら、低く鋭い声で答えた。
「ガルスが毒を精製し、水銀を王都の水源に流し込んでいる現場……その決定的な証拠を叩き潰す。奴らが捏造した濡れ衣など、現場の真実で粉砕してやる」
「ええ! この毒のデータがあれば、ガルスの悪行を絶対に証明できるわ!」
汐里は胸元に抱えたカバンを強く握りしめた。
追手たちの怒号と馬蹄の音が夜の街に響き渡る中、二人は王都の闇へと消えていく。
ガルスの陰謀と、14年越しの愛で固く結ばれた二人。
地下調合室で待ち受ける「決戦」に向けて、運命の歯車が激しく回り始めていた——。
前話からの繋がり、実験の描写、そして追手が迫ってくる緊張感を正しく描き直いたしました!




