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千年の扉を超えて、一途な騎士団長は離さない〜  作者: しろねこ


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第5話:暴かれた矛盾と、忍び寄る影

汐里が導入した「経口補水液」と衛生環境の改善は、救護院に劇的な変化をもたらしていた。


苦しみの叫び声が絶えなかった大広間は静けさを取り戻し、衰弱しきっていた患者たちが次々と自力で体を起こせるまでに回復していったのだ。


「奇跡だ……! ガルス様の高価な薬でも治らなかったのに、あのお方のお湯と塩の薬でみんな息を吹き返しているぞ!」


「あのお方は神子様か……? それとも、伝説の聖女様なのでは……」


患者や下級の看護員たちから届く感謝と崇拝の視線に、汐里は困惑して身を縮こまらせていた。


「聖女だなんて……私はただ、汗と下痢で失われた水分と電解質を補うお手伝いをしただけです……」


恐縮しながらメモ帳にペンを走らせる汐里の肩に、ぽんと温かい重みが加わる。


「照れる必要はない。君のその聡明さと優しさが、この場所の人々を救ったのだからな」


耳元で響く、セドリックの甘く低い声。


彼は周囲の目を気にすることなく、汐里の腰へごく自然に手を回し、己の身体へと引き寄せる。大人の男の厚い胸板と、彼特有の香木の甘い香りに包まれ、汐里の顔が一気に火照った。


「セドリック、みんなが見てるわ……っ」


「見られて困ることなど何もない。俺の宝物なのだから、自慢したいくらいだ」


悪戯っぽく微笑む黄金色の瞳に見つめられ、胸が甘く跳ね上がる。


ライナーたち部下の騎士たちが「見なかったこと」にするように慌てて回れ右をするのが視界に入り、汐里はさらに顔を赤くした。


けれど、セドリックの腕の中でメモ帳をめくっていた汐里の指が、ふと止まる。


「……セドリック。浮かれている場合じゃないわ。データが集まって……やっぱり、この病気はおかしいの」


汐里の表情が、一瞬にしてプロの製薬研究員の顔へと変わった。


セドリックも表情を引き締め、彼女の言葉に耳を傾ける。


「見て。救護院に運ばれてきた患者さんたちの職業と、住んでいる場所をまとめた記録よ」


汐里が提示したメモ帳には、彼女が手作業で集めた緻密なデータがびっしりと書き込まれていた。


「症状が出ているのは、王都の『東地区』に住む貧民街の人たちと、その地区を巡回していた黒狼騎士団の若い騎士たちだけに集中しているの。貴族や、西地区の富裕層からは一人も患者が出ていないわ」


「東地区……だと?」


「ええ。もしこれが、空気感染する流行り病や、魔法的な原因による『魔力の枯渇』なら……住んでいる場所や貧富の差に関係なく、王都全体に広がるはずでしょう? でも、現実は特定の地域の人たちだけが苦しんでいる」


汐里はセドリックの黄金色の瞳をまっすぐに見つめた。


「彼らに共通しているのは『東地区の井戸水』を飲んでいること。そして……その水には、体内に蓄積して神経や内臓を痛めつける『有害な金属毒』が混ざっている可能性が極めて高いわ」


「病気ではなく……毒、か」


セドリックの目が冷たく細められた。


汐里の観察力と分析力が導き出した不都合な真実。それは、単なる自然災害ではなく、誰かが意図的に毒を撒いているという人災の可能性を示していた。


「おい、そこの女! 貴様、患者に何余計な真似をしている!!」


その時、救護院の重々しい扉を跳ね飛ばすようにして、一人の男が怒鳴り込んできた。


豪奢な絹の長袍ローブを身に纏い、指にいくつもの宝石リングをはめた太った中年男——宮廷薬師ガルスだった。


彼の後ろには、いかにも高価そうな薬瓶を抱えた弟子たちがゾロゾロと従っている。


ガルスはベッドの傍らで患者に水を飲ませていた汐里を忌々しげに睨みつけると、唾を飛ばしてまくしたてた。


「怪しげな塩水などを飲ませて患者の容体を悪化させたらどうする! この病は神聖なる魔力の枯渇! 宮廷薬師であるワシの『特製・魔力回復薬』以外で治るはずがないのだ!」


横暴な態度で汐里に詰め寄ろうとするガルス。


だが、彼が汐里の髪一筋に触れる前に——


ザッ!!と鋭い金属音が響いた。


「——それ以上、俺の女に近づいてみろ。その首を刎ねる」


セドリックが汐里を背中に庇い、腰の長剣の柄に手を掛けながら立ちはだかったのだ。


全身から放たれる、氷のように冷たく暴力的ですらある圧迫感。


黒狼騎士団長の圧倒的な殺気を正面から浴び、ガルスはヒッ……と短い悲鳴を上げて青ざめた。


「セ、セドリック団長……!? な、なぜこのような平民の小娘を庇われるのです! ワシは王都の健康を預かる宮廷薬師……っ」


「黙れ。汐里の施した処置によって、患者たちの容体が劇的に回復しているのは紛れもない事実だ」


セドリックの低い声が救護院内に響き渡る。


「ガルス。貴様が1本で金貨3枚も取るその『回復薬』とやらは、一向に患者を救えていないではないか。効果のない薬を高値で売りつけ、民を苦しめるのが宮廷薬師の仕事か?」


「くっ……! それは病状が重いためで……っ!」


「汐里、気にすることはない。俺たちが追うべきは真実だ」


セドリックはガルスを冷徹に見下ろすと、後ろに隠れる汐里の手を優しく握り直した。


ガルスの後ろで怯える弟子たちの手元にある薬瓶——そこに詰まった怪しげな青い液体を、汐里は見逃さなかった。


(あの『魔力回復薬』……まさか……)


汐里の頭の中に、最悪のシナリオが浮かび上がる。


東地区の井戸水に含まれる重金属毒。


そして、ガルスが高額で売りつける「魔力回復薬」。


(もし……あの薬自体に、症状を一時的に和らげる強い麻薬成分と、さらに重金属の毒素を濃縮したような成分が入っていたとしたら……? 薬を飲めば飲むほど毒が溜まり、ガルスの利益になる……中毒患者を作り出すマッチポンプ……!?)


ゾクリと背筋に冷たいものが走る。


まだ確証はない。だが、もし自分の推測が正しければ、この異世界の医療の裏には恐ろしい暗部が潜んでいる。


「ガルス様。近いうちに、あなたが患者に処方している薬の全成分と、東地区の水質について、黒狼騎士団の権限で徹底的に調査させていただきます」


汐里はセドリックの背中から一歩踏み出し、ガルスに向かってキッとした強い瞳で言い放った。


「な……っ!? 貴様のような身元不明の女に、そのような無礼が許されると……っ!」


「許す。俺が許すと言っているのだ」


セドリックがガルスの言葉を冷酷に遮った。


彼は汐里の肩を抱き寄せ、救護院にいる全員に聞こえるような朗々とした声で宣誓する。


「この汐里は、俺が14年間待ち続け、命に代えても護ると誓った特別なお方だ。汐里に対する無礼は、黒狼騎士団全体に対する反逆とみなす」


「ひっ……!?」


セドリックの圧倒的な宣言と、汐里の揺るぎない眼差しに圧され、ガルスは吐き捨てた。


「お、覚えておれよ……! 無知な小娘が、宮廷の権威に逆らって無事でいられると思うな!」


ガルスは捨てゼリフを残し、逃げるように救護院を去っていった。


騒ぎが収まり、セドリックは抱き寄せた汐里を愛おしそうに見つめた。


「よく言ったな、汐里。君の推測通りなら、ガルスの背後にはさらに大きな王都の貴族が絡んでいるはずだ。……君を危険に晒すわけにはいかない。明日からは俺の側から一瞬たりとも離れるな」


「セドリック……ええ。私、負けないわ。この世界で苦しんでいる人たちを助けるために、絶対に真相を突き止めてみせる」


セドリックの胸の中で力強く頷く汐里。


研究員としての知識と、セドリックの絶対的な力。二人の絆が重なり合い、王都を蝕む巨大な陰謀の糸を解き明かすための第一歩が、今踏み出されたのだった。


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