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再会

東門の前には長い列ができていた。

一人ずつ門兵の確認を受けている。

以前なら出る者は簡単に通された。

だが今は違う。名前、行き先、荷物、武器等細かく確認されている。

俺たちの番が来る。

門兵が俺の腰と背中を見る。

「名は」

「モーリ」

「職業」

「狩人です」

金色の狩人証を見せる。

門兵の表情が変わる。

「金級か」

「はい」

「行き先は」

「サトゥルドス子爵領」

「何の用だ」

「知人に呼ばれました」

「知人の名は?」

「レオン・トール・サトゥルドス様」

門兵が。

隣の兵と顔を見合わせる。

俺はレオンの手紙を取り出した。

すでに封は開いている。

だがサトゥルドス家の紋章は残っている。

門兵は手紙の外側だけを確認した。

「本人からか」

「はい」

「中身は?」

「私信です」

門兵は少し迷った様子を見せた。

だが手紙を開けて読めとは言わなかった。

貴族家の封印がある。

金級狩人証もある。

それで十分だと判断したのだろう。

「荷物を見せろ」

「どうぞ」

背負い袋を下ろし中身を一つずつ見せる。

食料。

水袋。

薬。

着替え。

毛布。

雨具。

手入れ道具。

門兵は。

薬の袋へ手を伸ばす。

「多いな」

「自分用です」

「魔力回復薬もあるのか」

「四本だけです」

門兵は革袋の中を覗く。

一本ずつ布で包まれている。

「売るためではないな」

「違います」

「武器は三本か」

「長剣二本と短剣一本です」

「長剣二本?」

「一つは予備です」

門兵は古い剣を確認し次に新しい剣の柄を見る。

「随分いい剣だ」

「新調しました」

「戦にでも行くような装備だな」

声に探るような響きがある。

「戦があるんですか?」

俺が聞き返す。

門兵は口を閉じた。

視線を逸らす。

「こちらが聞いている」

「呼ばれた理由は、手紙には詳しく書かれていません」

「何も知らずに行くのか」

「友人が困っていることだけは分かります」

門兵は俺の顔をしばらく見た。

嘘を見抜こうとしているのかそれとも呆れているのか。

やがて薬を袋へ戻す。

「通れ」

「ありがとうございます」

「街道では巡検が増えている」

「巡検?」

「兵が旅人を止めて調べている。身分証はすぐ出せる場所へ入れておけ」

「分かりました」

「それから」

門兵は声を少し落とした。

「夜は街道を歩くな」

「盗賊ですか?」

「盗賊だけとは限らん」

それ以上門兵は説明しなかった。

俺は荷物を背負い、東門を抜ける。

『出ましたな』

アークが鼻を高く上げる。

町の外の空気を吸い込む。

『こっちは静かです』

「人の考えが少ない?」

『はい。鳥と、虫と、畑におる鼠くらいです』

「鼠は何を考えてるの」

『食う。逃げる。隠れる』

「アークと似てるね」

『わいはもっと賢いです』

「肉、逃げる、寝る」

『主を守るもあります』

「それはありがとう」

『あと肉』

「二回目だよ」


俺たちはダリスティから直接サトゥルドス子爵領へ向かった。

街道沿いの宿場を使えば数日で着く。

道は整備されている。

だから穏やかな旅になると思っていた。

だが東へ進むにつれ街道の様子は明らかに変わっていった。

最初に見たのは五人ほどの騎兵だった。

揃いの外套。胸へ付けた紋章。槍。弓。腰の剣。

馬を並べ街道を西へ進んでくる。

ただ移動しているのではない。

何かを探すように見ている。

先頭の騎兵が俺たちへ手を上げた。

「止まれ」

俺は足を止める。

アークも俺の横へ座る。

騎兵は馬上からこちらを見る。

「どこから来た」

「ダリスティです」

「どこへ行く」

「サトゥルドス子爵領」

「目的は」

「知人を訪ねます」

「名は」

「モーリ」

金色の狩人証を見せる。

騎兵の目が僅かに細くなる。

「金級か」

「はい」

「子爵領の誰を訪ねる」

「レオン・トール・サトゥルドス様」

手紙も見せる。

騎兵は馬から降りなかった。

だが身体を屈め封印を確認する。

「荷物に武器以外の禁制品は」

「ありません」

「魔石は?」

「個人所有のものがあります」

「見せろ」

俺は遺跡の魔法陣に使うため売らずに残した魔石をすべて持ってきてはいない。

サイクロプスの魔石とグリフォンの複合魔石はダリスティの宿に置いてきた。

今持っているのは照明用の魔道具へ使う一般的なものだけ。

騎兵はそれらを確認する。

「通っていい」

「何かあったんですか?」

俺が尋ねると。

騎兵の表情が硬くなる。

「何も聞いていないのか」

「詳しいことは」

「なら、そのほうがいい」

「教えてはもらえませんか」

「我々の任務は説明ではない」

騎兵は馬首を西へ向ける。

「街道を外れるな。夜になる前に宿場へ入れ」

門兵と同じことを言う。

「分かりました」

騎兵たちはダリスティの方角へ去っていく。

蹄の音が次第に小さくなる。

『あの人ら、戦うことばっか考えとりました』

アークが言う。

「具体的には?」

『敵が来たらどうする。道を塞がれたらどうする。誰が間者か。そんなんです』

「敵が来ると思ってるんだ」

『まだ来とらんみたいです』

「そう」

『でも、来る思うとります』

街道を進む。

昼前。

今度は徒歩の兵士たちとすれ違う。

二十人ほど。

長い槍。背中の盾。弓。荷物。

隊列を組んでいる。

どこかへ派遣されるのか皆顔が硬い。

一人の若い兵士がアークを見る。

一瞬表情が緩んだがすぐに前を向く。

その後ろを二台の荷車が進む。

穀物袋。矢の束。予備の槍。

人を運ぶためではない。

戦う者へ物を届けるための荷車。

俺は道の端へ寄り兵たちを通した。

『いっぱいおりますな』

「うん」

『普通やないです』

「そうだね」

その後も兵を見た。

一度や二度ではない。

街道の分岐、橋、小さな村の入り口に兵が立っている。

不穏な匂いが漂っていた。


昼食は街道沿いの大きな木の下で取った。

黒パンに燻製肉、干した果物、水。

アークには薄味の干し肉。

『少ないです』

「まだ一日目だよ」

『昼です』

「朝も食べたでしょ」

『旅は体力使います』

「いつもより歩いてないよ」

『兵を警戒しました』

「座って見てただけだよ」

『心を読むのは疲れるんです』

「それは本当?」

『半分くらい』

「残り半分は?」

『肉食べたいです』

「正直でよろしい」

アークへ少しだけ追加の肉を渡す。

『主は話が分かりますな』

「今日だけ」

『毎日お願いします』

食事を終え再び歩く。


午後。

小さな橋へ着いた。

川幅は広くない。

だが橋の両側には木を組んだ柵が置かれている。

兵が六人。

弓兵が二人。

簡素な検問所。

以前からあったものではない。

急いで作ったのだろう。

木材は新しく切り口が白い。

「止まれ」

槍を持った兵が言う。

また名前、職業、行き先、目的と同じ質問。

「夜までに、次の宿場へ入れ」

「何か出たんですか?」

「出たという報告はない」

「では、なぜ?」

兵は橋の向こうへ目を向ける。

東。

俺たちが進む方角。

「報告がないことと、いないことは同じではない」

「間者ですか」

「余計なことを聞くな」

兵は槍を退ける。

「通れ」

橋を渡る。


日が沈む少し前に宿場に入った

食堂の隅、声を潜め皆が同じ話をしている。

「オニギエ辺境伯が兵を集めている」

「マインセ公爵もだ」

「下ロール伯爵が先に兵を出したらしい」

「違う。上ロール側が村を焼いたんだ」

「銀山だろう」

「公爵は銀山を渡す気がない」

「辺境伯もだ」

噂は話す者によって違う。

下ロール伯爵が攻めた。

上ロール伯爵側が攻めた。

マインセ公爵の軍が動いた。

オニギエ辺境伯が先に兵を集めた。

開戦した。

まだしていない。

何が本当なのか誰にも分からない。

アークは食堂の床へ伏せている。

普段なら肉の匂いに反応し、誰が何を食べているのか忙しく見回す。

だが今は耳を伏せ、目を細めていた。

「大丈夫?」

小声で聞く。

『うるさいです』

「皆の考え?」

『怖い。儲かる。逃げる。戦う。死ぬ。色々です』

「部屋へ戻ろうか」

『肉食べてから』

「それは忘れないんだ」

『肉のこと考えたら、他の声が少し遠くなります』

俺は自分の食事とアーク用の肉を受け取り部屋へ持っていく。

食堂のざわめきから離れるとアークはようやく耳を上げた。

『町は疲れますな』

「普段は平気なのにね」

『皆が同じことを怖がると、声が大きなるんです』

「同じこと」

『戦です』

アークは肉を咥え一度噛む。

『まだ始まっとらんのに』

「始まると思っている人が多いんだね」

『はい』


翌朝。

夜明けと同時に出発し宿場町を出る。

さらに東へ進む。

街道は徐々に人が減っていった。

商人の馬車も西へ向かうものが多い。

東へ進む者は兵、傭兵らしき集団、武器を運ぶ商人ばかり。

すれ違う農民の荷車には家財が積まれていることもあった。

「戦は始まってないって話なのに」

俺は呟く。

『始まってからでは遅い思うとるんでしょう』

アークが答える。

「アークの言う通りかもね」

『わいも危なかったら先に逃げます』

「俺を置いて?」

『主を咥えて』

「運べる?」

『少しなら』

「首を咥えないでね」

『服にします』

「破れるよ」

『ほな、念動力で自分を浮かせてください』

「逃げる時に自分で浮くの難しそうだな」

『練習しましょう』

「今は歩こう」


旅の三日目。

街道を進むほど巡検する兵の数は増えていった。

領境へ近付いているからかあるいは本当に情勢が悪化しているのか。

小さな砦。

監視塔。

橋。

分岐。

すべてに兵がいる。

同じ質問を何度も受ける。

モーリ。

金級狩人。

ダリスティからサトゥルドス子爵領へ。

レオン・トール・サトゥルドス様に呼ばれた。

そのたびに金色の狩人証と手紙を見せる。

何度目かの検問では。

兵が俺の名を知っていた。

「モーリ?」

「はい」

「黒霧の森から戻った金級狩人か」

「そうです」

兵は隣の者を見る。

「サイクロプスを倒したという?」

「一体だけです」

「グリフォンも?」

「戦いました」

「一人でか」

「アークと一緒に」

兵たちの視線がアークへ集まる。

アークは胸を張る。

『もっと褒めてええですで』

「ただの犬に見えるが」

一人の兵が言う。

アークの尻尾が止まった。

『帰りましょう』

「まだ着いてないよ」

「この犬が何かしたのか?」

「アークです。俺の相棒です」

「相棒?」

「命を助けられました」

兵はもう一度アークを見る。

今度は少しだけ見方が変わった。

「そうか」

『分かればよろしい』

「それで、通っても?」

「ああ。サトゥルドス家には連絡が回っている」

「俺が来ることを?」

「モーリという金級狩人が到着した場合、丁重に通せと」

レオンが俺の返事を受け取った後領境の兵へ伝えていたのだろう。

いつ到着するか、本当に来るかそれすら分からないのに必ず来ると信じていた。

胸の奥が少しだけ熱くなる。

「ありがとうございます」

「子爵邸まで、あと一日ほどだ」

「分かりました」

「急げ」

「何かあったんですか?」

兵はすぐには答えなかった。

「正式なことは、子爵家で聞け」

それだけ言った。

その日は街道沿いの小さな村へ泊まった。

宿と呼べるほど大きな建物ではない。

村人が旅人へ貸している空き部屋。

夕食は豆の煮込み、硬いパン、塩漬け肉。

アークには味を付ける前の肉を分けてもらった。

村の男たちは夕食後広場へ集められていた。

槍を持っているが兵には見えない。

領兵らしき男が槍の構え方を教えている。

「村の人も戦うんですか」

泊めてくれた老人へ尋ねる。

老人は窓の外を見た。

「戦うためではない」

「では、何のために?」

「男手が兵に取られれば、村を守る者がいなくなる」

「盗賊から?」

「盗賊。逃げた傭兵。食料を求める兵。誰が敵になるか分からん」

老人の声には怒りよりも諦めがあった。

「若い者へ招集が掛かるかもしれん」

「もう命令が?」

「まだだ」

「畑はどうするんですか」

「残った者でやる」

「人が足りない」

「足りなくてもやるしかない」


翌朝、村を発つ。

昼頃。

サトゥルドス子爵領の境へ到着した。

境を示す石柱に黒鷲と剣の紋章。

その先、道の両側にサトゥルドス家の兵が立っている。

これまで見た検問よりさらに厳重だった。

木の柵。

土嚢。

弓兵。

騎兵。

通行人の名を書き留める書記。

「止まれ」

俺は何度目か分からない説明をする。

「モーリ。金級狩人です。レオン・トール・サトゥルドス様に呼ばれました」

手紙を見せる。

兵は。

封印を見ると。

すぐに隣の者へ声を掛けた。

「連絡にあった者だ」

「モーリ殿ですか」

先ほどまでの警戒が少しだけ和らぐ。

「はい」

「お待ちしておりました」

「俺を?」

「レオン様から、到着した場合はすぐ通すよう命じられています」

「いつ来るかも分からないのに」

「レオン様は、必ず来られると」

俺は。

返事に困った。

代わりに小さく笑う。

「そうですか」

「子爵邸までの街道は安全です。ただし、脇道へは入らないように」

「領内でも警戒を?」

「現在、領内の兵を集めています」

「招集命令が出たんですか」

兵は僅かに口を閉ざす。

「詳しくは、レオン様から直接お聞きください」

やはり何かが動いている。


サトゥルドス子爵領。

以前にも来た土地で景色には覚えがある。

緩やかな丘、畑、森、遠くを流れる川、村、街道。

だが以前と同じには見えなかった。

村の入り口には見張り、街道には騎兵。畑の脇には武器を持つ男たちが歩いている。

荷車へ穀物袋が積まれている。普通の市場へ運ぶ量ではない。領都か軍の倉庫へ集めているのだろう。

村の広場では名簿を持つ役人が男たちの名前を読み上げている。

その横には家族が立っている。

誰も大声では泣いていないが笑っている者もいない。

『主』

アークが。

俺の脚へ少し近付く。

「うるさい?」

『はい』

「無理に読まなくていいよ」

『読んどらんです。でも流れてきます』

「どんな?」

『行きたくない。死にたくない。家族を守りたい。逃げたい。でも逃げたら家族が困る』

俺は広場の男たちを見る。

まだ鎧も着ておらず剣も持っていない。

それでもすでに戦場へ立っているような顔をしていた。

「先へ行こう」

『はい』

歩く速度を上げる。


日が傾く頃、子爵家の屋敷が見えた。

丘の上に高い石塀。

鉄で補強された門。

見張り塔。

黒鷲と剣の旗。

以前来た時も堅牢な屋敷だと思ったが今は小さな砦に見える。

壁の上には弓兵。

門の前には槍を持つ警備兵。

敷地の外にも天幕が張られている。

馬。

荷車。

兵。

多くの人間が行き交っていた。

俺たちが門へ近付く。

二人の警備兵がすぐに槍を構えた。

「止まれ!」

足を止める。

一人がこちらへ進み出る。

険しい顔。

槍を両手で持ち俺の剣とアークを交互に見る。

「誰何!」

鋭い声が響く。

「モーリだ」

「所属を言え」

「狩人だ。レオン様の知り合いで来た」

「レオン様の知り合い?」

兵の表情はまだ緩まない。

「証明は」

金色の狩人証を見せる。続いてレオンの手紙。

警備兵は封印を細かく確認する。

それでもすぐには通さなかった。

「ここで待て」

「分かった」

「動くな」

「動かないよ」

兵の一人が門の内側へ走っていく。

残った兵は槍を下ろさず俺を見張る。

アークが小さく首を傾げる。

『怖い顔ですな』

「今は警戒してるんだよ」

『尻尾振ります?』

「やめておこう」

『友好的ですで』

「急に近付いたら槍を向けられるよ」

『わい、避けられます』

「避ける前提で動かないで」

しばらく待つと門の奥から一人の老人が歩いてきた。

黒を基調とした服。

白い手袋。

背筋は真っ直ぐ髪は白い。

歩みは落ち着いている。

だが普段より僅かに速い。

見覚えがある。

サトゥルドス子爵家の老執事。

以前屋敷へ来た時、何度も世話になった。

老人は俺の姿を確認すると穏やかな笑みを浮かべた。

「これはこれは」

門まで来る。

俺の前で丁寧に頭を下げた。

「モーリ様。お待ちしておりました」

「お久しぶりです」

「ご無事で何よりでございます」

「ありがとうございます」

老執事は隣のアークへも目を向ける。

「アーク様も、お変わりないようで」

『分かっとりますな』

「覚えていてくれたみたいだよ」

『ここの人は信用できます』

「肉が出たからでしょ」

老執事はアークの尻尾が動くのを見て少しだけ笑った。

「お疲れでしょう。どうぞ中へ」

老執事が警備兵へ向き直る。

「この方は、レオン様の大切なご友人です」

警備兵はすぐに槍を下ろした。

「失礼いたしました」

「気にしていません」

「申し訳ありません。現在、警備を強化しておりまして」

「以前より、かなり増えていますね」

老執事の笑みが僅かに薄くなる。

「詳しいことは、レオン様からお話があるかと」

「レオン様は?」

「現在、領内から集まった兵の確認をなさっております」

「兵の確認」

「もうすぐお戻りになる予定です」

老執事は門の奥へ手を向ける。

「それまで、こちらでお待ちください」

門を通り屋敷の敷地内へ入る。

以前とはまるで違っていた。

庭は同じように整えられているがその間を兵が行き交っている。

木箱を運ぶ者。

槍を束ねる者。

盾を確認する者。

馬の蹄鉄を調べる者。

書記官が名簿を持ち集まった男たちの名前を書き留めている。

鍛冶師が中庭の一角へ簡易の炉を作り剣を修繕していた。

火花。

槌音。

号令。

馬の嘶き。

まるで屋敷全体が出発前の軍営になっている。

アークが周囲を見回す。

『皆、忙しそうですな』

「うん」

『肉焼いとる人もおります』

「そっちを見てたの?」

『兵も見とります』

「本当かな」

老執事に案内され屋敷の中へ入る。

廊下にも使用人だけでなく武装した兵に伝令、役人と次々に人が行き交っている。

客間へ案内された。

見覚えのある部屋だった。

老執事が俺の背負い袋を見た。

「お荷物をお預かりいたしましょう」

「大丈夫です」

「長旅でお疲れでしょう」

「武器と薬が入っていますから、自分で持ちます」

「承知いたしました」

無理に取ろうとはしない。

「お飲み物をお持ちいたします」

「水で十分です」

「軽いお食事はいかがでしょう」

『肉』

アークがすぐに顔を上げる。

「アークに肉をお願いできますか」

「もちろんでございます」

老執事は何の迷いもなく答えた。

「以前と同じく、味付けを薄くしたものをご用意いたします」

アークの尻尾が床を叩く。

『完璧ですな』

「覚えていたみたいだよ」

「アーク様は、肉を大層お気に召しておられましたので」

『この人、わいのこと分かっとります』

「肉のことだけね」

老執事が一礼する。

「レオン様へは、モーリ様が到着されたことをすでにお伝えしております」

「いつ戻りますか」

「一刻ほどで」

「分かりました」

「どうぞ、おくつろぎください」

老執事が部屋を出る。

すぐに水、軽い食事、アーク用の肉が運ばれてきた。

旅の後だからか温かい食事がいつも以上に美味く感じる。

アークは皿へ顔を近付ける。

一口。

噛む。

目を閉じる。

『これです』

「何が?」

『わいが求めていた肉です』

「宿でも食べてたよ」

『違います』

「何が違うの」

『柔らかさ。温かさ。脂。全部です』

「詳しいね」

『肉の専門家です』

「食べる専門?」

『一流です』

食事を終え、少し身体を休める。

長い距離を歩き足に疲れはある。

肩も荷物の重みで凝っている。

だが横になる気にはならなかった。

窓の外が気になっていた。

「本当に兵を集めてる」

『村でも見ましたな』

「レオンが手紙に書いていた通りだ」

『でも、まだ戦っとらんのでしょう』

「たぶん」

『なら何でこんなに集めるんです?』

「戦いが始まった時、すぐ動けるように」

『始まらんかもしれません』

「始まらないなら、それが一番いい」

『集められた人は帰れます?』

「そうなると思う」

アークは窓の外を見る。

『皆、帰れると思っとらんです』

返事ができなかった。

アークには兵たちの思考が聞こえている。

俺には表情しか見えない。

家族と別れてきた者。

初めて武器を持つ者。

過去に戦場へ出たことがある者。

それぞれ考えていることは違う。

だが帰れないかもしれない。

その不安だけは共通しているのだろう。

時間が過ぎる。

廊下の足音。

中庭の声。

窓から差し込む光が少しずつ傾く。

一時間ほど経った頃、遠くから速い足音が聞こえた。

一人ではなく複数。

だがその中の一人だけ明らかに速くほとんど走っている足音が廊下の向こうから近付く。

勢いよく扉が開いた。

「モーリ!」

聞き慣れた声。見慣れた顔。

レオンだった。

以前より少し髪が伸びている。

服装は貴族らしい華美なものではなく動きやすい軍装。

腰には剣。

肩にはサトゥルドス家の黒鷲と剣が入った外套。

顔には僅かな疲れ。

目の下にも薄い隈。

だが俺を見た瞬間すべてを忘れたように笑った。

「モーリ! 会いたかったぞ!」

レオンは部屋へ入るなり真っ直ぐこちらへ歩いてくる。

俺も立ち上がる。

「レオン」

互いに手を伸ばす。

それだけでは終わらなかった。

レオンが俺の肩を抱く。

俺もその背を叩いた。

「本当に来てくれた」

「手紙を出しただろ」

「返書は読んだ」

レオンが一度身体を離す。

俺の顔を見る。まるで本当に本人か確認するように。

「それでも、姿を見るまでは安心できなかった」

「俺も会いたかったよ」

「モーリ」

レオンの笑みがさらに大きくなる。

「久しぶりだね」

『わいもおりますで』

アークが二人の足元へ来る。

レオンはすぐにアークへ気付いた。

「アーク!」

しゃがんで両手でアークの頭を撫でる。

耳の後ろ。首。顎の下。

アークが好きな場所をよく覚えている。

アークの尻尾が床を何度も叩く。

『相変わらず撫で方上手いですな』

「元気そうだな」

レオンはアークの身体を確認する。

「少し逞しくなったか?」

『分かります?』

「黒霧の森へ入ったからね」

俺が答える。

レオンは僅かに驚いた顔をした。

「黒霧の森?」

しまったレオンは俺がダリスティにいることしか知らない。

黒霧の森へ入ったことも深層まで進んだことも何も話していない。

「その話は、後で」

「随分と気になる言い方だな」

「色々あったんだ」

「色々で済ませる顔ではないぞ」

レオンが俺の腰の新しい剣を見る。

背中の予備の剣。

僅かに残る傷。

「本当に何をしていた」

「話すと長いよ」

「なら、夜に全部聞く」

「時間があればね」

その言葉でレオンの笑みが少し消えた。

レオンは立ち上がり俺の前へ立つ。

「モーリ」

「うん」

「今回はすまない」

「何が?」

「我が家のことに巻き込んでしまった」

「まだ何もしてないよ」

「これからだ」

レオンは頭を下げようとした。

俺はその肩を掴む。

「やめてよ」

「だが」

「なんのその」

レオンが顔を上げる。

俺は笑う。

「心の友の頼みなら、なんともない」

「モーリ」

「俺が困ってた時、レオンも助けてくれただろ」

古代遺跡や資料。レオンは俺の話を疑わず力を貸してくれた。

「今度は俺の番だ」

レオンの目が僅かに揺れる。

申し訳なさ。

安堵。

嬉しさ。

いくつもの感情が混ざっている。

「お前は、本当に」

レオンは少しだけ顔を逸らす。

「ずるいな」

「何が?」

「そんなことを言われれば、もう謝れない」

「謝らなくていいよ」

「感謝はする」

「それは後で」

「まだ何も始まっていないからか」

「全部終わってから」

レオンは息を吐く。

そして以前と同じように笑った。

「分かった」

「うん」

「だが、一つだけ言わせてくれ」

「何?」

「来てくれて、本当によかった」

俺は少しだけ間を置く。

「俺も、レオンに会えてよかったよ」

『わいもです』

アークが二人の間へ鼻を差し込む。

レオンが笑う。

「アークもだ」

『肉も美味かったです』

「アークは、肉も美味しかったって」

「それはよかった」

『さすが心の友ですな』

「肉をくれる人は、皆心の友らしいよ」

「なら、私はアークとも心の友だな」

『レオンは話が分かります』

「軽いなあ」

しばらく三人で笑う。

外では兵が動き、武器が運ばれ、戦争の気配が屋敷を覆っている。

それでもこの瞬間だけは以前と同じだった。

俺とアークとレオン。

心の友との再会。

長い旅の疲れも街道で見た不安も僅かな間だけ遠くへ消えた。

だがその時間は長くは続かなかった。

レオンが机へ目を向け、表情を改める。

「モーリ」

「うん」

「早速で悪いが、話しておかなければならないことがある」

「戦争のこと?」

レオンはゆっくりと頷いた。

「そうだ」

机の上へ大きな地図が広げられる。

オニギエ辺境伯領。

マインセ公爵領。

上ロール伯爵領。

下ロール伯爵領。

そしてその周囲にあるいくつもの貴族領。

レオンは地図の前へ座る。

俺も向かいへ腰を下ろす。

アークは俺の足元へ伏せた。

レオンの指が上ロール伯爵領を示す。

「まずは、今回の争いがどうして始まったのか。そこから説明する」

「頼む」

レオンは静かに息を吸った。

そして長年燻り続けてきたロール伯爵領の継承争いについて語り始めた。

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