軍靴の音
ダリスティの城壁が見えてきた頃には、空はすでに夕方の色へ変わり始めていた。
西へ傾いた太陽が、遠くの雲を赤く染めている。
黒霧の森を抜けてからも、俺たちはほとんど休まず歩き続けていた。
森の外へ出たからといって、すぐに安全になるわけではない。
黒霧の森ほどではなくとも、警戒を解くにはまだ早かった。
それでも森を背にして街道を進み、遠くに城壁と門塔が見えた瞬間。
身体の奥に張りつめていたものが、少しだけ緩んだ。
高い石壁。
門の上で風にはためくダリスティの旗。
夕方までに町へ入ろうと足を速める商人の列。
荷車を引く馬。
旅人。
狩人。
農作物を積んだ荷車。
人の姿がある。人の声がある。煙突から上がる煙がある。それだけで黒霧の森とはまるで違う世界へ戻ってきたように感じられた。
アークも先ほどまで重そうに動かしていた脚を、少しだけ速めている。
長い毛には森の泥がこびり付いていた。所々に乾いた血も残っている。
俺自身も服は汚れ外套には裂けた場所があり、靴には黒い泥が厚くこびり付いていた。
背負った荷物は森へ入った時よりも明らかに重い。
食料や薬は減っている。それでも持ち帰った魔物素材、遺跡の記録、魔石が荷物の重量を増やしていた。
『ようやく町ですな』
アークの声が頭の中へ響く。
「そうだね」
『今日こそ、肉食えます?』
「森でも食べただろ」
『あれは保存食です』
「肉には違いない」
『保存食と焼きたては別物です』
「町へ入ってからね」
『あそこからええ匂いします』
まだ東門まで距離がある。
それでも風に乗って微かに何かを焼く匂いが漂ってきていた。
香草。
脂。
焦げた肉の匂い。
アークの鼻が忙しなく動く。
『鹿ですかね』
「分からないよ」
『羊かもしれません』
「まだ見えないだろ」
『鼻で見えます』
「それは見るとは言わない」
東門の前には町へ入ろうとする者たちが列を作っていた。
俺たちも列の最後へ並ぶ。
前にいた商人の荷車には、布で覆われた木箱がいくつも積まれていた。
門番が箱を開けさせ中身を一つずつ確認している。
夕方が近いためか門の前には多少の焦りがあった。
日が落ちれば門は閉じられる。
閉門後に到着した者は特別な許可がなければ外で夜を明かすことになる。
ようやく俺たちの順番が来た。
門番が俺を見る。
その視線が汚れた外套、腰の剣、背負った大きな荷物。そして隣にいるアークへ移った。
「身分証を」
俺は腰袋から狩人証を取り出した。
夕日の残光を受け狩人証の表面が淡く輝いた。
金色。
門番の眉が僅かに上がる。
「金級か」
「はい」
狩人証を裏返し。
刻まれた名前、所属、魔力印を順に確認していく。
「モーリ」
「そうです」
門番は一度俺の顔と狩人証を見比べた。
それから俺の背負っている荷物へ視線を向ける。
袋の口は紐で固く縛ってある。だが内部の形までは隠し切れていない。
長いもの。硬いもの。布越しでも普通の旅道具ではないと分かる。
「中身を確認する」
「どうぞ」
俺は背負っていた荷物を地面へ下ろした。
肩から重みが消えた瞬間鈍い痛みが遅れて広がる。長時間重い荷物を背負って歩き続けたせいだ。
紐を解き上部を開く。
すべてを取り出す必要はない。
俺は検査しやすいように素材の一部だけを見せた。
最初に取り出したのは巨大な牙。人間の腕ほどの長さがある。表面は黄白色。根元にはまだ僅かに魔力が残っている。
次に何重にも折り畳まれた厚い皮普通の刃では簡単に切れないサイクロプスの皮だ。
その下には束ねた長い腱。太く弾力があり強く引いても容易には切れない。
さらに布へ包んでいたグリフォンの羽根を数枚取り出した。一枚一枚が長い。灰色と白。
角度によって淡い緑の光沢が浮かぶ。
門番は最初仕事として淡々と中身を確認していた。
だが牙を見て皮を見て腱を見て最後にグリフォンの羽根を見た頃には目が次第に大きくなっていた。
「これは……」
もう一人の門番も何事かと近付いてくる。
「どうした」
「見てみろ」
後から来た門番も荷物の中を見て動きを止めた。
視線が牙から羽根へ羽根から俺の狩人証へ移る。
「どこで手に入れた」
「黒霧の森です」
「黒霧の森……」
門番の声が低くなる。
「これを自分で?」
「はい」
詳しく説明するつもりはなかった。
ここは検査の場だ。討伐報告や素材の鑑定は狩人ギルドで行う。
俺は羽根を布へ戻す。
「ギルドへ持っていきます」
門番はしばらく素材を見ていたがやがて我に返ったように頷いた。
「そうしてくれ」
荷物の奥までは改めて確認されなかった。
危険物や禁制品が隠されていないか最低限の検査だけを行う。
検査を終え再び荷物を背負う。
重さが両肩へ食い込んだ。
「通っていい」
「ありがとうございます」
東門をくぐる。
分厚い石壁の下を抜けると町の音が一気に押し寄せてきた。
馬車の車輪が石畳を叩く音。
荷馬車を避けるよう叫ぶ御者。
店じまいを始める商人。
今日の売れ残りを安く売ろうとする露天商。
宿を探す旅人。
家路を急ぐ職人。
子供の笑い声。
皿や鍋が触れ合う音。
遠くから聞こえる鐘。
そして通りの両側から漂う料理の匂い。
焼いた肉。
煮込んだ豆。
香辛料。
パン。
酒。
黒霧の森にはなかった匂い。人間が暮らす場所の匂いだった。
森の中では湿った土。
苔。
腐った葉。
血。
獣。
魔物。
黒い霧。
そうしたものばかりを嗅いでいた。
町の喧騒は騒がしい。だが今はその騒がしさがひどく懐かしく感じられた。
『肉焼いとります』
アークが通りの先へ鼻を向ける。
「前にも聞いたよ」
『前とは別の肉です』
「何が違うの」
『匂いが違います』
「まずギルド」
アークの耳が露骨に下がった。
『またです?』
「帰還報告が必要だろ」
『明日でもええんちゃいます?』
「こういうのは戻った日にするものだよ」
『肉は逃げますで』
「肉は走らないよ」
『売り切れます』
「別の店にもある」
『あそこの肉は、あそこの店にしかありません』
「まだ見てもいないだろ」
『匂いで分かります』
アークは俺の隣を歩きながらも何度も料理店の方角を振り返っていた。
通りを歩く人々も俺たちへ視線を向ける。
金級狩人証を身につけていることよりも背負った荷物から突き出す巨大な牙、布の隙間から見える羽根、泥と傷で汚れた姿のほうが目立っている。
子供が母親の服を引っ張りながら俺たちを指差す。
「お母さん、あれ何?」
「見ちゃいけません」
母親は子供の手を引いて足早に去っていった。
『わい見たらあかんのです?』
「アークじゃなくて荷物だと思うよ」
『わい、格好ええのに』
「今は泥だらけだけどね」
『強者の風格です』
「汚れているだけだよ」
アークの不満を聞き流し。
俺たちは狩人ギルドへ向かった。
見慣れた建物。
広い正面扉。
魔物の角を模した看板。
夕方ということもありギルドの周辺には依頼を終えて戻ってきた狩人やこれから酒場へ向かう者たちが集まっていた。
扉を押し開ける。
中から独特の臭いが流れてくる。
革。
汗。
酒。
薬品。
血。
油。
乾燥させた薬草。
魔物素材。
何度嗅いでも。
完全には慣れない臭い。だが以前と同じだった。
受付窓口。
掲示板。
奥の酒場。
壁際の素材搬入口。
テーブルを囲む狩人たち。
大声で笑う者。
今日の依頼について話す者。
報酬を数える者。
怪我を治療している者。
俺たちが中へ入った瞬間入口近くにいた何人かが最初にこちらを見た。
その視線が俺の顔、背負った荷物、アークへ移る。
話しが少しずつ弱くなっていく。一人また一人周囲の狩人が俺たちへ気付く。
黒霧の森の深層へ向かうため事前に申請を出していたことはギルド内部でも知られていたらしい。
深層へ入ったまま戻らない者は珍しくない。
出発した時点で死んだと思われていた可能性もある。
俺たちはそのまま受付へ向かう。
窓口にいた女性が書類から顔を上げた。
俺の姿を認めた瞬間一度大きく目を見開く。次にアークを見る。それから明らかに安堵した表情を浮かべた。
「無事に帰ってきたんですね」
声にも少し力が抜けていた。
「はい」
俺は受付へ狩人証を差し出した。
「帰還の報告です」
受付の女性は金色の狩人証を受け取り。
すぐに棚から台帳を取り出した。
申請時の記録を探す。
頁をめくる手が僅かに速い。俺の名前を見つけると横に記された出発日を確認する。
「予定より早いですね」
「そうですか?」
「もっと長期間の探索になると書かれていました。怪我は?」
「大きなものはありません」
「治療師の確認は必要ですか?」
「必要ないと思います」
「頭を打ったり、毒を受けたりは?」
「ありません」
「魔力枯渇は?」
「もう回復しています」
受付の女性は。
俺の顔色や姿勢を確認するように見る。
外から分かる範囲では緊急の治療が必要な状態ではない。
だが泥と乾いた血に覆われているせいで説得力はあまりなかった。
「そちらは?」
受付の女性が。
カウンターの下からアークを見る。
「元気です」
『腹減っとります』
「元気そうですね」
受付の女性にはアークの念話は聞こえない。ただアークが肉の匂いがする方向を気にして。尻尾を動かしているのを見て問題ないと判断したらしい。
『腹減っとるいう意味です』
「尻尾で伝わってるんじゃない?」
『絶対違います』
受付から帰還記録用の紙を渡される。
日付。
東門へ到着した時刻。
黒霧の森へ入った経路。
帰還に使った経路。
探索したおおよその範囲。
同行者。
負傷の有無。
遭遇した魔物。
発見したもの。
すべてを細かく書く必要はない。
公開して問題ない範囲で簡潔に記入していく。
遺跡のことは書かないことにした。
サイクロプス。
グリフォン。
その名を書いたところで。
受付の女性が紙を覗き込むように見る。
「サイクロプスとグリフォン?」
「はい」
「遭遇しただけですか?」
「倒しました」
受付の女性は数秒何も言わなかった。
周囲の話し声も先ほどよりさらに小さくなっている。
近くの狩人たちは明らかにこちらの会話を聞いていた。
「素材もあります」
俺が背負っている荷物へ手をかけると。
受付の女性はすぐに奥へ視線を向けた。
「買い取り窓口へお願いします。通常の受付では扱えません」
帰還手続きを終え。
俺たちはギルド奥にある素材買い取り窓口へ移動した。
広い作業台。
計量器。
魔石を調べるための器具。
刃物。
薬品。
記録紙。
床には大型素材を載せるための鉄板が敷かれている。
俺は荷物を下ろした。紐をほどく。
近くにいた狩人たちが少しずつ距離を詰めてくる。
程なくして年配の鑑定士が姿を見せた。
最初は面倒そうな表情をしていた。だが作業台の素材を見るなりその表情が変わった。
歩みが速くなる。
巨大な牙が作業台へ置かれる。
次に厚い皮。何重にも折り畳んである。広げれば作業台一つでは足りない。
束ねた腱。人間が両手で引いてもほとんど伸びない。
鑑定士は最初に牙を持ち上げた。
根元を見て断面を見る。表面の摩耗、魔力の残り方、欠けた跡を一本ずつ丁寧に調べる。
次に皮へ刃を当てる。
軽く押し込んだ程度では表面に傷すらつかない。
「間違いない」
鑑定士が断言した。
「成体のサイクロプスだ。しかも、かなり大型だな」
受付の女性が。
作業台に並べられた素材を見つめる。
「この素材はすごい……本当にサイクロプスだったんですね」
「襲われたので倒しました」
周囲から小さな笑いが漏れる。
受付の女性も呆れたように俺を見る。
「その説明だけだと、簡単に聞こえますね」
「簡単ではありませんでした」
『目ぇ刺しました』
アークが。
自分の功績を主張するように。
頭の中へ念話を送る。
「アークもかなり働いたよ」
『かなりやなくて、大活躍です』
「そうだね」
『もっと褒めてください』
周囲の者には俺が急に犬へ話しかけたようにしか見えない。
アークは得意げに胸を張っていた。
サイクロプスの素材の確認が終わる。
俺は次に別の布包みを取り出した。
鑑定士の視線がすぐにそちらへ向く。
紐を解く。
中から現れたのは羽根と鉤爪。
「グリフォンのものです」
長い羽根。
鋭く曲がった鉤爪。
爪の先にはまだ風属性の魔力が僅かに残っている。
周囲へ集まってきた狩人の数がさらに増えた。
「サイクロプスだけじゃないぞ」
「グリフォンまで?」
「一度の探索でか?」
「深層へ行って帰ってきたってだけでも異常だろ」
「こいつ、本当に金級になったばかりなのか」
「金級になったばかりだからって、実力まで金級になったばかりとは限らん」
「一人と一匹だぞ」
「犬じゃないのか、あれ」
『犬ですけど?』
アークが聞こえない相手へ顔を向ける。
『犬やから何やいう話です』
「気にしなくていいよ」
『気にします』
売却するのは研究へ使用する予定のない素材だけ。
サイクロプスの牙。腱。皮。
グリフォンの羽根。鉤爪。
すべてではない。状態の良いものを一部だけ手元へ残す。
素材としての性質を調べたり錬金術の実験へ使ったりできる。
部位ごとの状態確認。
買い取り価格の計算。
税やギルド手数料の確認。
すべてが終わるまでかなりの時間がかかった。
窓の外はすでに暗くなっている。
ギルド内の灯りが増え酒場の声も先ほどより大きくなっていた。
見物していた狩人たちの多くは自分の席へ戻っている。
だが時折こちらを見ている者はまだいる。
最後に受付の女性から査定額が記された紙を渡された。
俺は数字を見る。
一度。
桁を確認する。
予想していたより。
かなり多い。
「間違っていませんか?」
「間違っていません」
「羽根と牙だけで、こんなに?」
「状態が良いですから。特にグリフォンの羽根は、魔道具や高級な矢羽根に使われます」
「皮も、ほとんど傷がありません」
帰還手続きを終え俺たちはギルドを出た。
夜の町は夕方とはまた違う喧騒に包まれていた。
酒場の明かり。
料理店から漏れる声。
露店の灯り。
焼けた肉の匂い。
アークの足取りが急に軽くなる。
『肉』
「宿へ戻ってから」
『さっきからそればっかりです』
「宿で注文するよ」
『大きいやつです?』
「大きいやつ」
『骨付き?』
「骨付き」
『急ぎましょう』
今まで疲れていたはずなのにアークは俺より前へ出て歩き始めた。
「走るなよ」
『肉が売り切れます!』
「宿の食事まで売り切れないよ」
宿へ戻った後、俺たちは数日間の休養に入った。
最初にしたのは風呂だった。
俺よりも先に洗う必要があったのはアークだ。
部屋へ入った時点で床へ泥が落ちている。
毛の奥には黒霧の森で付いた葉、小枝、血、土、乾いた苔、細かな種、何が入り込んでいるか分からない。
「まず風呂」
俺が言うとアークは露骨に後ずさった。
『疲れとります!』
「洗ってから寝る」
『毛ぇ濡れたら、もっと疲れます!』
「乾かすよ」
『自然に任せましょう!』
「部屋中が泥だらけになる」
『床拭けばええです』
「毎回誰が拭くの」
『宿の人です?』
「追い出されるよ」
アークは扉のほうへ視線を向けた。
逃げるつもりだ。
俺が一歩進むとアークも一歩下がる。
「逃げても無駄だよ」
『話し合いましょう』
「さっきから話してる」
『わいには、身体を洗わん権利があります』
「ない」
『横暴です!』
アークが部屋の隅へ逃げようとする。
俺は念動力を使った。アークの身体が床からゆっくり浮かび上がる。
四本の脚が空中でばたばた動いた。
『主!』
「暴れると危ないよ」
『下ろしてください!』
「浴室でね」
『嫌です!』
「洗ってから寝る」
『わいだけ別の宿泊まります!』
「犬だけじゃ泊めてもらえないよ」
『差別です!』
アークを浴室へ運ぶ。
桶。湯。石鹸。布。必要なものは宿の者に頼んで用意してもらっていた。
アークを床へ下ろす。
すぐに逃げようとしたため扉を閉める。
『閉じ込めましたな』
「洗い終わるまでね」
最初にぬるめの湯を背中へかける。
アークの身体がびくりと震えた。
『冷たい!』
「温かいよ」
『心が冷えました!』
「大げさだな」
湯が長い毛の間へ染み込む。
黒霧の森の泥が少しずつ流れ始める。
最初は透明だった湯が床へ落ちる頃には茶色く濁っていた。
毛をかき分ける。表面だけではなく奥まで汚れている。
最初こそ抵抗していたが温かい湯に慣れ、身体を揉むように洗われると次第に大人しくなった。
『そこ、もう少し』
「気持ちよくなってるじゃないか」
『洗うのは嫌ですけど、揉むのは別です』
「都合がいいな」
『肩凝っとります』
「犬にも肩凝りあるの?」
『荷物持ちましたからな』
「ほんの少しって言ってたよね」
『ほんの少しでも凝ります』
洗い終わった頃には湯は完全に茶色く濁っていた。
『森の匂いが消えました』
「いいことだろ」
『強い犬の匂いやったのに』
「汚れの匂いだよ」
『魔物が逃げる匂いです』
「町の人も逃げるよ」
『ほな仕方ありませんな』
最後に新しい湯で身体を流す。
布で拭き、弱い風魔法を使って乾かす。
アークの毛が次第に元の柔らかさを取り戻した。
泥で固まっていた長い毛がふわりと広がる。
アークを洗った後俺も風呂へ入った。
服を脱ぐと自分でも気付いていなかった傷がいくつも見つかった。
すでに塞がっているが痣や擦り傷は残っている。
湯へ入ると身体の奥に溜まっていた疲れが一気に浮かび上がった。
温かさが筋肉へ染み込む。
風呂を終え、部屋へ戻る。
注文していた食事がちょうど運ばれてきた。
焼いた肉。
パン。
温かい煮込み。
野菜。
アーク用には。
骨付きの大きな肉。
それを見た瞬間。
アークの目が輝いた。
『主』
「何?」
『ここはええ宿です』
「肉を見ただけで判断したね」
『人を見る目があります』
「肉を見る目だろ」
アークは大きな肉の塊へかぶりついた。
黒霧の森で食べていた保存食とは違う。
焼きたてで脂が温かい。噛むたびに肉汁が出る。
アークはほとんど顔を上げず一気に食べ続けた。
『うまいです』
「ゆっくり食べなよ」
『逃げます』
「肉は逃げないって」
『取られるかもしれません』
「誰に」
『主に』
「取らないよ」
俺も温かい食事を口へ運ぶ。
身体が食べ物を求めていたことにその時になって気付いた。
パン。肉。煮込み。どれも森で食べていたものよりずっと美味く感じられる。
食事を終える頃にはアークの目がすでに半分閉じていた。
腹が満たされ緊張が解けたのだろう。
食器が下げられるとアークは寝台へ飛び乗った。
いつもなら場所を整え何度か回ってから伏せる。
だがその日は脚へ上がった直後そのまま倒れるように横になった。
数秒もしないうちに静かな寝息が聞こえ始める。
「早いな」
返事はない。深く眠っている。
俺も荷物を片付ける気力が残っていなかった。
魔石。記録。素材。盗まれて困るものだけを簡単に確認する。
魔石は鍵付きの箱へ入れる。
遺跡の記録は机の引き出し。
剣だけは手の届く場所へ置いた。
森を出ても武器を遠ざけて眠ることはまだできなかった。
寝台へ横になる。
アークは寝返りを打つように動き俺の脚へ背中を押し付けた。
温かい。
毛は先ほど洗ったばかりで柔らかい。
「アーク、お休み」
返事はない。
ただ尻尾が一度だけ小さく動いた。
俺も目を閉じる。
次に気付いた時外はすでに明るくなっていた。
休養の二日目。
身体にはまだ重い疲れが残っていた。
それでも前日よりは動ける。
朝食を取り装備の状態を簡単に確認する。
剣の刃、鞘。外套、靴、薬品、どれも修繕や補充が必要だった。
だが町へ出る前に先に整理しておきたいものがある。
黒霧の森から持ち帰った遺跡の記録だ。
俺は机の上を片付け、大きな紙を何枚も広げる。
遺跡の床に刻まれていた魔法陣の詳細をまとめた。
古代文字の配置。
必要と思われる属性魔石。
判別できなかった文字についての考察。
魔力を流した時にどの部分が反応したかどこで止まったか。その時。周囲の魔力がどう動いたか。
それらを整理しながら。次に必要となる魔石を一覧へまとめていた。
暖炉の前では。
アークが大きな肉を嬉しそうに齧っている。
すでに昼食を食べたはずだ。
だが。本人によれば。これは休養中の栄養補給らしい。
時折こちらを見ては尻尾を振る。
『主、肉冷めますで』
「俺のじゃないだろ」
『一緒に食べましょう』
「遠慮しておく」
『もったいないですな』
「さっき食べたばかりだよ」
『食べられる時に食べとかんと』
「ここは森じゃないから、後でも食べられる」
『人生、何が起こるか分かりません』
「肉を食べるためだけに壮大な話にしないで」
アークが肉を咥え直したその時だった。
こん。
こん。
扉が二度叩かれた。
強くはない。
だが。
相手が確実にこの部屋を訪ねてきたと分かる音だった。
俺は羽根筆を置く。
アークも肉を咥えたまま耳を立てた。
『誰です?』
「分からない」
俺は机の上へ広げた紙へ視線を落とした。
見られて困るものではある。
少なくとも宿の者へ気軽に見せる内容ではない。
俺は重要な紙だけを別の紙の下へ重ねる。
魔石の入った箱も机の足元へ寄せた。
それから立ち上がり扉へ向かう。
「はい」
返事をすると扉の向こうから若い男の声が返ってきた。
「モーリ様いらっしゃいますか」
聞き覚えのない声。言葉遣いは丁寧だった。
「そうですが」
「サトゥルドス子爵家より参りました。レオン様からお預かりした書状をお届けに参りました」
その言葉に扉へ伸ばしていた手が一瞬止まった。
レオン。
懐かしい名前だった。
最後に顔を合わせてから時間が経っている。
共に過ごした時間はすぐに思い出すことができた。
俺はすぐに鍵を外して扉を開けた。
廊下には一人の青年が立っていた。
年齢は二十代半ばほど。
濃紺の旅装。砂埃の付いた外套。丈夫な革の長靴。腰には。装飾よりも実用を重視した剣。
長距離を移動してきたことは服の汚れから分かる。
それでも背筋は真っ直ぐ伸び、立ち居振る舞いには乱れがない。貴族家へ仕える者らしい落ち着いた雰囲気を持っていた。
青年は俺の顔を確認すると胸へ片手を当て丁寧に一礼した。
「モーリ様でお間違いありませんか」
「はい」
「サトゥルドス子爵家嫡男、レオン・トール・サトゥルドス様の命により参りました」
青年は革の鞄から一通の封書を取り出した。
厚手の封筒。
赤い封蝋。
そしてその中央には翼を大きく広げた黒鷲。鉤爪には一本の剣。サトゥルドス子爵家の紋章だった。見間違えるはずがない。子爵家へ滞在していた頃屋敷の門、馬車、食器、使用人の制服、さまざまな場所で何度も見た紋章。
「レオンからか……」
自然と頬が緩んだ。
レオンは俺にとって単なる知人ではない。
心の友。そう呼べる相手だった。
身分も育った場所も持っているものも違う。
レオンはサトゥルドス子爵家の嫡男。
俺はどこから来たのかさえ説明できない人間。
本来なら深く関わることはなかったはずだ。
それでもレオンは俺へ古代遺跡を見せてくれた。さらに子爵家で保管されていた記録も見せてくれた。
それを恩着せがましく語ったことはない。俺を利用しようとしたこともない。
身分を理由に見下したこともなかった。
同じ机を囲み、同じ酒を飲み。古代文字を前に。共に頭を悩ませ、時には夜が明けるまで話し続けた。
俺がこの世界で心から友と呼べる数少ない相手。
そのレオンから手紙が届いた。
青年は両手で封書を差し出した。
「レオン様より、必ずモーリ様へ直接お渡しするよう申し付けられております」
俺も両手で受け取る。
封筒には僅かに旅の埃が付いている。
それでも封蝋には傷がない。途中で開かれた形跡もない。
「わざわざダリスティまで?」
「はい」
「遠かっただろ」
「それが務めでございます」
「俺がここにいることは、どうやって知ったんだ?」
青年は一度言葉を選ぶように目を伏せた。
「学院を離れられた後のお足取りを伺い、いくつかの町を回りました」
「俺を探して?」
「はい」
「レオンが?」
「レオン様は、モーリ様が学院を去られたと知り、まず以前立ち寄られた土地へ人を遣わされました」
「それで、ダリスティへ?」
「狩人ギルドを訪ね、こちらの町に滞在している可能性が高いと伺いました」
「苦労をかけたな」
「いえ」
青年は静かに首を振る。
「レオン様から『必ず本人の手へ渡してほしい』と命じられておりましたので」
ただの近況報告ならここまでしない。
人を遣わし、本人へ直接渡すよう命じる。
何か急ぎの用件あるいは他人へ知られたくない内容、そう考えるのが自然だった。
「遠くから来てもらったところ悪いが、少し待っていてくれるか」
「はい?」
青年が僅かに顔を上げる。
「今すぐ読む」
「承知いたしました」
「それと、返書もしたためる」
その言葉に青年の表情がほんの僅かに明るくなった。
安堵。
期待。
おそらくレオンから返事を持ち帰るよう言われているのだろう。
「かしこまりました。お待ちしております」
廊下へ立たせたまま待たせるわけにもいかない。長い道を移動してきたばかりだ。
「中へどうぞ」
「よろしいのですか」
「狭い部屋だけど」
「では、失礼いたします」
俺は青年を部屋へ招き入れた。机の上は遺跡の記録で埋まっている。見られて困る紙は下へ重ねてある。
空いている椅子を勧める。
「粗末な部屋だが座ってくれ」
「ありがとうございます」
使者は剣が椅子へ当たらないよう動きを調整して腰を下ろした。
アークは暖炉の前に伏せたまま使者を見ている。
肉はまだ口に咥えていた。
『こいつ、レオンの人です?』
「ああ」
『遠いとこから来たんですな』
「そうらしい」
青年には俺の声しか聞こえない。
それでもアークへ視線を向け。
丁寧に頭を下げた。
「アーク殿も、ご壮健のようで何よりです」
アークが肉を咥えたまま目を瞬かせる。
『わいのこと知っとります』
「レオンから聞いているんだろ」
『有名犬ですな』
「たぶん、話に出ただけだよ」
『心の友の犬ですからな』
俺は机へ戻る。
封書を改めて手に取る。
赤い封蝋に指を掛ける。
ぱきり。
乾いた音。
中央から二つに割れた。
中から丁寧に折られた便箋を取り出す。
紙上質で上部には紋章。
そして最初の一文。
見慣れた筆跡。
――我が心の友、モーリへ。
その言葉だけで胸の奥が僅かに熱くなった。
レオンらしい。
貴族家の嫡男として送るならもっと形式ばった書き出しにするはずだ。
相手の身分。
時候の挨拶。
家名。
立場。
そうしたものを並べる。
だが俺へ送る手紙だから最初に心の友と書いた。
俺はその文字を少し長く見つめた。
それから続きを読む。
――久しく会えていないが、元気にしているだろうか。
――学院を離れたと聞いた。
――君のことだから、何か考えがあってのことだと思っている。
――本来であれば、直接会いに行きたかった。
――しかし、今の私は領を離れることが難しい。
学院を離れた俺が今どうしているのか無事なのかそれを気に掛けていることが文章から伝わってくる。
――君へ手紙を送ることを、随分迷った。
――久方ぶりの便りが、このような内容になることを許してほしい。
そこで文章の雰囲気が変わる。
文字そのものは乱れていない。筆圧も一定。それでも一つ一つの言葉が慎重に選ばれていることが分かった。
――近頃、我が領の周辺では、これまでにはなかった動きが見られる。
――国境へ向かう商人が減った。
――反対に、領内では穀物、塩、干し肉の買い付けが増えている。
――鍛冶場では、農具の修繕よりも、剣、槍、鎧を優先するよう命が出された。
――街道を行き来する兵の数も増えている。
戦争。
その言葉はどこにも書かれていない。
だが、穀物、塩、干し肉、保存できる食料、剣、槍、鎧、兵。それらが何を意味しているのか理解できないほど俺も鈍くはない。
――詳しいことを、書状へ記すことはできない。
――これは、私が君を信じていないからではない。
――この手紙が、必ず君の手へ届くとは限らないからだ。
――ゆえに、遠回しな書き方になることを許してほしい。
使者へ直接渡すよう命じた理由。
途中で奪われる可能性。
読まれる可能性。
敵へ情報が渡る可能性。
正式な使者を使っても絶対に安全とは言えない。
だから戦争とは書かない。敵の名も時期も場所も書かない。
それでも俺なら察すると信じ必要なことだけを並べている。
――私の懸念が、ただの思い過ごしであることを願っている。
――しかし、もし恐れていることが現実になれば。
――我が家は、避けて通ることのできない責務を負う。
――私もまた、サトゥルドス家の嫡男として、その責務から逃げるつもりはない。
レオンの姿が脳裏へ浮かぶ。
真っ直ぐ立ち迷いながらも最後には前へ進む男。
自分が子爵家の嫡男であること。
いつか家を継ぐこと。
領民を守ること。
それを重荷と感じながらも投げ出さない。
俺の知るレオンはそういう人間だった。
――君は、我が家の臣下ではない。
――我が領の兵でもない。
――私の命に従う理由もなければ、我々のために危険へ身を置く義務もない。
――それは、私も分かっている。
――だからこそ。
――これは、サトゥルドス家の嫡男としての命令ではない。
そこから先。
文字の間が少しだけ広くなっていた。
何度も言葉を選びながら書いたのだろう。
――心の友としての願いだ。
――もし私の恐れている事態が起きたなら、君の力を借りたい。
――厚かましい願いであることは承知している。
――それでも私は、君以上に背を預けられる者を知らない。
俺はその一文で。
読む手を止めた。
君以上に背を預けられる者を知らない。
俺の力が欲しい。
そういう意味もあるだろう。
レオンは俺が戦えることを知っている。
だがそれだけではない。
信頼していると書いている。
背中を向けても裏切らない。
危険な時隣に立つ。
そう信じている。
俺を便利な戦力としてではなく心の友として頼っている。
最後の部分へ目を移す。
――一度、会いたい。
――書状では伝えられないことが多い。
――君の顔を見て、話したい。
――無理を承知で頼んでいる。
――それでも、返事を待つ。
――我が心の友へ。
――レオン・トール・サトゥルドス。
読み終える。
部屋には暖炉の薪が小さく爆ぜる音が響いている。
使者は椅子に座ったまま静かに待っている。
アークもいつの間にか肉を齧るのを止めていた。
『何て書いてありました?』
アークが尋ねる。
俺は手紙から視線を上げる。
「戦になるかもしれない」
アークの耳が立つ。
『戦?』
「人間同士の」
『もう始まっとるんです?』
「まだ決まったわけじゃない」
窓の外へ一度視線を向ける。
ダリスティの町の行き交う人々。
ここから見れば。何も変わっていない。
平穏。
いつもの暮らし。
だが遠く離れた土地ではすでに動き出している。
「だが、レオンはそう考えている」
『助けてほしい、いう手紙です?』
「婉曲にね」
『素直に書けばええのに』
「書けないんだよ」
『途中で読まれるから?』
「ああ」
『面倒ですな、人間は』
「戦争は特にね」
手紙を丁寧に畳む。
レオンは無闇に人を頼る男ではない。
簡単に弱音を吐かない。
自分で背負い、自分で考え、自分で決める。
俺を呼べば危険へ巻き込むことも理解している。
だからこそ書状を送ることを迷った。
それでも頼らなければならないと判断した。
そのレオンが俺へ助けを求めている。
それだけで十分だった。
返す答えは最初から決まっていた。
俺は新しい便箋を取り出した。
羽根筆へインクを付ける。
使者が僅かに姿勢を正した。
「今すぐ返書をしたためる」
「ありがとうございます」
「少し待たせる」
「いくらでもお待ちいたします」
俺は便箋の最初へ筆を置く。
書き出しは迷わなかった。
――我が心の友、レオンへ。
彼がそう呼んでくれた。ならば俺も同じ言葉で返す。
――手紙は確かに受け取った。
――俺を探すために人を遣わせたと聞いた。
――手間を掛けさせたことを、まず謝る。
少し考え。
次の文を書く。
――お前が何を案じているのか、おおよその察しはついた。
――書状に記せないことがあるのも理解している。
――詳しい話は、会って聞こう。
そこまで書き筆先を止める。
会って話す。それだけならまだ答えにはなっていない。
レオンは来てほしいと頼んでいる。
力を貸してほしいと。
だから曖昧な返事をするつもりはなかった。
俺は一行はっきりと書いた。
――俺は行く。
短く飾りもない。だがそれで十分だった。
さらに続ける。
――友が困っているのなら、力を貸す。
――お前が俺へ背を預けるというのなら、俺はその背後に立つ。
――それが、心の友というものだ。
――遠慮する必要はない。
――準備を整え次第、そちらへ向かう。
一度筆を止める。
いつ出発できるか。
装備の修繕。
魔石の保管。
必要なことはいくつかある。
だが長く待たせるつもりはない。
最後に一文を加える。
――それまで、無茶をするな。
――直接会える日を楽しみにしている。
そして。
署名。
モーリ。
書き終えた便箋を最初から読み返す。
貴族へ送る正式な返書としては簡素すぎるかもしれない。
だが相手はレオンだ。子爵家嫡男としてではない心の友として手紙を送ってきた。
ならばこの書き方でいい。
インクが乾くのを待つ。
便箋を折る。
新しい封筒へ入れる。
俺は自分用の小さな封蝋を取り出した。
貴族家のような立派な紋章はない。
簡素な印封を閉じるためだけのもの。
蝋を溶かし封筒へ落とす押印する。
冷えるまで待つ。
それから立ち上がった。
使者の前へ行く。
封書を両手で差し出す。
「レオンへ」
使者も両手で受け取る。
動きは慎重だった。
「確かにお預かりいたします」
「必ず、直接渡してくれ」
「はい。何があろうと、レオン様ご本人へ」
「頼む」
使者は封書を革の鞄の奥へ収めた。鞄の蓋を閉じ留め具を確かめる。
「それと」
俺が言うと使者が顔を上げる。
「レオンへ、口頭でも伝えてほしい」
「何とお伝えすればよろしいでしょうか」
「俺は行く、と」
使者の表情が初めてはっきりと変わった。
目が僅かに開き深い安堵が浮かぶ。
「承知いたしました」
「返書にも書いた。けど、先にその一言を伝えてほしい」
「必ず」
使者は立ち上がる。
深く頭を下げた。
「レオン様は、この返書をご覧になれば、きっと安心なさるでしょう」
「そうだといいが」
「ここへ到着するまで、レオン様が何度もお尋ねになっていたと聞いております」
「何を?」
「まだ見つからないのか、と」
胸の奥が少し痛んだ。
レオンは待っていたのだろう。
「今から戻るのか?」
「はい」
「もう夕方になる」
「馬は、宿の前で休ませております」
「夜道になるぞ」
「途中の町で宿を取ります。それでも、できる限り急ぎます」
「分かった」
「それでは、失礼いたします」
使者は俺へ一礼。続いてアークへも頭を下げた。
「アーク殿も、ご健勝で」
『礼儀正しいですな』
「レオンへ、アークも元気だと伝えてくれ」
使者が微笑む。
「承知いたしました」
『腹減っとるとも』
「それは言わなくていい」
使者にはアークの声は聞こえない。俺の言葉だけを聞き少し不思議そうな顔をした。
それでも何も尋ねなかった。
扉を開ける。
使者が廊下へ出る。
最後にもう一度振り返った。
「モーリ様」
「何?」
「レオン様は、モーリ様を心より信頼しておられます」
「ああ」
迷わず答える。
「俺もだ」
使者は静かに頭を下げ廊下を歩いていった。
少しして宿の前から馬の蹄の音が聞こえた。
最初はゆっくりやがて石畳を蹴る間隔が速くなる。
その音は少しずつ遠ざかり最後には町の喧騒へ溶けていった。
俺は窓の前へ立った。
通りにはいつものダリスティの風景が広がっている。
商人。
馬車。
仕事を終えた者。
宿へ向かう旅人。
料理店の明かり。
戦争の気配はない。
少なくとも。
ここから見える範囲には何もない。だがレオンの手紙には確かな変化が記されていた。
『行くんですな』
背後からアークの声がした。振り返るとアークは暖炉の前に座っている。
食べかけの肉は前脚の間へ置かれていた。
「うん」
『レオンを助けに?』
「ああ」
『主の心の友ですもんな』
「そうだよ」
『わいも行きます』
「危険だよ」
『黒霧の森も危険でした』
「人間同士の戦いは、森とは違う」
『何が違います?』
「敵が、必ずしも悪いとは限らない」
アークは。
少し考えるように。
首を傾げた。
『殺しに来るのに?』
「命令されて来る者もいる」
『嫌なのに?』
「嫌でも、兵なら戦わされることがある」
『人間は変ですな』
「そうだね」
『でも、レオンは助けます』
「うん」
『主が行くなら、わいも行きます』
アークの声には迷いがなかった。
「明日から準備を始めよう」
『黒霧の森へ戻る準備やないですな』
「サトゥルドス子爵領へ向かう準備だ」
『肉は多めで』
「戦争へ行く準備で、最初に肉?」
『腹減ったら戦えません』
「間違ってはいないけど」
『ほな、大量に』
「必要な分だけ」
『主の必要と、わいの必要は違います』
「話し合おう」
『交渉ですな』
アークが再び肉へかぶりつく。
俺はレオンからの手紙をもう一度手に取った。
心の友が俺を呼んでいる。
ならば答えは決まっている。
俺は手紙を丁寧に折り直し大切なものを入れる箱へ収めた。
そして静かに旅支度を始めた。




