ジャムの香りと小さな棘
カフェの前に馬車が着くと、ランハート様はいつもの素敵なランハート様に戻っていた。
馬車の中では目を瞑っていたり、頭を押さえていらっしゃったから、本当に馬車に酔われたのだと思う。
私はいつも進行方向に座らせて頂いて、ランハート様はいつも反対側。気持ちも悪くなってしまうのでしょうね。私に気を使わせまいとする仕草、ちょっとバンってしたのも、いつもと見ない、ワイルドな部分があって、素敵だったわ。
ランハート様がちょっと悪い感じ…。ふふふ、とっても素敵だわ。
でも、苦しいのはつらいわね。馬車酔いにはミントとレモンの飴が良いとマリアが言っていたわ。今度のデートの時までに準備をしておきましょう。それと、座る位置を交換しようかしら?
ランハート様が気分悪くなって、具合が悪くなられたら、私とても心配だわ。
私の看病でよいのであればつきっきりでお世話をするのだけれど。
ランハート様の看病…。
え?最高かしら?
はっ。だめよ。至高のランハート様の健康を損ねる事を考えては罰が当たってしまうわ。
いけない、いけない。弱っているランハート様を少しだけ見て見たいなんて考えては。ちょっと可愛いかも、看病って名目でずっと傍にいられるかもなんて思ってわ…。
だめよ!健康第一よ!ランハート様が健やかにすごされることが私の喜び。だって、そうすればこれから先の未来ずっと楽しくすごせるのだもの。
そうよ、健康食品を調べなければ。身体によいジャムはあるかしら?なんて思っていると馬車は止まり、ランハート様が先に馬車を下りられた。
「ソフィー嬢」
馬車の外から少しみを乗り出して私の方へ手を差し出して、私を呼ぶ、この時、私はいつもドキドキする。私はランハート様の手を借りてゆっくりと馬車を下りると、そのまま手を繋いでランハート様を見つめると、ランハート様も優しく手を握り返してから微笑んでくれた。
「参りましょう」
はい、素敵。
「カラン」
カフェのドアを開けると甘い匂いとお茶の香りに包まれた。柔らかい匂い、誰かの笑い声。穏やかな話し声にケーキの焼き上がる香りが混じる。
ランハート様と手を離し、帽子を脱いでいると店員から声が掛かった。
「いらっしゃいませ。ランハート様、いつも御贔屓に、今、オーナーを呼びます」
「どうも」
店員はランハート様を見るなりすぐに奥に声を掛けた。すると奥から綺麗なドレスをきた可愛らしい女性が出てきた。
「ランハート兄様!」
可愛い女性は私達の前に飛び出してくると、ランハート様の手を取り、ぶんぶんっと振りあげた。
「おい、ジュリア」
「久しぶりね!!」
「ああ。最近はお互い忙しかったから…ほら、手を離してくれ」
「あ、ごめんなさーい」
私よりも少しだけ背が高い、女の子。すらっとしているのに、可愛らしい顔立ちに表情が明るく、ランハート様も困っているように注意するが、目線が優しい。
「…」
思わず、挨拶もせず、私は黙り込んでしまった。
いけない。こんな対応じゃ。今日はジャムの視察とも言っていたのに。ランハート様のお知り合いの方に失礼だわ。
でも、知り合い…なのよね。凄く仲がよさそうだけれど。
「ソフィー嬢。ここで会うのは初めてかな?いとこのジュリアだ。ここのオーナーをしている。ジュリア。知っているだろうが、ソフィー・フェレメレン侯爵令嬢だ」
ランハート様から紹介されると、ジュリアさんは綺麗にドレスを持ち上げて私に平民の礼をした。
「いとこのジュリア・シュールドでございます。お目にかかれて光栄です」
私は頷き、礼を返す合図をすると、簡易的な礼を返した。相手が平民と分かって格式高い礼を返すのは、品がないとされるからだ。
「ソフィー・フェレメレンと申します。どうぞ、宜しくお願い致します」
どこかで会った気はするが、私はジュリアさんという名前に覚えがなかった。頭の中にランハート様の親戚を思い浮かべたが、シュールド家という家名に聞き覚えは無かった。こんなに若いのにこの店のオーナー?凄い方ね。
でも、名前に聞き覚えがない。私が忘れている事を失礼に当たらないようにしなければ。ランハート様にも恥ずかしい思いをさせてしまうかもしれないわ。
「さあ、挨拶はその位で。席に案内をしてくれ」
「はい、ランハート兄様。ソフィー様、本日は沢山ジャムを用意しております。お気に召す物があると嬉しいです」
にこっと音が出るような笑顔を私達に向けて、ジュリアさんは奥の部屋へと案内してくれた。
そして、私達二人になるとランハート様は困った顔をした。
「ソフィー嬢、すみません、ジャ…いやジュリアは店に配達に来たことはあっても、ソフィー嬢に挨拶はした事はなかったですかね?亡くなった叔母様の、弟の子供なのです。その弟にあたる叔父は平民の商家の一人娘と結婚し、貴族籍を返上して平民となったのですが、この通り、よく繁盛している店を何店も経営していて、とても裕福なのですよ」
「まあ、そうなのですね。私、恥ずかしながら覚えていませんでした。ご挨拶をさせて頂いて良かったですわ」
「まあ、ジュリアは…あんな感じで。困ったヤツなんですが。それでも、ジュリアはこの店を任されているオーナーなのです」
「ええ?ジュリアさんがこの店を?」
「はい。小さな店を昨年大きくしたばかり。年齢は私達の一つ下ですよ。平民が行く、学校をあっという間に卒業して、すぐに働き初めていますが。凄い奴です」
ジュリアさんを褒めるランハート様はとても誇らしそうで嬉しそうだった。
チクっ。
胸を押さえてしまう。
私はランハート様を頼るばかり。ランハート様が誇るような存在に慣れてはいないではないかしら。
「ソフィー嬢?」
私が黙っていると、ランハート様は少し困ったように眉を下げられて、「ソフィー嬢」ともう一度私の名前を呼ぶと、優しく微笑んでくれた。
私が「なんでも」と言ってランハート様に微笑み返すと、丁度、ジュリアさんがお茶とジャムを運んで来た。
「失礼致します。お任せと言う事でしたので、じゃーん、珍しい物色々ご用意しましたー」
キラキラと光るジャムにビスケット。それにお茶。
ジュリアさんは美しい所作でお茶を淹れ、そして私達の前にジャムとビスケットを並べた。
「右から順番に食べてみて下さい」
「はい」
頷き、食べるとほのかな香りが鼻に抜けた。
「菫の香り?」
「流石ソフィー様。次のジャムもどうぞ」
手に取り口に運ぶと、先程よりも華やかな香りに包まれた。
「コレは薔薇。高価でしょう?」
「はい。薔薇のジャムは大変高価です。なので、私のお店では、特別な時にこうやってお茶に落として楽しんだり…。でも、貴族の方は高価と分かると贅沢に食べるのを好まれますよね?ビスケットにたっぶりつけて…特別なお茶会なんてどうですか?」
「ふむ。確かに。パーティや特別なお茶会では効果的だろうな。普段は菫で十分だ。花のジャムは他にも?」
「ええ、ラベンダーにカモミール。どうぞ」
「ああ、これはお茶に向いているわ」
「うん、そうだね」
お茶を飲んでジャムを食べ、私はジュリアさんを見た。
綺麗に並べられたジャム。ジャムの味見というのに、まずは香りを楽しませる面白さ。美しい茶器に可愛らしい所作。とても賢く、美しい所作で可愛らしい人。表情も明るく、はきはきしていている。
ランハート様にこんなに可愛らしい従妹がいたなんて知らなかったわ。
「ランハート兄様、ソフィー様、こちらもどうぞ」
「ああ、ありがとう、ジュリア」
ランハート様はそう言って、ジュリアさんから親し気にジャムを受け取っていた。近い距離で、ランハート様がジュリアさんから気軽に受け取って、ポンっと腕を叩いていた。
胸の中の痛みは自分の劣等感だけではなく、ヤキモチもあるのだわ。
ランハート様があんなに気軽に女性に接するのを見た事がないもの。いつも少し距離を置いて、女性には自分からは決して触れられないのに。まるで学園のご友人に接するように、ぽんっと腕を叩いて感謝を伝えていた。
私がじっと見ていると、ジュリアさんはきょとんとした顔をしていたけれど、その顔さえも可愛く、私は自分の醜さを感じてしまったのだった。
こんな些細な触れあいでも、ランハート様に私以外の女性に触れて欲しくない、好きじゃないの。胸の中でチクチクとその想いに気付いてしまったのだ。




