↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
騎士団長令息キリム・ブラドリー  作者: えれごぶ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/11

7話 兄という壁

 国境での戦いから三日ほどが過ぎた。


 キリムはようやく意識がはっきりするようになり、さらに数日が経つ頃には、一人で歩き回れるまでに回復していた。


 身体の傷はほとんどない。腹も減るし、手足にも力が入る。だが、魔力を使おうとすると、頭の奥に鈍い疲れが残っているのが分かった。


 あの戦いで何が起きたのか。


 敵将を討ち取ったことは、バレルズから聞いた。戦いに勝利したことも、シャーロッテから聞かされている。


 だが、肝心の敵将を倒した瞬間が、どうしても思い出せなかった。


「……変な感じだな」


 天幕の外で自分の手を握ったり開いたりしていると、隣にいたバレルズが顔を向けた。


「まだ具合が悪いのか?」


「いや、身体はもう平気なんだ。でも、あんなに暴れたはずなのに、何をやったか覚えてねえ」


「オラはすぐ後ろで見てたぞ」


「そうなのか?」


「ああ。すごかった。敵の兵士が何人来ても、まるで止まらなかったんだ」


「へえ……」


「でも、オラが何度呼んでも返事をしなかった」


 バレルズは自分の大盾に視線を落とした。


「あれは、ちょっと怖かったな」


 キリムは黙って友人を見た。


 戦場で自分が倒れたあと、バレルズが守ってくれたことは知っている。


 だが、戦っている最中から声も届かなくなっていたとは思わなかった。


「……なんか悪かったな」


「いいよ。オラはお前の盾だからな」


「……そうか」


 キリムはしばらく考え、それから笑った。


「じゃあ、今度はお前が呼んだら返事できるようにしねえとな!」


「それが出来てたらいいけど、結局出来なかったんだろ?」


「そうなんだよなあ」


 キリムは頭をかいた。


 紅鬼無双。


 自分で考えた、最高に格好いい名前の必殺技だった。


 敵将を討ち取るほどの威力があったことは間違いない。それなのに、使った自分自身が何も覚えていない。


 これでは、せっかくの必殺技がどう決まったのか、自分でも分からない。


「何を難しい顔してるんだい、キーぼん」


 振り向くと、シャーロッテが立っていた。


「隊長!」


「ずいぶん元気になったじゃないか」


「もう訓練にも戻れそうです」


「そいつは結構。けど、魔法を使うのはまだ駄目だよ」


「……はい」


 キリムが渋々答えると、シャーロッテは小さく笑った。


「それより、キーぼん。戦いのあとに話したことは覚えてるかい?」


「覚えてますよ。俺一人で戦争してるんじゃない、仲間を信じろ、でしょ?」


「そうだね」


 シャーロッテは頷いた。


「それで、どう思った?」


 キリムは少し考えた。


「俺が倒れたあと、バレルズが守ってくれたって聞きました。隊長たちも助けに来てくれたって」


「ああ、そうだ」


「だから、次はちゃんと一緒に戦います。俺だけ先に行ったら、隊長も困るだろうし」


「分かってるじゃないか」


 シャーロッテは満足そうに微笑んだ。


 そして、その拳がキリムの頭に落ちた。


 ゴツン!


「痛ってえ!」


「これは命令を破った分だよ」


「話が終わってから殴るんですか!」


「話を聞いてからのほうが、何で殴られたか分かるだろ?」


 シャーロッテは悪びれもせずに答えた。


 バレルズが横で笑いをこらえている。


「おい、バレルズ! 笑うなよ!」


「だって、オラは殴られてないからな」


「そりゃ、お前はちゃんと仕事をしたからね」


 シャーロッテはバレルズの肩を叩いた。


「よく頑張ったよ、バレルズ」


「はい!」


 嬉しそうに返事をする友人を見て、キリムも笑った。


 シャーロッテは二人をしばらく眺めていたが、やがてキリムに向き直った。


「それと、帰ったらケイトリンにもきちんと話すんだよ」


「母上に?」


「ああ。あの魔法を教えたのはケイトリンだからね」


「……怒るかな?」


「さあねえ」


 シャーロッテは楽しそうに笑った。


「生きて帰ってきたんだ。まずは喜んでくれるんじゃないかい?」


 果たして母上は喜んでくれるだろうか。隊長の笑顔が、キリムにはどうにも気になった。


---


 それからしばらくして、領軍は帰還の途についた。


 故郷までは二週間以上の道のりだったが、その間にキリムの体調もすっかり戻った。


 ただし、シャーロッテから魔力の使用を制限されていたため、できることといえば身体を動かす程度である。


 ようやく領地へ戻った頃には、キリムは早く戟を振りたくて仕方がなくなっていた。


 帰還した領軍は、人々から大いに歓迎された。


「キリム様! お帰りなさい!」


 門を守る兵士から声をかけられ、キリムは元気よく手を振った。


「おう! ただいま!」


 バレルズと別れ、キリムは伯爵家の屋敷へ向かった。


 その隣にはシャーロッテの姿があった。


 領軍を率いた隊長として、戦いの経過と部隊の帰還を伯爵家へ報告するためである。


「隊長、母上にはもう報告が届いてるんですよね?」


「ああ。戦いが終わってから伝令を出してるよ」


「……俺のことも?」


「もちろんさ。敵将を討ち取ったことも、三日間も寝込んだこともね」


「そっちもかあ……」


 キリムが渋い顔をすると、シャーロッテは愉快そうに笑った。


「当たり前だろ。伯爵領を守る夫人だし、あんたの母親なんだから」


 やがて屋敷に到着すると、玄関ではケイトリンが待っていた。


「母上! ただいま戻りました!」


「お帰りなさい、キリム」


 ケイトリンはほっとしたように微笑んだ。


「伝令から報告は聞いていたけれど、元気な顔を見るまでは心配だったわ」


 そう言って、近づいてきた息子の顔をじっと見上げた。


 十五歳になったキリムは、すでに母よりもずっと背が高い。


 肩幅も広くなり、腕も太くなった。


 けれど、ケイトリンにとっては、何年たっても自分の息子だ。


「……本当に怪我はないの?」


「大丈夫! どこも痛くありません!」


「そう。それならよかったわ」


 ケイトリンはキリムの頬に手を添えた。


 そのまま額へ指を移し、そっと魔力を流す。


 キリムは慣れた様子で目を閉じた。


「……なるほど」


「どうですか、母上?」


「今は問題なさそうね。ただ、魔力の通りが少し乱れているわ。しばらく無理はしないこと」


「はい!」


 元気よく答えた息子を見て、ケイトリンはもう一度微笑んだ。


 その後、シャーロッテから戦いの詳しい報告を受けたケイトリンは、改めてキリムへ向き直った。


「それにしても、ずいぶん活躍したそうじゃない。敵の将軍を討ち取ったんですって?」


「そうなんだ! 俺の紅鬼無双で――」


「その魔力暴走について、お話があるのだけれど」


 ケイトリンの声は穏やかだった。


 キリムの笑顔が止まった。


「……隊長から聞いた?」


「ええ、詳しくね」


 後ろを振り返る。


 シャーロッテは知らん顔をしていた。


「キリム。私があなたに頭部の強化魔法を教えたとき、何と言ったか覚えている?」


「……強化と治癒を一緒に使うと、魔法が暴走するかもしれないって」


「そうね。覚えていたのね」


「はい」


「それなのに、戦場で使ってしまったの?」


 キリムは言葉に詰まった。


「……最初は大丈夫だったんです」


 やがて、ぽつりと答えた。


「頭を強化すると、敵の動きがよく見えました。戟も思ったとおりに動かせたし、これならどんな相手にも勝てると思って」


 キリムは拳を握った。


「でも、途中から頭が痛くなってきて。それで、治癒魔法を使えばもっと戦えると思ったんです」


「それで?」


「……そこからは、よく覚えてません」


 ケイトリンは静かに息を吐いた。


「そうでしょうね」


 彼女は息子の額に、もう一度手を当てた。


「魔力で頭の働きを強めるのは、とても繊細なことなの。疲れたからといって、同じ場所へ強い治癒魔法を重ねれば、魔力の働きが乱れることもあるわ」


「はい……」


「しかも、あなたはそれを戦いの最中に続けたのでしょう?」


「はい……」


「自分の意思で魔法を止められなくなったら、どうするつもりだったの?」


 キリムは答えられなかった。


 実際に、止められなくなったのだ。


 それでも敵を倒し続けていたという事実が、今になって少し恐ろしく思えた。


「キリム」


 ケイトリンの声が、わずかに震えた。


「三日間、まともに目を覚まさなかったと聞いたとき、私がどれほど心配したか分かる?」


「……母上」


「帰ってこなかったら、どうしようと思ったわ」


 キリムは母の顔を見た。


 その目に浮かんでいるものを見て、自然と頭が下がった。


「……ごめんなさい」


 ケイトリンはしばらく黙っていた。


 それから息子を抱き寄せた。


 大きくなった身体を、腕いっぱいに抱きしめる。


「……本当に、無事でよかった」


 キリムは少し照れくさそうにしながらも、そのまま母に抱かれていた。


 しばらくして、ケイトリンが身体を離した。


「さて」


 声の調子が変わった。


「それとこれとは別です」


「……え?」


「キリム、ちょっと屈んでくれる?」


「はい?」


 言われたとおりに頭を下げると、ケイトリンは軽く拳を握った。


 ポコッ。


「……母上?」


「心配させた罰です」


 ケイトリンはそう言って、息子の頭を撫でた。


 拳骨など、まるで痛くなかった。


 けれど、目の前にいる母の顔を見ると、キリムは何も言えなくなった。


「ごめんなさい、母上」


「ええ。もう二度と、無茶はしないでね」


「はい」


 ケイトリンは小さく頷いた。


 隣ではシャーロッテが声を出して笑っていた。


「はっはっは! よかったじゃないか、キーぼん。二人から一発ずつで済んで!」


「隊長まで……」


「だからね、キリム」


 ケイトリンが呼ぶと、キリムはすぐに姿勢を正した。


「今後、あの魔力暴走を起こすような技は使ってはいけません」


「ええっ!」


 思わず声が上がった。


「でも、敵将も倒せるほど強いんですよ!」


「自分で制御できないのでしょう?」


「それは……」


「強い魔法でも、使った本人が倒れてしまっては意味がありません。まして、周りの人まで危険にさらすようではね」


 キリムは口を閉じた。


 バレルズの盾が頭に浮かんだ。


 もし、あいつがいなかったら。


 自分が死んでいたかもしれないし、バレルズも危なかったかもしれない。


「……分かりました」


 キリムは渋々頷いた。


「もう使いません」


「約束よ」


「はい、母上」


 ケイトリンはようやく満足そうに微笑んだ。


 シャーロッテも腕を組んで頷いている。


 そしてケイトリンは呆れたようにつぶやいた。


「まったく誰に似たのかしら。こんなに無茶ばかりして」


「お前によく似た息子だよ」


 シャーロッテが、間髪を入れずに答えた。


 ケイトリンの動きが止まった。


「……シャーロッテ?」


「いやあ、昔を思い出すねえ」


「何のことかしら?」


「忘れたのかい?」


 シャーロッテはニヤニヤしていた。


 ケイトリンはにっこりと笑った。


「シャーロッテ。少しお話があるのだけれど」


「おっと、そうだった。あたしはまだ用事があったんだ」


 シャーロッテは慌てて踵を返した。


「じゃあね、キーぼん! ゆっくり休みなよ!」


「は、はい。隊長、お疲れさまでした!」


 逃げるように去っていくシャーロッテを見送り、キリムは首を傾げた。


「母上も昔、無茶したんですか?」


「さあ、どうだったかしら」


「隊長、何か知ってそうだったけど」


「昔のことよ。それより、キリム」


「はい?」


「お父様にも、きちんとご報告するのですよ」


 キリムは少しだけ表情を曇らせた。


 シャーロッテ、ケイトリン。


 これで二人から拳骨をもらってしまった。


 父カルターまで加わったら、どうなってしまうのだろう。


「……父上も怒ってますか?」


「どうかしらね。あなたの活躍を聞いて、とても喜んでいたけれど」


「本当ですか!」


「ええ。それはもう、手紙を読むのが大変なくらい」


 ケイトリンはくすりと笑った。


「でも、無茶をしたことについては、私も伝えてありますからね」


「……そうですか」


 キリムは頭を撫でた。


 父の拳骨は、母やシャーロッテのものより、ずっと痛そうだった。


---


 それから数日後。


 屋敷の庭には、久しぶりに戟を振るうキリムの姿があった。


 大きな刃を備えた長柄の武器が、風を切って動く。


 突き、薙ぎ、払い、そして石突きでの打撃。


 剣とは違い、長い間合いを生かして戦える戟は、今のキリムによく馴染んでいた。


 もちろん、魔法は使っていない。


 使わなくても、十分な力と速さがある。


 キリムは何度か戟を振ったあと、ふと手を止めた。


 頭に浮かんだのは、国境での戦いだった。


 自分が敵将を討ち取ったことは間違いない。


 だが、その瞬間の記憶はない。


 どうやって間合いを詰め、どんな攻撃で倒したのかも分からなかった。


「……せっかく倒したのになあ」


 キリムは残念そうにつぶやいた。


 相手がどんな技を使ったのか、どれほど強かったのか。そんなことさえ思い出せない。


 勝ったのに、戦いのことを何も語れない。


 それがどうにも悔しかった。


「やっぱり、ちゃんと自分で戦わねえとな」


 戟を構え直す。


 今度は少しゆっくりと、刃の動きを確かめながら振った。


 そのときだった。


 屋敷の方から、聞き慣れた声が響いた。


「キリム!」


 キリムの手が止まる。


 振り返ると、庭へ続く道に、大柄な男が立っていた。


「父上!」


 カルター・ブラドリー。


 王国騎士団長であり、キリムが何よりも尊敬する父だった。


「おお、キリム! 元気そうじゃないか!」


「父上! お帰りなさい!」


 キリムは戟を置いて駆け寄った。


 カルターは両腕を広げ、飛び込んできた息子を力強く抱きしめた。


「はっはっは! ますます立派になったな!」


「父上こそ、お元気そうで!」


「うむ! それにしても、まさかお前が敵将を討ち取るとはな!」


 カルターは息子の肩を叩いた。


 その顔には、隠しきれない喜びが浮かんでいる。


「よくやったぞ、キリム!」


「ありがとうございます、父上!」


 尊敬する父から褒められ、キリムの胸がいっぱいになった。


 母やシャーロッテに叱られたことも、今だけはすっかり頭から消えていた。


「父上ばかりじゃないよ。僕も話を聞いて驚いた」


 カルターの後ろから、穏やかな声がした。


 キリムは顔を上げた。


 そこに立っていたのは、兄セリウムだった。


「兄上!」


「久しぶりだね、キリム」


 セリウムは微笑んだ。


「ずいぶん逞しくなったじゃないか」


「へへっ! 兄上がいない間も、ずっと鍛えてましたから!」


「そのようだね」


 セリウムの視線が、庭に置かれた戟へ向かった。


「今は、あれを使っているのかい?」


「はい! 剣も使いますけど、今は戟のほうが得意なんです!」


「そうか。あとで見せてもらおうかな」


「もちろんです!」


 キリムは嬉しそうに笑った。


 国境での戦いも、新しく覚えた武器の扱いも、兄に話したいことは山ほどある。


 そして何より、今の自分の力が兄にどこまで通じるのか。


 それを試してみたくて仕方がなかった。


「まあ、あなた! セリウムも!」


 屋敷からケイトリンが顔を出した。


「お帰りなさい。二人とも無事に着いてよかったわ」


「ただいま、ケイトリン!」


 カルターが笑いながら妻へ歩み寄った。


 セリウムも母のもとへ進み、丁寧に頭を下げる。


「ただいま戻りました、母上」


「お帰りなさい、セリウム。本当に久しぶりね」


 ケイトリンは息子の顔をじっと見つめた。


「あなたも、ずいぶん大人になったのね」


「もう二十一ですから」


「そうね。何年も会わないでいると、驚いてしまうわ」


 その言葉に、セリウムは申し訳なさそうに微笑んだ。


「すみません、母上」


「いいのよ。元気でいてくれたなら」


 カルターはそんな妻と長男を眺め、満足そうに頷いた。


「さて、せっかく揃ったのだ。しばらくは家族でゆっくり過ごそうではないか!」


 キリムも笑顔で頷いた。


 久しぶりに、ブラドリー家の四人が顔を揃えたのだった。


---


 その日の夕食は、いつもよりずいぶん賑やかなものになった。


 久しぶりに帰郷したセリウムの王都での暮らしや、キリムの領軍での生活。話題は尽きず、食事が終わっても四人は席を離れようとしなかった。


「それにしても、キリムが敵将を討ち取るとはなあ!」


 カルターはすこぶる上機嫌だった。


「王都で報告を聞いたときは、耳を疑ったぞ! 十五歳で敵将を討つなど、そうそうできることではない!」


「ありがとうございます、父上!」


「しかし、シャーロッテからの報告には、勝手に隊から飛び出したとも書かれていたな」


「……はい」


 キリムは思わず背筋を伸ばした。


 カルターは息子をしばらく見つめ、それから大きく頷いた。


「自分の強さを過信してはならん。お前を助けるために、仲間が危険を冒したことは忘れるなよ」


「はい。隊長にも、きつく叱られました」


「ならばよし!」


 カルターは豪快に笑った。


「ともかく、よくやった! 父として誇らしいぞ!」


「はい!」


 父の笑顔につられるように、キリムも笑った。


「それにしても、立派になったものねえ」


 ケイトリンは兄弟を交互に眺めながら、しみじみと言った。


「セリウムも、もう二十一歳でしょう? そろそろ結婚のことも考えないとね」


「おっ、そうだな!」


 カルターが大きく頷く。


「これまで何度か縁談もあったというのに、お前は剣だの近衛の仕事だのと言って、断ってばかりだったからな」


「すみません、父上」


 セリウムは苦笑した。


「剣の修行も、近衛での仕事も、ようやく面白くなってきたところだったので」


「まったく。あなたたち兄弟は、剣のこととなると……」


 ケイトリンが呆れたように息を吐く。


 その横でキリムが頷いた。


「分かる! 剣も面白いから!」


「キリム。別に褒めているわけではありませんよ」


「……はい、母上」


 家族の笑い声が広がった。


 そんな中、セリウムが少し姿勢を正した。


「実は、父上、母上。今日はその関係でお話があります」


「ほう?」


「僕にも、婚約を申し込みたいと思っている女性がいるんです」


「まあ!」


 ケイトリンの顔が明るくなった。


「本当なの、セリウム!」


「はい」


「なんだ! それなら早く言わんか!」


 カルターも嬉しそうに身を乗り出した。


「それで、どこの令嬢だ?」


「ハイリー・ビットーリ伯爵令嬢です」


「……ハイリー?」


 カルターが一瞬、目を丸くした。


「あのじゃじゃ馬娘か」


「父上!」


 セリウムは少し不満そうな顔をした。


「快活なだけですよ。何か問題でもありますか?」


「いや、ビットーリ伯爵か……家格は問題ないが……」


 カルターは顎に手を当てた。


「……まあ良い。お前が選んだ相手だ。まずは話を進めてみるといい」


「ありがとうございます、父上」


 セリウムはほっとしたように微笑んだ。


 キリムは兄の顔を見ていた。


 父や母と話しているときとは、少し違う表情だった。


「兄上、そのハイリー様って、そんなに強いんですか?」


「……どうしてそう思うんだい?」


「父上がじゃじゃ馬って言ってたから」


 セリウムが吹き出した。


「ははっ! そういう意味じゃないよ、キリム」


「そうなんですか?」


「ああ。でも、気の強いところはあるかな」


「へえ!」


 キリムは感心したように頷いた。


 兄が選んだ女性なのだから、きっと大した人物なのだろう。


「母上にもお願いがあるんです」


 セリウムは改めてケイトリンへ向き直った。


「正式に婚約の話を進める前に、一度王都へ来て、ハイリーに会っていただけませんか?」


「ええ、もちろんよ」


 ケイトリンは嬉しそうに答えた。


「でも、王都の社交からはもう五年も離れてしまっているから、少し心配ね」


「母上なら大丈夫ですよ」


「ありがとう、セリウム」


 ケイトリンは微笑み、それからちらりとキリムを見た。


 キリムはすぐに母の視線に気づいた。


「母上、俺は一人でも大丈夫ですよ」


「あら」


「もう十五歳ですし、領軍には隊長やバレルズがいますから。母上は王都に行ってきてください!」


 少し胸を張って答える息子を見て、ケイトリンは笑った。


「そうね。あなたも、もう子供ではないものね」


「うむ。だがキリム」


 カルターが口を挟んだ。


「お前も王都へ来てもらうことになるぞ」


「……はい?」


 キリムが父を見た。


「俺もですか?」


「ああ。実は先ほどの戦功に関して、もう一つ話がある」


 カルターは傍らに置いていた書状を取り上げた。


「今回、敵将を討ち取ったお前の功績が、王国軍でも高く評価された。軍閥を取りまとめておられるアーミッド侯爵閣下が、お前を将軍位に推薦してくださったのだ。そして、その推薦が認められたのだ。」


「……将軍!」


 キリムが目を見開いた。


「そうだ。将軍位のうち、最も下の位ではあるがな。十五歳のお前にとっては、破格の処遇だぞ」


「俺が……将軍に!」


「うむ!」


「本当ですか、父上!」


 キリムは勢いよく立ち上がった。


「やった! 俺が将軍だ!」


「キリム、椅子が倒れるわよ」


「あっ、すみません、母上!」


 キリムは慌てて椅子を直した。


 だが、嬉しさは隠しようがなかった。


 将軍。


 領軍では隊長の指揮に従ってきた自分が、いつかは兵を率いる立場になる。


 しかも、それが思っていたよりずっと早く訪れたのだ。


「父上! それなら、次の戦には俺も兵を率いて出られるんですか!」


「まあ、落ち着け。話は最後まで聞きなさい」


 カルターは笑いながら、息子を座らせた。


「今回認められたのは、暫定的な将軍位だ。正式な任官には、条件が付けられている」


「条件ですか?」


「ああ。アーミッド侯爵閣下の父君であり、王国軍部の頂点に立つアーミッド軍務卿閣下からのお達しだ」


 軍務卿。


 その名を聞いたキリムは、自然と背筋を伸ばした。


 領軍で五年間を過ごしてきた彼にとって、軍務卿がどれほど高い地位にある人物なのかは、よく分かっていた。


「正式な将軍位を得るためには、王都の王立学園を卒業すること。それが条件だ」


「…………」


 キリムは父の顔を見つめた。


「……王立学園?」


「そうだ」


「……あの、貴族のための学園ですよね?」


「うむ」


「……俺が?」


「そうだ」


 しばらく沈黙が続いた。


「父上!」


 とうとうキリムが声を上げた。


「俺は軍人になりたいんです! 学園なんかに行ってたら、戦場に出られないじゃないですか!」


「それはそうだろうな」


「だったら、将軍になるためには領軍で鍛えていたほうが……!」


「キリム」


 カルターの声が、少し低くなった。


 キリムは口を閉じた。


「これは軍務卿閣下から示された、正式任官の条件だ。単にお前を学園へ送りたいという話ではない」


「……はい」


「将軍ともなれば、王国の貴族たちと交渉し、軍をまとめなければならん。戦場で武器を振るうだけでは務まらんのだ」


 キリムは唇を結んだ。


 頭では分かる。


 だが、どうにも納得できなかった。


 やっと戦場に立ち、実際に軍隊の戦いというものを知ったところなのだ。


 これからもっと経験を積みたい。


 シャーロッテのもとで、もっと軍のことを学びたい。


 それなのに、今度は貴族のための学園だという。


「……何年、通うんですか?」


「十六歳で入学して二年間だ」


「二年も……」


 キリムは天井を見上げた。


 長い。


 あまりにも長い。


 だが、目の前には軍務卿の名を記した書状がある。


 父の気まぐれでもなければ、母の勧めでもない。


 自分が軍人として進むために与えられた命令なのだ。


 キリムは大きく息を吐いた。


「……分かりました」


「うむ」


「王都の王立学園へ行きます。軍務卿閣下のご命令ですから」


 カルターは満足そうに頷いた。


「よく言った。それでこそ我が息子だ!」


「でも父上」


「なんだ?」


「二年間、鍛錬までやめろとは書いてありませんよね?」


「はっはっは! もちろんだとも!」


「だったら大丈夫です! 学園に行っても、しっかり鍛えます!」


 キリムは力強く拳を握った。


「二年たったら、必ず立派な将軍になってみせます!」


「その意気だ!」


 カルターは嬉しそうに笑った。


 セリウムも弟を見て微笑んでいる。


「それなら、僕たちも王都で会えるね」


「はい、兄上!」


「ただし、学園には剣の稽古以外にも、いろいろあるよ」


「……いろいろ?」


「歴史や法律、礼儀作法。それから舞踏もね」


「……舞踏?」


 キリムの眉間に皺が寄った。


「それって、戦場で役に立つんですか?」


 セリウムが笑い、ケイトリンも口元を押さえた。


「キリム。将軍になるのでしょう? 貴族の方々とお付き合いすることも、大切なお仕事なのよ」


「……そういうものですか」


 キリムは腕を組んだ。


 どうにも先が思いやられる。


 将軍になれると喜んだはずなのに、いつの間にか学園へ通う話になっている。


 だが、軍務卿の命令である以上、逃げるわけにはいかなかった。


---


 家族の話が一段落した頃、セリウムがキリムに声をかけた。


「ところでキリム。領地で五年間、ずっと鍛えていたんだろう?」


「はい!」


「だったら、どれくらい強くなったのか見せてもらおうかな」


 キリムの顔がぱっと明るくなった。


「兄上! 相手をしてくれるんですか!」


「もちろん。僕も楽しみにしていたんだ」


「やります!」


 返事は即答だった。


 先ほどまでの学園への不満など、吹き飛んでしまったらしい。


 そんな弟を見て、セリウムは楽しそうに笑った。


「じゃあ、明日。庭でやろう」


「はい!」


 カルターが大きく笑った。


「はっはっは! こいつは俺も見てみたいな!」


「あなた。怪我だけはさせないでくださいね」


 ケイトリンが釘を刺す。


「うむ、分かっているとも!」


 もっとも、カルター自身が誰よりも楽しそうだった。


---


 翌日。


 ブラドリー家の庭で、二人の兄弟が向かい合っていた。


 キリムの手には木剣。


 対するセリウムも、同じ木剣を構えている。


「それじゃあ、始めようか。雲も出てないみたいだしね」


「…はい!」


 キリムは大きく息を吸った。


 五年前、何度挑んでも勝てなかった兄。


 あれから毎日、身体を鍛えてきた。


 魔物と戦い、盗賊と戦い、ついには戦場にも立った。


 今なら、きっと。


「行きます!」


 キリムが地面を蹴った。


「紅蓮三連斬!」


 上段からの一撃。


 素早く切り返して横薙ぎ。


 そして、最後に下から上へと斬り上げる。


 五年間、何度となく繰り返してきた三連続の攻撃。


 カンッ! カンッ! カンッ!


 三度、乾いた音が響いた。


 セリウムはほとんどその場を動かず、すべてを防いでいた。


「……えっ?」


 キリムが目を丸くした。


「いい技だね」


 セリウムは微笑んだ。


「だけど、もう少し工夫が必要かな」


 返す木剣が、キリムの肩を軽く叩いた。


「一本」


「……くそっ!」


 キリムは飛び退いた。


 バレルズにも防がれたことのある技だ。


 兄に通じないことも、考えていなかったわけではない。


 だが、こうも簡単に防がれるとは思わなかった。


「もう一度お願いします!」


「いいよ」


 再び木剣を構える。


 今度は技に頼らず、力と速さで押し込もうとした。


 だが、振り下ろせばかわされ、横へ薙げば受け流される。


 踏み込んだところで、逆に懐へ入られた。


 気がつけば、セリウムの木剣が胸元に触れていた。


「……まただ」


 キリムが悔しそうにつぶやく。


 セリウムは木剣を下ろし、弟の身体を眺めた。


「本当に強くなったね、キリム」


「でも、兄上には全然当たりません」


「力も速さも大したものだよ。ただ、今のお前には、少し剣が窮屈そうだ」


「……分かりますか?」


「うん。肩も胸もずいぶん逞しくなったからね。昔と同じように剣を振ろうとして、身体が邪魔になっているところがある」


 キリムは自分の胸元を見下ろした。


 確かに、細かな剣の動きには、以前よりやりづらさを感じていた。


「だから最近は、戟を使ってるんです」


「ああ、昨日振り回していたアレか」


「はい! ちょっと待っててください!」


 キリムは庭の端へ駆けていった。


 戻ってきた手には、木製の長柄武器が握られている。


「戦場でもこれで!」


「へえ……」


 セリウムが興味深そうに眺めた。


「大きな武器だね」


「俺には、こっちのほうが合ってるみたいなんです!」


「そうか。じゃあ、そちらの腕前も見せてもらおうかな」


「はい!」


 キリムは戟を構えた。


 剣とは違う。


 長い柄を使い、身体全体で振り回せる。


 腕の太さも、背中の力も、存分に使える武器だった。


「行きます!」


 キリムが踏み込んだ。


 鋭い突きが、セリウムへ伸びる。


 セリウムは横へかわした。


 だが、キリムはすぐに戟を引き戻し、そのまま大きく薙ぎ払った。


「おっと!」


 セリウムが後ろへ跳んだ。


 さらに踏み込む。


 突き、払い、振り下ろし。


 今度はセリウムも、先ほどのようにその場で受け続けるわけにはいかなかった。


「ほう!」


 見守っていたカルターが声を上げる。


「セリウムを下がらせるとはな」


 キリムの顔が明るくなった。


(いける!)


 兄が下がっている。


 あの兄が、自分の攻撃を避けている。


 キリムはさらに踏み込んだ。


 だが、そのときだった。


 セリウムがふっと姿勢を低くした。


 戟がセリウムの頭上を通り過ぎる。


 次の瞬間、長い柄の内側へ入り込まれていた。


「しまっ――」


 トン。


 木剣が、キリムの胸元を叩いた。


「……一本」


 セリウムは穏やかに笑っていた。


 キリムはしばらく動けなかった。


 やがて、ゆっくりと戟を下ろした。


「……兄上、強すぎません?」


「そうかな?」


「そうですよ!」


 思わず声が大きくなった。


「俺、五年間ずっと鍛えてたんですよ! なのに、一本も取れねえなんて!」


「僕も五年間、遊んでいたわけじゃないからね」


 セリウムは涼しい顔で答えた。


 キリムは悔しそうに口を尖らせたが、やがて笑った。


「……そうですよね!」


 兄は昔から、自分よりずっと強かった。


 そして自分が鍛えている間も、兄は王都で剣を磨き続けていたのだ。


「でも、まだ終わりじゃありません!」


「おや?」


 キリムは戟を握り直した。


「魔法があります!」


「キリム」


 すぐにケイトリンの声が飛んできた。


「身体の強化は構いません。でも、魔力暴走を起こしたときのような使い方は駄目ですよ」


「……はい、母上」


 キリムは少し残念そうに答えた。


 セリウムが興味深そうに母を見る。


「例の魔力暴走ですか?」


「そう。戦場で意識を失った原因になったものよ」


「なるほど……」


 セリウムは少し考え、キリムへ向き直った。


「キリム。そのときのことは覚えているのかい?」


「いいえ。途中から全然」


「そうか」


「敵将を倒したらしいんですけど、どうやって倒したのかも分からないんです」


 キリムは悔しそうに戟を見下ろした。


「せっかく強い相手と戦えたのに、何も覚えてないなんて……」


 セリウムは弟をしばらく見つめていた。


「……母上。少しだけ、試せませんか?」


「セリウム?」


「危険なのは分かっています。ただ、僕もキリムがどんな状態になったのか、気になります」


 ケイトリンはすぐには答えなかった。


「魔力暴走は、本人の意思で止められなくなることがあるのよ」


「はい。だから、母上と父上に立ち会っていただきたいんです」


 カルターも頷いた。


「うむ。何かあれば、俺たちで止めよう」


 ケイトリンは困ったように眉を寄せた。


「……シャーロッテにも確認したいわね。あの子の暴走を間近で見ていたのは、あの人だから」


 結局、その日の稽古はそこまでとなった。


 そして翌日、シャーロッテが伯爵家へ呼ばれることになった。


---


「……またあれを使わせるって?」


 翌日、庭に現れたシャーロッテは、呆れた顔でケイトリンを見た。


「本気かい?」


「ええ。ただし、ほんの短い時間だけよ。無理に続けさせるつもりはないわ」


「……あんた、本当に分かって言ってるんだろうね?」


「ええ。だからこそ、私が見ておきたいの」


 シャーロッテはしばらくケイトリンを見つめ、ため息をついた。


「まったく。親子揃って無茶なことを考えるねえ」


「あなたにだけは言われたくないわ」


 ケイトリンが笑顔で答えた。


 シャーロッテは肩をすくめる。


「分かったよ。あたしも見ておくさ。少しでもおかしくなったら、すぐに止めるからね」


「ありがとう」


 キリムは二人の話を聞きながら、胸を躍らせていた。


 母に禁じられた必殺技。


 あの紅鬼無双を、もう一度試せるのだ。


 しかも、相手は兄セリウム。


 これ以上の相手はいなかった。


「キリム」


 ケイトリンが呼んだ。


「今回は特別です。危険だと思ったら、すぐに中止します。魔力を使い切るようなことは、絶対にしてはいけません」


「はい!」


「それと、許可なく治癒魔法を重ねないこと。いいですね?」


「分かりました!」


 キリムは力強く頷いた。


 セリウムが木剣を構える。


「準備はいいかい?」


「はい、兄上!」


 キリムも戟を構えた。


 身体に魔力を巡らせる。


 腕へ、脚へ、そして頭へ。


 見慣れた庭の景色が、少しずつ変わっていく。


 風に揺れる木の葉。


 兄の剣先。


 足元の小さな動き。


 それらが、いつもよりはっきりと見えた。


「行きます!」


 キリムが地面を蹴った。


 速い。


 昨日とは比べものにならない速さだった。


 戟がセリウムへ伸びる。


 カンッ!


 木剣が柄を弾いた。


 だが、キリムはすぐに次の攻撃へ移る。


 突き。


 横薙ぎ。


 大きく踏み込んで、さらに振り下ろす。


 セリウムが下がった。


「……なるほど!」


 兄の顔に、初めてはっきりとした驚きが浮かんだ。


 キリムの胸が高鳴る。


 見える。


 兄の剣が、今までよりずっとよく見える。


 次にどう動くかも、何となく分かる。


(これなら!)


 さらに攻める。


 だが、セリウムはなかなか崩れなかった。


 避け、受け流し、時にはわずかな動きでキリムの攻撃を外してしまう。


 そのうち、頭の奥に熱がこもり始めた。


 強化を続けているせいだ。


 あの戦場と同じ感覚。


 だが、今度は無理をしてはいけない。


 そう思った瞬間、セリウムの木剣が目の前に迫った。


「っ!」


 キリムはとっさにかわした。


 もっと速く。


 もっと強く。


 兄の動きに追いつきたい。


 その思いに引っ張られるように、魔力が頭へ集中した。


 そして、自然に治癒魔法を使っていた。


 もっと鋭く。


 もっと…


「キリム!」


 ケイトリンの声がした。


「そこまで!」


 だが、キリムは返事をしなかった。


 代わりに、猛烈な勢いで戟が振り下ろされた。


 セリウムが大きく跳び退く。


 地面に戟の先が突き刺さり、土が跳ね上がった。


「……!」


 セリウムの表情が変わった。


 キリムの目から、先ほどまでの生き生きとした光が消えていた。


 呼びかけても答えない。


 ただ、目の前にいる兄を追い、攻撃を繰り返す。


 横薙ぎ。


 突き。


 振り下ろし。


 その速さは、先ほどまでの比ではなかった。


「セリウム!」


 ケイトリンが叫んだ。


「分かっています!」


 セリウムは短く答えた。


 キリムの戟が迫る。


 速い。


 まともに受ければ、木剣ごと吹き飛ばされるだろう。


 セリウムは剣を引き、大きく横へ跳んだ。


 キリムが追う。


 その瞬間、セリウムは急に足を止めた。


 キリムの戟が振り下ろされる。


 だが、そこにはもうセリウムはいなかった。


 わずかに身体をひねり、攻撃を外したのだ。


 キリムの戟が地面を打つ。


 セリウムは一歩踏み込み、木剣で柄を押さえた。


 さらに、足を払う。


 ドサッ!


 キリムの巨体が地面に転がった。


 戟が手から離れる。


「そこまで!」


 勝負を見守っていたカルターの声が響いた。


 セリウムの木剣が、弟の喉元で止まった。


 倒れた身体が、なおも起き上がろうとする。


「キリム!」


 ケイトリンが駆け寄り、キリムの額に手を当てた。


 その手から魔力が流れ込む。


 ケイトリンは目を閉じ、しばらく集中していたが、やがてキリムの身体から力が抜けた。


「……もう大丈夫よ」


 キリムは何度か瞬きをした。


「……あれ?」


 目の前には兄の木剣。


 そして、自分は地面に倒れている。


「……負けた?」


「ああ」


 セリウムが頷いた。


「僕の勝ちだ」


「……くっそお!」


 キリムは拳を握りしめた。


 だが、すぐに動きが止まった。


「……あれ?」


「どうした?」


「……どうやって負けたんですか?」


 セリウムは木剣を下ろした。


「覚えていないのかい?」


「……はい」


 キリムはがっくりと肩を落とした。


「またかよ……」


 セリウムはそんな弟を見て、小さく笑った。


「キリム。お前の速さは大したものだったよ」


「……本当ですか?」


「ああ。正面から受け止めるのは無理だった」


「じゃあ、どうやって……」


「簡単だよ」


 セリウムは木剣を構え、右へ一歩動いてみせた。


「僕が右へ行くと、お前も右へ来た」


 今度は左へ動く。


「左へ行けば、左へ来る」


「……はい」


「だから、追いかけてくるところを避けただけさ」


 キリムは兄の動きを目で追った。


 セリウムは、もう一度木剣を振る真似をした。


「お前はものすごく速く動ける。でも、どこへ動くかを決めていたのは僕だったんだ」


「……あ」


 キリムは目を見開いた。


 何かが、頭の中でつながった。


 夢で見た、別の世界のゲーム。


 強敵が追い詰められたとき、突然動きが速くなり、猛烈な攻撃を繰り返すことがあった。


 発狂モード。


 最初は手も足も出ないほど恐ろしい。


 だが、何度も戦って動きの癖を覚えると、急に倒しやすくなる。


(……俺、あれになってたのか)


 キリムは何とも言えない顔になった。


 強くなったつもりが、ただ暴れ回る敵になっていたとは。


「だからね、キリム」


 セリウムが微笑んだ。


「意識がなければ、弱いよ」


 キリムはしばらく黙っていた。


 やがて、ゆっくりと頷いた。


「……そうですね」


 確かに、どんなに速くても、相手の動きに振り回されるだけでは勝てない。


 それに、何より悔しいのは、自分がどう戦ったのか覚えていないことだった。


「……兄上」


「何だい?」


「もう一回、お願いします」


 セリウムが目を丸くした。


「まだやるのかい?」


「はい!」


 キリムは勢いよく立ち上がった。


「今度は魔法なしで! ちゃんと自分で考えて戦います!」


 セリウムはしばらく弟を見つめ、それから楽しそうに笑った。


「……いいよ。でも、少し休んでからにしよう」


「はい!」


 ケイトリンがようやく安堵の息を吐いた。


「まったく、もう……。今後は魔力暴走を起こすような使い方は絶対に禁止ですからね」


「はい、母上!」


 今度はキリムも素直に頷いた。


 シャーロッテが腕を組み、呆れたように笑った。


「やれやれ。ようやく分かったようだね、キーぼん」


「はい、隊長!」


「それならよし!」


 カルターが大きな声で笑った。


「はっはっは! それにしても、二人とも見事だったぞ!」


「あなたは少し静かにしてください!」


 ケイトリンに叱られ、カルターはますます楽しそうに笑った。


 そんな家族を見て、キリムも笑った。


 五年間。


 領軍で鍛え、実際に戦場にも立った。


 それでも、兄にはまだ勝てない。


 だが、不思議と嫌な気分ではなかった。


 むしろ、次はどう戦おうかと考えるだけで、胸が躍る。


 キリムは地面に落ちた戟を拾い上げた。


 今度は、どんな攻撃で勝つか。


 どうやって兄の剣をかわすか。


 そんなことを、自分の頭で考えながら。


「兄上! 次こそ一本取りますからね!」


「楽しみにしているよ、キリム」


 セリウムは穏やかに笑った。


 キリムも笑い返した。


 王都の学園へ行くことは、まだ少し気に入らない。


 だが、軍人として生きるためには、必要なことなのだろう。


 それなら、やるしかない。


 学園で何を学ぶのかは、まだよく分からないけれど。


 少なくとも、鍛錬をやめるつもりだけはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。