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実家を追放された落ちこぼれ陰陽師令嬢、冷たい異国の御曹司と契約婚約したら逃がしてもらえなくなって困っています  作者: ちぴーた


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第八話:真の実力

 怒涛の週末が過ぎ、いよいよやってきた月曜日。

 

 玄関先で陳媽チャンマーに見送られ、地下駐車場へ向かうエレベーターに乗り込む。

 導かれたのは高級セダンの並ぶ広大な地下駐車場だ。


 黒塗りの高級車のドア前に立っていたのは、雨の日に迎えに来てくれた時と同じ運転手だった。

 体格が良く、穏やかそうな年配の男性である。


早晨ジョーサン少爺シウイエ(おはようございます、坊っちゃん)」


 深々と頭を下げる男性に、鳳龍が応える。


「阿凛、運転手のワイだ。陳媽の夫で、俺の専属運転手をしている」

「あ、あの、この間はありがとうございました……! 花石凛です。よろしくお願いします」


 偉は日本語で「よろしくお願いします、凛様」と丁寧にお辞儀をして、後部座席のドアを開けてくれた。


(夫婦で鳳龍のお世話をしてるのね……。それにしても……)


 乗り込んだ車内は、革のいい匂いがする高級車そのもの。

 車が静かに走り出したところで、凛はハッと我に返った。


(ちょっと待って。こんな凄い車で一緒に登校したら、婚約を秘密にした意味がなくなるじゃないの……!)


「あ、あの! 私、学園の少し手前で降ろしてください!」


 慌てて伝える凛に、鳳龍は小さく肩をすくめた。


「目立ちたくないんだろう? 分かっている。……偉、阿凛の言う場所で降ろしてやってくれ」

「かしこまりました」


 気遣ってくれた鳳龍に感謝しつつ、少し離れた路地で降ろしてもらった凛は、一人徒歩で学園の門をくぐった。

 だが、待っていたのは刺さるような生徒たちの視線だった。


「あれって、花石凛……?」

「聡様に婚約破棄されたばかりだっていうのに、よく学校に来れるわね……」


 ひそひそと囁かれる陰口。

 しかし、教室に入ると、状況は一変した。

 それもそのはず、なぜか学園長がやって来て教壇に立っているのである。

 妙齢の女性で、確か聡の親戚筋だったはずだ。


(張弁護士は、学園上層部には、私が鳳龍の婚約者になったと伝えたはずなのよね……)


 学園長は、どこか青ざめた顔で咳払いをし、教壇を叩いた。


「コホン、コホン! 静かに! えー、授業を始める前に皆に言っておくことがあります。我が学校では生徒に関する噂話は一切禁止にすることにしました。特に、誰が誰と婚約破棄になったとか、新たに婚約したとか……。そう言ったことは決して口にしないように! 分かりましたね!」


 誰とは言わずとも、凛のことを指していると周囲の生徒たちは全員が理解した。

 過剰なまでの庇い立てに、皆、狐につままれたような顔をしている。


「話は以上です。さっ、先生、授業を始めてください。私語は一切厳禁でお願いしますよ」

「は、はぁ……」


(……すごい。本当に私、守られてるんだ……)


 凛はそっと胸を撫で下ろした。


 それに、何よりも驚いたのは、自分の身体の軽さだった。


 陳媽の美味しい朝食でお腹は満たされ、これまで苦しめられていた不快な熱も、鳳龍との毎日の(ものすごく緊張する)スキンシップのおかげで綺麗に引いている。


(なんだか、すごく集中できるわ)


 凛たちが通う「覇羅野学園」は、ただの高等学校ではない。


 将来の治安維持を担う術者を育成するための『陰陽師養成コース』や、そのサポートを行う『術者支援コース』、さらには呪具や霊符の製作・研究を専門とする『呪具開発コース』などから成る特殊な教育機関だ。


 普通の高校と同じ数学や英語といった一般教養以外にも、陰陽道に関わる勉強がどっさりある。


 座学での霊力理論から、実技での結界術や霊符演習まで、過酷なカリキュラムが組まれているのだが——万全の体調で受ける授業は、自分でもビックリするくらいスラスラと頭に入ってきた。


「——では、霊力の基礎構造と、霊符への定着理論についてだ。……花石、答えてみろ」


 担任からの不意の指名。

 途端に教室がざわめく。


 周囲からは「どうせ答えられるわけないよね」「落ちこぼれだし」という侮蔑の視線が向けられる。


 つい先週までの凛なら、身体の不調と緊張で固まってしまっていたかもしれない。

 実家から課される大量の霊符作成に忙殺され、ほとんどまともに学校へ登校できていなかった。

 彩香と常に比べられ、「影が薄い落ちこぼれ」というのがこれまでの花石凛。

 

 ——でも。

 凛は顔を上げた。


 今受けている授業は『霊符理論Ⅱ』。

 霊力の使い方や霊符についてなら、小さな頃から叩き込まれている上に、実戦で嫌というほど知っている。


(……これって、よく考えたら、それほど難しくないわ) 


 凛はスッと立ち上がると、迷いのない声で答え始めた。


「霊力とは生体エネルギーの変容であり、霊符への定着においては媒介となる朱墨の質と、術者の呼気圧の同期が不可欠です。基礎理論としては、五行の相克を利用し——」


 すらすらと、教科書の模範解答以上の精度で完璧な解説を述べる。


(お祖母様から聞いていたことを繰り返しただけだけど……あら?)


 教室中が、シーン……と静まり返っている。

 担任すらも目を丸くしていた。


「……正解だ。よく勉強しているな」


 席に着く凛。

 周囲の驚愕の視線を浴びながら、凛はぼんやりと黒板を見つめていた。


(どういうこと……? 私、ずっと落ちこぼれだって言われて育ってきたけど……)


 体調が万全になり、冷静に授業を聞いてみれば——学園で教えられていることなど、凛にとってはあまりにも簡単すぎる内容だったのだ。


(もしかして……私、落ちこぼれなんかじゃなかったの……?)


 小さな気づきと共に、凛の中で長年閉じ込められていた自信の芽が、静かに息吹き始めていた。


 その後も、凛は一つ一つの授業に落ち着いて参加していくことができた。

 親しい友達も特にいない凛である。

 誰もわざわざ話しかけてはこない。

 朝の学園長のお達しのおかげで不快なひそひそ声も聞こえず、驚くほど快適な時間が流れていく。


 ちなみに昼休みは、鳳龍から「一緒にランチを食べないか」と誘われていたのだが、目立つのを避けるために丁重にお断りしておいた。


 結局、ほとんど人の立ち入らない旧校舎の第一図書室を訪れ、一人静かに陳媽の作ってくれたお弁当を食べることにした。

 使い込まれた木製机の温もりと古書の匂いに包まれ、心を落ち着かせていた——その時だった。


「…………?」


 ふと、箸を止める。

 胸の奥が、小さな波紋を描くようにかすかに疼いた。


(何かしら……この胸騒ぎ……)


 図書室の最奥には、鍵のかかった扉がある。

 立ち入り禁止らしく、特にこれまで気にしたことはなかったのだが——。


 固く閉ざされた扉の向こうから、何か微かな気が漂っているような気がしたのだ。

 

「……いえ、気のせいね」


 気の迷いだと自分に言い聞かせ、それ以上深く気に留めることはしなかった。


 凛は静かにお弁当を食べ終えると午後の授業へと戻り、そこでも目覚ましい成果を上げて周囲を感嘆させたのだった。




 ——だが、そんな凛の劇的な変化を、面白く思わない人物がいた。


「……まあ、お姉様! 本当に学校にいらっしゃっているなんて……!」


 放課後。

 凛が登校していると聞きつけて教室までやってきたのは、彩香だった。

 心配そうに胸に手を当て、瞳をウルウルと濡らしている。


「お父様もお母様も、それは心配なさっていましたのよ? 急に家を出て行かれて……! ……一体、どちらに身を寄せていらっしゃいますの?」


 廊下にまで響くような通る声。


 凛を家から追い出した挙句に陰家籍からの除籍までしようとしたのは花石家のほうなのに、これでは凛が自分勝手に家を出て行ったかのように聞こえてしまう。


(私が身勝手な人間だという印象を周りに植え付けようとしてるのね。……あれ? でもそれって、今の私に何か不利益があるかしら?)


 実質的な影響があるかと考えてみるが、特に思い当たらない。

 すでに花石家とは関係のない身なのだ。

 身元は鳳龍が保証してくれていて、住む場所も、美味しいご飯も確保されている。


 学園でも戒厳令が敷かれている以上、表立って凛に歯向かおうとしてくる人間は——。


(彩香だけじゃない?)


 今までの凛なら、余計な摩擦を避けるために俯いてやり過ごしていただろう。

 けれど今は、そんなことをする必要がどこにもない。


 凛はまっすぐに彩香を見つめ返した。


「ご心配なく。彩香には一切関係ないから」

「まあ!! そんな強がりをおっしゃるなんて……! もし路頭に迷っていらっしゃるなら、花石家の離れに戻れるよう、私からお父様にお願いして差し上げますから!」


 完璧な「健気で心優しい義妹」の演技。

 周囲の生徒たちの視線を一身に集めながら、その言葉の端々には「どうせ行く当てなんてないくせに」という侮蔑と嫌味が隠しきれずに透けている。


 だが、凛は表情一つ変えずに切り捨てた。


「いいえ。必要ないわ」

「なっ……」

「話はそれだけ? じゃあ」

「ちょ、ちょっとお姉様! 聡様に婚約破棄されたからって、そんなに自暴自棄にならないでくださいませ!!」


 今朝、学園長自らが「生徒の噂話、特に婚約や婚約破棄についての言及は一切禁止」と周知徹底したばかりだ。

 自分がその禁止事項を派手に破っていることにも気づかずつい大声で叫ぶ彩香に、周囲の生徒たちの視線が一斉に集まる。


「彩香は聡様と婚約して幸せなんでしょう? それで良いじゃないの。私のことまで気にしなくていいから」

「だから、待ちなさいってば!!」

 

 おかしい。


 実家を追放され、惨めに路頭に迷っているはずの姉を高みから見下し、嘲笑いに来たはずだった。

 それなのに、まるで手応えがない。

 どれだけ言葉のナイフを突きつけても、暖簾に腕押しで肩透かしを喰らってしまうのだ。

 思い通りにいかない焦りから、彩香が苛立ちを露わにして凛の制服の袖をつかもうとした——その時。


 周囲の空気が、凍りついたように静まり返った。

 

「——何をしている?」


 静かだが、逆らいがたい圧倒的な圧を伴った低い声。

 振り返った彩香が、途端に息をのんだ。

 そこに立っていたのは「氷の貴公子」——李鳳龍だった。


「あなたは……李鳳龍様……!? どうしてこちらに……」


 あまりの端正な容姿と、立ち昇る圧倒的な格の違いに、彩香の頬が朱に染まる。


「そこのお前」

「わ……私ですか? その、お前ではなく、花石彩香と申します……!」


 潤んだ瞳で鳳龍を見上げる彩香。

 聡に向けるよりも、二百倍は熱が籠もった声色である。


 だが、返す鳳龍の声は氷のように冷ややかだった。


「ここで何をしている? 花石凛に近づくな」

「……えっ? はっ!?」

「聞こえなかったのか? 今後、花石凛に近づくことはこの俺が許さない」

「李様、何を仰いますの……!? お姉様! これは一体どういうことですか!?」


 愕然とする彩香を意にも留めず、鳳龍はそっけなくと言い捨てた。


「忠告はした」


 そのまま凛に向き直る。


 その瞬間、彼の表情は一転した。


阿凛アーリン


 まるで氷が解けるような、愛おしいものを慈しむ瞳。

 あまりの温度差に、周囲で見守っていた女生徒たちの口から悲鳴に似た吐息が漏れる。


「鳳龍……どうしてここに?」

「送るのは駄目でも、迎えに来るのは駄目と言わなかっただろう? さあ、帰るぞ」


 教室から廊下にかけて、どよめきが波のように広がっていく。


(ああ……もう終わったわね。これで明日から、また注目の的だわ……)


 サラサラと白くなっていく凛である。

 それを意に介さず、鳳龍は凛の通学鞄をひょいと取り上げた。


「行くぞ、阿凛」

「はい……」


 呆然とする彩香や周囲の視線を完全に無視し、鳳龍はごく自然な動作で凛の指に自分の指を絡め、手を繋いだ。

 その触れ方はどこまでも優しく、大事に宝物を扱うかのようだ。


『李様が、あの花石凛を……「阿凛」って何? それにあの優しい眼差し……!』

『手を繋いで一緒に帰るって……どういうこと!?』


 廊下に満ちるヒソヒソ声は、もはや悲鳴に近い。

 取り残された彩香は、貼り付けた「良い子の笑顔」が崩れるのを隠すように俯いた。


 ——周囲に気が付かれないように、爪が食い込むほど強く拳を握りしめながら。


(……絶対に、許さない。お姉様なんかより、私の方がずっと格上のはずなのに……!)


 その瞳の奥には、屈辱と激しい嫉妬の炎が揺らめいていた。



お読みいただきありがとうございます。

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