第九話:ホワイト環境がいいよね
折り返し地点まで来ました。
金・土・日で完結(十八話)まで全編投稿予定ですのでぜひ読んでいただけると幸いです。
鳳龍のマンションから学園に通うようになってから、ようやく最初の一週間が経とうとしていた。
その日の夜、凛はリビングのソファに座り、眉間にシワを寄せていた。
ローテーブルの上には『進路調査票』の紙。
(学園を卒業したら、この仮初の生活は終わるのよね……。自立のために、今から考えていかなきゃいけないわ)
ひょんなことからこんな場所にいるけれど、凛は契約の婚約者なのだ。
凶印――もとい、対印の熱と冷気を消し合うための存在。
それに、李家の次期当主たる鳳龍に数多く舞い込むお見合い話の防波堤でもある。
ふと、背後から涼やかな気配が近づいた。
――と、思う間もなく、靭やかで逞しい腕が凛の身体をすっぽりと包み込んだ。
「フォ、鳳龍! ちょっ、くっつき過ぎです!」
「また文句か? 今日の分の抱擁をしているだけだろう」
「今日はもう三回目です」
「そうだったか? 覚えていない」
「もうっ……!」
首筋に鳳龍の柔らかい髪が触れ、風呂上がりのほのかな石鹸の香りが鼻をくすぐる。
毎日欠かさず行っている「スキンシップ」だが、こうして抱きしめられる瞬間には、どうしてもドギマギしてしまう。
しかも、日増しに回数が増えている。
ごく自然な様子で、甘さも増している。
ソファで本を読もうとすれば当然のように隣に滑り込んできて抱き寄せられたり。
お風呂上がりに髪を乾かしてもらったり。
特に意味もなく膝の上に収められたり……。
(……いえ、待って。これって全く自然ではないわよね?)
当の鳳龍は「対印のためだ」と至極当然な顔をしているが、凛からすれば心臓が持たない。
「阿凛、どうした? 俺の腕の中はそんなに居心地が悪いか?」
後ろから甘い低音が耳を震わせる。
ちらりと振り返ると、鳳龍は凛の肩に顎をちょんと乗せている。
(顔面がっ……強すぎるわ……)
吸い込まれそうなほどの美貌が目と鼻の先にある状況にどうすることも出来ず、ただ顔を赤くする凛である。
「あの、やっぱり手を繋ぐだけでも効果があると思うのですが」
「いいや? これが一番効率よく霊力を循環させられる。……それに」
鳳龍は微笑むと、凛の髪の一筋をするりと掴んだ。
「阿凛は俺の婚約者だろう? これくらいの接触は許容してもらえないと、仲睦まじいとは言えない」
「そ、それはそうかもしれませんけど……!」
「敬語はいつやめるんだ?」
「……それは、考えておきます」
(……いけないわ。こんな環境に慣れたら、どんどん駄目になっちゃう……!)
鼓動が鳴り止まない胸を押さえつつ、流されてしまっている自分を反省する。
隙間風吹く花石家の離れとは比べものにならない快適な環境に、すっかり絆されてしまっているのだ。
鳳龍は長い指でローテーブルの紙を指差した。
「……それは? 随分と悩んでいるようだが」
「進路調査票です。三年になったらどのコースに進むか選択しないといけないから」
「ああ、そうか」
「鳳龍は、『陰陽師養成コース』に進むんですか?」
「まあな」
「……随分、あっさりしてるんですね」
「俺は香港で大学までの教育課程を終えているし、術者資格も持っているからな」
さらりととんでもない実績を口にする。
「凄い。何歳で取得したんですか?」
「十二歳だったかな。香港では飛び級が許されているから、若い陰陽師も多いぞ」
そういえば、鳳龍が若年にもかかわらず特級術者の資格を持っているというのは有名な話だったのを思い出す。
「それじゃあもう勉強することがないじゃないですか。なんでわざわざ留学して来たんですか?」
凛の問いに、鳳龍の返事が一拍遅れる。
「……?」
「……いや、何でもない。香港の陰陽道と日本のそれは違うからな。日本独自の理論体系は興味深いし、学ぶ価値はある」
「? そうなんですね」
「それより、阿凛は? お前ほどの霊符の腕があれば、『呪具開発コース』か。いや、『陰陽師養成コース』もあり得るか?」
凛の霊符作りの才は圧巻だった。
それを自分の目で確かめた鳳龍は、至極当然といった様子で聞いてくる。
だが凛は首を振った。
「私は『術者支援コース』を選択しようと思ってます」
「……は?」
迷いのない凛の返答に、鳳龍の動作がピタリと止まる。
「……なぜだ? あれほどの才に恵まれながら……」
「霊符師になってしまったら、ブラックな働き方をさせられるに決まってるので」
花石家にいた頃のように夜遅くまで霊符を書かされるのは真っ平である。
凛は霊符で結界を張ったり、札から霊力を引き出したりするのも実は得意なのだ。
だが、それを周囲に知られたら、危険な妖魔退治の前線に駆り出されるかもしれない。
土御門省が存在するのは妖魔から民間人を守るという治安維持の側面も大きいのだが、凛は外回りの多そうな術者よりも内勤を希望していた。
「陰陽師にはなりたくないんです。いわゆる3Kだと思うんですよね」
「……なんだって? 日本語は得意だと思っていたが、その用語は分からない」
「皆が避ける仕事のことです。『キツい』『汚い』『危険』の頭文字です」
淡々とした凛の説明に、鳳龍はポカンとしている。
「覇羅野学園では術者になるのが花形だと思っていた……」
「そうだと思います。私以外は」
陰陽師家系に生まれついたら、それが使命だと教え込まれて育つのだから当たり前だ。
だが、既に散々働かされた凛にとっては良いものだと思えなくなっているのである。
「その点、術者支援コースは土御門省の一般職試験に受かれば国家公務員になれるんですよね。九時五時勤務で定時上がり、年二回のボーナスに充実した福利厚生、社会保険完備、有休完全消化! 職員寮もあるらしいので、独り立ちにはぴったりなんです」
あまりにも堅実で現実主義すぎる人生設計。
鳳龍は凛を抱きしめていた力をゆっくり緩めると、額を押さえて深々とため息をついた。
「……張が二人いるようだ……」
「張弁護士といえば、陰家籍について聞きたいことがあります」
花石家が申請した凛の除籍手続きは、もう土御門省に受理されただろう。
となると、今度は凛個人で陰家籍を取得する手続きに、具体的に何が必要なのかを確認しなければならない。
「——それなら、この李家の『超優秀な雑用係』に任せてくれれば一発だよ、凛ちゃん!」
いつの間に入ってきていたのだろう。
軽快な声と共に、廊下の奥からひょいと一人の青年が姿を現した。
驚いて思わずソファから立ち上がる。
「だ、誰 ……!?」
「……翔宇。来ているなら一言言え」
「だってイチャイチャしてるから、話しかけづらくて」
「イチャッ……!?」
思わぬ指摘に顔を真っ赤にした凛は、慌てて鳳龍の腕を振り払い、サササッと素早くソファの端へ避難した。
当の鳳龍は腕の中が急に空っぽになり、少し不機嫌そうに眉をひそめている。
「阿凛、こちらは楊翔宇だ」
「よろしくね、凛ちゃん! 鳳龍少爺と僕は幼馴染なんだよ。歳も同じ」
「は、はあ……」
「少爺(若様)から『対印の相手を見つけて婚約した』って電話で聞いてさ。どんな子か見たくて飛行機に飛び乗っちゃったよ」
普段は香港で生活しているという翔宇は、鳳龍とはまた違ったタイプの美丈夫だ。
仕立ての良いジャケットを着崩し、耳には一粒のピアス。
整った顔立ちだが、どこかチャラついた笑みを浮かべている。
「あの、雑用係って……?」
「要するに李家に仕える何でも屋って思ってくれていいから。凛ちゃんは少爺の婚約者なんだから、僕に好きに命令してくれて構わないよ」
翔宇はウインクしながら片手をひらひらと振り、そのまま手元のタブレットを流れるような手つきで操作した。
「陰家籍の手続きはねー、もう張弁護士と連携して、根回しから何から何まで完璧に済ませといたから安心して。凛ちゃんが卒業する頃には新しい籍が出来てるはずだよ」
軽そうな見た目に反して、恐ろしいほど仕事が早い。
……と思った凛の心を読んだように、翔宇はふふっと誇らしげに胸を張った。
「こう見えて超シゴデキだからね? 少爺のためなら徹夜も余裕だし。……まあ、それはそれとして」
翔宇はすり足で鳳龍の隣にサッと滑り込み、馴々しくその肩に手を回した。鳳龍は「気安く触るな」と鬱陶しそうにその手を払いのける。
「二人とも、分かってる? 週末は一大イベントだよ! 特に凛ちゃん!」
「イベント……?」
「香港の陰陽省と日本の土御門省が共催する、半年に一度の『日港親善術者交流パーティー』があるの。少爺は主賓として出席するんだけど……当然、パートナーとして凛ちゃんにも隣に立ってもらわないとね」
「パ、パートナー!? 私、そんな華やかな場所に出たことがありません」
焦る凛に対し、鳳龍は顎に手を当てて思案する顔になった。
「そうか。それは悪くないな。俺の正式な婚約者として公の場に顔を出せば、花石家もおいそれと阿凛に手出し出来なくなる」
「でも……私、足を引っ張ってしまうかも」
気後れする凛に、翔宇はタブレットを指でくるくると弄びながら、意味深な笑みを浮かべて身を乗り出した。
「邪魔になるどころか、大本命だよ。……だってさ、少爺がわざわざこの時期に日本へ長期滞在してるのは、単に留学のためだけじゃないじゃん?」
「え?」
(そういえば、さっき歯切れがなんとなく悪かった……?)
「それって……?」
「あれ〜? 凛ちゃんってば聞いてないの? 日本に眠る『古の伝承』と『龍脈』の調査……そして何より、対印の『真実』を確かめるためって」
「翔宇。喋りすぎだ」
鳳龍の氷のように冷ややかな一言が飛ぶ。
翔宇は「おっと、少爺の逆鱗に触れる前に黙ろ〜」と口元にチャックをするポーズをとった。
だが、凛の胸には小さな波紋が広がる。
(日本にいる本当の理由……? 龍脈……? それに、真実って……)
「ってことで凛ちゃん! 明日の放課後はパーティーに向けた衣装のお仕立てと買い物に行くよ! 逃げちゃダメだよ〜?」
「えっ」
パーティーだなんて、今まで日陰で生きてきた自分には想像もつかない。
一体どうなってしまうのだろうと、凛は遠い目をするのだった。
お読みいただきありがとうございます。
続きが気になると思っていただけたら、ぜひブクマしていただけると嬉しいです。
ページ下部の【★★★★★】でのご評価も執筆の励みになります ᕦ( ᐛ )ᕤ!!
どうぞよろしくお願いいたします。




