第十話:ドレスサロン
翌日の放課後。
学園の正門前には高級セダンが横付けされていた。
道ゆく生徒たちの目を引きつけてやまないが、結局下校時はいつも鳳龍と一緒に帰宅しているため、今更である。
凛はもはや抗う気すら起きなかった。
「凛様、少爺、どうぞこちらへ」
運転手の偉が後部座席のドアを開けて迎えてくれる。
鳳龍と共に車内へ乗り込むと、助手席から翔宇がひょいと楽しそうに振り返った。
「凛ちゃん! お疲れ様〜、ちゃんと逃げずに来てくれて嬉しいよ!」
「どこに向かっているんですか?」
「会員制のドレスサロンだよ」
「サロン!? って……私、ドレスなんて着たこともないんですが……」
「だから買いに行くのだろう。それとも着物の方が良いか? それなら呉服屋へ行くが」
「えっ」
「日本の着物も風情があって素晴らしいよね〜! 京友禅とか、大島紬なんかも凛ちゃんに似合いそうだし」
(それって桁違いに高級なやつじゃない……。全然ついていけないわ……)
あまりのスケールの違いに圧倒されていると、隣に座った鳳龍がそっと凛の手を取った。
長い指が凛の指に優しく絡められる。
「俺は、綺麗に着飾った阿凛を見てみたい」
「〜〜〜っ!」
真っ直ぐすぎる瞳で見つめられ、顔面から火が出そうになる凛。
周囲に視線を泳がせるが、バックミラーの中の偉は徹底して前方の運転に集中するプロの顔をしており、翔宇も「やあ、東京の街並みは今日も素晴らしいな〜」とわざとらしく窓の外を眺めている。
(聞こえないフリをしているわ……!)
居心地の悪さと気恥ずかしさで何も言えなくなり、凛は顔を赤くしたまま、ただ小さく首を縦に振るのが限界だった。
そんな凛の反応に、鳳龍は満足そうに口元を緩める。
「じゃあ行こうか。ドレスにするか? それとも着物か?」
「……ドレスでお願いします……」
やがて到着したのは、都心の一等地の目抜き通り。
いわゆる、完全会員制のドレスサロンの前だった。
名門陰陽師の令嬢や政財界の要人がお忍びで訪れる名店らしい。
海外の一流ハイブランドが立ち並ぶ華やかなエリアにあり、街頭には多くの人々が行き交っているというのに、一歩店内に足を踏み入れると、広々とした美しい空間にいる客は凛たちだけだった。
「ようこそお越しくださいました、鳳龍様。そして花石様。一同、心よりお待ち申し上げておりました」
支配人が恭しいお辞儀で迎えてくれる。
続いて奥からも女性スタッフたちが整然と現れ、ずらりと並んで挨拶をしてくる。
非日常すぎる空間と手厚い歓迎に、どうしていいか分からず固まる凛。
そんな凛の様子を気にも留めず、鳳龍は至極当然といった顔で静かに告げた。
「阿凛、好きなものを選べ。……なんなら、この店ごとでも構わない」
「み、店ごと……!? 冗談ですよね……!?」
「ここは李氏グループが経営してるからね〜。今日は少爺と凛ちゃんのために貸切にしてあるよ」と軽く告げられ、凛は恐れおののいた。
道理で、他に客がいないわけである。
支配人が穏やかに応じた。
「楊様の仰る通りでございます。お気に召すまま、どうぞ何なりとお試しくださいませ」
「そう言われても……」
スケールの大きすぎる話に困り果てる凛。
すると、背後に控えていた女性スタッフたちが一斉に前に出てきて、凛を取り囲んだ。
「花石様、お洋服選びをお手伝いさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ひっ……!」
どう返答してよいか分からず、凛の喉から妙な声が漏れる。
スタッフが恭しく掲げて見せるドレスも、煌びやかなジュエリーも、値札が付いていない。
それすら野暮な世界なのだろう。
「凛ちゃん、僕たちはお茶しながら待ってるからね〜」
「かしこまりました。お二人様はVIPルームへどうぞ」
凛の着替えにまでついていきそうな鳳龍だったが、翔宇がその背中を軽く押してVIPルームへと促していく。
残された凛が心細さに固まっていると、女性スタッフが優しい声で話しかけてくれた。
「生地のお好みからお選びいただくこともできますよ。こちらは肌触りも大変滑らかですので、ぜひ触れてみてください」
(あ……本当だわ。サラリとしているのに光沢があって、すごくきれい……)
「素敵です。あの……私の好みというか、腕にアザがあるので……肩を出すようなデザインは……その、無理で……」
「かしこまりました。それでしたら七分袖や長袖のものをご用意させますね」
「あと……あまり派手なものは気後れしてしまって……」
「かしこまりました。花石様の上品なお可愛らしさが引き立つようなデザインをお持ちしますね」
「色も、あまりどぎついものは遠慮したいです……」
「かしこまりました。透明感のあるお肌をされていらっしゃるので、淡いお色味のほうがより引き立つかと。何かお好きなお色はございますか?」
「えっと……可愛すぎるのも、その……恥ずかしくて……」
「では、可憐さとスタイリッシュさを兼ね備えたラベンダーブルーや、肌なじみの良いゴールドイエローなどはいかがでしょう?」
さすがは高級ドレスサロンのスタッフ、全員が接客のプロである。
凛のたどたどしい希望から瞬時に意を汲み、押しつけがましさを一切感じさせずに、候補を次々と提案してくれる。
なんとかドレス一着を選び終えた凛だったが、安堵したのも束の間、すぐさまそのドレスに合いそうな靴やアクセサリーがずらりと目の前に並べられた。
目が回るような感覚に、凛はもう自力で選べそうにない。
「あの……残りはお任せしてもいいですか……?」
「もちろんでございます、花石様。お好みに合うようにコーディネートさせていただきますね」
ほっと胸を撫で下ろした凛だったが、これで終わりではなかった。
そのままメイクアップルームへと連れて行かれ、今度はヘアメイクのプロたちに一気に囲まれる。
これまでの人生で、まともにお化粧などしたことがない凛である。
「万一にもお肌を傷めぬよう、敏感肌用のオーガニック製品をご使用させていただきますね」
「は、はあ……」
何をされているのかもよく分からないまま、メイクとヘアセットが手際よく施されていく。
「もともとの素肌の透明感を最大限に活かすよう、薄く整えさせていただきます」
「はぅ、ふぁい」
ヘアメイクスタッフにされるがまま、もう、何と返事していいのかも分からない。
——小一時間後。
「鳳龍様、楊様。花石様のご準備が整いました」
待ちきれない様子だった鳳龍は、報告を受けるやいなや早足でフィッティングルームへ向かう。
すると、カーテンの向こうから慌てた凛の声が聞こえてきた。
「あの……! 待ってください、やっぱり無理です!」
「花石様、本当にとってもお可愛らしいですよ。こんなに素敵におめかしなさったのですから、見ていただかないと……!」
「でも……変に思われないかしら」
「絶対にそんなことはございません!!」
押し問答をする声を聞き、顔を見合わせる鳳龍と翔宇。
「……凛ちゃん、恥ずかしがってるみたいだね〜。僕が先に見てこようか?」
「唔得(駄目だ)」
「好啦好啦(はいはい)」
即答した鳳龍に、翔宇は肩をすくめて苦笑する。
その後、さらに十分ほど「無理です!」「大丈夫です!」というやり取りが繰り広げられた後、ついにフィッティングルームの厚手のカーテンが開かれた。
「哇! これは想像以上だね」
そこに立っていたのは、いつもの凛ではなかった。
淡いラベンダーブルーの上質な生地に、ふわりと広がるミモレ丈のチュールスカート。
繊細なレースが施された袖が、手首まで優美に届いている。
可憐さを残しつつ、光の角度で繊細に表情を変える極上のドレス姿だ。
普段は無造作にしている髪は艶やかに整えられ、ハーフアップに結い上げられている。
薄く施されたメイクに引き立てられ、透明感あふれる素肌が輝くようだ。
「あの……変じゃないかしら?」
鳳龍は言葉を失ったように目を見開いたままだ。
そして口元を覆い、ふいと顔を背けてしまう。
(やっぱり、変なの……!?)
ショックのあまり固まる凛だったが、すぐに翔宇が揶揄するような笑みを浮かべて鳳龍の横へ回り込んだ。
「少爺、顔が赤くなってるよ〜?」
「うるさい、黙れ翔宇」
翔宇をうっとうしそうに払い除けると、咳払いをひとつ。
それから、ゆっくりと凛に歩み寄った。
「……よく似合っている」
「本当……?」
「ああ。すまない。阿凛があまりにも可愛いから、直視出来なかった……」
「えっ……」
真っ直ぐすぎる言葉に、今度は凛の頬が朱に染まる。
そんな二人の甘い空気を生温かい目で見守りつつ、翔宇がうんうんと満足そうに頷いた。
「よし、衣装は完璧! あ、そうそう凛ちゃん。パーティー当日はね、日港の親善イベントだから、メインイベントとして少爺と凛ちゃんの二人で『陰陽術の奉納パフォーマンス』を披露してもらうことになってるからね〜」
「え……!? パフォーマンス……!? そんな大舞台で見せるような術なんて、知らないです」
「それほど難しく考えなくてもいい。一般人も来るから、大した術を見せずとも皆驚く。俺が教えるから、心配するな」
「小爺は場馴れしてるからね〜。あ、忙しいなら僕が教えてあげてもいいよ!」
「無用だ。俺が教える」
「言うと思った。大丈夫、凛ちゃんなら余裕余裕!」
調子の良いことばかり言う翔宇に、余裕なわけないでしょう! と心の中で泣きそうになる凛だった。
サロンでの買い物を終え、帰路に着こうとエントランスへ向かったその時。
ガラス張りのエントランスの外から、聞き覚えのある甲高い怒声が響いてきた。
「ちょっと! どうして入れないのよ! 私を誰だと思ってるの、花石家の当主夫人よ!?」
「申し訳ございません。本日は貸切となっております。一般のお客様のお立入りは固くお断りしております」
ドア前で品のある警備員に突っかかっているのは——。
(あれは……お義母様? それに、彩香……)
どうやら二人も買い物にやってきたようだが、門前払いを喰らって激高しているらしい。
ガラス越しに見られそうになり、凛はとっさに鳳龍の背中に隠れる。
だが、それを許す婚約者ではない。
「阿凛、なぜ隠れる?」
「だって……こんなところで見つかったら、面倒なことになるかと思って……」
「よく考えてみろ」
鳳龍の言葉に、凛はハッとした。
そうだ。
学園で彩香に絡まれた時に、自分で思ったではないか。
凛と花石家とは、すでに何の関係もないのだと。
「……私は除籍されたんです。つまり、あの人達はもう完全に赤の他人です」
「そうだ。そして阿凛は俺の婚約者だ。堂々と胸を張れ。何があっても守る」
「……はい!」
そうだ、隠れている場合ではない。
元々パーティーでも花石家の面々と顔を合わせる可能性は高かったのだ。
それがほんの数日早まっただけのこと。
凛はしっかりと顔を上げた。
「行きましょう」
エントランスの自動ドアが開き、一歩外へ踏み出す。
外で突っかかっていた静江と彩香が、すぐにこちらに気が付き、目を剥いた。
「……見て、お母様! あれ、お姉様じゃ……!?」
「なっ……!? なんであの娘がこんなところにいるのよ!」
彩香と静江は開いた口が塞がらないようだった。
家では古びた着物しか与えられず、日陰者だったはずの凛が、息をのむほど洗練されたドレスを身に纏い、輝くような美しさを放っている。
しかもその隣には、圧倒的なオーラを纏う青年——李鳳龍が寄り添っていた。
「凛! あなた、何をしているの!? 泥棒にでも手を染めたのかしら! なぜそんな格好をしているの、早く脱ぎなさい!!」
「お姉様、なんてことを……! おとなしく家に戻ってください! こんな恥晒しな真似なさらないで!!」
相変わらずの身勝手な罵声。
だが、一度覚悟を決めた凛の心には、もう何も響かない。
「お久しぶりです。静江さん、彩香」
「なっ……!? 何ですかその呼び方は!」
「私を陰家籍から除籍されたのはあなた方です。私の籍は花石家にはもうないのだから、お義母様とお呼びする筋合いもありません」
「……なっ、生意気な! おかしな屁理屈を並べるんじゃありません! こちらに来なさい!!」
「行ってどうするんですか?」
冷静に返す凛に、静江は真っ赤になって怒鳴り散らした。
「決まっているでしょう! 家に戻ってこれまで通りの務めを果たしなさい! お役目を放棄して、こんなところで浮かれているなんて……!」
「そうですわ、お姉様! 聡様との婚約を破棄されて、気が動転されているだけなんでしょう!?」
二人揃ってまくし立てる姿に、凛は小さく溜め息をついた。
そして、澄んだ瞳で静江たちをまっすぐに見据える。
「私を追い出したのはあなた方です。もう私は花石家の人間ではありませんから、命令される覚えも、戻る義務もありません。……それに、私は今、とても幸せです」
「は……!? 幸せ……!?」
「ええ。理不尽に虐げられることもなく、私を正当に評価し、大切にしてくださる方の側にいられるんですから」
「な、なんですって……!!」
かつて言われるがままだった凛の、毅然とした言葉と晴れやかな笑顔。
「この恩知らずが……! 誰のおかげで今まで生きてこられたと思っているの! 警察でも土御門省でも何でも呼んで、引きずり戻してやるわ!!」
逆上して凛の腕を掴もうと、静江が足を踏み出す。
「この俺の婚約者に掴みかかろうとするとは、いい度胸だな」
「お姉様が、李鳳龍様の婚約者……!? どういうことなの!?」
「凛! 説明しなさい!!」
動転する静江と彩香に、鳳龍は冷たい一瞥をくれる。
そして、印を結ぶこともなく、ただ一言静かに呟いた。
「——『唵』」
瞬間。
空気そのものが凝縮されたかのような感覚が走り、静江と彩香の叫び声が完全に途絶えた。
(……音が……消えた……!?)
凛は目を見張った。
真言の一語のみだった。
印も切っていない、完全なノーモーション。
それで広範囲の空間の音波だけを完全に遮断し、消滅させるなんて。
絶大な霊力と精密な制御がなければ不可能なはずである。
声が届かなくなったことに気づかず、金魚のように口をパクパクと開閉させる静江と彩香。
鳳龍は吐き捨てるように言った。
「見苦しい。……翔宇! 追い払え」
「はいはい、小爺。任せて〜」
翔宇さっと前へ踏み出し、にこやかに追い打ちをかける。
「花石家のご婦人方? 凛ちゃんを身勝手に追い出しておいて、戻って来いなんて勝手なことは許されませんよ〜? 大方、泣いて許しを乞うような展開を想像してたんでしょうけど。あいにく凛ちゃんはもう、あなたたちが手を出せるような場所にいないんですよ〜」
「…………!?」
「一度手放したものが簡単に戻るなんて思わないほうがいいですよ。ほら、『覆水難收』——覆水盆に返らずって言うでしょ?」
「!??」
「そんなわけで、よろしく〜」
二人の声は聞こえはしないが、表情から憤っているのが見て取れる。
「行くぞ、阿凛」
「はい!」
鳳龍に手を取られ、凛は静江たちの横を通り過ぎて車へと乗り込む。
術式が解けないまま、李家の車は走り去っていった。
取り残され、ようやく術が解けて声が出るようになった静江と彩香は、屈辱で全身を震わせる。
「な、何よあれ……何なのよ一体……!!」
「お母様、悔しい……! あのお姉様が生意気にも李鳳龍様と……!」
「覚えていらっしゃい凛……! 絶対にこのままでは済ませないわよ……!!」
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