第十一話:日港親善交流パーティー
パーティーの会場である帝国ホテルのメインホールは、華やかな熱気に包まれていた。
日本の陰陽道と、数千年の歴史を誇る香港・道教方術界の重鎮が一堂に会する、国際的な大イベントである。
元来、陰陽術の歴史において大陸・香港の術は総本山。
飛鳥から平安時代にかけて日本に伝来し、独自の進化を遂げたのが現在の日本の陰陽道だ。
つまり、日本側から見れば本場・香港は流派の源流であり、親にも等しい存在。
その頂点に君臨する香港随一の名家・李家の正統後継者が出席するとあって、会場の日本側陰陽師たちは固唾をのんでその登場を待ちわびていた。
それゆえに——この宴で最大の注目を集めていたのは、間違いなく鳳龍、そしてその隣に立つ凛だった。
「……いらっしゃったぞ! 李家の御曹司だ……」
「隣のあの娘は誰だ? なんて美しい……!」
会場の視線を一身に集めて歩くのは、凛々しい礼服姿の鳳龍。
そしてその隣には、淡いラベンダーブルーのドレスを身に纏い、清楚な佇まいで微笑む凛の姿があった。
少し後ろには、これまたタキシード姿の翔宇が付き添っている。
「緊張しているか、阿凛」
「平気、です。その……思ったよりは」
「そうか。俺の隣で堂々としていればいい」
「……はい!」
周囲の感嘆の吐息に囲まれ、しっかりと歩き出す。
もう影に隠れて怯えていた頃の凛ではない。
鳳龍の隣に堂々と立つ自分が誇らしい気持ちだった。
そして、パーティーの中盤。
司会者の朗らかな声が響き渡った。
『本日はご来場くださりありがとうございます。只今より、李家次期ご当主である李鳳龍様、ならびにそのご婚約者の花石凛様による「奉納演武」をご覧いただきます。皆様、どうぞご注目ください!』
会場中央の特設ステージへ、二人が並んで足を踏み出す。
(——阿凛が側にいるからか……? やはり力の通りが良い)
鳳龍は隣に立つ凛の気配を感じ、心の中で密かに驚嘆していた。
対印たる凛が近くにいるだけで、体内の霊気が恐ろしいほどスムーズに循環し、制御が容易になっているのだ。
先日、凛の継母たちに術をかけた時と同じ——いや、それ以上の感覚だった。
そして、凛もまた驚いていた。
(……アザが、温かい。前は熱くて苦しくて堪らなかったのに……!)
いつもなら精神を研ぎ澄まし、体力を削るようにして練り上げる霊力が指先へスムーズに満ちていく。
まずは鳳龍が、静かに片手をかざす。
「——風雲変幻、天地帰位——急急如律令」
大がかりな印はない。
だが、その手から金色に輝く瑞雲の霊気が広がると、会場全体の空気が一瞬で澄み渡った。
本場・李家ならではの圧倒的な術の精度と霊力密度に、観客から息をのむ音が漏れる。
続いて凛が数枚の霊符を取り出し、霊気で空中に固定した。
「——臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! 急々如律令!」
凛が滑らかな所作で九字を切る。
霊符が一斉に舞い上がると、幾百もの光の花弁となって会場全体に振り注ぐ。見物人たちがワッと沸いた。
それぞれの流派の技を、軽やかに披露してみせたふたりに対して、会場全体から割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こる。
「なんという美しさだ……」
陰陽道の重鎮たちも大絶賛で拍手を送る。
——そして、その光景を呆然と見上げていたのは、凛の元婚約者である覇土山聡だった。
名門である覇土山家も、当然のごとくこのパーティーに列席していたのだ。
「な……なんだ、どういうことだ!? あ、あれが花石凛……!?」
聡は呼吸することすら忘れ、ステージ上の凛を呆然と注視していた。
鳳龍の圧倒的な存在感は当然として、その隣で息をのむほど美しい所作で九字を切り、高度な術をやすやすと扱ってみせた少女。
自分の記憶にあるのは、地味で見すぼらしく、いつも怯えていた花石家の日陰者だ。
だが今、目の前にいるのは、自分が知るかつての凛とは別人のように輝きに満ちあふれた姿だった。
その一方——。
会場の中心から少し離れた壁際で、血走った目で凛を睨みつける者たちがいた。
「な、なんなのよあれは……! お姉様が李鳳龍様の隣に立って称賛されているなんて! あり得ない!!」
顔を真っ赤にして拳を震わせるのは彩香だ。
その隣では静江と、花石家の現当主・凛の父である巌が青ざめた顔で固まっている。
「お父様、どうするつもりなんですの!? あんなの何かの間違いですわ! 早くお姉様を連れ戻してください!!」
「黙りなさい彩香!」
巌の額には冷や汗がびっしりと浮いていた。
「お父様ったら! 一体どうしたんですの?」
「……くそっ、それどころではないのだ……!」
花石家の霊符は、本来なら引く手あまたのはずだった。
一般的な術者が書く霊符は、通常、数日程度で霊気が揮発してしまう。
だが、花石家が平安の世から誇る特級霊符は、内包した霊力が数年は保つうえに効力も絶大だ。
そのため政財界の重鎮の邸宅の結界用、名家の魔除け、さらには高位の陰陽師が使う戦闘・守護用として、これまで破格の高値で取引されてきた。
それが、いまやおかしいことになっている。
ここ最近、返品がやたらと相次いでいた。
さらに会場に入ってからも、旧知の参加者たちが露骨に自分を避けている。
近づいてきたかと思えば「今後、花石家からの霊符は不要だ」と言い渡される始末。
大口から小口まで次々と契約を切られ、経済的損失はすでに数千万円に上る試算だった。
何が起きているのか分からず、巌は焦燥に狂いそうになっていた。
その時だった。
「——おお、ここにいらっしゃったのか、花石殿」
重々しい声とともに現れたのは、土御門省で物資調達の要職を務める総務局長だった。
巌と静江に緊張が走る。
「……あ、これはこれは、局長様ではありませんか」
挨拶もそこそこに、男は怒りを隠そうともせず本題へ踏み込んだ。
「単刀直入に聞きますがね……先週当局へ納品された霊符、あれは一体どういうことですかな?」
「は……?」
「結界の霊力がたった一週間で揮発して消えたのですぞ! 大臣の邸宅で妖魔の侵入を許し、大騒動になってしまったではないですか! 少し前までに納品されていた品とはまるで質が違う粗悪品を納めるとは……!!」
局長の怒声に、周囲の客たちも「粗悪品……?」「花石家が?」と不穏な視線を向け始める。
「そんな……! 粗悪品だなんて滅相もございません! 我が花石家の霊符はこれまで通り、ここにいる彩香が心を込めて丹念に書き上げた最高傑作でして……!」
巌が必死に揉み消そうと弁明する。
彩香は何が起きているのか理解できず、目を白黒させて周囲を見回すばかりだ。
するとそこへ、彩香の婚約者である覇土山聡が、救世主のように足早に歩み寄ってきた。
「局長、お怒りはごもっともですが、花石家を責めるのは筋違いです。おそらく霊力の定着にムラがあったのは、ここのところの霊素の気候的な乱れによるものでしょう。我が覇土山家が彩香の腕を保証します」
「聡様……!」
きりっとした凛々しい表情でかばってみせる聡に、彩香はうっとりと目を輝かせる。
局長も、覇土山家の跡取りである聡にそこまで言い切られては、一旦引き下がるしかなかった。
「……フン、覇土山家の顔に免じて今は引き下がりましょう。ですが早急に代品を用意してもらわねば、花石家との取引はすべて白紙に戻さねばなりませんからな!」
怒り収まらぬ様子で去っていく局長。
なんとか難を逃れたと胸を撫でおろす花石家と、彩香の手を優しく握る聡がその場に残された。
——だが、聡のすぐ後ろで一部始終を見ていた弟の智樹だけは、冷ややかな瞳でその光景を見つめていた。
「ねえ、聡兄さん。本当に『気候の乱れ』で済む話だと思う?」
パーティーの終盤、聡が一人になったのを見計らい、智樹はそっと隣に並んだ。
智樹は覇土山家の次男だ。
不真面目なうえに女生徒に手を出して問題ばかり起こしている聡とは違い、実直で評判が高い。家の呪具管理も彼が任されている。
智樹はポケットから一枚の術符を取り出すと、聡の目の前に掲げた。
「これ、我が家に納品された花石家の霊符。見てよ、術式の線の歪み、霊力のスカスカ感……気候のせいじゃないよ」
「智樹!?」
「以前……というほど前じゃないか。ほんの一カ月前までは完璧な霊符だった。今は、まるで別人が書いたみたいだ」
「ッ……! お前まで何を言い出すんだ。天賦の才に恵まれた彩香が書いているんだぞ! そんなことがあるはずが——」
「彩香さんが書いたんじゃないとしたら?」
「何……? 彩香が嘘を吐いているとでも……!?」
「兄さんの元婚約者の花石凛さん……さっきステージで披露した術、すごく高度だったよね? 霊符の扱い方なんて、熟練の陰陽師みたいだった」
「……何が言いたい!?」
「彼女、花石家の陰家籍から突然除籍されたみたいだよ」
「は……?」
「それが、今や李家の次期当主の李鳳龍の婚約者になってる。これってどういうことだろう? ……彼女が消えた途端に急に品質がガタ落ちしたのって、本当にただの偶然だと思う?」
「な……!?」
「本物の霊符を書いていたのが本当に誰だったのか……兄さん、一度ちゃんと自分の目できちんと確認した方がいいんじゃない?」
智樹の冷徹な指摘に、聡の顔からスッと血の気が引いていく。
その心に、巨大な疑念と冷たい衝撃が駆け抜けていった。
◇
「……それにしても、素敵でしたわね! 李鳳龍様と、彩香さんのお姉様!」
彩香は会場で偶然会った同級生たちとお喋りに興じていた。
だが、皆の話題は李鳳龍と凛のことばかりだ。
「え、ええ……」
「一体お二人はどこで知り合われたのかしら? 覇土山様と婚約破棄になられたのは、李様に請われてのことだったとか?」
きゃいきゃいと騒ぐ女子たちの中で、彩香は悔しさに歯ぎしりを噛み殺していた。
凛を追放してからというもの、霊符は彩香が書いていたが、とても一人では手が回らない。
簡単な仕事だと思っていたのだ。
地味で、見すぼらしい姉が出来るのだから。
だが、毎日大量に注文される分の霊符を書くなんて、霊力が持つはずもなかった。
仕方なく、花石家お抱えの陰陽師たちにも手伝わせて何とか納品分を書き上げる日々。
一刻も早くお姉様を取り戻し、以前のように霊符を書かせなければならないのに。
「それにしても、お姉様があんなすごい力をお持ちだったなんて!」
「本当! 鳳龍様の大陸式の術も素晴らしかったわ。さすが古の時代から受け継がれた技ですわね。あ、そういえば……こんな噂、お聞きになったことがあって?」
「もしかして、旧校舎の?」
怖がりながらも面白がる女子たち。
彩香も思わず耳を澄ませる。
話によると、覇羅野学園の旧校舎の地下深くには、かつて戦火を逃れた品々や、平安の時代から封印されし禁書が眠る『地下書庫』が存在するという。
そこには秘伝の術式が眠っていると。
「それを手に入れれば、もしかしたら圧倒的な力を手に入れることができるかもしれませんわね。なんて……ただの噂話ですけれど!」
「平安の禁書……地下書庫……?」
ただの他愛ない噂話。
だが、凛への激しい憎悪と焦燥に支配された彩香の瞳に、不穏で暗い光が宿り始めていた。
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