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実家を追放された落ちこぼれ陰陽師令嬢、冷たい異国の御曹司と契約婚約したら逃がしてもらえなくなって困っています  作者: ちぴーた


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第七話:契約婚約と追加条項

 雨の中、実家を追放され、すべてを失った金曜日。


 あの日が週末の直前だったのは、凛にとって最大の僥倖ぎょうこうだったと言えるかもしれない。


 続く土日の二日間は、まるで現実を十倍速の映画で見せられているかのような目まぐるしさだった。


 契約婚約を了承した凛は、そのまま鳳龍が暮らす超高層タワーマンションに同居することになった。

 ほかに行くあてもなかったのだが、翌日、光のスピードで用意された部屋を見た途端、腰を抜かしそうになった。


「これが私の部屋……? 嘘みたい。可愛過ぎる……!!」


 白を基調とした可愛らしくも上品に設えられた部屋。

 広々とした室内には天蓋付きベッドやソファまであり、パステルカラーのクッションが並ぶ。

 これだけで一般的なマンションの一室くらいありそうである。

 さらに驚くべきことに、大型のウォークインクローゼットには、すでにたくさんの服が掛けられていた。

 どれも凛のサイズにピッピッタリで、ファッション雑誌で見たことのある人気ブランドのもの。

 よそ行きの服だけでなく、フワフワの部屋着やスリッパなども何着も用意されており、凛は目を回しそうになった。


 だが、それだけでは終わらない。


「阿凛、香港から荷物が届いたぞ」


 さらに翌日には、鳳龍の母親からの国際航空便が爆速で到着したのだ。

 箱を開ければ、海外の高級ブランドのドレスや靴、バッグ、果ては眩いばかりのジュエリーまでぎっしり詰まっていた。


(お、お義母様……!? 仕事が早すぎるし、規模が桁違いすぎる……!! ……って、私ったら、何自然に『お義母様』なんて呼んじゃってるの!? 完全に流されてる……!)


 電話のテンションからして、鳳龍の母は二人の婚約が「本物」だと信じ切っているらしい。

 鳳龍が「契約」だという事実を伏せて報告したからなのだが、そのおかげでこの大歓迎ぶりである。

 申し訳なさとありがたさで凛の胃がキュッとなった。


 雨に濡れて泥だらけだった制服や学生鞄、それにローファーは、クリーニングに出してもらっていた。


(普通のクリーニングでこんなに綺麗になるのかしら……? 心なしか、靴も履きやすくなってる気がするし)


 ピカピカに磨き上げられたローファーを手に、凛は首を傾げた。

 新品同様にメンテナンスされていて、まるで熟練の靴職人が綿密に整備してくれたように足にシンデレラフィットする。


 食事も健康的になった。

 陳媽は住み込みではないのだが、毎日通ってきてくれているらしい。

 目にも鮮やかで極上の料理から、素朴で健康的な料理まで、何でも作ってくれる。

 たった一回の週末だけで、凛は身も心も一気に満たされていくのを感じた。




 そして——肝心の「契約」である。


「ここにサインを」


(契約婚約って、口約束じゃないのね。本当に契約書が出てきたわ……)


 リビングのテーブルの上に置かれたのは、張弁護士が即日で作成した完璧な契約書。


 学費や生活費の全額支給、身元保証、期間は卒業まで……鳳龍が言った通りの条件が整然と並んでいる。


 ちなみに、この婚約が「契約(偽装)」であることを知っているのは、当事者の二人と張弁護士のみ。


 世間や実家はもちろん、鳳龍の両親に対してすら「表向きは真剣交際・婚約」として通す手筈になっていた。


 そのため、基本条項には『対外的には睦まじい婚約者同士として振る舞うこと』という一文もしっかり記載されている。


(まあ、李家の婚約者として守ってもらうんだもの。それくらい当然の義務よね……)


 しかし、凛は条文の最後に書かれた『追加条項』に目を留め、思わず二度見した。


「あの……。この、『一日に最低一回、互いに抱擁ハグを交わすこと』というのは……?」

「そのままの意味だ」


 鳳龍は至極真面目な顔で、淡々と説明する。


「互いの『対印ついいん』のエネルギーを効率よく循環させるためだ。手をつなぐだけでは不十分だと判断した。阿凛の発熱を抑え、俺の冷気を放出するには、一定面積以上の身体接触スキンシップが不可欠だ」

「でも……例えば、手をつなぐとかじゃ駄目なんですか……!?」

「駄目だ。不足だ」


 きっぱりと断言される。

 ちらりと鳳龍に目をやると、今日はラフな服装にリラックスした雰囲気だ。

 白いコットンシャツからのぞく腕は細いのに逞しく見える。

 あの腕に抱きしめられると思うと……。

 想像するだけで、凛の顔が熟した林檎のように真っ赤に染まる。


(は、ハグって……毎日!? 契約とはいえ、そんなの心臓が持たないわよ……!)


「さあ、サインを」

「…………」 


 結局、鳳龍の真摯(かつ強引)な説得に押し切られ、凛はその契約書にサインをした。


「書いたな?」

「……はい」

「じゃあ、来い」

「え……? わっ」

 

 ひょいと身体を持ち上げられ、凛の顔にさっと血が上る。


「な、ちょっと……!」

「今日の分のハグがまだだろう? もう契約は締結されたんだからな」 

「だからって、これじゃ子供みたいじゃないですか! 降ろしてください!」


 怯む凛に、鳳龍は悪戯っぽく微笑む。


「そうだな。なら、俺の名を呼べたら降ろしてやってもいいが?」

「え……っ」


 急激に羞恥心が跳ね上がる。

 目の前の美しい顔から視線を逸らすように、凛は上ずった声を絞り出した。


「李……様」

「それじゃ駄目だ。名前で呼べ」

「……鳳、龍……様?」

「様はいらん。呼び捨てでいい」

「そんなの……っ」


(そんなこと言われても……。聡様のことだって、一度だって呼び捨てになんてしたことなかったし……)


「呼べたら降ろしてやる」


 耳元で囁かれ、凛は観念してぎゅっと目を瞑った。


「フォン……ロン……」

「よくできました」


 満足そうにとびきりの笑顔を見せられ、胸がどきりと跳ねる。


「もう降ろしてください……」

「まだだ。ついでに、阿凛が敬語をやめたら降ろしてやる」

「なっ……! ずるい! 一気にそんなの無理です!」

「俺たちは同い年だろう? 無理ってことはないはずだ」 

「〜〜〜〜っ!!!」


 こんなふうにじゃれ合っている間も、凛の左腕のアザは終始穏やかだった。

 長年苦しめられてきた熱は影を潜めて、体調も気分も晴れやかだ。

 もしかしたら、鳳龍も同じなのかもしれない。

 凛を見つめる優しい瞳を見ながら、そんなふうに思った。


 やっと降ろしてもらってから、ふと、凛は先ほどの契約書の条項を思い出して顔を上げた。


「あの……。対外的には婚約者として振る舞うってありましたけど、とりあえず学園では秘密にしてもらえませんか?」

「なぜだ? 堂々と俺の手を取ったらいいだろう」 


 鳳龍の言葉に、凛は千切れんばかりに首を振る。


 聡に婚約破棄されたばかりで、ただでさえ目立つ凛である。

 それが学園一の有名人の李鳳龍と婚約したなどと知れ渡ったら、大騒ぎになってしまうのは目に見えている。


「お願いします……」

「……分かった。取り急ぎは、学園の上層部に伝えるだけにしよう」 


 凛の切実なお願いにより、渋々ながら了承してくれる。


「阿凛、こちらへ」


 鳳龍に促され、リビングの奥の部屋へと移動する。


 そこは鳳龍の書斎だった。

 壁一面に古い和漢の書籍や陰陽道の道具が整然と並んでいる。

 鳳龍はデスクの引き出しから、小さな桐箱を取り出した。 


「……お前は花石家で霊符を書いていたと言ったな?」

「ええ。でも、もう……」

「これを使え」


 差し出された箱を開けた瞬間、凛は絶句した。

 中に納められていたのは——赤天尾の筆だった。


「……え……? うそ……これ、お祖母様の……!?」


 静江に燃やされてしまったはずだった。

 けれど、煤などどこにも残っていない。

 軸の傷は完璧に修復され、繊細な穂先はまるで新品のようにしなやかな毛並みを誇っている。


 それに、古びていた筆全体に、ほのかな霊気が宿っていた。


(この霊気は……。鳳龍の?)


「李家の修復術なら造作もない。……ただ、完全に元通りというわけにはいかなくてな。俺の霊力で補強したから、オリジナルとは少し感覚が違うかもしれない」


 申し訳なさそうに、ふっと眉を寄せる鳳龍。

 お祖母様の形見を大事に思う凛の気持ちを汲んでくれているのだ。

 その繊細な気遣いが伝わってきて、凛の胸がいっぱいになる。


「ううん、全然……! すごく綺麗にしてくれたんですね」


 涙が溢れそうになるのを堪えながら、凛は筆をぎゅっと胸に抱きしめた。


「……ありがとう……!」

「礼などいい。それより、書き心地を試してみてくれ」


 正面の木製デスクの上には、硯と札が用意されていた。

 感極まっていた凛だったが、折角なので使ってみることにする。


 勧められるままに椅子に腰掛けると、筆を握り締めた。

 手にしっくりとなじむ。

 お祖母様と過ごした温もりが、指先から蘇ってくるようだった。



 ふっと、凛の雰囲気が変わった。


 これまでは実家の離れで、誰もいない真夜中に一人作業していた。

 誰の目にも触れることのなかった凛の霊力がゆらりと立ち上がる。


(……私の霊力を、この筆を通して紙に写し出す……)


 滑らかな手つきで筆先が紙を走る。

 迷いのない繊細かつ大胆な筆遣い。


 凛が集中を深めるにつれ、室内の空気が一変した。

 凛を中心に、仄赤く、温かな霊力の渦が巻き起こる。


(なぜかしら。霊力が安定している……? アザも熱くならないし。直してもらった筆が良かったのかしら……)


 ほんのりと熱く、けれどどこまでも心地よい温もりが体内を駆け巡り、筆先へと流れ込んでいく。

 

 ——さっ。

 最後の跳ねを終え、凛がふうっと静かに息を吐く。

 そこに完成したのは、圧倒的な霊気を放つ一枚の霊符。


「できた……。あの、どうしたんですか……?」


 凛が顔を上げると、そこには目を丸くしたまま固まっている鳳龍の姿があった。


「……信じられん。これほどの精度と霊力を秘めた符を書けるとは……」


 筆の勢い、霊気の収束率、そして芸術品のような美しさ。

 どれをとっても一流の霊符師と名乗るに相応しい。


「ありがとう……ございます。私も、今日はいつもより良い出来だと思います」


 ふふっ、と照れくさそうに微笑む凛。

 彼女自身は「うまく書けた」程度に思っているようだが、鳳龍の瞳には冷静な光が宿っていた。


(このレベルの符を易々と生み出す才能を、あいつらは追い出したというのか……?)


 一目見ただけで、凛の霊符は別格だった。

 威力も相当なものだろう。

 これほどの精度の符を書ける人間など、学園はおろか、日本の陰陽界全体を探しても早々いるものではない。

 花石家が何を考えて彼女を追放したのかは知らないが、自ら「真の宝」を投げ捨てたことだけは確かだ。


「……阿凛。お前は何も気にする必要はない。失ったのは、あいつらのほうだ」

「え……?」

「なんでもない」


 不思議そうに首をかしげる凛の髪を、鳳龍は優しく撫でた。


 その口元には、どこか皮肉めいた笑みが浮かんでいた。


(阿凛の真の価値も理解できず、眼前の宝をドブに捨てた愚か者どもだ。……遠からず、己の犯した過ちに気づくだろう)



お読みいただきありがとうございます。

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