第十五話:龍脈の真実
学園に到着した鳳龍と翔宇は、車から降りた途端息をのんだ。
「天呀(マジかよ)! 小爺、あれを見ろよ!」
旧校舎の方角から、天を突くような禍々しい邪気が渦巻いているではないか。
「くそっ……阿凛……っ!」
焦燥に駆られながら旧校舎へ向かおうとしたその時——転がるようにして二人の生徒が逃げ出してきた。
着衣は土埃で汚れ、恐怖で顔を引き攣らせた彩香と聡だった。
教師や生徒たちが固まっている場所まで辿り着くと、へなへなとへたり込むのが見えた。
「ひ、酷い目に遭ったわ……! あっ……!! 鳳龍様!!」
鳳龍の姿を認めるや否や、彩香の瞳がたちまち計算高く光った。
周囲の気遣いを跳ね除け、涙を浮かべて鳳龍の方に駆け寄ってきた。
「鳳龍様……っ! 助けてください! お姉様が私を酷い目に遭わせたんです!! そこの聡様と共謀して……っ!」
「……何だと?」
「お姉様と聡様が二人で地下書庫の禁忌の封印を解いたんです! 私は止めようとしたのに……!! 二人で妖魔を私に差し向けて、自分たちだけ助かろうと……っ!」
突然の濡れ衣に聡が目を見開いた。
「はぁっ……!? あ、彩香、何を言って——」
「お黙りになって、聡様! 聡様がそんな酷い方だとは知りませんでした! かくなる上は、ご自分の罪を認めて償ってくださいまし! そして、この私は鳳龍様と……。ね?」
自分を悲劇のヒロインに仕立て上げ、凛にすべての罪を擦り付けようとする彩香。
だが、鳳龍の瞳は冷ややかだった。
「……愚かな。この俺がそんな嘘に騙されるとでも?」
鳳龍が静かに右手をかざすと、凍りつくような冷気が集中する。
両指で印を結び、鋭い眼光で彩香を睨みつける。
「風雲変幻、天地帰位——急急如律令! 真言・吐真術!」
青い光の霊気が彩香の全身を縛り上げた。
思考を麻痺させ、嘘をつくための理性を力ずくで奪い去る陰陽術。
絶大な霊圧に押され、彩香の瞳から正気が失われ、焦点が定まらなくなる。
「う……あ……っ!?」
「問いに答えろ。一体何があった?」
氷のように冷たい鳳龍の声に引きずられるように、彩香の口が勝手に動き始めた。
「わ、私は……っ、お姉様を痛い目に遭わせたくて……っ! 聡様と一緒に地下書庫へ行ったの! 古の禁書の力を手に入れようと……っ! そこに秘伝の術式があるはずで……!! そしたら妖魔が出てきて……っ!」
「彩香……!?」
「お姉様が助けに来て結界を張ってくれたけど……っ! そのまま妖魔に攫われちゃった……! 怖くて……見捨てて聡様と逃げてきたのよぉぉっ!!」
術の力で本音をすべてぶちまけ、彩香はその場に泣き崩れた。
隣の聡も、己の浅はかさと罪悪感に顔を歪めて
震えている。
「……阿凛が、お前たちを助けるために妖魔に攫われたということか?」
鳳龍の全身から、旧校舎の邪気をも凌駕するほどの凄まじい殺気が噴き出した。
「翔宇! この二人を拘束しておけ」
「承知。……胸糞悪い奴らだな、おい」
翔宇に二人の処置を委ねると、鳳龍は一刻の猶予もないとばかりに、旧校舎へ向けて駆け出した——。
◇
旧校舎の図書室の吹き抜けを突き破り、崩壊しかかる屋上に躍り出た巨大な影の獣。
赤黒い邪気が天に向けて噴き上がる。
「くっ……離し、て……っ!」
太い触手に胴体を巻き取られ、宙に吊るされた凛は必死に息を吐き出す。
四つ足の巨獣は狂ったように咆哮を上げている。
だが、凛を見下ろしたその血走った眼光に、凛はハッと息を飲んだ。
(……悲しそう……? どうして……)
禍々しい姿でありながら、その瞳の奥には、耐えがたい苦痛と深い悲しみが揺らめいている――そんな気がしたのだ。
『……フハハハ、これは滑稽よな! 龍脈の守護者たる神獣が、邪気に狂わされ……対印の主を噛み砕かんばかりではないか!』
(——!? この声は……?)
どこからか、異質な「声」が聞こえてきた。
嘲るような声は、まるで脳裏に直接響くかのようで、どこから聞こえてくるのか定かではない。
目の前の巨獣の声ではない。
凜は知らなかったが、これこそ彩香達を唆した不気味な声の主であった。
(龍脈の守護者たる……神獣!? ってことは、この獣は妖魔じゃないってこと……?)
『喰らえ、殺せ! 引き裂かれた対印の半身など、ここで潰えてしまえばよいわ!!』
声に操られた巨獣が苦悶の声を上げ、凛へ向かって巨大な顎を開く。
絶体絶命——その時だった。
青空を切り裂き、数十羽の青い光を纏った式神——鳳龍が召喚した烏の群れが頭上から疾走してきた。
バチバチと弾ける青白い雷光が巨獣の触手へ炸裂する。
グオオオ……!!!
獣のうめき声とともに触手が解け、凛の身体が宙に放り出された。
「きゃあっ!?」
間一髪、式神の数羽が凛の身体を受け止める。
屋上のコンクリートの上へとそっと降ろされ、凛は大きく息を吐いた。
ひとまず助かった——そう思った瞬間だった。
(あっ……!? 熱い……っ!!)
凛の左腕——赤い龍のアザが、焼けつくような熱を帯びて激しく脈打ち始めた。
皮膚を内側から焼き切られるような激痛。
かつてない苦しさに、凛は思わず跪いた。
そこへ、巨獣が式神の烏達を追い払い、再び牙を剥いた。
(くっ……避けられない……!!)
身をよじっても力が入らない。
もう、駄目だ——。
『死ねぇぇ、対印の主よ!!』
狂乱した巨獣が動けない凛へ襲いかかる。
巨大な牙が眼前に迫る。
激痛と恐怖で意識が遠のきかける中、凛の脳裏に浮かんだのは、ただ一人の姿だった。
(鳳龍……っ!! 助けて!)
心の中でその名を叫んだ、次の瞬間——。
「——俺の婚約者に手を出すとは、命知らずもいいところだな」
屋上の空気が凍りついた。
散乱する瓦礫を踏みしめ、現れた人影。
「妖魔よ、教えてやろう。李家の調伏の術を」
右腕の龍のアザが煌めきを放ち、青い霊気が吹き荒れた。
一瞬にして分厚い氷の壁が顕現し、迫り来る巨獣の牙を遮断する。
「鳳……龍……っ」
氷の破片がキラキラと舞い散る中、美しい双眸を怒りに燃やした鳳龍が歩み寄ってくる——。
◇
「阿凛!」
「鳳……龍……っ、腕が、あつ……っ」
鳳龍が凛のもとへ辿り着いた時には、その左腕の赤いアザはまるで炎のように脈動していた。
呼吸を荒らげ、身をよじって激痛に耐える凛。
鳳龍は凛の華奢な手を強く握り締め、己の右手に宿る青き霊気を流し込んだ。
——シュウウウッ……!
「あうっ……」
肌が触れ合った瞬間、清涼な水原に飛び込んだような感覚が広がる。
すぐに、嘘のように激痛が引いていく。
「くっ……」
鳳龍も片眉をわずかに寄せた。
冷気を送ると同時に、凛の手から温かな気が流れ込んできたからだ。
右腕を苛んでいた冷気から一気に解放される。
「すまない、遅れてしまった」
「ううん……そんなこと、全然……っ! 来てくれて、ありがとう」
安堵と共に、糸が切れたように鳳龍の胸に額を預ける。
(来てくれた)
涙が溢れそうになるのを必死で堪える。
まだ、今は泣いている暇などない。
崩れそうになる肉体と精神を無理やり立て直す。
「私は……大丈夫……!」
戦いの最中に、背中に庇われるだけの存在ではいたくない。
感動の再会に浸る間もなく、凛はすぐに自分の足でしっかりと立ち直る。
鳳龍は名残惜しそうな笑みを浮かべると、その横に並んだ。
二人に対峙するのは牙を氷に弾かれた異形の獣。
威嚇するような低い唸り声を上げ、こちらの出方を注視しているようだ。
だが、鳳龍はその異質な気に違和感を覚えていた。
「……こいつは? ただの妖魔……ではない……?」
「鳳龍、この獣は妖魔じゃないらしいの」
凛は情報を簡潔かつ分かりやすくまとめて伝えた。
「さっき、どこからか変な声が聞こえたの。『龍脈の守護者たる神獣』って言っていたわ。もしかしたら邪気で我を忘れているだけなのかもしれない」
言いながら、凛は以前図書室で不思議な気配を感じたことを思い出していた。
——あの気配の正体は、きっとこの獣だったのだ。
「龍脈の守護者だと……?」
鳳龍の思考が高速で回転する。
日本各地で観測されている龍脈の異常な活性化。
そして、学園の地下に封印されていた守護獣の暴走。
二つが繋がった、まさにその時だった。
『……クックック! 流石は李家の次期当主、察しが良いことだ!』
脳裏に直接響き渡る、嘲るような不気味な「声」。
鳳龍と凛は鋭く周囲を警戒した。
『左様。その惨めな獣こそ、元はこの地の龍脈を鎮めし神聖なる守護獣! 永き時を掛け、少しずつ邪気で狂わせたのは……この我ぞ! フハハハ……! 折り良く欲に眩んだ愚かな人間共が、穢れし血を捧げてくれたのだ!!』
「姿を現せ……! 誰だ、お前は!」
『姿など見せるものか、忌々しい対印の主らめ。それに、これは真の大災へ至る、ほんの手始めに過ぎぬ。これから起こる、巨大な災いのな!』
「巨大な、災い……? なぜ対印を目の敵にするの?」
凛の困惑を愉しむように声は続ける。
『何も知らぬ虚け者共め。その様子では、なぜ二つの印が引き裂かれたのかも解っておらぬようだな』
「それは……」
凛と鳳龍は顔を見合わせた。
なぜ日本で赤き印が『凶印』と嫌われてきたのか、その理由は不明のままだった。
『敵が無知過ぎるのも張り合いが無い——教えてやろう、対印の真実を。——鏡花水月・幻夢の映影!』
瞬間、二人の視界が歪みとともに反転した。
屋上の風景が消え去り、目の前に広がったのは——千年前、平安の都。
空を覆う巨大な龍脈の渦と、それに対峙する大勢の陰陽師たちの姿だった。
『見よ! かつて天の気を留める『青』と、地の気を鎮める『赤』は一つであり、この国を護る絶対の力であった! ……だが、当時の愚かな人間共はその強大すぎる神の力を恐れたのだ!』
幻影の中で、陰陽師たちが巨大な大結界を敷き、赤と青の光を力ずくで引き裂く光景が映し出される。
『阿呆共は「対印の主を分断すれば力は弱まる」と企み、赤き印を日本に、青き血筋を海の外へ追いやった! さらにそれを隠蔽するため、遺された赤き印を「災いをもたらす凶印」として語り継がせたのだ!!』
赤き印を持つ幼い少女が「忌み子」として暗い蔵に閉じ込められる幻影が、凛の脳裏を駆け抜ける。
「っ……!」
『ハハハ! 己で己の首を絞める愚行。滑稽にも程があるわ!!』
幻影が弾けて消え、二人の意識が現実の屋上へと引き戻される。
凛は左腕の赤き印を見つめた。
自分が「忌み子」として蔑まれてきた過去——その全てが、保身に走った太古の陰陽師たちが吐いた「嘘」だったのだ。
『宿世の理を超えて惹かれ合う半身よ! お前達は出会ってはならぬ存在だったのだ!!』
声の波長に煽られ、黒煙を纏った神獣が悲鳴のような咆哮を上げて襲いかかってくる。
だが——凛と鳳龍はお互いの手を力強く握り締めた。
「昔の陰陽師が何を恐れようが、この国がどんな嘘を騙ろうが関係ない。俺たちが出会った事実こそが重畳」
「過去の経緯は理解したわ。けれど、過去がどうであれ、今ここにいるのは私と鳳龍。未来だって、いくらでも変えていける!」
誰に教えられずとも、印がどうすれば良いかを導いてくれる。
呼応するように、凛の左腕の赤き印と、鳳龍の右腕の青き印が光を放ち始めた。
二人は向き合った。
指を絡め、アザとアザを重ねるように密着させる。
「阿凛、俺に霊力を預けろ。この神獣を邪気から解き放つぞ!」
「……はいっ!!」
視線を合わせながら、二人はそれぞれの呪を叫んだ。
「風雲変幻、天地帰位——急急如律令!!」
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! 急々如律令!」
二人の声が重なった瞬間、赤い熱と青い冷気が激しく融合し、天を突く巨大な光の柱となった。
それは、天に向けて咆哮を上げる光の龍。
鎮静と浄化を司る、白銀の霊気の顕現。
二人の放った破邪の龍がうねり、黒煙の巨獣を真っ直ぐに包み込む。
光の中で邪気が急速に削ぎ落とされ、苦痛に満ちた咆哮が、やがて穏やかな鳴き声へと変わっていく。
眩い浄化の光が屋上全体に広がり、不気味な声の主は叫び声を上げ、その気配を完全に掻き消していった——。
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