第十四話:留学の理由※鳳龍視点
鳳龍と翔宇の会話は広東語で話しているとイメージいただければ幸いです。
同じ頃、都内某所の高層ビル内にある李家のオフィス——。
香港の陰陽師の大家として知られる李家は、その表の顔として不動産・投資ファンド・貿易を牛耳る巨大コンツェルン、李氏グループを経営している。
鳳龍がいるのは、その日本法人支社の応接室である。
法人代表を務めるのは一族の幹部だが、次期当主たる鳳龍こそが最高意思決定者だった。
「……なぁ、鳳龍。なんで凛ちゃんには日本に来た本当の理由を話さないんだ?」
革張りソファの向かいから、翔宇が尋ねてくる。
幼馴染モードに入るときは、「小爺(若様)」ではなく「鳳龍」と呼びかけてくるのが常だった。
「……龍脈のことか?」
「ああ。そりゃあ、龍脈は李家と香港陰陽省の重大な機密だけどさ。凛ちゃんはお前の婚約者だろ? 話しといたほうがいいんじゃないのか?」
鳳龍は背もたれに体を預けたまま、静かに視線を投げ返した。
以前、凛に尋ねられた時には言葉を濁してしまったが、日本へ来た理由は、対印の伝承を追い求めてのことだけではなかった。
もう一つの大きな理由。
それは、日本各地で観測され始めた『龍脈』の異常な活性化の調査である。
日本には地の精と繋がる龍脈、香港には天の精と繋がる風脈がある。
日本では土御門省、香港では陰陽省が定期的に巡回し、歪みを感知・補正することで土地の平安を保っているのだ。
万一、霊脈節——いわゆる龍穴に歪みが生じれば、過剰な邪気が噴き出してしまう。
そのため各省とも、強大な陰陽術を用いて霊気を鎮める役割を果たしている。
龍脈や風脈の鎮静には途方もない量の霊力が必要となるため、絶大な霊力を有する鳳龍が、土御門省への調査協力という名目で派遣されたのだ。
「……龍脈の異変なぞ一族の裏事情だ。わざわざ話す必要もない」
「そんなこと言っちゃってさ〜。凛ちゃんを危険に巻き込みたくなかっただけじゃない? なんせ、ずっと追い求めてきた対印の持ち主なんだから」
「……余計な口を挟むな」
「なんでさ?」
鳳龍は苦虫を噛み潰したような顔でそっぽを向いた。
翔宇には、凛との婚約が『契約』によるものだとは打ち明けていない。
香港で半ばおとぎ話として扱われていた対印の伝承。
生まれつき人並み外れた冷気を制御できず苦しんでいた鳳龍にとって、東の島国にいるという「赤き印を持つ対」を探すことは、幼い頃からの切実な執着だった。
日本行きが決まった瞬間から胸騒ぎがし、体内の冷気が何かに応えるように脈打っていた。
(……引き寄せられたのだ。俺の青き印が、阿凛を求めて……)
花石家の離れに『赤き印』を持つ者がいると、式神が突き止めた、まさに次の日。
旧校舎の図書室でうずくまる凛を見つけたのだ。
あの時触れ合った瞬間の衝撃は一生忘れられない。
長年自分を苛んでいた冷気が嘘のように鎮まり、探し続けていた「対」が目の前に現れたと確信した。
学園の生徒だと分かれば、素性を調べるのは造作もない。
もともとの予定では、対印の相手を見つけたら、冷気を抑えるためのビジネス的な協力関係だけを結び、そばに置くはずだった。
だからこそ、実家から追放されて困っていた凛を保護し、契約としての婚約を交わした。
凛がそばにいるようになってから、霊気の調子はすこぶる良い。
それで完結するはずだったのだ。
(だが……計算が狂った)
図書室で一目見たその瞬間から、すでに惹かれていた。
冷気を和らげるためなどという大義名分を盾にして、日々の抱擁を強引に『契約条件』へとねじ込んだのは、純粋に彼女に触れていたかったからに他ならない。
けれど、一緒に過ごすうちに、凛への感情はとどまることを知らなくなっていた。
凛は驚くほど頭の回転が速く、冷静に現状を見極める力を持っている。
実家に表立って反抗してこなかったのも、決して気弱だからではなく、無益な争いや面倒事を避けるための強かさからだ。
冷徹に損得を計算できるそのサバサバとした佇まいは、どこか香港の商人を思わせる頼もしさすらあった。
それでいて、触れ合おうとすると途端に初心な反応を見せる。
それがたまらなく愛おしく、ついついちょっかいを出したくなってしまうのだ。
常に冷静なはずの心が、凛といる時だけは掻き乱される。
最初は「対印」があるから執着しているのだと思っていた。
だが、知れば知るほど、触れ合えば触れ合うほど、鳳龍は凛という一人の少女そのものに惹かれているのだと知った。
だからこそ——出会いを「対印の引き合わせだから」「冷気を抑える相手だから」なんて理由で割り切りたくなくなっていたのだ。
そんな宿命に関係なく、一人の男として凛自身に惹かれているのだから。
(それに……対印の謎も残っている)
鳳龍は凛と出会った後、すぐさま本国の術者たちに対印の伝承の再調査を命じていた。
香港において龍のアザは吉兆とされるが、この日本では逆に「凶印」として忌み嫌われている。
なぜ対なのか、二つ揃うとどうなるのか——おとぎ話の域を出ない真相には、まだ知られていない『伝承の続き』があるのではないかと考えたからだ。
(対印の真実……。もしかして、今回の龍脈の異常とも関係しているのか……?)
思索に沈む鳳龍の様子を見て、翔宇は意地悪くニヤリと口元を緩めた。
「ふ〜ん? 本当の理由を話して、李家の役目が重い〜なんて思われるのが嫌なだけでしょ〜? でも、凛ちゃんはそんな子じゃないと思うけど?」
「……フン」
不機嫌に鼻を鳴らして窓の外へ顔を背けた——まさに、その時だった。
——ドクンッ……!!
「ッ……!?」
「鳳龍……!? どうした!?」
右腕のアザが猛烈な冷気を帯びて拍動した。
皮膚が焼き切れるような激痛と、全身を駆け巡る不吉で冷たい胸騒ぎ。
ただの予感ではない。
我が身が引き裂かれるような強烈な共鳴——凛の身に迫る絶体絶命の危機を告げる、対印の叫びだった。
(阿凛の身に……何かが起きている……!)
「翔宇、車を出せ! 今すぐ学園へ行く!」
「えっ……!? これから本国との重役会議だけど——」
「後回しにしろ!! ……阿凛に何かが起きている!」
鳳龍は書類を投げ打つと、素早く両手で複雑な印を結んだ。
「風雲変幻、天地帰位——急急如律令! 召喚、式神——花石凛を守れ!!」
鳳龍の呼びかけに応じ、青い光を放つ霊体の烏が数十羽、室内で一斉に羽ばたいた。
実体を持たぬ式神たちは、高層ビルの分厚いガラス窓をすり抜け、雲を切り裂くような速度で学園の方角へと急降下していく。
先行して凛の盾とさせるためだ。
「行くぞ!」
返事も待たず、鳳龍は茫然とする翔宇を従えて応接室を飛び出した。
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