第九章「安息日」 ー暑秋ー
「北海道では、凍らないように冷蔵庫に入れるんだってさ」
目の前を通り過ぎる若い夫婦。ベビー・カーを押す亭主が、右の傍らを歩く連れあいに話しかけている。
10月になったというのに、まだまだ暑い日が続いていた。そんなこの季節に、何でそんな話題だったのかは知らないが…二人の会話の、そこの部分だけが耳に入る。
天気が悪い日は、体調も下り坂の日が多いものの…「自律神経失調症」のクスリが効いてきたのか? ここのところ、容態は安定しており…特に今日は、朝から穏やかな一日。
(先日、亭主が「うつ」になったというストーリーの邦画を観る機会があったが…そこで主人公が服用しているのと同じクスリを飲んでいる。また、天気やミルクの話など、共通する項目が多い事にも驚かされた)。
そこで午後の時間、往復5キロくらいだろうか? トータルで一時間半ほどかかる距離を歩いて、広大な敷地に造られたショッピング・モールに来ていた。
『こんなところに、こんなものができるなんて』
この10年ほどの間に、高速道路のインターができ、これほど大規模に開発されるなんて…30年以前の昔を知っている人間からすれば、そんな感慨ともつかない思いが浮かんだものだ。
(もっとも、「何があった?」と尋ねられて答えられるような場所でもなく、ただ田んぼと畑、それに雑木林が広がっているような土地だった)。
そこに建つ大規模店舗。
(かつては、市内の中心部にはあるものの、二流だったデパートだが…「栄枯盛衰は世のならえ」。一等地にあった老舗が消滅してしまったのとは裏腹に、郊外型の波に上手く乗り、大躍進を遂げた)。
その中に入っている書店で、お目当ての雑誌を買い、通路に沿って並んだベンチに腰掛けていたのだが…。
「北海道では、凍らないように冷蔵庫に入れるんだってさ」
聞き飽きたような話題だ。冬に氷点下まで気温が下がる北国では、凍らないように冷蔵庫を使うという話だろう。自分も、初めてそんな事を知ったのは、あの年代の頃だったか? 「時代は繰り返す」と言うが、テレビのワイドショーなどで取り上げられる内容も、物によっては、もう「二番煎じ」どころではない。10年・15年の時を経て、三巡目・四巡目を迎える年齢に達したわけだが…なんといっても、「なってみないとわからない」ものの最たるものは「老化」だろう。
(理屈ではわかっていても、実感するのは難しい)。
たとえば体力。30代までは、運動不足なのかどうか、わからないところもあったが…走り込みをして『ホノルル・マラソン』に参加した30代後半の頃は、自分の足で走る事に関しては、生涯もっとも速く走れた時期だった。
(毎日6キロ以上走らなくては気が済まなくなると、もうすっかり「エンドルフィン中毒」。「ランナーズ・ハイ」や「クライマーズ・ハイ」などの「ナチュラル・ハイ」の引き金ともなり、「臨死体験」とも関係していると想像している、恍惚感をもたらす脳内物質『ベーター・エンドルフィン』。ここまでくれば、どのくらいのタイムで走れるかはともかく、フル・マラソン完走も夢ではない。毎日10キロのジョギングをしていたあの頃は、背中にまで回った脇腹の肉も、きれいに落ちたものだ)。
「男の大厄」とされる42の年には、『四国お遍路八十八か所』徒歩あるきの旅に出るなど、まだまだ元気だったが…。
(「八十八か所」が定められたのは後世になってからのようだが、お大師さまが遍路の旅に出たのも、42の時とされる)。
変化の年は翌年。「年の差婚」という言葉が、まだ耳慣れない時期。「同行二人」の四国の旅先で出会った、17歳年下の女性と二度目の結婚をし、子供を設けた頃だ。育児疲れもあったのかもしれないが、43の夏に、急にガックリ来た。
(結婚していても、子供のいない夫婦は、見た目からして若かったりするものだ。子育ては…男女ともに…老け込むほどに重労働なのだろう。「子育てと子作りの行為は、まず体力」という自説の理に、かなってはいる)。
それ以来…多少の個人差はあるのだろうが…「厄年」というのは、運命的にどうこうではなく、身体の変化点・肉体的な変わり目の年齢なのだろうと思うようになった)。
そして、ましてや齢50にもなれば、肉体の衰えは明白だ。
(本当は、食欲はそのままに、運動量を増やしてダイエットしたいのだが…消化処理能力までをも含めた肉体の衰えが、それを不可能にしている)。
『高等生物が、ナゼ老化するのか?』
「記憶や経験を蓄積して、後代に伝えるためだ」という説がある。
『なるほど!』
たとえば単細胞生物「アメーバ」は、自分のコピーを作るだけで、同じ事の繰り返し。いっこうに進歩・発展しないという。
(もし、その説が正しいのなら…精力にはあふれているが、無知で未熟な若い遺伝子より、知識も経験も豊富な老いたDNAの方に、分があるという事にならないだろうか?)。
しかし…。
『老化や病気、ましてや痴呆など、弱ってから死ぬくらいなら、やはりいっそ五体満足、元気な時に「花と散る」ほうが、マシな生き方なのではないだろうか?』
若い頃は『ニッポン男児、大義名分があれば死ねる』と思っていたものだ。
(元気で体力がありあまっているような人間ほど、登山やモーター・スポーツなど、危険なものに心魅かれるのはナゼだろう? 「危ないくらいじゃないと、本気になれない。ドキドキするくらいじゃないと、生きてる気がしない」。きっと、あふれる生命力が、そうさせるのだ)。
「子供の頃は病弱で…」などと述懐する人の方が、養生して暮らして来るせいか、かえって長生きするものだ。
(健康のためにするのが「運動」で、身体を壊すためにやるのが「スポーツ」…と、常々語っている。たとえば歯だ。プロ野球のスカウト・マンは、男子の遺伝的要素に多くの影響を与える母親の、歯の状態までをも調べると言うが…「ふんばり系」のスポーツなんてやっていたおかげで、「部分入れ歯」使用者。なにしろあの頃は、虫歯の治療をしても、一年もしないうちに詰め物が取れてしまい、そのまま1~2か月も放置すれば、もう抜くしかないほどにボロボロに…それで奥歯の数本が欠けてしまったわけだ)。
「ブスはもっとブスになる」なんて語る奴もいるが、「醜女や醜男は、歳を取っても醜女と不細工」だ。それよりも、「劣化した美男子や美女」の方がつらいと思うのだが…。
(たとえば、北方系の美男・美女だ)。
それに老化の程度には個人差があって、誰がいつ・どのくらい老け込むかは、事前にはわかりにくいもの。
(たとえば、長寿映画作品の白人と黒人の刑事コンビ。「白色人種」は概して、「黒色人種」や「黄色人種」より時間の経過が早いようだ)。
『生きて醜態を晒すくらいなら、「太く短く」のほうが、どれほどマシな事か』
だが、まだ若かった頃の方が、かえって「死後の世界」や「生まれ変わり」に興味があったのも事実。そういったものや「神」や「宗教」は、人間が「死の恐怖」から逃れるために創り上げたものだともいう。
「死後の世界は、こちらの世界と変わらない」
そんなふうに語る人もいるが…もしそうなら、向こうにもクダラナイ人付き合いがあるのだろうか? だったら「イジメ」や「借金苦」での自殺なんて、まったく無駄になるし、そういった人達は、さらにつらい思いをする事になるだろう。ナゼなら、すでに死んでいるのだから、もう「逃げ場なし」という事になるからだ。
(「水木しげる」氏のマンガにて、「不老不死」の身体を手に入れた男の話を読んだ事がある。トラブルに巻き込まれて、バラバラに切り刻まれてしまうのだが「不老不死」。痛みはそのままに、永遠に存在し続けなければならないというオチだった)。
それに…。
『もし本当に生まれ変わりがあったとしたら、過去世の記憶が無いのはナゼ?』
(「前世の事を憶えている」と言う人もいるらしいが…生まれ変わる時に、記憶を消すスープを飲むという話があり、飲むか飲まないかは本人次第らしい)。
最近になって気が付いたが…案外、答えは簡単だった。考えてもみれば、もっともな話だ。素晴らしい人生の繰り返しならともかく…先にも述べたが「人類の歴史は闘争の歴史」。強盗・殺人とまではいかなくとも、男なら一度くらい戦争に従軍して、人を殺した事があったり、あるいは殺された恐怖の体験があるだろうし…女性だって、女性ならではの憶えていたくない記憶があるやもしれない。「過去は消せない」とはよく言うが、生まれ変わってまでもそんな記憶を引きずっていたら、それこそ『無間地獄』だ。ゆえに、「生まれ変わり」なんてものも、この歳になると「お断り!」。それでなくとも、もう一度数十年に渡って同じ苦労・同じ過程を繰り返すと思うと、「もうたくさん」という気分になる。
どちらにしろ、どんなスーパー・スターも老化は避けられないし、とある高名な預言者やベニクラゲなど、一部の例外を除いて、地球上の生物の死亡率は100パーセント。
(「預言者」というのは『主』の声を届ける者で、未来を言い当てる「予言者」とは区別されるもの。また、最近話題の「ベニクラゲ」という水母は、老化と若返りを繰り返すそうで、「誕生した五億年前から生き続けている個体がいるのでは」と言われているそうだ)。
ならば、死ぬのがわかっているのに、生命を世に出すなんて…子供たちには、悪い事をしたのだろうか?
(『遺伝子優先論』…「遺伝子が、自分を存続させるために生物をクリエイトした」という説に基づけば、「英雄的行為」の理由も簡単に説明がつくそうだ)。
自分は親を恨んではいないし…両親に「生んでやった」「育ててやった」とか「親にむかって」「子供のくせに」などと言われた事は、一度も無い。きっと自分は、たまたまできてしまったのではなく、望まれて生まれてきたのだろう。それは自分の子供たちも同様で…「天命に気づき、天職に就いて」とまではいかないが…せめて「天寿」を全うしてくれたら、親としては望外の喜びだ。
(不慮の事故や、不測の事態などとは、無縁の人生であって欲しい)。
そして、なってみて初めてわかったものがある。
最近の若者の中には、病欠で会社を休んで海外旅行。でも出社は拒否。そんな話を、あきれ半分で聞いていたものだが…なってみないとわからないものは、「老化」と「うつ」。
『そんな症例もありえるわけだ』
今日は平穏な一日。
(たとえ症状が現われても、「それで死ぬようなことはない」と言われて、気分的にも楽になった)。
「安息日」気分で、『ヒマだろ?』と思われかもしれないが…プロ・スポーツ選手ではないが、今は休むのも仕事のうち。それにまだ、今日もこの後、どうなるかすらわからない。




