第八章「安堵」 ー仲秋《ちゅうじゅう》ー
『うつ病』に「ガンバレ」というのは禁句だそうだ。
気遣いの足りない体育会系の父は、冗談めかしてはいるものの「根性で乗り切れ」的な事を言って来るが…「うつ」にもなった事だし、どうやらこれでも、最先端の現代人のようだ。
(たとえば『花粉症』が騒がれるようになったのは、ここ20年ほどの事だと思うのだが…それ以前は、街中でマスクをしている大人など、活動家と、それとにらみ合った私服刑事くらいのものだった。しかし『花粉症』などというものは、ずっと以前からあったのだと思う。もちろん、程度がひどくなったので騒がれるようになったのだろうが、小学生の頃は「鼻炎」で耳鼻科に通っていたし、特に春先には、風邪だと思って薬を飲んでみたりはしたが…治るはずもない。今にして思えば、あれは『花粉症』だったのだろう。それに、特に都会育ちに「喘息持ち」が多かったように、大気汚染も今よりずっとひどかったはずだ。『光化学スモッグ』注意報が発せられれば、屋外での体育の授業が自粛されたし、どこかの国が核実験をすれば「放射能の雨が降る」などと喧伝されたり、その他、「ヘドロ」や「チクロ」に「◯◯病」の類い…などなど。「豊かさ」や「繁栄」と引き換えに、「公害」まっ盛りの時代に育ってきた)。
「ふう…」
しかし『薬が効いた』と感じられたのは初日の晩だけで、夕食前に軽い「低血糖」のような症状がでた昨晩は、いざ寝る段になって軽い症状が…。『ヤバそうな時に飲むように』と言われていた抗不安薬を飲んだものの、寝つきが悪く、今朝は軽い『偏頭痛』で体調もパッとせず。
(いつ頃からか、左眼球の奥のあたりが痛む事がある。以前は飲み過ぎの翌日だけだったものだが…最近では、良く寝たはずなのに、翌朝に出たりする事がある。困ったものだ)。
そんな本日だが…近々、母の三回忌があり、法事の後の食事会の下見と予約がてら、昼食を摂りに父と「フランス料理」の店へ。
(とは言っても、本格的な物ではなく、リーズナブルな価格のお手頃な店だ)。
母と何度か訪れた場所らしいが、その帰途、我が家に立ち寄り、礼服などの準備をしていると…たまたま目についたのが、タンスの引き出しの下に敷いた古新聞。そこに、「尖閣諸島」に中国人が上陸したとの記事。四年前なので、前回のオリンピック、「北京大会」の頃だろうが…最近の領土問題。
(中国との「尖閣問題」ばかりでなく、韓国との「竹島騒動」しかり)。
これも「オリンピック効果」だと思っている。
(四年に一度の『五輪』開催時期。そこで毎回「民族意識」が呼び覚まされ・盛り上がるのだろう)。
歴史的に見れば、いったいどこの国が、自国の領土と主張するのが正しいのだろうか?
(領有権争いで騒がないのは、「北方領土」を抱えた日本くらいのもの?)。
詳しい事を知らないので、意見を主張する事は控えているが、ずいぶん以前に読んだ日本の歴史の本によれば…なんでも、「邪馬台国」(正確には「やまとのくに」と読むそうだが)の「卑弥呼」以前の時代には、北九州・山陰地方・壱岐・対馬・朝鮮半島を舞台とする海洋民族が存在したという事だ。
(現在でも、北朝鮮から小舟を使った亡命者がいるように、筏ほどの船でも、海流に乗れば二日程度で日本に達するという)。
また、当時の平地は、雨期には川の氾濫があり、とても人の住めるような場所ではなく、海洋民族の対局として、後の修験者「山伏」などの系統につながる「山岳民族」が存在し、山から山へ、低地に下りないで移動できるルートがあったと言う。
なるほど、今でこそ多くの人々が、水田の広がる平野に住んでいる。たまに山間部などに足を運ぶと、『こんな所で、よく暮らしていけるな』などと思ってしまうが…かつて狩猟採取の生活を送っていた時代なら、豊かな里山がひかえているような場所の方が、暮らしやすかった事だろう。
(「温暖化防止」が叫ばれている昨今だが…かつての地球には、気温がもっと高かった時期もあるそうで、その頃は海面も高かったろうし、高い気温に合わせ、高地の方が過ごしやすかったに違いない。たとえば、アフリカの赤道直下、ケニヤのナイロビの街は…伝染病を媒介するおそれのある…蚊の生息限界域以上の標高にあるそうだ)。
今では冬季、雪に埋もれてしまうような土地に大規模な遺跡があるのも、当時はそのくらい北の緯度の方が温暖で、今より降雪も少なかったからだと言う。
そんな極東…「終着の国ニッポン」。
(『日ユ同祖論』がある一方で、かつて日本には「人種が違いすぎるので、イスラエルの情報機関『モサド』の諜報員はいない」と言われたが…「失われたユダヤの十支族」の末裔が、この日本に到達したであろう事は、「古代ユダヤ教」と「神道」の共通点…山伏と見まごう装束や、「契約の櫃」=神輿など…を見れば明らかだと思っている)。
そして今回の「縄張り争い」も毎度の事なのだろうから、根本的な解決にはつながらないものの、黙っていても、やがて沈静化に向かう事だろう。
(ネット上などでは、あれこれ流言飛語が飛び交っているようだが…たとえば「『関東大震災』の時。「(故郷の国から、拉致同然に連れてこられた人たちの)暴動が起きる」といった根拠の無いデマに踊らされた日本人たちが、私刑事件を起こしたそうだが…出所の不明な噂こそ、疑ってかかるべきだろう)。
個人的には、「五輪否定」と言うより、不要派だ。各競技とも、人種や民族、国家や国籍を越えた、真に才能のあるアスリートが盃を競う世界選手権があれば、それで充分だと思っている。招致に熱心なのは、経済効果を見込んでの事なのだろうが…それこそ、商業主義に走ったイベントなどに、(選手育成の助成金なども含め)公費を使わないで欲しいものだ。
(「日の丸」なんて背負う必要は、まったく無い! 「仕分け」の時のスーパー・コンピューターの話ではないが、それこそ「二位じゃだめなんですか?」という事になる。オリンピックの精神「参加する事に意義がある」というなら、モーター・スポーツに打ち込んでいる人間がそうであるように、自腹か、スポンサーなりパトロンなりを見つけて、自力でやればいい)。
だいたい四年にいっぺんなんて、印象が薄いし、特に『冷戦』終結後に、一気に噴き出した民族問題。今どき、不要に民族意識など煽らなくてもよいのではないか?
(自分たちにしたところで、「大和民族」なんて架空の種族を造り上げ…だいたい、主要な血液型が四つもあるという事は、それだけ混血が進んでいるという証拠だ…大陸顔で「愛国心」なんて説かないでもらいたい)。
かつては、『戦争を知っている人たちがいなくなれば、遺恨も消えるのではないか』と思っていたが…。
(『従軍慰安婦問題』なども、「知っている世代がいなくなれば」といった『時間引き延ばし政策』としか思えないやり方だ)。
『戦争を憶えている人たちがいなくなると、かえってまた戦争がおこるのでは?』
むしろ最近では、そんな懸念を抱くようになった。なにしろ、今までの人類の歴史を振り返ってみても、『結局、戦争はなくならないのかもしれない』と、知れば知るほど思うようになってきたからだ。
『民主主義や個人主義は、今の人類には、まだ早すぎるのでは?』
オリンピックの起源は、「戦争でなくスポーツで決着をつけよう」という精神だったはずだが…裏を返せば「四年に一度は、争わなくては気が済まない」という事だ。しょせん人間なんて、その程度の生き物なのだろう。
(「差別」や「格差」を無くすなんて、案外簡単だ。すべての「競争」を禁じて、「優劣」をつけなければいいだけだ)。
『いっそ「温暖化」が進んで海に沈んでしまえば、問題も解決する?』
(「氷山の一角」という表現がある通り、大部分が海中に没している氷山は、溶けてもほとんど影響がないようだが…3000メーターの高さに積もった「南極大陸」上の氷が全部溶けると、海面が70メーター上昇するそうだ)。
『おっといけない』
カッカすると、発作が出そうだ。
(『超人ハルク』のように、イライラや怒りは、発症の引き金になるので要注意だ。あの映画の主人公のように、腕時計型の脈拍&血圧計を装着した方が良いだろうか?)。
そうそう…世の中ちかごろ、「領土問題」や「民族紛争」などで、どこもかしこももめているが…「世界平和」を実現するための良い方法がある。それをどうやって可能にするかはともかく…。
(前に述べたように、マインド・コントロールも可能な超磁力兵器を開発する?)。
『みんながみんな全員が、「自律神経失調症」になってしまえば、事は足りるだろう』
ちなみに、「循環器内科」の検査後の診察によると、「脈が薄い」とは言われたものの…真夏にパニくった時は、オーバーワークと夏バテもあったのだろう…心臓の方は、副医院長も兼ねる内科の部長先生言わせれば「普通の不整脈」だそうで、「まあ、ひと安心」だ。




