第五章 「経過観察」ーそんなある日の昼下がりー
「ピンポ〜ン!」
そんな、ある日の昼下がり。父が、同じ市内で一人暮らしをしている伯母の家に行っている間、一人で留守番をしていると…玄関のチャイムが鳴る。
「ピンポ〜ン!」
六人兄弟の末っ子の父だが、この二月に伯母を一人亡くしており、残っているのは「昭和元年」生まれの、生涯独身の伯母と、二人になってしまった。
(実のところ伯母の誕生日は、年月日から言えば、改元前の同年「大正十五年」なのだが…そう言ってからかうと、腹を立てるので「昭和」としておく)。
『徴兵制度』や『学徒動員』などの兵役で、男子の数が著しく減少してしまった世代。
(「憲兵」だった伯父は…幸か不幸か?…決まっていた「出征」前に病死し、男兄弟だった父ですら…「一緒に湯船につかりながら、歌を歌ってくれた」…幼少の頃の、仄かな記憶しかないようだが)。
女学生だった伯母とて、学業どころではなく、「銃後の勤労奉仕」で駆り出され、『徳川幕府』以来の東の都「東京」の西部・多摩地区に所在した軍需工場に。
(『明治維新』後は、天皇陛下もお遷りになられ、正式に遷都が成されたが…「奠都」が正しい用語だ」という議論もあるようだ)。
たまたま運の良い事に、派遣先が空爆に晒される直前に帰郷して命拾い。
(我が街も、陸軍の航空基地などがあったせいか、空襲の被害に遭っている)。
「適齢期」までには結婚するのが当たり前の時代にあって未婚なのは、そんな不幸な世の中だったからだろう。
(まさに、ほぼ同じ年代の母方の長姉も、ずっと「独り身」のままだ)。
「『歴史を学ぶ』とは、どういう事か?」
後の時代になって、当時の上上から下下までの暮らしも知らないクセに、あれこれ批判する人たちに、そう問うてみたい。
(学校教育など、せいぜいのところ「(西暦)何年に、何があったか」程度だった。だが、そんなレベルでは、何の役にも立たない)。
「今・現在の常識でしか物を語れない人間など、もっての外!」
なのに…戦中派の父ですら、玉砕戦などに関して「ナゼ降参しなかったのか?」などと語る始末!
「そんな戯言が聞きたいわけではない!」
「あの頃」の事など、「忘れてしまった」とでもいうのだろうか? 後に高等学校の英語教師になった父ですら、そんなものなのだから、ましてや一般現代人の一般常識など「推して知るべし!」。
「竜馬」を「龍馬」と信じたり・『日露戦』の敵も怖れる「将軍」が「愚将」に貶めめられたり…小説などの創作を真実と勘違いし・感化されてしまった「歴史かぶれ」ほどの人間では、考えもしない事なのだろうが…現代にあっても「出稼ぎ外人さん」など…今まで未知・未接触だった人種・言語や文化・文明の人に出会えば、みな同じ顔に見え、誰が誰だか区別などつかないもの。
(全員同様に描かれる宇宙人の典型「グレイ」だって、よくよく知り合えば…「培養生物」や、「原生動物」などのように自分のコピーを作るだけの単細胞生物でもない限り…それぞれに個性や違いがある事が、わかるかもしれない)。
しかし、そんな状態では相手が何を考えているかなど、表情からだけでは、とても読み取れないに違いないし…それは、向こうにしたって同じだろう。それが、ましてや圧倒的に不利な状況下の戦場で出くわせば…「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」の『軍人勅諭』や「戦陣訓」、あるいは「武士道とは、死ぬことと見つけたり」の『葉隠』を曲解した思想を刷り込まれなくとも…また一般人だって、実際には見たこともない人たちを「鬼畜米英」などと教え込まれなくとも…どんな結末をむかえる事になるか、想像に難くない。
(「自決」をする余力も残っていないほどに疲弊していないなら、「降伏など、あり得ない!」。そんな事態だったことだろう)。
個人的には、「歴史を知る」とは、『風俗・習慣・思想までも含めた、当時の生活を理解する(までは無理だとしても、想像したイメージを持つ)こと』だと思っている。
(しかしナゼなのか? その当事者なる、戦争を体験した本人たちは…自分の身内ばかりでなく、「戦中派」の多くに共通しているようだが…その時の思い出・出来事を、断片的にしか語ってくれない。これも、まだ「プライバシー」なんて言葉の無かった頃の「告げ口・告発・チクリあい」…当時の体制側に管理された『秘密主義』という時代背景でも、あるのだろうか? それとも、嫌な経験…「黒歴史」として、封印しているのだろうか? まるで記憶から抹消し、時として、突然フラッシュ・バックしたかのように口にするくらいだ)。
そんな父だが、あの八月十五日の「玉音放送」が流れ、終戦をむかえていなければ、半年後の春には『海軍予科練習生』…通り名「予科練」行きが決まっていた。
(今の時代には、「帝国海軍」が注目され・持て囃される風潮があるが、おそらく当時の花形は、戦争の完遂のため…相手国を蹂躙する「占領」に必要なのは、「質より量」が重要だ…広報活動も盛んだった陸軍と、「零戦」ではなく「隼」だったはずだ!…と、想像している)。
そしてもし、あと数年、戦さが長引いていれば、自分はこの世に「生」を受けていなかったか…あるいは又、違った両親の元で、まったく別な人生を歩んでいたかもしれない?
「ピンポ〜ン!」
繰り返される「呼び鈴」に顔を出してみれば…幼い少女や、小学生の男の子を連れた女性が数人。
『今日は土曜日か』
誰もが知っている「キリスト教」系の宗教団体。一か月も家にこもっていれば、一回くらい訪問を受けるものだ。
(以前、別の仕事をしていた二〇年以上も前、『労災』でゴロゴロしていた時も、こんな事があった)。
つい最近、アメリカ大統領候補になった人物の、自伝的テレビ番組を見る機会があったが…異端とされる別の団体の会員だった氏は(こちらも、多くの人が名前くらいは聞いた事があるはずだ)若かりし頃、宣教師としての活動をしていた事があったと云う。
(なんでも氏は、酒も煙草もコーヒーすらもやらないそうだ。「自由の国アメリカ」を取り違えてはいけない。マリファナを吹かして「LOVE&PEACE」。自由奔放に生きる事ばかりが「FREEDOM」ではない。今なお、かつてからの戒律や装束までをも堅持して、日々暮らしている人たちだっている。「自由」だからこそ、勤勉・実直である事も自由なわけだ。つまり、法律などで禁じられているもの以外、何をやっても良いのが「自由と民主」。一方で…名ばかりの『社会主義』や『共産主義』を語る、内実「権威主義」国家など…許されていること以外の自由が無いのが『独裁政治』だ)。
その番組で語られていたところによると、見知らぬ家庭を訪問する本来の目的は、勧誘ではないそうだ。
「虐げげられるがゆえに、信仰心を試される」
そして逆に「宗教的高揚を狙う」という事らしい。「弘法大師―空海」にだって、似たような逸話はいくらでもある。
(何の信心も持たない人間ではあるが、十年ほど前の初夏の頃。仕事を二カ月放棄して、「四国霊場八十八か所」歩き遍路の旅を敢行した事がある)。
ゆえに、何かの販売と違い、それほどしつこくはないはずだ。
(無料で配布してくれる機関誌、案外読み応えがある)。
それに…男の子がはいている、自分の年代なら懐かしさを覚えるような、ぴっちりした半ズボン…きちんとした身なりに、好ましささえ覚える。
『今の人類には、まだまだ宗教が必要だ』
(なにも、オカルト的・心霊的なものを言っているのではない。道徳的・倫理的な問題だ)。
「義務を果たさず、権利ばかりを主張する人間が増えている時代」なんだそうだ。
(ようするに…やる事やらないで、我儘や文句ばかり言う奴らだ)。
だいたい直前に述べたように、「自由」を取り違えている「大人」が多過ぎる。だから、「ヘンな子供」が増えるのも、もっともな話なのだ。『バブルの頃から、そんな勘違いしている人間が増えた』と思っているのだが…かく言う自分だって、似たり寄ったりなのかもしれない。
(なにしろ、「高度経済成長期」に幼少期を送り…一時期、「オイル・ショック」による停滞期はあったものの…「バブル景気」に世の中が沸いていた頃に、人生の一番良い時期「二〇代」を過ごしてきた)。
「時代の申し子」というほどではないが…「団塊の世代」と「団塊ジュニア」の、ちょうど中間の年齢。リアル・タイムで『鉄腕アトム』を観ていた、おそらく一番若い世代。まさに「アトムの子」。好き勝手に生きてきた。ゆえに「原子力」だって、推進派とまではいかないが、肯定的だ。だから…
「原子炉の中で、『核爆発』を起こしているとでも思っていたのだろうか?」
今まで、安い料金で使いたい放題。「原子力発電」の仕組みすら知らなかった人間が…
(単にお湯を沸かしてタービンを回すという、19世紀の『産業革命』の頃に実用化された「蒸気機関」から進歩していない代物だが…化石燃料が枯渇した時に備え、廃棄物処理の手間や費用も承知の上で、研究&開発された訳だ)。
諸般の事情も考慮せず、代替の案も提案できないくせに、ここぞとばかりに短絡的に、「非核・反原発」を叫ぶ姿には、かえって反感や反発すら覚える。
(第一、原子力も制御できなくて、その先の「真空のエネルギー」などに移行できるのだろうか?)。
それは「武力放棄・核兵器廃絶」にしても同様だ。地球規模でしか物事を考えられない連中の、「たわごと」としか思えない。たとえ地球上から「戦争」や「紛争」などの「争いの種」が無くなり、全人類が「地球人」としての自覚を持ったとしても…
「宇宙人が攻めてきたら、いったいどうするつもりなのだろう?」
「宇宙人」とまではいかなくても、何がしかの「地球外生命体」は、まだその痕跡すら発見されていないが…
(なにしろ「現世人類」は、まだ自分たちの衛星『月』までしか行ったことがないのだ!)。
まさに「星の数」ほども星々がある『銀河』。それが数百兆個もあるのなら、むしろ「(他の生命が)存在しない方が不思議なくらい」だ。
「頭が良く、科学の知識のある人ほど、その存在に肯定的」だと言われながら、楽観的な科学者の中には「好戦的な種族では、外宇宙を移動できるほどの技術を獲得する以前に、自滅してしまうだろう」などと語る人もいるようだが…
(『「不測の事態に備える」という安全保障上の意識が、希薄すぎるのではないか?』と、思えるのだが…そんな風に考えてしまうのは、「基本、『悲観論者』だ」と言われる日本人の性なのか? なにしろ日本は、地震や火山噴火・台風や水害など、自然災害の多い国土。しかし、いざその時になったら…取り乱したり・オロオロして泣き叫ぶだけで、何もできない脳天気な『楽観主義者』と違い…「天災慣れ」したジャパニーズは、そういったものを受け入れ・容認できる「肯定的なペシミスト」たる国民性があるのだろう。ただ、飼い慣らされてしまった現代日本人に足りない備えと言ったら「戦時態勢」だろう。もっとも、敵性国家と地続きで接している訳ではないし、資源に乏しい島国ニッポン。また『大東亜戦争』のような侵略戦争でも始めない限り、多大な犠牲を払ってまで侵攻してくる所も無いだろうが…)。
人類の歴史を振り返ってみれば、科学や技術の飛躍的な進歩に「戦争」がかかわっている事は否定できない。そしてそれは、何も実利的な技術ばかりではない。「運輸」を意味する英語の「ロジスティック」の本来の意味は「兵站業務」。つまり、人や物資の大量輸送の起源は、戦略的遠征にあるわけだ。
(また、文化的な面…たとえば「女性の地位向上」の進展にしても、しかりだろう。男手が不足していた戦時下にあって、「腕力」などの肉体的な能力以外、なんら変わるところが無いことが証明されたのだから)。
世の中の進歩・発展には、究極の競争であるところの「戦争」が一番なのは一目瞭然だ。
(なにしろ、まさに「命を賭けた勝負」なのだから)。
きっと「冷戦」が続いていたら、人類はとっくに火星の土を踏みしめていた事だろう。
(「月面着陸捏造説」があるが、そんな事はないはずだ。なにしろ、それが証拠に…あれや・これやの反証や、反射鏡の設置がどうの・こうのではなく…『当時の敵対国「ソビエト連邦」が黙っていたのだから間違いない』が自説だ)。
でも『あんがい一度、宇宙人に征服されてしまい、植民地化されてしまうのも、良いかもしれない』とも思っている。人類未到達の先進文明に接して、教化・感化され、やがて独立を勝ち取る。自分たちの過去にも、そんな歴史を繰り返してきたのだから…。
(先日「ジュリアス・シーザー」こと「ユリウス・カエサル」将軍の暗殺場所が特定された…といったニュースが流れたばかりだが、第二巻『オリエント』から『古代中国』、最近では「経済危機」で何かと話題になる『ギリシャ』を経て、『ローマ帝国』の時代まで読み進んできた世界の歴史。けっきょく人類の歴史とは、洋の東西を問わず、戦いに明け暮れてきた争いの歴史のようだ)。
結局、「闘争」に行き着いてしまうのだが…年号も、かなりはっきりしてくる「ギリシャ時代」以前に、わかっているだけで、その先、数千年の人類の歴史があり…ましてや、歴史の表舞台に登場しない人々の暮らしが、世界の各地で営々と営まれていたと思うと…あまりにはかない人生に気づかされ、病状が悪化しそうだが…。
(世界人口が70億人に達した現代だが《注1∶これを書いていた当時の数字》、この世に存在した人間の総数は、概算700億人《注2∶1100億人とする説もある》と言われる。意外と少ないのは19世紀の「産業革命」以後、爆発的に増えたからだろう)。
そういう時代を経て、現在がある。何事も、一足飛びに実現したわけではないはずだ。
「歴史を勉強して、何になる? 何の役に立つ?」といった意見もあるが…最近、縁のある人間は、そんな連中ばかりだが…時間軸に添った、歴史的ものの見方・考え方は必要だろう。たとえばかつて、こんな事があった。
とある工場の、植え込みに沿った縦列駐車帯。てんでばらばらに、縦に駐車している車の列をみて「もっときれいに停めれば、たくさん停められるのに」と語る年配の同業者。それに同調して、「そうだ! そうだ!」とうなずく若造。もっともな御意見だが…果たして、そうだろうか? 『こんなふうに停める方がむずかしい』と思えるような駐車方法。むしろ、「大きいクルマが出た所に小さいクルマが入ったり、小さいクルマが出た後に、大きなクルマを押し込んだり…」と考えた方が妥当だろう。
そう考えれば…最近はどこのビジネス・ホテルでも、朝食サービスの所が増えてきたが…四人掛けのテーブル。一人で陣取っているように見えても、時間をわずかに遡れば、あなたが入口でスレ違った彼の同僚三人が、腰掛けていた可能性だってあるわけだ。その光景を見てあなたは、『ひとりでテーブルを占領しやがって』と短絡的につぶやくのだろうか? たった今、目の前にある状況でしか物事を判断できないのだとしたら…「とりあえず、口に当たる物には何でも噛みつくワニと同様」とまでは言わないが、サルと変わらない。
もっとも…『サルは、この先、何万年たってもサルのままだ』と思っていたが、先にも挙げた世界の歴史シリーズ第一巻『人類誕生』によれば、人類に一番近いとされるチンパンジー。
(500万年前に、人間と同じ系統樹から分かれた存在だ)。
その集団は、日本猿やゴリラの群れとは違い、もっと大きな塊で活動しているそうだ。そして人間も、言葉を話すようになる以前から、チンパンジー程度の集団生活をしていたらしい。我われ人間とは、わずかな違いしかないと言われるチンパンジーは、何か、ちょっとしたキッカケがあれば、一気に開花する可能性を秘めているという。
(その「なにか」が爆発したのが人類なのだろう)。
もしかすると、映画『猿の惑星』みたいな事が、実際に起こるかもしれない。
(『パニック映画の帝王』と呼ばれた「チャールトン・ヘストン」氏主演の第一作が公開されたのは、幼稚園生の時だ)。
先の先進文明に植民地化されるのとは反対に、繁栄の峠を越え、倦怠期に入った先行文化圏が、後から来た野蛮人に蹂躙されるのは、多くの文明に言える事。ギリシャしかり、ローマしかり。
(ギリシャ人・ローマ人と呼ばれる人々すら、もともと土着の民ではなく、どこかから移ってきた民族らしいが…イギリスの「ストーンヘンジ」なども、後に「ドルイド教徒」が聖地としたが、本来それを作った人達が誰なのかは、不明なのだそうだ。ナゾの先史文明は、後からやって来たサルも同然の我々現生人類に滅ぼされ、取って替わられたのかもしれない)。
宇宙人が非現実的だと言うなら、たとえば6500万年前、それまで一億年以上続いた「恐竜」の歴史に終止符を打ったとされる地球外天体の飛来はどうだ?
(人類の誕生が25~40万年前。それにつながる最古の猿人は700万年前に出現したとされるが、その10倍以上過去の事だ。『恐竜時代』に誕生した「哺乳類」だが、当時の人類の遠い祖先は、ネズミのような生き物だったとされる)。
有史以来の人類に経験が無いからと言って、それが非現実的だとは思えない。宇宙的な時間の流れからすれば、何万・何十万・何百万・何千万年後かもしれないし、今年中かもしれないし…とにかく、映画『アルマゲドン』のような事が、「いつかはある」と思っていた方が間違いはないだろう。
(実証はされていないが、20世紀初頭のシベリアの「ツングースカ大爆発」は、隕石の空中爆発が最有力とされている)。
幸い、現在の人類のロケット技術は、彗星に人工物を衝突させたり、小惑星にタッチ&ゴーが可能なレベルに達しているし、監視体制も確立されつつある。だから「核兵器」に関しては、『全員出資の全員管理』提案者だ。
(それとも…「中国の全人口が一斉にジャンプしたら、地球の軌道がわずかにズレる」という試算があるそうだが…50年も前の日本のSF映画にもあったように、南極あたりにロケット・エンジンを多数設置して、地球自体の軌道を変える?)。
[注:これを書いていた翌年の二月。まさに予想通り、数千人規模のケガ人を出した隕石が、ロシアに落ちた。「それ見たことか」といったところだ]。
それでなくとも、生きのびようと思ったら、太陽が燃え尽きる前に、大宇宙の海原に漕ぎ出さねばならない。風力や水力で宇宙飛行ができるはずはないし、太陽それ自体が無くなってしまうというのに、ソーラー・エネルギーもあったものではない。しかし、まだ50億年先の事とはいえ…太陽は、寿命のおよそ半分が過ぎたとされている…原子力ごときを制御できなくて、その先などがあるのだろうか? 時代が進んだからとはいえ、一度途絶えてしまった技術を復活させるのは、案外むずかしいものだ。下手をすれば、同じ手間・時間・費用を必要とするかもしれない。それとも…。
『これも運命。「定め」や「宿命」と、あきらめるのか?』
この先、「民主主義」「資本主義」が進んで、本当の意味での「社会主義」「共産主義」の世の中となった次に来るものは…おそらく「悟り」の世界?
(先ごろ読み終えた歴史本『人類誕生』では、人間に起こった最大の出来事は「二足歩行」だとしており、もし次に、これに匹敵する出来事が起こったとすれば、それは人類が人間でなくなる時、つまり「ひとつ上の『高次の存在』になる時だ」との記述があったが…「その時」とは、個人的には「地球外知的生命体」とのコンタクトによって、もたらされると思っている。しかし果たして、自分の存命中に、あるいは人類が滅亡する前に、そんな日が訪れるのだろうか?)。
しかし、皆が「無我の境地」に達すれば、おそらく太陽が燃え尽きる前に、きっと人類は滅亡する事だろう。なにしろ無私・無欲の状態とは「何も求めないこと」。
(「他人に奉仕したい」とか「社会に貢献したい」とか、ボランティア精神にあふれる善意ですら「欲求」だ)。
私利・私欲から解放された状態からでは、おそらく何も生まれない。もっとも全員が、「宗教的恍惚」のうちに最期を遂げられるというのは、それはそれで幸せな事なのかもしれないが…。
『そんなのはゴメンだ!』
科学の進歩を放棄して、子孫を滅亡に追いやったら、いったい誰が責任を取ってくれるというのだろう。
(二万数千年前に滅びるまで、人類と共存していた時期があるという「ネアンデルタール人」は、喉の構造上、我々「ホモサピエンス・サピエンス」ほど、巧みに言葉を操れなかったろうと言うが…それゆえ、「テレパシーを使えたのではないか?」と語る作家さんもおり…それなら、彼らが滅亡してしまった事にも納得がいく。「お互いの意思がわかってしまう」などといった事になったら…おそらく全員が、「考える」という行為を放棄して…進歩・発展は滞り、文明は停滞していた事だろうし、たぶん寿命は伸びただろうが、少子化が行き着くところまで行ってしまい、全体の数は少なくなっていたに違いない。そこに、「いったい何を考えているかわからない」猿も同然の野蛮人・我われ「現生人類」が現われたとしたら…先に述べた「謎の先史文明人が存在した」というストーリーや、「悟りを開くと滅びる」という自説を補強してくれるアイデアだ)。
『まったく、どいつもこいつも…』
単なる「男の更年期障害」なのか? イライラする事が多くなってきたのは、わかっていた。年寄りが「頑固だ」「頭が固い」「小言が増える」というのは、昔から言われている事だが…そうなってしまう一番大きな理由は、先が見えてしまった事に対するイラ立ちだろう。老人の不機嫌は、「あせり」や「欲求不満」が一番の原因に違いないが…特に最近、数の多さで目につくのが、「定年」を迎えはじめた「団塊の世代」。「イモ洗い」的な数の多さにもまれてか、我先にと群がる「弱肉強食」の世界育ち。だから「自分が損するのはお断り」。早い話、「自分さえ良ければ」的な連中だ。たとえば、最近盛んな中・高年の登山やハイキング・ブームだが…自分たちのグループだけで、頂上の碑を囲んで弁当を広げているような連中には、こう言ってやりたい。
「まったく、最近の年寄りは…」
(「控え目で礼儀正しい」とされた日本人の美徳『おくゆかしさ』は、どこへ行ってしまったのだろう?)。
そして、そういった姿を見て育ったからだろうか? かつてソイツらが若かった頃、当時の老人に言われたであろうセリフ…
「最近の若い奴らは…」
そんな連中の子弟は、最初から遠慮なく自己主張する。
(20年以上も前、欧米企業と提携した日本のメーカーの、日本人技術者の回顧録にて読んだ事があるが…最初に日本人的感覚で、社交辞令的にへりくだって接すると、はじめに確定した人間関係・上下関係・力関係など、その立場が逆転する事は最後までなかったと言う。最近では日本においても…「できるか・できないか」以前に、やった事すらなくても…多少「はったり」をかますくらいでないと、ハナからなめられてしまう事がある。つまりそういった点においても、かなり『欧米化』が進んだという事だ。今さら過去の遺物にこだわっても仕方ないのだが…疲れる世の中になったものだ)。
もちろん、どちらも全体のごく一部なのだがろうが、悪いものは目につくものだ。
(近頃だって、ジョギング・コースや遊歩道などで、横いっぱいに広がって歩く老人たち)。
皆が皆というわけではないが…今にして思い返せば、たしかにインチキ臭い奴も多かった。たとえば、子供相手の商売をしていながら、子供をだますような連中。そういう奴らの決まり文句は「ボク、いくら持ってるの?」だった。
(子供だからと思って、なめてかかっているのだろうが…大人といえど、しょせんバカはバカ。馬鹿な大人の悪だくみ・見え見えの大ウソは、子供の目には、かえってバレバレだ。だいたい教師からして、レベルの低い連中が多かった。『軍国主義』の中で育った「戦中派」が多数を占めていた時代。『学徒動員』で軍需工場で働き、ロクな教育・訓練も受けずに教職に就いたのだ。「子供は劣ったもの」と、はなから決めつけているようでは、まともな教育など、できるのはずもない)。
『ここのところ、ハシゴしている医者どもと同じだ』
どいつもこいつも、なかなか要領を得ないが…もっともそれは、こちらにしたところで同じだった。
(同業者の中には、「高度経済成長」時代の『いざなぎ景気』を引きずっているような年寄りが、いまだに寄生しているのだが…蓄えも無く、もしかしたら年金すらももらえないような状態なのかもしれないが…「貯蓄が趣味」なんていう不景気世代の若者と違い、こちらだって蓄えどころか、ずっと借金から縁の切れない人生だ。『そろそろ心を入れ替えないと』と、他人事ではなくなってきた。「反面教師」として、参考にしておこう)。
なにしろ、先にも述べたように…『オイル・ショック』直前、「人間ブルドーザー」と呼ばれた首相が『日本列島改造計画』なんてものをブチ上げ、「消費は美徳」と吹聴され、皆が浮かれていた時代に思春期を迎えた。中学生にして高価なスポーツ「レーシング・カート」を始められたのも、そんな時代背景があっての事だ。
(「レーシング・カート」とは、競技用ゴーカートの事。当時は12歳から競技ライセンスが取れ、公式戦に参加できた)。
その後、しばらく沈んだ時代が続くが…。
(浪人・大学生だったこの時期。地味に[?]バイクで、北は北海道の「礼文島」から南は沖縄の「西表島」まで、日本中を旅してまわったものだ)。
そして今度は『バブル景気』に沸いていた80年代に、人生の一番良い時期「二十代」を過ごした。そんなタイミングで青春時代を送れたなんて…まったく幸運な世代だ。それゆえ、すっかり「イカレタ」人間に育ってしまったのだろう。「就職活動」なんてものはまったくせず、大学卒業後はアルバイトをしながらの生活。日本列島を北から南、「モトクロス」のレースを追っていた。
(あの頃はまだ、「フリーター」なんて言葉は無かった。「フリーのアルバイター」と呼ばれていた。きっとそれが詰まって、「フリーター」になったのだろうが…就職情報誌に求人が載る職業などに『就きたい』と思ったことは、いまだかつて一度も無い)。
「親のスネは、骨までかじれ!」
たとえば、「お笑い芸人」だ。そこそこ裕福な家庭に育ち、そこそこの学歴を持つ者も多いが…それも、もっともな話だ。売れるまでの下積み時代、「子供の小遣い」程度のギャラだけでは、食っていけない事は自明の理。アルバイトで食いつなぐのも、役者を目指すとでもいうなら、芸の肥やしにもなろうし、作家にでもなろうというなら、話の種にもなるだろう。しかし、むしろ『働きながら』なんて甘い考えでは、突然の空きが出た時の代役などの、せっかくの好機を棒に振ったり・逃したり…そんな生活状況(家庭環境や経済状態)では、大成などおぼつかない訳だ。ましてや、プロ・スポーツや学問で身を立てようというなら、余計で無駄な金の苦労など、しないにこした事はない。
(最終的な違いは、「才能のあるなし」に行きついてしまうのだが…「労働者階級の英雄」然としたカリスマ・ミュージシャンが、実は中流家庭の出だったり、あの「弘法大師」=「空海」様ですら有力地方豪族の出身。『遣唐使』だって、「国費留学生」ではなく自費留学。だいたい『仏教』の開祖「お釈迦様」こと「仏陀」からして、妻子を足蹴にしてまで出家したと云う「ゴータマ・シッダールタ」元王子だし…同様に、死後の後世になってから祀り上げられた「ジーザス・クライスト」=「イエス・キリスト」教祖様ともども、もともと『衆生済度』などという「大義名分」を掲げたわけではなく、単にごく個人的な「悟り」や「解放」を求めていただけではないのか?)。
そんな偉そうな事を言えた義理ではないが…そのかわり、すべてをそれに注ぎ込んでいた。まあ、自称「マジメな遊び人」といったところだが…きっとそんなせいで、いまだに「こんな生活」を送っているのだろう。もし景気が低迷していた期間に、それらの時期を迎えていたら…無難な道を歩んでいたのか? それとも…どちらにしろ、こういった人生を選ぶ人間だったのか?
『この先、いったいどうなる事やら?』
10年くらい前なら、『まあいいさ』と割り切れたろうが…残された時間は、もうあまりない?
「ふう~!」
そんな晩は、夕食後から…今度は「血圧」が高めで、若干調子が悪く…そんな時は、もちろん本も読む気になれず…たまたまついていたBSで始まった洋画を、「吹き替え」でダラダラと観てしまう。
(いつもなら、わからなくても原語で観るのだが、今夜は体調不良のため)。
『B級映画の帝王』ミスター「トラボルタ」主演。シリアスものでなく…四人のオッサンが、ハーレーにまたがり、珍道中に出る…という、どたばたロード・ムービー。
(10年ほど前は、「ハーレーの一番小さいヤツ」883ccを所有していたのだが…ケガで乗れなくなったり、万が一、事故で「帰らぬ人」になる覚悟はあったものの、想定外のこんな出来事で…ふたたびバイクに乗れる日が来るのだろうか?)。
低予算っぽい造りだが…最後に、元祖『イージー・ライダー』「ピーター・フォンダ」氏が登場するなど…なかなか楽しめる作品の邦題は、『団塊ボーイズ』だった。




