34 気になってしまった
「お。ニーアか。心配かけてごめ――」
「無事でよかった!」
「おぼっふぉぁ」
向かって来たニーアに返答しようとしたサクだが、抱きしめられたことで顔の前面部が塞がれて声が出せなくなってしまう。牢屋にいた時に嗅いだ埃っぽい香りと体臭。そしてほどよい柔らかさと温かさで包まれるのだった。
これもまた良いモノだと現状を満喫しながらも、周囲のことが気になったサクは体を捻らせてニーアの胸中から顔を出す。やや酸欠気味な肺にサクが酸素を取り込んでいる間、ニーアはそばで佇むハクに問いかけた。
「えっと、あなたがさっきの竜よね?」
「うん。私はハク。サクの恋人だよ」
「恋人!? 竜と……。へえ、驚きだわ」
「あなたの名前は?」
「あたしはニーア。『ニーア・ヴィヴィオネット』よ」
「噛んじゃいそうな名前だね」
「よく言われるわ」
サクが思ったことを代弁してくれたハクに、ニーアは笑いかける。美しくも可愛らしい存在のやり取りは大変微笑ましいものなのだが、それとは不釣り合いな存在がハクの足元近くに横たわっていた。
「お……、っがが……――」
「あ、忘れてた。サク、この髭の人どうする?」
頭に血が上って気を失う寸前の状態のバンドゥーモをハクは嫌々といった表情を浮かべながら指さす。ハクに汚物扱いされることに憤る気力すらないバンドゥーモを横目で見たサクは、そのままにしておくわけにもいかないので指示を出すことにした。
「そうだな。そいつは――」
「「「「確保ぉー!!」」」」
「おごっはぁ!?」
「うわぁっ!? びっくりしたぁ!?」
いきなりのことで驚いたハクは声を上げてニーアのそばに飛び退いてしまう。サクが口を開いた直後、例の4人組が声を合わせて横たわるバンドゥーモへと飛びかかったのだ。
つられて驚いたニーアもサクを庇う様にさらに強く抱き寄せる。それによって圧迫されたことでサクは取り込んだ酸素を一気に吐き出してしまった。涙目になりながらすぐさま酸素の取り入れを再開したところで、4人組の声が一帯に響き渡る。
「「「「からの強制連行ー!!」」」」
重なり合っていた状態から素早くばらけた4人組は、バンドゥーモの体を神輿を担ぐかのような形で持ち上げる。彼らに支えられるバンドゥーモの手足にはすでに錠がかけられていた。相も変わらず見事な手際にサクがニーアの腕の中で感服していると、4人組は護送車へと向けて駆けだしていった。
「お、お前ら……! いくら犯罪者の俺様でも、もっと丁重に扱え――」
「「「「待遇への不満は投獄後に受け付けやがります」」」」
「んじゃそりゃ!? っで、いっでぇって! 揺らすな馬鹿ども! せめて治癒魔法かけてから――」
「「「「待遇への不満は投獄後に受け付けやがります」」」」
「そればっかりかぁてめえら!? あっだぁ、いで、いってぇって! だからもっとゆっくり――」
「「「「待遇への不満は投獄後に受け付けやがります」」」」
「話を聞けええぇぇぇぇ――」
揺さぶられたことで感じた結構な痛みで意識を取り戻したバンドゥーモ。そんなやかましい彼の要望を一切聞き届けない4人組は、勢いを落とすことなく駆けていく。投獄先でバンドゥーモがこれまでを改め、罪を償うために善の道へと進んでくれるのを願いながら、サクは彼らの後ろ姿を見送った。
風の吹き抜ける音が聞こえるほどにまで静まり返ったその場に残されたサクたちは、苦笑いを浮かべることしかできない。そうした中で呼吸が整ったサクはどうしたものかと考えていた矢先、新たな人影がこちらへと近づいてきた。
「ごめんサク! 私がついてたのに、こんな目に遭わせるなんて!」
「おお。アイリスか。大丈夫。この通り無事だから安心してくれ」
やってきたのはアイリスとカーラ。その後に続いてテンガもやってくる。ニーアに抱きしめられたままのサクに、アイリスは頭を下げた。
「分かってるけど謝らせて。本当に、ごめんね……」
「俺こそごめんな、心配かけて。次はこうならねえようにお互いに注意すればいいし、前向きに考えようか」
「……うん」
頭を上げたアイリスの瞳は、サクが無事だったことを確認できたことで安堵したことで潤んでいた。今までの冴えない人生を思い返してみても、ここまで無事をこ喜んでくれる人はいなかった。喜ばしいことでもあり、そんな彼女に不安を抱かせてしまったことが申し訳なく思えしまうサクだった。
本気の想いを向けてくれるアイリスに心から感謝していると、その背後でカーラが微笑みながらこちらを見ていることに気づく。サクであれば心配はいらないといったカーラの考えが、その雰囲気から察することができた。これもまた一つの信頼の形であると思えたサクはあえて彼女には声をかけず、微笑み返すことで返答するのだった。
この一連のやりとりを見ていたニーアは、口出しすることなくにやにやしながら見守っている。そんなニーアの内心においてめらめらと燃え滾るものがあることに誰も気づいていない。というか、気づけるはずもなかった。
誘拐、監禁、といった危険極まりないことに巻き込まれはしたが、丸く収まりそうな現状に安心したサクは無意識のうちにため息をついてしまう。そんなサクに、ニーアはにやにやとした笑みのままで告げた。
「可愛い子たちに心配されて幸せ者ね、サク」
「ああ。俺なんかにとって身に余り過ぎるけどな」
「驕ってはいないんだ」
「当たり前だろ。普通なら俺なんかを好きになることなんて、絶対にないだろうしな」
「ふぅん……。ねえ、サク。まだ”空き”ってあるのかしら」
「”空き”? それってどういう――」
「無事の再会中に申し訳ありません、ニーア様。そろそろよろしいでしょうか」
「はいはい。何かしらお邪魔虫さん」
腕の中のサクとの会話に割って入ったテンガに、ニーアは渋い表情を向ける。あからさまな態度に触発されることなく、テンガは平然としながら続けた。
「これ以降の動向はどうされますか。我々騎士団が迎えが到着するまで保護するのが最適だと思いますが」
「それは断らせてもらうわ。迎えが来るまであたしはサクと一緒にいるから、それでお願いね」
「へ? 俺と?」
想定外のニーアの返答に、思わずサクは疑問の声を上げる。きょとんとしてしまっているサクにニーアは輝かしい笑みを向けた。
「そうよ。別に不満はないでしょ?」
「不満はないけど……。大丈夫なのか。よく分からないけど、ニーアってお偉いさんの子なんだろ」
「何の問題もないわ。それに、下手なところよりサクと居た方が安全だろうしね」
「問題はないと思いますが……、どういった理由でニーア様は留まるのですか?」
「恩をまだ返していないし、色々知りたいことがあるの。ね、サク?」
「いや、そう言われても――」
身に覚えのないサクは返答に困ってしまうのだが、ニーアの腕の力が強められたことで途中で口が止まってしまう。さらに体が密着したことで、色々なものを感じ取ってしまったからだ。
ニーアが纏っているのは麻の布で作られた服。当たっている感触からして、恐らく下着を着ていない。要はほぼほぼ生の感触だということ。それをわざとニーアはサクへと押し付けているのである。
ヘタレなサクがそんなものを直に感じれば、固まってしまうのは当然のこと。そんなサクをニーアは悪戯っぽい笑みを浮かべて見つめていた。気が気でならない様子のサクにテンガが助け舟を出すように話しかける。
「では、本部には守護騎士に同行する旨を伝えます」
「そうしてちょうだい。あ。それとだけど、迎えは明日に来るように伝えてちょうだい。疲れを癒すために今日は動きたくないって本人が言ってたと伝えればどうにかなるはずよ」
「……かしこまりました。サク。少しいいか」
「ん? 俺だって分かるのか?」
「ああ。事情は少佐から聞いた。大変な目に遭っている君には申し訳ないが、ニーア様を頼む」
「おう。任された」
「ちなみにだが、君は今自分を抱きしめているお方がどんな存在かは知っているか?」
「いや。名前だけしか知らん」
「そうか。では、私から説明しよう。このお方は、『ニーア・ヴィヴィオネット』。グリールと友好関係にある『スモーク』という国を治める王女の妹君だ」
「王女の妹ぉ!? マぁジか……」
「そういうこと。改めてよろしくね、サク」
「お、おお……。よろしくお願いします……」
笑顔を向けてくる彼女がとある国の王女の妹。王女様その人ではなく、妹。それでも、一国の重要人物であることに変わりはない。牢屋におけるサクの身を案じた行動も、そういった高貴な血からきた行動だったのかもしれない。
こんな大物を誘拐した海軍金曜日の定番団の大胆さをここで改めて思い知った。間違いなく、凄まじい高値で取引されることだったのだろう。国を敵に回してでも計画を成功させようと暗躍する様は、世紀の大悪党だといえる。勢いって、恐ろしい。
一国の重要人物が明日まで一緒であることを考えたサクは思わず身震いしてしまう。下手なことを仕出かしたら、最悪国家間問題とかに発展しかねない。粗相がないように気を引き締めることを動揺しながらもサクは内心で誓うのだった。
ニーアが向けてくれる笑顔が重々しく感じてしまうサクは、何か気を紛らわすことができるようなものがないかと周囲に目をやる。そうした中で、今になって気づいたことがあった。
「……ニーア」
「どうしたの、サク?」
「テンガに近づいてもらっていいか」
「……? まあ、いいけど」
サクの要望を受け入れたニーアはテンガへと近づいていく。可愛らしい褐色の少女と、これまでの印象とはかけ離れているサクが目と鼻の先にまで迫るが、テンガは動じることなくその場に立ち続けていた。
周囲の者たちが一体なにをするのかと固唾を呑んで見守る中、ニーアの腕の中で体を反転させたサクは気になる物を掴むために手を伸ばしていく。それは、あるはずのないテンガの青い髪の毛だった。
ニーアの腕からサクが乗り出したところで何をしようとしているのか察したテンガだが、もう遅い。騎士団用の帽子の下でふさふさしている青い髪の毛を掴んだサクは、ためらうことなく下に向けてそれを引っ張った。
「……――」
「ふはっ!?」
テンガは、驚きと諦めが入り混じった複雑な表情を浮かべる。眼前の光景を目にしたニーアは、堪えることができずに吹き出してしまうのだった。
刈りたての芝生のような青髪が、テンガの頭部に茂っていた。その青々とした光景に、テンガよりも位の低い騎士たちとアイリスらはなんとか堪えたが、ニーアは耐えきれずに爆笑し始める。駄目だとは分かっていても、耐えられなかったようだった。
まるで眼鏡をかけた友人に空き地で野球をしようと誘われそうな見た目だ。ある意味健康的ともいえるその容姿は、なんとも言い難いものだった。
笑い過ぎて涙が出始めたニーアは、少しでも心を落ち着けるためにテンガから距離をとる。それに対しテンガは咳払いすると地面から青髪の桂と帽子を拾い上げ、収納方陣へとしまった。
ここでかぶり直さないのも潔い。素直にサクは感心しつつも、その頭を見てくすりと笑ってしまう。全世界の髪の少なめな人たちに心の底から詫びながらも、笑いをこらえることができなかった。
「……ごめんな、テンガ」
「気にしていないさ。これを被らねば、私がテンガ・クロムウェルだと理解してくれない騎士が多くてな。仕方のなく被っていただけなんだ」
「被り直しは、しないんだな」
「すでに君たちは私をしっかりと認知している。被り直す必要性があるとは思えない」
「そうか。その強い心は素直に尊敬するわ」
「あっはっはっはっは……! く、くふっ、ははっ……!」
恥じることもなく返答したテンガにサクは惚れ惚れしていた。その間、背面は未だに笑いが抑えきれないニーアによって小刻みに揺れている。いい加減に止めないかとも言いたい気もあったが、押し当てられている胸部のくせになりそうな程よい感触を味わいたい変態紳士的感性が邪魔をして言い出せなくなっていた。
しばらく続きそうに思えたニーアの笑いだったが、その涙目がテンガの深い蒼の瞳を捉えたことで徐々に治まっていく。揺るがぬ熱意をそこから感じ取ったことで、このままでは流石にマズいと判断したようだ。
数秒後、何とか持ち直したニーアは深呼吸をして呼吸と心を整える。心地よい時間が終わってしまったことを残念に思いながらも、成り行きとはいえ出会うことができたテンガにサクは話しかけることにした。
「なあテンガ。言いそびれちゃったけど――」
「「「「テンガ様! 『広域疎通水晶』を通し、本部から状況報告をせよとの連絡が入っています!」」」」
「む。そうか。では、私はこれにて失礼します」
「え゛。タイミング悪すぎじゃねえかって、やべえ行っちゃうのか。ニーア、離してくれ!」
「わ、分かった」
ようやく本格的に言葉が交えられると思ったところでのまさかのお呼び出し。すぐさま対応するために去って行くテンガを見て焦ったサクはニーアの腕の中から下してもらい、テンガの背中を追う。
重要な仕事の邪魔をするわけにはいかないし、手短に済ませなければ。言いたいことを簡潔にまとめたサクは、それを離れていくテンガへ向けて言い放った。
「テンガ! この前の戦いの後も、トイレで紙貰った時も言えなかったけど、助けてくれてありがとう! 俺もできる限り助けになるから、そん時は呼んでくれ!」
「承知した! また今度、時間があったときに話そう!」
「おう!」
一瞬振り返ってサクの感謝に応じてくれたテンガは、4人組が待っている車両へと向かっていった。僅かであっても見せた爽やかな笑みは自らとは正反対の気質のものだったが、立ち止まったサクの心を晴れやかにするのだった。
言えたことでの達成感と、テンガの快い対応で得た爽快感に浸るサクの表情は緩み切ったものとなっていた。そんなサクの横へと追い付いたニーアは屈み、真っ直すな視線を向ける。
「素直ね、サク」
「いつ会えるかは分からないしな。言えることは言っとこうと思って」
「そう。良い心がけね。あたし、素直な人は好きよ」
「そ、そうか。でもなニーア。男に違った意味でも好きだとか言うもんじゃないぞ。特に俺みたいなヘタレは勘違いしやすいから気を付けた方がいい」
「違った意味じゃなくて、本心からだったらどうするの?」
「は、はぁ!? い、いやいやいや。冗談だろ、ニーア」
「さぁて。どうかしらね~」
そういってニーアは再び悪戯っぽい笑みを浮かべる。からかっているのか、本心から言っているのか、戸惑うサクには判別することができない。顔を赤らめてあたふたするサクに、ニーアは続けた。
「今日はこれからあたしと一緒にいてもらうわ。もちろん、2人っきりでね」
「2人っきり、か。そうか。よろしくな」
「目一杯恩返ししてやるから、覚悟しておきなさいよ~」
「お、お手柔らかに頼む」
「任せときなさい。一生忘れられない思い出にしてあげるわ」
芯の強いニーアの笑顔は、冴えない精神のサクには眩しかった。だが、真反対の存在とともに過ごすことを心のどこかで楽しみにしている自分がいることにサクは気づき、負けじと笑顔を返すのだった。




