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【完結】猫のオマケで転生した俺、ハズレスキル【ヒロインインストール】を武器に追放聖女と最強レギオンを目指す  作者: 木風
第一章

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第九話 地下の不穏な扉は、雨漏りと寝床と飯の次

 俺が呟くと、リュミエラは封じられた扉から目を離さないまま、小さく頷いた。

 黒い鉄鎖は、古びた砦の他のものと明らかに違っていた。錆びてはいる。けれど、長年ここに放置されていたような朽ち方ではない。

 あとから誰かが来て、この扉だけを封じた。

 そう思うと、背筋に冷たいものが走る。


「開けますか」


 リュミエラが言った。

 声は静かだったが、指先は外套の端をきつく握っている。


「開けない」

「えっ」

「いや、そこ驚くところか?」

「カナタなら、こういうものを見ると、気になって開けてしまうのかと」

「俺を何だと思ってるんだ」

「廃墟にロマンを感じる方です」

「反論しにくい」


 コハクが扉に向かって低く唸った。

 その声で、俺の中の好奇心は完全に萎んだ。猫がここまで警戒しているものを、装備も準備もない状態で開けるほど、俺は勇者ではない。

 少なくとも、レギオンの面接に七回落ちた野良冒険者に過ぎない自覚はある。


「今日は触らない。まずはここで本当に寝られるかどうかだ。地下の不穏な扉は、雨漏りと寝床と飯の次」

「飯より後なのですね」

「飯より前に置いたら、たぶん俺たちが先に倒れる」

「それは、そうかもしれません」


 リュミエラはようやく扉から視線を外した。

 ただ、その顔色はあまりよくない。地下から漂う嫌な気配のせいか、昨日からの疲労のせいか、あるいは両方か。

 俺は扉と廊下の間に、壊れた長机を引きずって置いた。

 ぎぎ、と床に嫌な音が響く。


「封鎖、ですか」

「気休めだけどな。あと、コハク」

「にゃ」

「ここ、近づかない。いいな」


 コハクは尻尾を一度大きく振った。

 返事としては、まあまあ信用できる方だ。


 そこから、俺たちは広間へ戻った。


 旧監視砦をそのまま拠点にするには、問題が多すぎる。

 だが、一晩だけ雨風をしのぐ場所としてなら、どうにかなりそうだった。広間の壁は厚く、暖炉も残っている。煙突が詰まっていないかは確認が必要だが、火を焚けるなら夜の冷えはしのげる。

 問題は、埃と草と、よくわからない小動物の痕跡だった。


「まず、寝る場所を作る」

「はい」

「次に、窓を塞ぐ」

「はい」

「それから、暖炉が使えるか見る」

「はい」

「湯浴み場は明日以降」

「……はい」


 今、少し返事が遅れた。

 湯浴み場への信頼が、思った以上に厚い。


「そんな顔するな。水場が使えるか見ないと、湯も沸かせないだろ」

「それは理解しています」

「じゃあ、今日は生存優先で」

「わかりました」


 リュミエラは素直に頷いた。

 ただし、少しだけ残念そうだった。

 追放された元聖女が、廃墟で湯浴み場の有無に落ち込んでいる。

 普通に考えれば大変な状況だが、俺はなぜか少し安心した。自分の身体を清潔にしたいと思えるのは、生きる方へ意識が向いている証拠だと思えたからだ。


 俺は外へ出て、壊れた厩舎から使えそうな板を運んだ。

 重い。古い木材は水を吸っていて、持ち上げるだけで腕に嫌な負荷がかかる。けれど、寝床の下へ敷けば石床の冷たさを多少は遮れる。

 リュミエラは広間の隅で、古い布を広げ、埃を払っていた。

 まだ足取りは頼りないが、何もしないでいるよりは落ち着くらしい。


「無理するなよ」

「はい。軽いものだけにします」

「軽いものだけ、な」

「はい」


 そう言いながら、彼女は壊れた棚板を持ち上げようとした。


「それ軽くない!」

「見た目よりは」

「見た目通りに重いだろ」


 慌てて取り上げると、リュミエラは少しだけ気まずそうに手を引いた。


「……すみません。じっとしていると、余計なことを考えてしまって」


 その声で、怒る気は消えた。

 昨日まで首都にいた元聖女が、今は廃墟の埃を払っている。考えない方が難しい。


「じゃあ、布を畳む係で」

「係」

「重要な役だ。布がないと寝床が完成しない」

「……はい」


 リュミエラは真面目に頷き、古布を一枚ずつ畳み始めた。

 丁寧すぎるくらい丁寧だった。端と端を合わせ、皺を伸ばし、破れた箇所を避けるように折る。神殿でそういう所作を叩き込まれたのかもしれない。

 俺はそれを横目で見ながら、床の埃を箒代わりの枝で掃いた。


 埃が舞う。


「げほっ」

「カナタ、大丈夫ですか」

「大丈夫。ちょっと廃墟の歓迎を受けただけだ」

「歓迎が粉っぽいです」

「かなり粉っぽい」


 コハクが広間の中央を歩き、埃を避けるようにぴょんと机の上へ飛び乗った。

 そして、まだ掃除していない場所で丸くなる。


「お前が一番働いてない」

「にゃ」

「監督のつもりか」

「にゃ」

「鳴き方が偉い」


 リュミエラが、畳んだ布を膝に置いたまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 笑った、と言うには控えめすぎる。けれど、確かに空気が柔らかくなった。


 日が傾く頃には、広間の一角だけはどうにか人のいる場所らしくなった。

 板を敷き、その上に古布と外套を重ねる。窓穴には壊れた棚板を立てかけ、隙間には草と布を詰めた。暖炉の煙突は途中で鳥の巣が詰まっていたので、長い枝でどうにか掻き出した。

 火を入れると、最初は黒い煙が逆流してきた。


「うわっ、目が!」

「カナタ、こちらへ!」

「にゃっ!」


 三人で広間の外へ逃げた。

 しばらくしてから戻ると、煙はなんとか上へ抜け始めていた。

 暖炉に小さな火が灯る。

 ぱちぱちと薪が鳴り、冷えていた石壁に橙色の光が揺れた。


「……おお」


 俺は思わず声を漏らした。

 さっきまでただの廃墟だった広間が、火ひとつで少しだけ違って見える。

 人がいる場所になった。

 帰ってくる場所、とまではまだ言えない。

 けれど、今夜を越える場所にはなった。


「すごいですね」


 リュミエラが小さく言った。

 暖炉の火を見つめる横顔に、淡い橙色が落ちる。銀髪も白い装束もまだ汚れている。それでも、彼女の頬にはわずかに色が戻っていた。


「火があるだけで、こんなに違うんですね」

「文明って偉大だな」

「文明」

「前世では、ボタンひとつで部屋が暖かくなった」

「……それは魔法ですか」

「ある意味、魔法よりすごいかもしれない」


 リュミエラは不思議そうに俺を見た。

 説明すると長くなるので、俺は笑ってごまかした。


 そのとき、腹が鳴った。

 俺のだ。かなりはっきり鳴った。


「……」

「……」

「にゃ」


 沈黙の中で、コハクだけが何か言いたげに鳴いた。


「いや、仕方ないだろ。朝から硬いパンと薄い粥だけだぞ」

「責めていません」

「顔がちょっと責めてた」

「驚いただけです」


 リュミエラは膝の上に置いていた小さな包みを見た。

 宿を出るとき、女将が安く分けてくれた食材だ。硬くなったパン。少量の干し肉。玉ねぎに似た小さな野菜。乾燥した豆。味は期待できないが、何もないよりはましだった。


「カナタ」

「ん?」

「調理場を、もう一度見てもよろしいですか」


 俺は瞬きをした。


「調理場?」

「はい。竈は壊れていますが、鍋は使えそうなものがありました。水も、井戸が生きていればどうにかなります」

「でも、お前まだ疲れてるだろ」

「座ってできることだけにします」

「本当か?」


 リュミエラの顔は真剣だった。

 昨日からずっと、彼女は何かを受け取ってばかりだと思っているのかもしれない。助けられ、運ばれ、宿代を払われ、寝台を譲られ、廃墟まで連れてこられた。

 だから、何か返そうとしている。

 止めるべきか迷った。

 だが、何もさせないことが優しさとは限らない。


「わかった。ただし、無理はしない。立ちっぱなしは禁止。重い鍋は俺が持つ。コハクは食材を盗まない」

「にゃ」

「今のは返事じゃなくて不服だな」


 リュミエラは、包みをそっと持ち上げた。

 暖炉の火を受けて、彼女の横顔が少しだけやわらぐ。


「では、簡単なものですが、作ります」


 廃墟の広間に、初めて食事の気配が生まれようとしていた。

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