第六話 お前が嫌がるなら、使わない
リュミエラの問いに、俺はすぐ答えられなかった。
答えたくないのではない。答えがない。
俺の方こそ聞きたいくらいだった。
草原には、さっきまでの戦闘の跡が残っている。
踏み荒らされた夏草。落ちた短剣。地面に転がる折れた矢。リュミエラの肩から流れた血が、白い装束に細い線を作っていた。
遠くの木立の向こうでは、逃げていった男たちの足音がもう聞こえない。
だが、追ってこないと決まったわけではない。
「俺の固有スキル、だと思う」
ようやく絞り出すと、リュミエラの指先がぴくりと動いた。
「固有スキル……?」
「ああ。今までは、まともに使えたことがなかった。表示されていた名前も、意味不明で」
「どのような名前だったのですか」
「【ヒロインインストール】」
リュミエラが沈黙した。
数秒後、すみれ色の瞳がゆっくり俺を見る。
「……女性を、集める能力ですか」
「やめろ。語弊がありすぎる」
「にゃぁ」
コハクが俺の足元で鳴く。
同意なのか追撃なのか判断に迷う声だった。
「今、初めて表示が変わった。月光戦姫型って出た。それで、お前に力が入った」
「月光、戦姫型……」
リュミエラは言葉をひとつずつ確かめるように繰り返した。
その顔には、まだ怯えが残っている。
当然だ。
自分の身体が急に別の何かへ変わり、知らない戦い方で敵を退けた。勝ったからよかった、で済ませられる話ではない。
「すまない」
俺は頭を下げた。
「お前に確認する前に使った」
「……あの状況では、仕方なかったと思います」
「仕方なくても、怖かっただろ」
リュミエラは何も言わなかった。
否定しない沈黙が、答えだった。
夏草を撫でる風の音が、急に近くなる。彼女の呼吸は浅い。肩の傷もあるし、型とやらの反動もあるのだろう。
「次に使うときは、必ず先に聞く。いや、使わないで済むなら使わない」
「……使わないのですか」
「お前が嫌がるなら、使わない」
リュミエラの瞳が揺れた。
「でも、私は……あの力がなければ、先ほどの人たちに連れていかれていました」
「そうだな」
「なら、役に立つ力です」
「役に立つかどうかだけで決めたくない」
言ってから、少しだけ自分の声が硬くなったのに気づいた。
さっきの男たちが、リュミエラを物のように扱ったことが、腹の奥にまだ残っている。
連れていく。回収する。拾ったところで得がない。
どの言葉も、人に向けるものではなかった。
「俺のスキルが、お前を道具みたいに使うものなら、俺は使い方を間違えたくない」
「……道具」
リュミエラは小さく呟いた。
その声に、薄い痛みが混じる。
俺はしまったと思ったが、もう遅い。
「神殿でも、よく言われました。聖女は、祝福の器だと。神意を受け入れる清らかな器であれと」
器。その言葉が、妙に冷たく草原に落ちた。
俺は唇を引き結ぶ。
「……嫌な言い方だな」
「当たり前だと思っていました。私は、そういうものなのだと」
「違うだろ」
思わず言葉が出た。
リュミエラが瞬きをする。
「お前は器じゃない。少なくとも、俺はそう扱いたくない」
「でも、先ほどの力は、私の中に何かが入ってきました」
「だから怖いんだろ。俺も怖い。使った俺が言うなって話だけどな」
自嘲気味に笑うと、コハクが俺の靴を前足で叩いた。
慰めなのか、反省しろという叱責なのか、こいつの猫パンチはいつも情報量が多い。
「ただ、ひとつだけわかることがある」
「なんですか」
「さっき、お前は俺を助けようとした。自分だけ連れていけって言おうとして、それでも最後は俺の隣に立とうとした」
リュミエラの手が、胸元で止まる。
「あの力が出たのは、たぶんその瞬間だ。お前が誰かを守ろうとしたから、ああいう型が出た。少なくとも、俺にはそう見えた」
「私が、守ろうとしたから」
「ああ」
リュミエラは、草の上に落ちた自分の影を見つめた。
長い銀髪が頬にかかり、表情の半分を隠す。
「……聖女ではなくなっても、誰かを守ろうとしていいのでしょうか」
「許可がいることなのか、それ」
「今までは、必要でした。祈ることも、癒やすことも、誰に祝福を与えるかも、私が勝手に決めていいものではありませんでしたから」
言葉に、喉が詰まる。
聖女という響きから想像していた華やかさは、彼女の話の中には少しもない。
神殿。王宮。命令書。新しい聖女。会ってもくれなかった王太子。
その全部が、リュミエラという一人の少女を、少しずつ削ってここまで運んできたのだろう。
「じゃあ、今は勝手に決めればいい」
「勝手に?」
「そうだ。俺も勝手に決めた。お前を渡さないって」
「……それは、危険です」
「もうだいぶ危険だっただろ」
「そうですが」
「それに、首都へ戻す方がもっと危ない」
リュミエラの顔から、血の気が引いた。
「……首都」
「戻りたいのか?」
彼女はすぐには答えなかった。
遠くの街道の方を見る。草の向こうに、首都へ続く道がある。彼女が追い出され、ひとりで歩いてきた道だ。
「戻る場所は、ありません。神殿には新しい聖女がいます。王宮にも、私はもう不要です。力を失った聖女が首都へ戻れば、混乱を招くだけです」
「さっきの連中もいるだろうしな」
「はい。彼らが神殿の者なのか、王宮の者なのか、あるいは別の誰かに雇われた者なのかはわかりません。ですが、私を探していたのは確かです」
「王太子本人の命令かどうかも、まだわからない」
俺がそう言うと、リュミエラは目を伏せた。
「……はい。殿下ご本人が、あのようなことを命じたのかどうかは、私にはわかりません。最後にお会いすることもできませんでしたから」
その声には、怒りよりも深い疲労がある。
俺は傷口に布を当て、持っていた残りのポーションを少しだけ染み込ませた。
安物でも、肩の傷には多少効いたらしい。滲んでいた血がゆっくり止まっていく。
「なら、首都には行かない」
「……カナタ様」
「様はいらないって言った」
「……カナタ」
「それでいい」
なぜか少し照れくさい。
呼び方ひとつでそんな顔をするな、と自分に言いたくなる。
コハクが俺の横で大きくあくびをした。緊張感の回収が早い。
「でも、首都へ行かないなら、どこへ」
「まずは街道沿いの宿だ。お前は休め。俺も頬が痛い。コハクはたぶん干し肉が食いたい」
「にゃ」
「ほら、肯定が強い」
リュミエラがほんの少しだけ目を丸くした。
笑ったわけではない。けれど、先ほどまでの空っぽな表情よりはずっといい。
「その後は?」
「その後か……」
俺は剣を鞘に戻し、落ちていた短剣を足で遠くへ押しやった。
男たちが戻ってきたとき、武器を拾われるのは面倒だ。
空は少しずつ赤くなってきている。日が落ちる前に動かないと、本当にまずい。
「俺はレギオンを作る」
口に出すと、思ったより腹の底に重く落ちた。
「どこのレギオンにも入れないなら、自分で作る。最強のレギオンだ。笑うなら笑っていい」
「笑いません」
リュミエラの返事は早かった。
「どうして」
「カナタは、先ほど本当に私を守ろうとしてくれました。無茶で、危なっかしくて、あまり計画性はなさそうですが」
「そこまで言う?」
「でも、笑うことではありません」
彼女は弱々しく息を吸い、それから続けた。
「誰にも選ばれなかった人が、自分で居場所を作ろうとすることを、私は笑えません」
言葉が、まっすぐ胸に刺さった。
俺は少しだけ視線を逸らす。
レギオンの面接に七回落ちた俺と、聖女の座から追われたリュミエラ。
並べるには重さが違いすぎる。だが、どこにも入れなかったという一点だけは、妙に似ているのかもしれない。
「じゃあ、暫定目標だ」
「暫定」
「まずはお前が安全に寝られる場所を探す。次に、俺が食いっぱぐれない仕事を探す。その先で、レギオンを作る」
「……順番が、現実的ですね」
「七回落ちた男は、夢だけでは宿代が払えないことを知っている」
「説得力があります」
「そこは褒めてるのか?」
「少しだけ」
リュミエラの唇が、ほんのわずかに緩んだ。
笑顔と呼ぶには薄い。けれど確かに、さっきまでなかった表情だった。
俺は彼女に手を差し出す。
「立てるか」
「……少し、支えていただければ」
「了解」
リュミエラの手を取り、慎重に立たせる。
軽い身体がまたこちらへ傾いた。今度は、さっきよりも少しだけ自分の足で踏ん張っている。
コハクが先へ歩き出した。
夕暮れの草原に、猫の小さな尻尾がぴんと立つ。
俺たちは、首都とは反対側の街道へ向かった。
誰にも選ばれなかった俺たちが、どこへ行けばいいのかなんて、まだわからない。
それでも、ひとつだけ決めた。
俺はレギオンを作る。
そして、少なくともこの少女を、もう一度誰かの都合で捨てさせたりはしない。
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