第五話 元聖女に月光戦姫をインストール
視界に浮かんだ文字列を、俺は一瞬理解できなかった。
月光戦姫型。
なんだそれは。
いや、名前だけならわかる。前世の記憶のどこかに引っかかる。月、光、戦う少女。正義。変身。妙に決めポーズが多いやつ。
だが、今は笑っている場合ではない。
目の前では、三人の男が同時に動いている。
剣、槍、矢。全部が、俺とリュミエラを潰すために放たれていた。
「くそっ、考えてる暇はない!」
俺は反射で叫んだ。
「【月光戦姫型】――降臨!」
白い光が弾けた。
いや、白だけではない。夜明け前の月に、淡い金色と、ほんのわずかな薄桃色を溶かしたような光。
その光が俺の視界を満たし、次の瞬間、リュミエラの身体へ吸い込まれていく。
「……っ!」
リュミエラが息を呑んだ。
立っているのもやっとだったはずの身体が、まるで見えない糸に引かれたようにすっと伸びる。
銀髪の表面に、月光のような淡い輝きが走った。毛先だけが薄い金色に染まり、すみれ色の瞳の奥に、星を砕いたような光が灯る。
白い装束の汚れまでは消えない。
頬の傷も、肩の血も、そのままだ。それでも、彼女の纏う空気だけが変わった。
行き倒れていた少女ではない。夜空の下に立つ、戦うための光そのものだった。
そして、リュミエラはなぜか胸の前で両腕を交差しかけた。
「待て待て待て! 今、何かポーズ取ろうとしなかったか!?」
「えっ、身体が勝手に……って、今はそれどころじゃないわ!」
「口調まで変わってる!」
リュミエラの顔に、ほんの一瞬だけ困惑が浮かぶ。
だが次の瞬間、彼女は飛んできた矢へ手を向けた。
月色の光が円形に広がる。
薄い光の盾が、空中で矢を受け止めた。乾いた音を立て、矢が真横へ弾かれる。
「なっ……!?」
弓の男が目を見開いた。
槍の男も足を止める。
無理もない。さっきまで立つのもやっとだった少女が、いきなり光の盾で矢を弾いたのだ。俺だって同じ立場なら、まず目を疑う。
「リュミエラ、動けるか!」
「動ける! すごい、身体が軽い。これなら、ちゃんと守れる!」
リュミエラは自分の手を見た。
月光を帯びた指先が、かすかに震えている。
恐怖ではない。身体の奥から湧き上がってくる力に、彼女自身が戸惑っている震えだった。
「その力で、三人まとめて止められるか」
「止めるわ。こんなこと、絶対に許せないもの」
言い切った声は、さっきまでの弱々しいものではなかった。
凜としている。
けれど、どこか妙に正義感が強そうでもある。
リュミエラは男たちへ向き直り、月光を纏った指先をびしっと突きつけた。
「怪我人を無理やり連れていこうなんて、最低よ! まずは武器を下ろして、ちゃんと謝りなさい!」
「急に説教始めた!?」
リュミエラは真剣だった。
真剣な顔で、剣を構える男たちに向かって言う。
「謝らないなら、月明かりの下で反省してもらうんだから!」
「かなり寄ってる! かなり寄ってるけど、元の単語は踏んでない!」
「何の話!?」
「こっちの話!」
俺のツッコミを置き去りにして、光を纏ったリュミエラが一歩踏み込む。
踏み込みは軽い。
草を蹴った音すらほとんどない。白と金の残光だけが、彼女の動いた軌跡を空中に残した。
まず槍の男が吹き飛んだ。
リュミエラの手のひらから放たれた小さな月光弾が、槍の柄を正確に打ち抜いたのだ。槍は中ほどで弾かれ、男の手から離れる。
次の光弾が、男の胸当てを叩く。
骨を砕くほどではない。だが呼吸を奪うには十分だったらしく、槍の男は呻きながら膝をついた。
「魔法か!?」
「違う、祝福の類だ!」
「元聖女が力を失ったんじゃなかったのか!」
男たちの声に、リュミエラの肩がわずかに強張る。
元聖女。
その言葉が、今の彼女にどれだけ刺さるのか、俺にはまだわからない。
でも、ここで止まらせるわけにはいかなかった。
「リュミエラ、そいつらの言葉は聞くな! 今は前!」
「うん、わかった!」
返事と同時に、リュミエラが両手を広げる。
彼女の足元に、月の輪のような魔法陣が浮かんだ。そこから細い光の糸が伸び、草原を滑るように走る。
剣の男が踏み込もうとした瞬間、その足元を光の糸が絡め取った。
「くっ、足が!」
男の体勢が崩れる。
俺はその隙を逃さず、低く踏み込んだ。
こちらの剣は綺麗ではない。格好いい流派の型もない。ただ、相手が崩れたところへ全力で叩き込む。
刃の腹で男の手首を打ち、剣を落とさせる。
続けて肩へ蹴りを入れた。
男は草の上を転がり、呻き声を上げる。
「よし、一人!」
「カナタ、左!」
リュミエラの声に合わせて、俺は身を沈めた。
背後から飛んできた矢が、俺の髪をかすめて通り過ぎる。
危なかった。
今のは本当に髪一本分だった。
「弓、しつこい!」
俺が叫ぶより早く、リュミエラが弓の男へ手を向けていた。
月光弾が三つ、空中に浮かぶ。
ひとつ目が弓を弾き、ふたつ目が矢筒の紐を切り、三つ目が男の足元で弾けた。
爆発ではない。
強烈な光が、地面からふわりと跳ね上がる。
「うわっ、目が!」
弓の男が目を押さえて後退した。
殺傷ではなく、無力化。
それがこの型の基本なのかもしれない。
月光戦姫型。
名前の通り、戦える。だが、ただ敵を叩き潰す力ではない。守るために光り、止めるために撃つ力。
リュミエラに合っているようで、合いすぎているのが少し怖かった。
「ふざけるな!」
剣を失った男が、腰の短剣を抜いた。
狙いは俺ではない。一直線にリュミエラへ向かう。
あの光を生む本人を止めればいいと判断したのだろう。
「リュミエラ!」
「大丈夫。あたし、逃げない!」
彼女は逃げなかった。
胸の前で、今度はポーズではなく、はっきりと祈るように両手を重ねる。
足元の月輪が、ひときわ強く輝いた。
「人を傷つけるための刃なんて、ここで止まりなさい!」
その声と同時に、光の盾が男の正面に現れた。
男の短剣が盾へ突き刺さる。金属音ではなく、硬い鐘を叩いたような澄んだ音が鳴った。
短剣は弾かれ、男の手から飛ぶ。
次の瞬間、コハクが草むらから飛び出し、男の足首へ全力で猫パンチを入れた。
「そこは猫パンチなんだ!?」
「にゃっ!」
勢い自体は小さい。
けれど、タイミングが完璧だった。
足を取られた男が前のめりに倒れる。俺はそこへ走り込み、剣の柄で男の後頭部を軽く打った。
男はそのまま草の上に沈黙する。
残る二人も、もう戦う気を失っていた。
槍の男は胸を押さえて座り込み、弓の男は涙目でこちらを見ている。
月光を纏ったリュミエラが一歩近づくと、二人は揃って肩を跳ねさせた。
「まだ続けるの? 悪いことは、ここで終わりにして」
リュミエラの声はまっすぐだった。
それなのに、妙な圧がある。
正義感と月光と説教が混ざった、逃げ場のない圧だ。
「ひっ……!」
「退く! 退くから、撃つな!」
男たちは気絶した仲間を引きずり、武器も拾わずに後ずさった。
そのまま木立の向こうへ消えていく。
最後までこちらを何度も振り返っていたが、追ってくる気配はなかった。
俺は剣を下ろし、ようやく息を吐いた。
腕が痺れている。頬の傷も熱い。草の匂いに血の匂いが混ざって、胃のあたりが少し気持ち悪い。
勝った。
たぶん、勝った。
初めて発動した謎スキルで、いきなり追手を撃退した。
「……すごいな」
思わず呟く。
リュミエラは月色の光を纏ったまま、まだ男たちが消えた方向を見ていた。
そしてゆっくりと、俺の方を向く。
「カナタ」
「ん?」
「怪我、大丈夫? あんな無茶したら危ないじゃない」
「説教がこっちにも来た」
「当たり前でしょ。守る側だって、ちゃんと守られなきゃ駄目なんだから」
その言葉は、型の口調の中に混じった、たぶんリュミエラ自身の本音だった。
問い返そうとした瞬間、彼女の身体から光がほどけた。
月光の糸が空中に散り、毛先の金色がすうっと抜けていく。瞳の奥に灯っていた星のような光も消え、銀髪は元の静かな色へ戻った。
同時に、リュミエラの膝が崩れる。
「おっと!」
俺は慌てて駆け寄り、倒れかけた身体を支えた。
さっきよりは意識がある。けれど、顔色はひどい。肩の傷から滲んだ血が、白い装束を薄く濡らしている。
「無理しすぎだ。座れ」
「……はい」
リュミエラは抵抗しなかった。
木の根元に座らせると、彼女は自分の両手をじっと見つめた。
小さな手。
泥と血で汚れた、元聖女の手。
そこに、さっきまで月光が宿っていた。
「リュミエラ?」
声をかけると、彼女の指先が震えた。
夏風は温かいはずなのに、その震えは寒さに耐えるものに見えた。
「……今のは」
「ん?」
「今のは……私じゃない」
すみれ色の瞳が、かすかに揺れている。
勝利の興奮も、安堵も、そこにはない。
あるのは、自分の中へ知らない何かを入れられたことへの、静かな恐怖だった。
「私の身体なのに、私ではない誰かが、私の中で動いていました」
リュミエラは震える両手を、胸元で握りしめた。
「カナタ様。今の力は、一体なんなのですか」
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