第四話 降臨を実行しますか?
俺はリュミエラの肩を支えたまま、剣の柄に手をかけた。
まずい。片手は彼女を支えるために使っている。まともに戦うなら、両手がほしい。だが今ここでリュミエラを地面に戻せば、次に立たせるまでに時間がかかる。
コハクが低く身を沈めた。
尻尾は草に触れそうなほど低い。耳は完全に伏せられている。
つまり、ただの通行人ではない。
「リュミエラ、少しだけ我慢しろ」
「……はい」
リュミエラの返事は弱い。
けれど、さっきより意識ははっきりしている。細い指が俺の袖口をつかんだ。力はない。だが、倒れまいとする意思だけは伝わってきた。
草を踏み分けて、三人の男が姿を現した。
一人は鉄の剣。
一人は短い槍。
一人は弓。
革鎧は薄汚れているが、完全な野盗というほど雑でもない。装備は安物でも、動きに無駄が少ない。少なくとも、街道で偶然出くわした農民ではなかった。
「いた」
剣を持った男が、リュミエラを見るなり口の端を歪めた。
俺の背筋が冷える。
探していた。こいつらは、最初からリュミエラを探してここへ来た。
「白い装束に銀髪。間違いないな」
「息はあるのか?」
「ある。むしろ拾われてやがる」
槍の男が俺を見た。
その目に、助けた人間への驚きや感謝はない。邪魔なものを見る目だった。
「おい、そこの男。その女を渡せ」
「いきなりだな。せめて自己紹介くらいしろよ」
「必要ない。そいつは神殿から出た女だ。お前みたいな野良冒険者が関わっていい相手じゃない」
「神殿から出た女、ね」
元聖女とは言わない。追放されたとも言わない。だが、リュミエラの素性を知っている。
俺はリュミエラを支える腕に力を入れた。
彼女の身体が、わずかに硬くなる。
「知り合いか」
「……知りません」
リュミエラの声は小さかった。嘘をついているようには聞こえない。
男たちの方も、彼女を個人として知っているというより、特徴だけで探していたように見える。
「だそうだ。人違いじゃないのか」
「その女がそう言ったところで、何の証明にもならん」
「本人確認を本人以外でするの、だいぶ雑だな」
「口の減らない男だ」
剣の男が一歩前に出ると、草が踏み潰される湿った音がする。
距離は十歩ほど。相手が本気で踏み込めば、一瞬で詰められる。
「最後に言う。その女を渡せ。命までは取らない」
「最後に言うの早すぎないか。交渉って、もう少し段階を踏むものだろ」
「交渉ではない。命令だ」
「誰の?」
男の顔から、わずかに笑みが消えた。
当たりだ。こいつらには、命令した誰かがいる。
「答える必要はない」
「じゃあ渡す必要もないな」
俺はリュミエラを少しだけ背後へ下がらせた。
とはいえ、彼女はほとんど自力で立てない。支えを外せば倒れる。戦うにも逃げるにも、条件は最悪だった。
弓の男が弦を引く。
乾いた音が、耳の奥にやけに大きく響いた。
「カナタ様」
リュミエラが俺の袖をつかんだまま、かすれた声で呼ぶ。
様。
急に距離感のある呼び方が飛んできて、こんな状況でなければ突っ込んでいた。
いや、少しだけ突っ込みたかった。
「様はいらない。あとで直せ」
「……今、それを言いますか」
「今だから言う。緊張がほぐれるだろ」
「ほぐれません」
だめだった。
コハクが「にゃ」と短く鳴く。
俺たちのやり取りをどう判断したのかはわからないが、少なくとも男たちは苛立ったようだった。
「ふざけている余裕があるなら、後悔しながら倒れろ」
弓弦が鳴ると矢が飛んでくる。
俺はリュミエラの肩を抱えたまま、強引に身体を横へ捻った。矢が頬のすぐ横を掠め、背後の木に突き刺さる。
熱い痛みが頬に走った。血が一筋、顎へ落ちる。
「っぶねえな!」
言いながら、俺はリュミエラを近くの木の根元へ押し込むように座らせた。
「ここから動くな。コハク、見ててくれ!」
「にゃっ!」
コハクがリュミエラの前に立つ。
小さな背中だが、その背中があるだけで、なぜか少し安心する。
剣を抜くと鉄の刃が夕方の光を鈍く返す。
かっこよく構えたいところだが、俺の剣術は基本的に泥臭い。身体能力補正に任せ、相手の動きを見て、無理やり隙を作る。それだけ。
だが、グラスワームしか斬っていない男だと思われるのは癪だった。
「来いよ。七回落ちた男の八つ当たりを見せてやる」
「意味のわからん脅しだな」
「俺も言っててそう思った」
剣の男が踏み込んだ。
思ったより、ずっと速い。
斜め上から振り下ろされる剣を、俺は刃で受けた。硬い衝撃が腕に走る。痺れる。だが、受けられないほどではない。
押し返し、体当たり気味に肩をぶつける。
男の体勢がわずかに崩れた。
「おおっ!」
その隙に、横薙ぎの一撃を叩き込む。
男は咄嗟に身を引いたが、刃先が革鎧を裂いた。浅い。だが、こちらの攻撃が当たることは証明できた。
「この野良、意外と動くぞ!」
「足を止めろ!」
槍が横から突き出される。
俺は半歩下がって避けた。草に足を取られかけ、舌打ちする。
足場が悪い。背の高い草で相手の足元も見えにくい。リュミエラを庇う位置を意識し続けるせいで、動ける範囲も狭い。
弓の男が二射目をつがえる。
「カナタ様、右です!」
リュミエラの声が飛んだ。反射で右へ跳ぶ。
直後、矢がさっきまで俺の胸があった場所を貫いた。
「助かった!」
振り向く余裕はない。
けれど、木の根元に座るリュミエラが、苦しそうに息を乱しながらも戦況を見ているのはわかった。
力を失った元聖女。さっきまで自分の命すら諦めていた少女。
それなのに、俺の命の危機は見過ごせないらしい。
「厄介だな。女の方も黙らせろ」
槍の男が向きを変えた。
俺ではない、リュミエラへ向かって。
「させるか!」
俺は剣の男を押し返し、槍の男の前へ割り込む。
だが遅い。
槍の穂先が、俺の剣の防御をすり抜けるように伸びる。
狙いは俺の脇腹ではない。俺の後ろにいるリュミエラだ。
コハクが飛び出した。
小さな身体が槍の柄にぶつかる。軌道がわずかにずれた。
穂先はリュミエラの肩を掠め、白い装束に赤い線を引く。
「リュミエラ!」
「大丈夫、です……!」
大丈夫なわけがない。
彼女の顔色はさらに悪くなっている。額には汗が滲み、唇は白い。それでも、すみれ色の瞳だけは男たちを見据えていた。
「もういい。抵抗するな」
剣の男が低く言う。
「その女は、どのみち誰かに回収される。拾ったところで、お前には何の得もない」
「得がないと人を助けちゃいけない決まりでもあるのか」
「世の中はそういうものだ」
「だったら、俺はその世の中と相性が悪いな」
息が上がる。腕が痛い。頬の血が顎から落ちる。
リュミエラを背に庇ったまま、三人を相手にするのは無理がある。わかっている。わかっているが、ここで引けば彼女は連れていかれる。
そのとき、リュミエラが動いた。
「リュミエラ、動くな!」
叫んだが、彼女は木の根元から立ち上がろうとしていた。
膝は震えている。立てているとは言いがたい。それでも、彼女はコハクの背中を越えるように一歩前へ出た。
「……やめて、ください」
細い声だった。
けれど、不思議と草原に響いた。
「この人は、関係ありません。私を探しているのなら、私だけを――」
「馬鹿言うな!」
俺は怒鳴った。
リュミエラの肩がびくりと震える。
「関係ある。今、俺が決めた。お前をここで渡さないって決めた時点で、俺の話になった」
「でも」
「でもじゃない。お前はもう少し、自分を安売りするのをやめろ」
言った瞬間、リュミエラの目が大きく揺れた。
その感情が何なのか、今の俺にはわからない。
ただ、その一瞬の隙を男たちは見逃さなかった。
「まとめて倒せ!」
三人が同時に動く。
剣、槍、矢。全部がこちらへ向かってくる。
俺の身体能力補正だけでは足りない。剣一本では守り切れない。コハクも間に合わない。
それでも、リュミエラは逃げなかった。
白い装束を血と泥で汚したまま、俺の背後でなく、隣に立とうとしていた。
その瞬間、視界の端が白く弾けた。
半透明のウィンドウが、今まで見たことのない勢いで開く。
【月光戦姫型】
接続可能。
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