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【完結】猫のオマケで転生した俺、ハズレスキル【ヒロインインストール】を武器に追放聖女と最強レギオンを目指す  作者: 木風
第一章

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第四十三話 汚れても消さない名前にしたい

 さっきまで笑っていたオクタヴィアも、羽ペンを回す手を止めている。

 リューは、紙の上の白い空欄を見つめていた。自分で口にした名前なのに、そこへ置いてよいものか確かめているみたいだった。

 コハクは机の端で尻尾を揺らし、俺とリューの顔を交互に見ている。


 彼方……カナタ。

 自分の名前。前世で何度も呼ばれた名前。

 面接で落ちるたび、書類に書いて、呼ばれて、頭を下げて、また落ちた名前。

 この世界に来ても、猫のオマケ扱いで、レギオンの面接に落ちて、受付の前で苦笑いするしかなかった名前。


 その名前が、灯という言葉と並んでいる。

 喉の奥が、変に熱くなった。


「……俺の名前、入るのか」


 どうにか出た声は、思ったより小さかった。


「はい」

「いや、嬉しいけど、恥ずかしいというか。レギオン名に代表者の名前が入るの、だいぶ主張強くないか」

「カナタの名前だけではありません」


 リューは、紙へ置いていた指を少し動かした。


「彼方は、遠い場所です。今いる場所から見えない先。まだ届かない向こう側」

「うん」

「でも、灯は近くにあるものです。夜道で探すものです。帰る時に、あそこだとわかるものです」


 リューの声は静かだった。

 レギオンの小部屋には、雨上がりの湿った匂いが少し入り込んでいる。窓の外では、荷馬車の車輪が泥を踏む音がした。


「遠い場所を目指しても、戻れる灯がある。遠くへ行くために、帰る場所を捨てない。そういう名前がいいと思いました」

「いいんじゃない」


 オクタヴィアが、低く息を吐いた。

 短い言葉だったけれど、さっきの命名案を面白がっていた時とは違う声だ。

 リューは、少し迷ってから俺を見た。


「それに……私にとって、カナタは灯でした」


 胸の奥が、どん、と音を立てた気がした。

 今度こそ、何も返せなかった。


「草むらに倒れていた時、私はもう、自分がどこへ行けばいいのかわかりませんでした。神殿へ戻れない。王宮にも戻れない。街へ行けば、誰かに見つかるかもしれない。森にいれば、魔物に襲われるかもしれない」


 彼女の指が、木の机の端をそっと押さえる。

 あの時の土や草の感触を思い出しているのかもしれない。


「そのまま目を閉じれば楽になるのかもしれないと、少しだけ思いました」


 俺は息を詰めた。

 聞いているだけで、胃のあたりが冷える。

 でも、リューはそこで目を逸らさなかった。


「でも、コハクさんが来て、カナタが来ました。知らない人なのに、私の名前を聞いて、薬をくれて、置いていきませんでした」

「それは……」


 当たり前だ、と言いかけて止める。

 彼女にとって、それは当たり前ではなかった。

 リューは、俺が言葉を止めたのを見て、ほんの少しだけ目元を緩めた。


「あの時、まぶしい光ではありませんでした。大きな炎でもありません。世界を照らすようなものでもありません。ただ、暗い場所で、こちらに道があると教えてくれる小さな灯でした」


 頬が熱い。戦闘後の傷とは違う熱だ。

 自分の名前を、こんなふうに誰かの口から聞く日が来るとは思わなかった。


「それで、彼方の灯(ホライゾンリヒト)


 リューは言った。


「カナタひとりの名前ではなく、私たちが遠くへ行くための灯です。コハクさんが見つけてくれる道も、旧監視砦の暖炉も、作戦帳の最後の一行も、全部そこに入れたいと思いました」


 コハクが「にゃ」と鳴いた。

 今回は、たぶん賛成だ。


「コハクも入ってる?」

「もちろんです」

「にゃあ」


 コハクは机の上で胸を張った。

 書類上は随伴獣でも、名前の中には入ったらしい。


 俺は、指先を握ったり開いたりした。

 恥ずかしい。かなり恥ずかしい。

 聖猫覇王団を出した直後の男が何を言うんだという話だが、それとは別種の恥ずかしさだ。

 ふざけた名前は、笑われても逃げられる。でも、これは逃げられない。

 リューが真剣に考えてくれた名前だ。


「カナタ君」

「はい」

「代表者として聞くけど、その名前を受け取れる?」


 オクタヴィアが言った。

 受け取れるか。名前をつけるのではなく、受け取る。リューが差し出した灯を、俺が受け取る。


 俺は、白い空欄を見る。


 追放されたリュー。

 面接に落ち続けた俺。

 書類上は随伴獣のコハク。

 雨漏りする旧監視砦。

 壊れた棚と、硬い豆のスープと、みんなで勝った作戦帳。


 それを一つの名前で呼ぶ。


「受け取る」


 声にすると、腹の奥に重さが落ちた。

 怖い。でも、嫌な怖さではなかった。


「その名前でいこう」


 リューの肩から、少しだけ力が抜けた。

 目元がやわらぐ。


「よかったです」

「俺の命名案、全部いらなかったな」

「聖猫覇王団は、特にいりませんでした」

「ピンポイントだな」

「忘れられない響きではありました」

「褒めてる?」

「いいえ」

「だよな」


 オクタヴィアがまた笑い出した。

 この人、たぶん一生その名前を忘れない。それはそれで困る。


 オクタヴィアが俺に向かって羽ペンを差し出す。


「代表者が書く?」


 俺はペン先を見た。

 指が少し緊張する。

 前世で履歴書を書いた時の嫌な記憶が、ほんの少しだけよぎった。

 何度も書いた名前。

 何度も落ちた書類。


 でも、これは落とされるための紙ではない。

 俺たちが名乗るための紙だ。


 俺はペンを握るとインクをつけ、空欄の上で一度止める。


「字が汚かったら?」

「正式記録はあとで清書されるから大丈夫」

「今、少し安心した」

「面接通過率並みに字も不安ですか」

「転生前はパソコンってのがあってだな……」


 リューは少しだけ笑った。

 俺は息を吸い、書いた。


 彼方の灯(ホライゾンリヒト)


 墨が紙に染み込む。

 たった八文字なのに、書き終えるまでやけに時間がかかった。

 最後の線を引いた瞬間、胸の中で何かが小さく鳴る。


 そこに、俺たちの名前が入った。

 オクタヴィアは紙を持ち上げ、インクの乾き具合を確かめる。


「いい名前だね」


 自分がつけたわけではないのに、褒められると嬉しい。

 リューは、紙の上の文字を見つめていた。


「カナタ」

「うん」

「この名前を、汚さないようにしなければなりませんね」


 真面目な声だった。

 俺は少し考えてから、首を横に振った。


「たぶん、汚れると思う」


 リューが瞬きをする。


「雨漏りで濡れるし、泥道も歩くし、たぶん失敗もする。俺の字もそこまで綺麗じゃない。コハクが書類に足跡をつけるかもしれない」

「にゃ」

「そこは否定してくれ」


 コハクは机の端で前足を舐めた。

 やる気だ。


「だから、汚さない名前じゃなくて、汚れても消さない名前にしたい。失敗しても、傷ついても、雨漏りしても、戻って火を入れ直せる名前。そういうのがいい」


 リューは少し黙った。

 それから、小さく頷く。


「はい。消さない名前にします」

「じゃあ、彼方の灯(ホライゾンリヒト)。仮登録手続きに入ろう」


 オクタヴィアは、そのやり取りを聞いて、静かに紙を手に取る。


 声に出されると、少し照れくさい。

 けれど、不思議と嫌ではなかった。


 白い空欄は、もう空欄ではない。

 俺たちはまだ、正式なレギオンになったわけではない。必要な確認も、署名も、拠点の追加審査も残っている。


 それでも、その紙の上で、俺たちは初めて一つの名前を持った。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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