第四十二話 カナタの名前は、彼方という意味にも聞こえます
レギオン名。
そこへ何を書くかで、俺たちはこれからそう呼ばれる。
依頼票にも、レギオン記録にも、報酬の受け取りにも、たぶん噂話にも残る。
俺は羽ペンを見つめた。
インク壺の横で、黒い羽根がやけに格好よく見える。
「カナタ君」
オクタヴィアがにこにこしている。
「一応言っておくけど、登録したら簡単には変えられないよ」
「わかってる」
「本当に?」
「そこそこ」
「そこそこかぁ」
不安そうな声を出しながら、オクタヴィアは楽しそうだった。
絶対に面白がっている。
リューは俺の横で、静かに紙を見ている。
その表情には、期待と警戒が半分ずつ混じっていた。
コハクは机の端に座り、羽ペンの先を前足で触ろうとしている。
「コハク、書類で遊ぶな」
「にゃ」
「お前の名前も関係あるからな」
「にゃあ」
コハクは少し姿勢を正した。自分も関係者だとわかったらしい。
「では、候補を出しましょう」
リューが言った。
「まず、どのような名前がよいのでしょうか」
「強い名前」
「それは、広すぎます」
「覚えやすい名前」
「それは、大事ですね」
「あと、格好いい名前」
「その格好いいの基準が、少し不安です」
不安が具体的だ。
オクタヴィアが羽ペンを回しながら言う。
「名前には、大きく三種類あるね。地名を入れる型。理念を入れる型。代表者の趣味が漏れる型」
「最後の言い方」
「実際、多いよ。うちの亡国の王冠も、まあまあ趣味は漏れてる」
さらっと自分で言った。
あの名前は、どう聞いても何か重い過去があると思っていたが、本人が趣味と呼ぶなら深く聞かない方がいい。
「地名を入れるなら、旧監視砦を使って……旧監視砦レギオン」
俺が言うと、リューが首を横に振った。
「それは、建物名です」
「じゃあ、雨漏り砦組」
「登録前から修繕依頼が来そうです」
「旧監視砦修繕隊」
「それは、もう修繕をする集まりです」
オクタヴィアが肩を揺らして笑っている。
「方向性は悪くないけど、依頼人が屋根板を持ってきそうだね」
「それは困る」
「いえ、困りません。屋根板は必要です」
「リュー、現実的」
確かに屋根板は欲しい。
だが、レギオン名としてはどうなのか。
「では、コハクを入れるのはどうでしょう」
リューが言うと、コハクが耳を立てた。
「にゃ」
「コハクの、何を入れる?」
「琥珀の瞳、でしょうか」
「琥珀の瞳」
俺が呟くと、オクタヴィアが少しだけ目を細めた。
「悪くないね。境界を見る獣の名前が前に出る」
「でも、俺たち全員の名前かと言われると、コハクレギオンになるな」
「にゃあ」
「コハクはそれでいい顔をするな」
リューがコハクの頭を撫でる。
「コハクさんは大切ですが、レギオン名としては、少し偏るかもしれません」
「にゃ……」
「しょんぼりするな。書類上は随伴獣でも、心の中では中心人物だ」
「人物ではありません」
「中心猫」
「にゃ」
少し機嫌が直ったらしい。
俺は白い空欄を見る。
地名。
理念。
趣味。
理念、か。
「俺たちの理念って何だろう」
口にしてから、急に真面目な話になった気がして、少し居心地が悪くなる。
だが、リューは茶化さなかった。
「帰る場所を作ること」
「うん」
「誰かの役割にされないこと」
「うん」
「自分で立つこと」
「あと、雨漏りを直すこと」
「それは理念ではなく、急務です」
オクタヴィアが笑った。
「いいね。理念は悪くない。問題は、そこからカナタ君がどんな名前を出すかだ」
「なぜ俺が危険物扱いなんですか」
「今の顔が危険物だから」
リューも静かに頷いた。
「かなり危険です」
「二対一」
「にゃ」
「三対一になった」
コハクまで鳴いた。味方がいない。
それでも、俺の中には名前案が溜まっていた。
前世で使う機会のなかった、格好いい響き。
ゲームのレギオン名を考える時だけ現れる、普段とは違う回路。
この世界なら、少しくらい許されるのではないか。
「じゃあ、まず一つ」
俺は羽ペンを持った。
書かずに、空中で止める。
「黎明を穿つ不屈の翼」
部屋が静かになった。
リューは瞬きを一度だけした。
オクタヴィアは口元を押さえている。
コハクは机の上で尻尾を振った。これはたぶん、面白がっている。
「どう?」
俺が聞くと、リューは慎重に言った。
「毎回それを書くのですか」
「そこ?」
「受付の方が大変です」
受付嬢への配慮で落とされた。
「じゃあ、短くして、不屈の翼」
「羽があるのはワイバーンの方です」
「敵に寄った」
オクタヴィアが机に伏せそうになっている。
笑いをこらえているのがわかる。
「次」
俺は気を取り直した。
「|境界を越える黒猫騎士団」
コハクが「にゃ」と鳴いた。
これは少し気に入った顔だ。
「コハクさんは喜んでいますね」
「だろ」
「ですが、騎士団ではありません」
「騎士王型を使ったし」
「毎回使うものではありません」
「それはそう」
落選。
「追放聖女と面接落第者」
「却下です」
「早い」
「自分たちを傷つける名前は嫌です」
リューの声は静かだった。
俺は羽ペンを下ろす。
「悪い」
「はい」
ふざけていい部分と、踏まない方がいい部分がある。
それは、これから名前をつけるならなおさら大事だ。
「じゃあ、自虐はなし」
「はい」
俺は少し考えた。
真面目に考えた結果、頭の奥で別の何かが起き上がった。
「終焉を裂く聖猫覇王団」
言った瞬間、リューの表情が消えた。
怖い。氷点下の温度。騎士王型の王命とは別の怖さがある。
「それを名乗るくらいなら死にます」
「そんなに!?」
思わず声が裏返った。
オクタヴィアがついに机を叩いて笑った。
「にゃあ」
コハクは抗議なのか、聖猫部分だけ気に入ったのか判断しづらい。
「待ってくれ。死ぬほどでは」
「死にません。言葉の強さです」
「よかった。でも言葉が強い」
「それくらい嫌です」
リューは真剣だった。
俺の命名案は、さっき中央の男よりも強く拒まれた気がする。
オクタヴィアが涙を拭いながら言う。
「いや、今のは記録に残したい」
「やめてくれ」
「レギオン史に残るよ。聖猫覇王団」
「本当にやめて」
俺は羽ペンを置いた。
危なかった。このままでは、レギオンが始まる前に解散する。
「カナタ」
「はい」
「格好よさを入れたい気持ちは、少しだけわかりました」
「少しだけ」
「ですが、私たちは誰かを威圧する名前にしたいわけではありません」
リューは空欄を見る。
「新聖女様や神殿に対抗するためだけの名前でも、王都へ戻るためだけの名前でも、ありませんよね」
「もちろん、負けたくない。最強を目指すのも本気だ。でも、敵を倒す名前だけにしたいわけじゃない」
「では、怖い名前ではなく、帰りたくなる名前がよいと思います」
リューは、ゆっくりと指先で紙の端に触れた。
帰りたくなる名前。
旧監視砦の暖炉。
雨漏りの鍋。
雑なスープ。
作戦帳の最後に書いた、勝った、みんなで、という文字。
外から戻った時、そこにリューとコハクがいる場所。
「帰りたくなる名前か」
「はい。誰かを怖がらせる名前ではなく、暗い道を歩いていても、あそこへ戻れば火があると思えるような名前です」
オクタヴィアが、笑うのをやめてリューを見た。
部屋の空気が少しだけ変わる。
さっきまでの命名会議の軽さは残っている。
でも、その奥に、暖炉の火に手をかざす時のような静けさが生まれた。
「灯」
「灯?」
リューの言葉に、オクタヴィアが聞き返す。
「はい。炎ほど大きくなくても、遠くから見えるもの。強くなくても、消えていなければ戻れるもの」
リューは俺を見た。
「カナタの名前は、彼方という意味にも聞こえます」
「え」
急に自分の名前が出てきて、俺は変な声を出した。
「カナタ。遠い場所。向こう側。でも、私にとっては、あの草むらで最初に見えた灯でした」
その続きを、ここで全部は言わないように、彼女は唇を閉じた。
たぶん、今はまだ言葉にしきれないものがあるのだろう。
リューは少しだけ迷い、それから空欄を見つめた。
「……彼方の灯はどうでしょう」
部屋が静かになった。
聖猫覇王団のあとだったから、余計に静かだった。
でも、その静けさは困惑ではなかった。
雨上がりの道の先に、小さな火を見つけた時のような静けさだった。
白い空欄を見つめる。
彼方の灯。
それは、俺が考えたどの名前よりも、俺たちの始まりに近い響きがした。
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