第三十七話 これは、私を王にする力ではない
短剣を落とされた中央の男は、細剣を構え直している。
広間の奥では弓兵が門を押さえ、短槍の男が通路を狙い、縄の男が俺の足元を見る。鎖の男は手首を押さえたまま退いていたが、まだ戦える顔だ。
門の外では魔物の唸りが近い。
塔の上ではコハクが背を低くして、ワイバーンの影を警戒している。
時間はない。それでも、急いではいけない。
「リュー」
「はい」
すぐに返事がある。
その声を聞いてから、俺は表示を読み上げた。
「騎士王型が出てる。白い表示だ。接続可能。対象同意確認待ち。強制接続は不可。俺は押さない。リューが決める」
リューは俺の背中の後ろで、静かに息を吸った。
「使います」
返事は短かった。でも、昨日とは違う。
俺の焦りが押し出した言葉ではない。リュー自身の口から出た言葉だ。
「大丈夫か」
「怖い。ですが、これは私が選びました」
「わかった」
視界に表示が開く。
【騎士王型】
対象同意確認。
対象意思 明瞭。
使用者理解 更新済。
強制接続 不可。
接続安定率 上昇。
降臨を実行しますか?
俺は、もう一度だけリューを見る。
彼女は頷いた。
「降臨!!」
広間の音が、一瞬で遠のいた。
最初に変わったのは、空気だった。
湿った石の匂いも、誘導香の甘く焦げた匂いも、魔物の獣臭も消えてはいない。なのに、それらの上から、冷えた朝の戦場に立つような硬い静けさが降りた。
床の灰が、白い線を描く。壊れた棚。倒れた盾。落ちた短剣。門の外の魔物。すべてが、見えない誰かに位置を定められたように、広間の中で意味を持つ。
リューの銀髪に、光が走った。毛先からではない。根元から、朝日を受けた王冠のような金色が広がっていく。
すみれ色の瞳は深い青へ変わり、その奥に白金の火が灯った。
細い身体を包む光は、派手な装飾ではなかった。
肩から胸元へ、鎧の輪郭だけをなぞるように白金の線が重なり、腰のあたりで光が剣帯の形を取る。
彼女の手にあった火かき棒が、静かに鳴った。
鉄が光に包まれる。棒の輪郭がほどけ、白金の刃へ変わっていく。
それは燃える剣ではない。命令そのものが形を持ったような、まっすぐな光の剣。
「リュー」
「はい」
返事があった。いつもの声ではない。
低く、澄んでいて、広間の石壁にまっすぐ届く声。それでも、リューの声。
中央の男の表情が変わった。
「成功、したのか」
男が呟く。
リューは一歩、前へ出た。
その足音だけで、広間の全員が動きを止めた。
「退け」
短い言葉だった。声量は大きくない。
だが、その一語が広間を押した。
弓兵の肩が強張り、短槍の男の穂先が下がる。縄の男は足元を見ていた目を上げ、門の外の魔物でさえ、一瞬だけ唸りを止めた。
王命の圧。
そう呼ぶしかない力だった。
命令に従わせる魔法というより、従わなければならない場に立たされたような重さがある。
思わず背筋を伸ばした。
「味方まで姿勢がよくなるやつだ、これ」
「カナタ」
声はリューなのに、背中へ妙な緊張が走る。
騎士王型、すごい。
あと、少し怖い。
中央の男が歯を食いしばった。
「偽りの王気に呑まれるな。狙いは女だ。男を越えろ」
弓兵が矢をつがえると、すかさずリューの剣が動いた。
速い、というより、矢が放たれる前にそこへある。
白金の光が弓の弦だけを断った。
弓兵が目を見開く。
「武器を置け」
リューの言葉に、弓兵の手が震えた。
完全に従ったわけではない。だが、一瞬動きが遅れる。
その一瞬で、俺は床に落ちていた石を蹴った。石が弓兵の手元に当たり、弓が床へ落ちる。
短槍の男が横から来る。リューは剣を振り回さない。
穂先の入り方を見て、半歩だけずれた。
光の剣の腹で槍を押し下げ、柄を踏むと短槍の男の手が離れた。
「右、縄」
俺は振り返らずに右足を引いた。
縄が足元をかすめる。剣の柄で縄を巻き取り、棚の脚へ引っかける。
縄の男が体勢を崩したところへ、コハクが塔から飛び降りてきた。
「にゃあっ!」
着地のついでに、顔面へ猫パンチ。
縄の男が悲鳴を上げた。
「コハク、着地と攻撃を兼ねるな!」
「にゃ!」
「褒めてないけど偉い!」
言っている間に、盾を捨てた男が短剣でリューの背後を狙った。
俺が間に入ろうとするより早く、リューの青い瞳がそちらへ動く。
「左足」
光の剣が、男の短剣ではなく、左足の前の床を打った。石床に白金の線が走る。
踏み込もうとした男は、反射的に足を止めた。
そこへ俺が体当たりを入れる。
男は通路の壁にぶつかり、短剣を落とした。
広間の流れが変わる。
敵が、俺たちを囲めなくなっている。
リューの命令が場を止め、観察眼が隙を示し、俺が実際に手を動かす。コハクが見張り、粉を落とし、隙間を埋める。
昨日、俺が一人で押そうとして壊したものが、今は三つの動きとして噛み合っていた。
中央の男が、細剣を構えた。
「リュミエラ様。あなたは、自分が何を受け入れたのか理解しているのか」
「ええ。これは、私を王にする力ではない」
光の剣を、まっすぐ男へ向ける。
「私が、私の立つ場所を誰にも奪わせないための力だ」
男が踏み込んだ。
「速いっ!」
さっき俺を追い詰めた剣が、今度はリューの肩を狙う。
俺は動きかけたその瞬間、リューが言う。
「待ちなさい」
昨日なら止まれなかったかもしれない。
細剣が来る。リューは受けない。紙一枚分、身体をずらす。
銀ではなく金に変わった髪が、刃の風で揺れた。
彼女の剣が、男の剣の腹へそっと触れる。
重い音はしなかった。ただ、男の刃が下へ落ちる。
力で叩き落としたのではない。剣筋の流れを、王命のような圧で地面へ命じたのだ。
「武器を置け」
二度目の命令。
歯を食いしばり、細剣を握る手に力を込める。
だが、その足が一歩沈む。床の灰に、深い足跡が残った。
「俺もいる」
俺は横から踏み込み、剣の柄で男の手首を打った。
細剣が床へ落ちる。
リューの光剣が、男の喉元の前で止まった。
昨日、俺が短剣を向けられた場所と同じ高さ。
「ここまでだ」
低く、静かな声だった。
広間の敵たちは、もうまともに隊列を組めていなかった。
弓の一人は弦を断たれ、短槍は床に落ち、盾役は壁際で膝をつき、縄の男はコハクに顔を押さえられている。鎖の男は手首を押さえ、残る一人も魔物の声に気を取られている。
勝った。そう思った瞬間、中央の男の口元がわずかに動いた。
「まだだ」
男は奥歯で何かを噛んだ。小さな音。
次の瞬間、男の襟元から黒い煙が噴き出した。
「リュー、下がれ!」
黒い煙は誘導香よりずっと濃く、喉を刺す苦い匂いがした。
コハクが激しく鳴く。
「にゃあっ!」
門の外で、魔物が暴れ出した。上空では、ワイバーンの影が急に低くなる。
煙は敵味方の区別なく広がり、広間の灰を巻き上げた。
中央の男は、その煙の中で横へ転がった。
リューの光剣が追う。だが、男は落ちていた外套を蹴り上げ、光を遮った。
一瞬だけ視界が切れる。
「待て!」
俺は煙の中へ踏み込もうとした。
リューが手を伸ばす。
「カナタ、下がりなさい。煙を吸ってはいけません!!」
その間に、男は広間の横、崩れた壁の隙間へ走った。
腕で口元を押さえながら追う。
だが、門側から魔物が一匹、半身を突っ込んできた。
コハクが塔の下から威嚇する。リューが光剣を振り、魔物ではなく足元の床へ白金の線を引いた。
「退け」
王命の圧で、魔物が一歩下がる。
その一瞬で、中央の男は壁の隙間を抜け、外へ出た。
外套の裾だけが灰色の空に揺れる。
「待て!」
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