第三十三話 そんな高度な顔芸できる気がしないな
「私は、型なしでも戦えますか」
もう一度リューが確認するように聞いてきた。
中庭の土に描いた砦の図の上で、彼女の指が止まっている。
無責任に戦えると言うのは簡単だ。
けれど、それで彼女を前に出すなら昨日と同じになる。
勝つために、リューの怖さを後回しにすることになる。
「剣を持って殴り合う意味なら、今は厳しい」
言い方が冷たくなりすぎないよう、枝を握る手に力を入れる。
「体力も戻ってない。昨日の負荷も残ってる。あの七人相手に正面で戦うのは無理だ」
「はい」
リューは目を伏せなかった。
俺の言葉をしっかりと正面から受け止めている。
「でも、戦うって、剣を振るだけじゃない」
「それは、作戦の一部になるということですか」
「そう。見て、判断して、声を出す。相手を狭い場所に入れる。危ない時に止める。それも戦いだ」
言いながら、俺は自分の胸にも刺さるものを感じた。
昨日、俺ができなかったことだ。
見る。判断する。止まる。強い型に飛びつく前に、それをしなければいけなかった。
リューは土の図を見つめたまま、少しだけ考えた。
「私は、人の動きを見るのは、得意かもしれません」
「得意?」
「神殿では、祈りの列に並ぶ人を見ていました。誰が痛みを隠しているのか。誰が怒っているのか。誰が誰かを怖がっているのか。見誤ると、祈りの場が荒れることがありましたから」
静かな声、誇る声ではない。
ただ、長く身につけてしまった習慣を確かめるような声。
「王宮でも、そうでした。殿下の言葉の前に、周りの者がどこへ目を向けるか。誰が先に息を止めるか。それを見ていれば、少しだけ先がわかりました」
胸の奥が重くなる。
それは能力だ。でも、身についた理由が優しくない。
「じゃあ、それを使おう。ただし、リューを傷つけるためじゃなく、リューが自分で立つために」
「自分で立つため」
「ああ。型なしでも、リューが見たことはリューの力だ」
彼女は、そこで初めて少しだけ目を瞬かせた。
指が、土の上の小石に触れた。七人の敵を示す石のうち、弓兵の一つを少し動かす。
「では、昨日の敵のことを話してもよろしいですか」
「頼む」
俺は枝を置き、真面目に土の図へ向き直った。
コハクも前足で自分の位置を押さえる。
猫の参加意識が高い。
「中央の男は、ほとんど動きませんでした」
「指示役だからだな」
「それもあります。でも、動かない場所を選んでいました。暖炉の火を背にしない位置です。顔が見えにくくならないように。こちらからも、味方からも、表情を見せる場所にいました」
俺は広間の中央へ置いた石を見る。
確かに、あの男は壁際でも入口側でもなかった。全員の視線が集まる場所に立っていた。
「見せるための立ち位置か」
「はい。自分が指示役だと隠していませんでした。逆に、こちらの注意を集めていたのかもしれません」
「その間に、弓と鎖が動く」
「はい」
リューは弓兵の石を二つ動かした。
「左の弓は、手元を狙うのが上手いです。右の弓は、天井や壁に当てて角度を変えていました。右の方が危険です」
「跳ね返り矢のやつか」
「はい。ただ、右の弓兵は放つ前に一度、肩が上がります。矢を高く上げる癖があるのだと思います」
俺は思わずリューを見た。
「よく見てたな」
「怖かったので。怖いと、見えます。どこから痛いものが来るのか、どこへ逃げれば少しでも避けられるのか」
リューは淡々と言った。
だが、その指先は少し冷えているように見えた。
俺はすぐに話題を逸らさなかった。
これは彼女が差し出しているものだ。
怖さごと、戦いに変えようとしている。
「なら、次はその肩を見る。リューが合図を出せるか」
「できます。右の弓なら、肩、と言います」
「短いな」
「戦闘時は、長く話す余裕がありません」
「実務的」
「にゃ」
コハクも同意らしい。
リューは次に、盾の石を動かした。
「盾の男は、左足が遅いです」
「左足? 片足だけ?」
「はい。押す時は強いのですが、方向を変える時、左へ回るのが少し遅れます。膝か足首を痛めているのかもしれません」
「それ、かなり大事だな」
俺は土の上に短い矢印を引く。
盾の正面へぶつかるのではなく、左へ回らせる。
曲がり角で、左へ切り返させる。
「調理場前の通路なら、棚を置いて左へ回らせる形にできる」
「はい。正面から押されると負けます。左へ少しずつずらせば、後ろの短槍が詰まると思います」
俺は笑いそうになった。いや、笑う場面ではない。でも、これはすごい。
「リュー、型なしでめちゃくちゃ戦ってるぞ」
思わず言うと、リューは少しだけ目を見開いた。
「まだ、土の上です」
「土の上で勝てないやつが、本番で勝てるわけないだろ。たぶん」
「たぶん」
「まぁ、机上の空論とも言うしな」
リューの口元がわずかに緩む。
少しだけでいい。その顔が戻るだけで、俺は自分の中の焦りを手放せる気がした。
次に、彼女は縄と鎖の石へ触れた。
「鎖の男は、カナタが手首を打ちました」
「ああ。あれは入ったと思う」
「次も同じ動きなら、左手で補うはずです。鎖の軌道が外へ膨らみます」
「じゃあ、そこに布を垂らすか。引っかければ一瞬止まる」
「縄の男は、足元を見すぎます。相手の顔を見ません。だから、視線で誘導できます」
「視線?」
リューは俺を見た。
「カナタが右へ逃げる顔をすれば、足元の縄は右へ来ます。実際の足は左へ」
「そんな高度な顔芸できる気がしないな」
「面接で落ち続けたなら、表情だけは作れませんか」
「そこを突かれると痛い」
俺たちは土の上で、何度も石を動かす。
門から魔物が入る線。
敵が広間を通る線。
リューが見える位置。
俺が壁裏に隠れる位置。
コハクが塔から知らせる合図。
灰胡椒を置く場所。
水を撒く場所。
倒した棚を斜めにする角度。
途中で、リューの顔色が悪くなったことに気が付き、すぐに枝を置く。
「休憩」
「まだ」
「条件一、危ないと思ったら下がる。俺が危ないと思った」
「それは、私が危ないと思ったわけでは」
「作戦立案者権限で休憩」
「その権限はどこから」
「もちろん俺の特権だ」
言いながらも、リューは素直に座った。
水筒を渡すと、彼女が水を飲む間コハクが土の図の上を歩いた。
「あっ、そこは敵の配置が」
「にゃ」
「肉球で踏むな。いや、かわいいけど」
「にゃあ」
図の上に、猫の足跡がついた。
調理場の入口あたりだ。
リューがそれを見て、ふと目を細める。
「足跡」
「ん?」
「敵も、足跡を残します。広間の床に、昨日の足跡がありました」
「あるな」
「次に来る時、同じ場所を踏ませられれば、どの敵がどこにいるかわかります。水や灰を薄く撒いておけば、足跡が残りやすくなります」
俺はコハクを見た。
「お前の肉球が作戦のヒントになったぞ」
「にゃ」
「偉そう」
でも、いい案かもしれない。
暗い広間で相手の位置を見失うのが一番怖い。床に灰を撒けば、足跡と滑り止め、両方の役に立つ。
ただし、こちらも踏む場所を決めておく必要がある。
「じゃあ、俺たちは踏んでいい場所に布を置く。敵が踏む場所には灰。足跡を見る。リューは敵の足運びを見る」
「はい」
土の上の作戦図が、少しずつ形になっていく。
完璧ではない。相手がその通り動く保証もない。
ワイバーンがまた来れば崩れる。魔物の数が多ければ、入口で止まらないかもしれない。
それでも昨日とは違う。
昨日は、追い詰められて型を押した。今は、型を押す前に、できることを並べている。
リューは水筒を膝に置いたまま、騎士王型の失敗ログについて自分から口を開いた。
「カナタ」
「うん」
「騎士王型のことですが」
脇腹とは別の場所が痛んだ気がした。
「今は使わない。接続できないし、俺も押さない」
「はい。それは、わかっています」
彼女は手首の布へ触れた。
縄の跡を隠す白い布。
「でも、あの型そのものが怖いのか、カナタが私の声を聞かなかったことが怖いのか、考えていました」
リューは土の図から視線を上げた。
「怖かったのは、後者です」
俺は息を吸えなかった。
「騎士王型は、まだわかりません。けれど、もし必要な時が来て、私が使うと決めたなら、その時は使ってもいいです」
「リュー」
名前を呼ぶ。型の名前より先に。
彼女は、まっすぐこちらを見ていた。
「私は、誰かの王になるために使うのではありません。神殿の器としてでも、殿下のためでもありません。私が、私の足で立つために必要だと思った時だけです」
風が止まった。
中庭の音が、少し遠くなる。
「だから、その時は、私から言います」
俺は、何度も頷きそうになるのをこらえた。
簡単に感動して、軽く受け取ってはいけない。これは、彼女が怖さを見つめた上で差し出している条件だ。
「わかった。騎士王型は、リューが言うまで使わない。表示が出ても、俺からは押さない」
「はい」
「もしリューが使うと言っても、その時にもう一度確認する。怖いならやめる」
視界の端で紫の文字が揺れ、反射的に身構える。
だが、昨日のような刺すような紫ではなかった。
薄く、遠く、冷えた火種みたいな色だった。
【騎士王型】
接続経路 破損。
再接続不可。
対象意思 確認中。
使用者理解 更新。
強制接続 不可。
再接続不可の文字は残っている。
それでも、最後の行だけが変わっていた。
強制接続、不可。
それは拒絶ではなく、約束の形に見えた。
リューは表示が見えていない。けれど、俺の表情で何かを察したのか、静かに聞いた。
「何か、変わりましたか」
「強制接続、不可って出た」
「そうですか」
「安心した」
正直に言うと、リューは少しだけ息を吐いた。
「私もです」
土の上には、砦の図がある。石と枝と、猫の足跡。
完璧な作戦ではない。でも、昨日より確かに前へ進んでいる。
リューは型なしで戦う方法を見つけ始めていた。
そして騎士王型は、強制ではなく、彼女自身の言葉を待つ型になった。
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