第二十八話 視界の端で、紫色の文字が揺れた
入口を塞いでいた壁が砕け、白金の欠片が冷たい風に散る。
広間へ、外の匂いが一気に流れ込んだ。
湿った土。魔物の獣臭。甘く焦げた誘導香。壊れた屋根の隙間から落ちる砂ぼこりまで、喉の奥へ絡みついてくる。
リュミエラの髪から金色が抜け、銀に戻る。
膝が折れかけた彼女を、コハクが足元で支えるように寄り添った。
猫に人は支えられない。だが、彼女の意識をつなぎ止めるくらいはできたのか、リュミエラは床に倒れず踏みとどまった。
「時間切れだな」
中央の男が確認するように言った。
嬉しそうではない。ただ、予定表に印をつけるように、こちらの限界を数えている。
「前へ」
その一言で、七人が動いた。
弓の男が矢をつがえる。
盾の男が重い足音を立てて進む。
短槍がこちらの間合いの外から伸び、縄と鉤鎖が左右へ広がる。
外からは、魔物が門へ鼻先をねじ込んでいた。光壁が消えたことで、木片と石の隙間をこじ開けようとしている。
「コハク、門!」
俺が叫ぶと、コハクは低く鳴いて門へ走った。
猫一匹で魔物を止められるわけがない。
それでも、コハクは門の前に立ち、背を丸めて威嚇する。
「にゃあっ!」
琥珀の瞳が光る。
門の隙間から入ろうとしていた狼型の魔物が、一瞬だけ動きを止めた。
境界を見る獣……オクタヴィアの言葉が頭をよぎる。
今だけは、その意味を考えている余裕がなかった。
「リュミエラ、下がれ!」
俺は盾の男へ向けて踏み込む。
脇腹が熱い。さっき受けた傷が、走るたびに開くように痛む。
それでも、止まれない。
盾の縁へ剣を叩きつけると、金属音が響いた。
手首が痺れる。
相手は少しも崩れない。盾の隙間から短槍が伸び、俺の肩をかすめた。
「くそっ」
後ろで、リュミエラが息を呑む。
俺は振り返らない。
振り返ったら、前から来る鎖に足を取られる。
案の定、左から鉤鎖が飛んだ。
俺は剣で弾く。右から縄。避けきれず、足首に触れた。
引かれる前に、俺は床の石片を蹴って縄の上に乗った。
縄の男が舌打ちする。
数だけじゃない。技量も、装備も、向こうが圧倒的に上だ。
そして相手は、俺を生かす必要がない。
倒して、リュミエラを回収できればいい。
「リュミエラ様は傷つけるな」
中央の男が言う。
「ただし、抵抗するなら動けなくしろ。役割接続の負荷で弱っている。今なら押さえられる」
「黙れ!」
俺の声が荒れた。
その瞬間、盾の男の体重が前へ来る。
怒りで半歩、重心が浮くと盾が俺の胸にぶつかった。
「ぐあっ!!」
「カナタ!」
息が詰まる。床を滑り、背中が石壁へ当たった。
肺から空気が押し出される。
リュミエラが駆け寄ろうとすると、弓の男が足元へ矢を射る。
鏃が石床に当たり、黒い粉が散り、リュミエラが足を止める。
甘く焦げた匂いが強くなる。
門の外で魔物がまた暴れた。
コハクが鋭く鳴く。
駄目だ。
このままでは、削られて終わる。
月光戦姫型は切れた。爆裂魔導型は使えない。召喚巫女型で鎮めるには、相手も状況も荒すぎる。精密魔導型は距離が足りない。町内社交型で説得できる相手ではない。
なら、残っているものは……
視界の端で、紫色の文字が揺れた。
【騎士王型】
接続不可。
条件未達。
対象自己認識 不安定。
使用者理解 不足。
強制接続 非推奨。
強い型……
未解放……
使うなと、作戦帳に書いた型。
でも、これしかない。
これが救いに、そう見えてしまった。
「騎士王型」
俺が呟くと、リュミエラがこちらを見た。
疲労で白くなった顔に、戸惑いが浮かぶ。
「カナタ、それは」
「強い型だ。これなら……」
「でも、接続不可と」
「わかってる!」
声が強くなったのが自分でわかった。
リュミエラが、ほんの少しだけ身をすくめる。
しまった。そう思った時には、もう遅い。
盾の男がまた近づく。弓がこちらを狙う。縄と鎖がリュミエラを囲むように動く。
外からは魔物。頭上にはワイバーン。
負ける?ここで負けたら、リュミエラはまた連れていかれる。
器として。確認事項として。使えるものとして。
「頼むっ」
俺は表示を睨んだ。
「今だけでいい。つながれっ!」
紫の文字が、さらに濃くなる。
【警告】
強制接続を実行した場合、対象精神負荷 極大。
役割拒絶反応の可能性。
使用者理解 不足。
実行しますか?
「カナタ、待って……」
リュミエラの声がした。
でも、俺はその声を、ちゃんと聞けなかった。
勝たなければ。守らなければ。強い型を入れれば。
その考えだけが、頭の中で膨らんでいた。
「降臨っっ!」
口にした瞬間、広間の空気が凍った。
光は白金ではなかった。
紫がかった金色の火花が、リュミエラの足元から噴き上がる。
銀髪の一部が、眩しい金へ変わろうとした。瞳の奥に、王冠のような光が浮かぶ。
だが、その光はすぐにひび割れた。
「っ……!」
リュミエラが胸を押さえ、膝が折れた。
床に片手をつき、息を詰まらせる。
「リュミエラ!」
俺は駆け寄ろうとした。
だが、足首に鎖が絡み強く引かれ、体勢が崩れる。
床に肩を打ちつけ、視界が白く弾けた。
「ぐっ」
それでも、表示だけは見えた。
【騎士王型】
強制接続失敗。
対象拒絶反応。
対象自己認識 不安定。
使用者理解 不足。
接続経路 破損。
再接続不可。
紫色の文字が、視界に焼きつく。
「失敗、したのか」
中央の男の声がした。
つまらなそうで、少しだけ楽しそうに。
「王を模した役割か。面白い。だが、器が耐えられないなら半端だな」
その言葉が、リュミエラの肩をさらに震わせた。
俺の胸の奥で、何かが割れる。
「違う」
声になったかどうかもわからない。
違う。言う資格が、今の俺にあるのか。
俺は、同じことをした。
リュミエラが止めようとした声を聞かず、強い型を押し込もうとした。
守るためだと言い訳して、勝つための役割を彼女に背負わせようとした。
神殿の男たちと、何が違う。
「カナタ……」
リュミエラの掠れた声が、床の上から聞こえた。
痛みをこらえている声。
「ごめん……リュミエラっ」
俺は腕を伸ばした。
届かない。
鎖が足を引き、盾の男が俺の背中を踏みつけた。
息が潰れる。
「謝るのは、あとです」
リュミエラが言った。
その声は震えていた。でも、消えなかった。
「今は、コハクさんを」
はっとして、俺は門の方を見た。
コハクが、魔物と男たちの間に立っていた。
小さな身体を精いっぱい大きく見せ、背中を丸めている。門の隙間から狼型の魔物が半身を入れ、内側では縄の男が猫を捕まえようと手を伸ばしていた。
「コハク!」
俺は鎖を蹴った。
外れない。
脇腹が痛み、息が続かない。
コハクは逃げなかった。
琥珀の瞳が強く光る。
次の瞬間、門のあたりの空気が歪んだ。
狼型の魔物が怯み、縄の男が一歩下がる。
だが、中央の男が短く指示を出した。
「猫は後だ。女を押さえろ」
盾の男が俺を踏みつけたまま、別の男がリュミエラへ近づく。
リュミエラは立とうとしても立てない。
騎士王型の失敗で、身体に力が入らないのだ。
俺のせいだ。
喉の奥に血の味がした。
噛み締めた唇が切れている。
「リュミエラに触るな……」
言葉は出た。
身体は動かない。
男たちは、俺の言葉を気にしなかった。
縄がリュミエラの手首へ伸びる。
彼女はそれを避けようとしたが、身体が遅れた。
縄が手首にかかる。
その瞬間、リュミエラは俺を見た。
責める目ではなかった。
怖がっている目でもあった。
痛みに耐える目でもあった。
でも、その奥に、ひとつだけ言葉にならないものがあった。
どうして。
そう聞かれた気がしたけれど、俺は答えられなかった。
【騎士王型】
強制接続失敗。
接続経路 破損。
対象精神負荷 大。
使用者警告:対象の意思確認を再評価してください。
紫色の失敗ログだけが、視界の端に残った。
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