第二十七話 リュミエラ様。お迎えに上がりました
中央に立つ男は、白い外套ではなかった。
市場で香を配っていた神殿の男とは違う。濃い灰色の外套を羽織り、首元まで革鎧を締めている。髪は短く、年は三十前後。顔立ちは平凡だが、目だけが妙に冷えていた。
壁際の二人は弓。
暖炉の前の一人は短槍。
地下扉へ続く廊下の前に立つ男は、大きな盾を持っている。
入口の死角にいた二人は、縄と鉤のついた鎖を手にしていた。
「最初から、捕まえる気まんまんかよ」
背後では、森から流れてきた魔物の唸り声が門の外に近づいている。
頭上では、ワイバーンの影が壊れた屋根の隙間を横切った。石壁の上から砂がぱらぱら落ちる。
逃げ道は、塞がれている。
「ようこそ」
中央の男が言った。
声は落ち着いている。
この状況を作った側の声だった。
「いや、ここ俺たちの仮拠点なんだけど」
俺は剣を構えたまま返す。
軽口のつもりだったが、喉が少し乾いていた。
「仮、だろう」
「仮でも人の家に勝手に入るのは駄目だろ。社会常識として」
「廃墟を家と呼ぶのは、少し無理がある」
「雨漏りはするけど、火も入れたし、寝床も作った。うちの猫の昼寝場所もある。もうほぼ家だ」
「にゃ」
コハクが俺の足元で低く鳴いた。
賛成なのか、今はそれどころではないと言っているのか。
たぶん後者だ。
男の視線が、俺からリュミエラへ移る。
リュミエラはフードをかぶっているが、ここまで来れば隠しても意味がない。銀髪も、すみれ色の瞳も、彼らは最初から知っている顔をしていた。
「リュミエラ様。お迎えに上がりました」
男は丁寧に頭を下げると、リュミエラの指が外套の端を握る。
「私は、どなたにも迎えを頼んでいません」
「あなたの意思は、確認事項の一つにすぎません」
俺の奥歯が鳴った。
「本人の意思が一つ扱いなの、もう駄目な組織の会議資料みたいで最悪だな」
「口の利き方に気をつけた方がいい。君は彼女を連れ回している側だ」
「連れ回してない。本人の意思で歩いてる」
「そう見えるだけかもしれない」
男は淡々と言った。
話が通じる口調ではない。
丁寧な言葉で、こちらの言葉を全部別の形にねじ曲げるタイプだ。
「リュミエラ様は保護する。猫は捕獲できるなら捕獲。男は不要。抵抗するなら、怪我をしても構わない」
「すごい。今の短い中に、人権の軽視が全部入ってる」
「じんけん?」
「動物愛護法も入れたいくらいだ」
弓を持つ男の一人が、矢をつがえた。
鏃には、黒い粉のようなものが塗られている。
毒か、香か。どちらにしても、当たりたくない。
視界の端に表示が出る。
【警戒】
敵対反応 七。
外部魔物反応 増加。
魔物誘導香 周辺濃度上昇。
退路 不安定。
わかっている。
いちいち表示されると、余計に胃が痛い。
「カナタ」
リュミエラが低く呼んだ。
「月光戦姫型なら、入口を塞げるかもしれません」
「使って大丈夫か」
「召喚巫女型の反動は、強くありません。ですが、長くは無理だと思います」
それでも、今は他にない。
精密魔導型は狙撃に強いが、この近距離で七人を相手にはできない。爆裂魔導型は論外だ。ここで使ったら拠点ごと消える。
「短時間で突破口を作る。俺は入口側の二人を止める。コハク、リュミエラの足元」
「にゃ」
コハクがリュミエラのそばへ移る。
彼女は一度だけ俺を見た。
怖い顔だった。けれど、逃げる顔ではない。
「お願いします」
視界に表示が開く。
【月光戦姫型】
接続可能。
対象同意確認。
対象疲労 中。
保持時間 短縮。
降臨を実行しますか?
保持時間、短縮。
嫌な文字だ。
「降臨!」
白金の光が、リュミエラを包んだ。
銀髪の毛先に淡い金が走り、すみれ色の瞳に星のような光が宿る。外套の裾が風もないのに揺れ、足元へ薄い月輪が広がった。
胸の前で両腕を交差させる動きは、もうほとんど出ない。
彼女自身が、型の流れを押さえている。
「入口を塞ぐわ」
リュミエラが手を上げる。
月輪から立ち上がった光の壁が、俺たちの背後、門の方へ伸びた。
ちょうどその瞬間、外から狼型の魔物が飛び込もうとした。
光の壁にぶつかり、弾くと鈍い音が広間に響いた。
弓の男が矢を放つ。
「左!」
俺が叫ぶより早く、リュミエラの光が反応した。
薄い盾が彼女の前に生まれ、矢を弾く。矢は床へ落ち、鏃から黒い粉がこぼれた。
コハクがその矢に近づこうとしたので、俺は足で軽く遮る。
「嗅ぐな!」
「にゃっ」
抗議されたが、今は聞かない。
入口側の二人が動いた。
縄と鉤鎖を持つ男たちだ。
狙いはリュミエラではなく、俺の足元。
俺を引き倒して、彼女から引き離すつもりだろう。
「そう簡単に、足元すくわれてたまるか」
前世では面接で足元どころか人生ごとすくわれたが、今は別だ。
俺は一人目の鎖を剣で受け、横へ払った。金属が嫌な音を立てる。
二人目の縄が足首へ飛ぶ。コハクが横から飛びかかり、縄の端へ爪をかけた。
「にゃあっ!」
縄の軌道がずれる。
俺はその隙に踏み込み、男の手首を剣の柄で打った。
骨まではいっていない。だが、縄を落とすには十分だった。
「猫が邪魔だ!」
「うちの猫はだいたい俺より仕事するんで」
言いながらも、余裕はない。
暖炉前の短槍が、こちらの間合いの外から突いてくる。俺は身をひねって避け、柄を弾いた。
その横を、二本目の矢が通る。
リュミエラの光盾がそれを受けたが、盾の表面に細い亀裂が走った。
「カナタ、矢に香がっ」
「わかってる!」
鏃の黒い粉が床に散り、甘く焦げた匂いが強くなる。
外の魔物がさらに激しく壁へぶつかった。
光の壁が揺れる。
【月光戦姫型】
保持時間 残り二百四十秒。
対象疲労 中。
防壁負荷 上昇。
二百四十秒。
四分。くそっ!短い……!
中央の男はまだ動かない。
俺たちの戦い方を見ている。
月光戦姫型の出力。防壁の強度。リュミエラの疲労。コハクの位置。俺の剣の癖。
観察されている感覚が、皮膚の上を這った。
「いいですね。聖女の力を失っても、別の役割は入る。報告より有用だ」
男の言葉に、リュミエラの光が一瞬揺れた。
「言うなっ!それ以上、その言い方をするな」
「怒るところを見ると、君も理解しているのだろう。彼女の身体は、空ではない。まだ使える」
俺は短槍を弾きながら、男を睨んだ。
頭の中が、熱で白くなる。
だが、怒りで踏み込めば終わりだ。中央の男はそれを待っている。
リュミエラが、俺の後ろで息を吸った。
「あたしは、道具じゃないわ!」
声は震えていた。
でも、消えなかった。
男は少しだけ目を細める。
「そう思わせた者がいるなら、それも確認が必要だ」
「確認、確認って、他に言葉ないのかよ!」
俺は踏み込んできた縄の男を肩で押し返し、床の石片を蹴った。
石片は弓の男の足元へ転がる。
ほんの一瞬、相手の踏み込みが遅れた。
「リュミエラ、左奥!」
「任せて!」
リュミエラの手から、月光の弾が放たれる。
前より小さい。だが狙いは正確だ。
左奥の弓の男の手元に当たり、矢が床へ落ちると男が舌打ちする。
今なら、入口側へ抜けられるか……!?そう思った瞬間、盾の男が動いた。
地下扉の前にいたはずの男が、大盾を構えて横から進んでくる。逃げ道を塞ぐ位置だ。
「壁役までいるの、面接官より嫌だな!」
叫びながら、俺は剣を盾へ叩きつけた。
重い……!弾かれた瞬間、手首が痺れた。
盾の男の後ろから、短槍が伸びる。
俺の脇腹をかすめた。
布が裂け、熱い痛みが走る。
「カナタ!」
「浅い!」
本当は結構痛い。
だが、ここで痛いと言うとリュミエラの集中が乱れる。
コハクが盾の男の足元へ飛びかかった。爪ではなく、身体ごとぶつかる。
盾の男の膝がわずかに揺れた。
「今よ!」
リュミエラの月光が、盾の縁を打つ。
俺はそこへ剣を重ねた。
盾が少しだけ横へずれると、入口への隙間が見えた。
だが、その隙間の向こうで、光の壁が大きく軋んだ。
外から、狼型ではない何かがぶつかった。
低く重い音に、石壁まで震える。
頭上で、ワイバーンの鳴き声が響くと、光の壁に亀裂が走った。
【月光戦姫型】
防壁負荷 限界接近。
保持時間 残り百二十秒。
対象疲労 大。
「もう二分しか……」
俺が呟くと、中央の男が初めて笑った。
「時間制限があるのですね」
しまった。声に出していた……
俺は舌打ちを飲み込んだ。
「全員、急ぐ必要はない。彼女を消耗させろ。外の魔物は壁が止める。壁が消えれば、こちらの香で門側へ流せ」
男たちの動きが変わった。
無理に突っ込んでこない。
弓で牽制し、槍で距離を保ち、盾で逃げ道を塞ぐ。縄と鎖は、俺とリュミエラを分断する位置を狙ってくる。
勝ちにではなく、削りに来ている。
「まずい」
心の中ではなく、口から漏れた。
リュミエラの呼吸が荒くなっている。
月光の壁はまだ立っているが、光が薄い。髪の金色も、ところどころ消えかけている。
それでも彼女は、俺の背中側に盾を出し、コハクの頭上へ小さな光を落とし、入口の防壁を保っていた。
「リュミエラ、壁を捨てて内側に」
「捨てたら、魔物が入るわ」
「お前が倒れたら、どのみち終わる」
「でも」
その一瞬の迷いを、敵は見逃さなかった。
右の弓兵が、矢を高く放つ。
直接ではない。天井の崩れた梁に当たり、矢が角度を変えて落ちてくる。
狙いはリュミエラの足元。
「危ない!」
俺が飛び込むより早く、リュミエラが自分の足元へ光盾を出した。
矢は弾かれた。
だが、その分だけ入口の壁が薄くなる。
外から、魔物が一匹、半身をねじ込んできた。
狼型の魔物だ。目は赤く、鼻先には黒い粉がついている。
コハクが飛びかかり、魔物の顔面を爪で叩いた。
「コハク!」
魔物は怯んだ。
俺は剣を振り、首ではなく鼻先を打つ。魔物は光壁の外へ弾かれた。
しかし、その間に短槍の男がリュミエラへ迫っていた。
間に合わないっ……!
「下がって!」
リュミエラ自身が月輪を足元に広げ、短槍の穂先を弾いた。
その光は強強すぎる。
【月光戦姫型】
出力上昇。
保持時間 急減。
対象疲労 極大接近。
「まずい、出力を下げろ!」
「だめ……」
リュミエラの声が掠れた。
光が揺れ、月輪の縁が欠ける。
中央の男が手を上げた。
「今だっ!」
七人が、一斉に動いた。
弓。槍。盾。鎖。縄。全部が、こちらの隙間へ流れ込んでくる。
俺は剣を構え直した。
脇腹が痛む。手首が痺れる。息が足りない。
コハクはまだ立っているが、耳が伏せている。
リュミエラの光は、もう薄い。
【月光戦姫型】
接続限界。
三。
二。
一。
白金の光が、リュミエラの髪から抜けた。
入口を塞いでいた月光の壁が、音もなく砕ける。
広間の奥へ、冷たい風と魔物の匂いが流れ込んだ。
月光戦姫型の光が、そこで切れた。
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