第十三話 完全に駄目なものを見る目
戦わなくても前に進めることを知った翌日、俺たちはまた森へ来ていた。
理由は単純だ。
屋根を直すには、金だけでなく材料がいる。
市場で手に入れた釘と縄と古い網はありがたい。だが、砦の屋根を塞ぐには板が足りなかった。まともな板を買えば財布が即死する。ならば、森で倒木を探して使えそうな枝や板材を取るしかない。
前世ならホームセンターで済む話が、異世界では森から始まる。
文明への感謝が、日に日に深くなる。
「本当に、この木を使うのですか」
リュミエラが、苔の生えた倒木を見下ろしながら言った。
昨日の町内社交型はもう完全に抜けている。髪は銀に戻り、毛先もまっすぐだ。少し惜しい。いや、本人には言わないが。
「全部は無理だけど、乾いてる部分なら使える。たぶん」
「たぶん」
「強度に不安はあるけど、雨をしのぐくらいなら」
「不安な言葉が重なっています」
リュミエラは現実的だった。
正しい。
俺も自信満々で言っているわけではない。
コハクは倒木の上を歩き、鼻先で樹皮を嗅いでいた。時々前足で叩いて、どこか職人ぶった顔をする。
「お前、材木の目利きできるのか」
「にゃ」
「今の鳴き方は、できる側の猫だな」
「本当にできるのでしょうか」
「前世では、段ボールの良し悪しならわかってた」
「段ボール」
「猫にとって重要な建材だ」
リュミエラは真面目に頷きかけ、途中で首を傾げた。
それは頷かなくていいところだ。
俺は剣で倒木の枝を払った。
剣の本来の使い方ではない気がするが、斧を買う金がないので仕方ない。枝を切り落とし、縄で縛り、背負える長さに分ける。
リュミエラには軽い枝と薬草の採取を頼んだ。
無理をさせない。月光戦姫型の反動も完全には抜けていない。
「カナタ」
しばらく作業していると、リュミエラが小さく呼んだ。
声の硬さに俺は剣を止め、顔を上げる。
「どうした」
「上です」
反射的に見上げる。
木々の間に、黒い影がいくつもぶら下がっていた。
最初は枯れた木の実かと思った。だが違う。羽がある。目がある。逆さにぶら下がった小型の魔物が、こちらをじっと見ていた。
蝙蝠に似ているが、口元には針のように細い牙が並んでいる。
「ブラッドバットか」
依頼票で見たことがある。
単体なら弱い。だが群れると厄介。上から襲ってきて、血を吸い、場合によっては毒を残す。
そして、俺は上から来る敵が嫌いだ。
剣が届きにくいから。
「数は?」
「……八、いえ、九匹です」
リュミエラの声は落ち着いていた。
だが、肩に力が入っている。
魔物はまだ動かない。ただ、俺たちが倒木から離れようとするのを待っているようにも見える。
「リュミエラ、下がれ。木を盾にする」
「はい」
俺たちは倒木の陰へ移動した。
コハクも素早く潜り込む。
直後、黒い影が一匹、枝から離れた。
羽音がすると、薄い膜が空気を叩く、嫌な音だった。
「来た!」
俺は剣を振る。
だが、ブラッドバットは急に高度を変え、刃の上をすり抜けた。
速い。
小さい。
そして嫌な角度で来る。
「くっそ、グラスワームの方がまだ親切だった!」
「比較対象が虫です」
「こいつらもだいたい虫みたいなもんだろ!」
言いながら、もう一度剣を振る。
今度はかすったが、仕留めるには浅い。
ブラッドバットが甲高く鳴くと、枝に残っていた仲間たちが一斉に動き始めた。
まずい。
九匹…… 剣一本で全部落とすには、数が多い。
月光戦姫型はまだ再使用待機中だ。町内社交型で蝙蝠と話し合える気もしない。
視界の端に新しい表示が浮かんだ。
【精密魔導型】
接続可能。
対象同意確認待ち。
「また新しいのが来た!」
「今度は何ですか」
「精密魔導型!たぶん、こういう相手に向いてる」
名前の響きからして、遠距離や狙撃系だ。
派手な力ではないかもしれない。だが、今必要なのは派手さではなく、当てる力だった。
「使っていいか」
問いかけると、リュミエラは空を旋回する黒い影を見上げ、それから頷いた。
「お願いします。あの速さは、私の目でも追い切れません」
目でも、という言い方に少し驚いた。
さっき九匹と数えられた時点で、俺よりずっと見えている。
それでも足りない相手ということだ。
「降臨!」
光は、月光戦姫型とも町内社交型とも違った。
紫がかった藍色の線が、空中にいくつも走る。まるで見えない製図台に、魔法陣を定規で引いていくような光だった。
リュミエラの銀髪が、深い藍色を帯びる。毛先だけが夜の端のような紫に染まり、すみれ色の瞳から感情の揺れがすっと消えた。
表情が静かになる。
「リュミエラ?」
「問題ありません」
返ってきた声は、いつもより平坦だった。
「対象九。高度差あり。こちらの有効射程内です」
「急に戦闘報告みたいになったな」
「無駄話は命中率を下げます。黙っていてください」
「辛辣だな!?」
「事実です」
「今、完全に駄目なものを見る目だったな!?」
リュミエラは俺を見ていなかった。
右手を静かに上げる。
彼女の周囲に、小さな藍色の光点が浮かんだ。豆粒ほどの大きさしかない。月光戦姫型のような華やかさはない。爆発もしない。音もほとんどない。
ただ、光点の位置が異様に正確だった。
空を飛ぶブラッドバットたちの進路、その少し先。
逃げ道を潰すように、淡々と配置されていく。
「射出」
短い声。
次の瞬間、光点が走った。
速い!
目で追えないほどではない。だが、無駄な軌道が一切ない。
藍色の線が空を切り、最初のブラッドバットの翼の付け根を貫いた。魔物が悲鳴を上げて落ちる。
二発目は、別の一匹の進路を塞ぐように飛び、回避した先へ三発目が置かれていた。
「こわっ」
思わず声が漏れた。
強い、ではなく、怖い。
派手な光も、叫びも、決め台詞もない。ただ当たる。必要な場所に、必要なだけ、必要な威力で。
「二」
リュミエラが数える。
「三。四」
藍色の光が、森の隙間を縫う。
木の枝には当たらない。俺にもコハクにも近づかない。リュミエラはほとんど動いていないのに、空の魔物だけが次々に落ちる。
「ちょっと待て、全部落とす気か」
「駆除対象です」
「いや、依頼じゃないけど」
「放置すると、夜間の拠点移動時に危険です」
「判断が冷静すぎる。あと目が冷たい」
「必要な判断です」
「返しまで冷たい!」
最後の一匹が、高く逃げようとした。
枝の上へ抜け、森の奥へ飛ぶ。
リュミエラは目だけで追った。
指先をわずかに動かす。
「逃走経路、予測済みです」
藍色の光が、枝と枝の間を通った。
葉が一枚も揺れない。
次の瞬間、遠くで魔物が落ちる音がした。
「九。終了」
リュミエラは手を下ろした。
森は急に静かになった。さっきまでの羽音も、甲高い鳴き声もない。
あるのは、木漏れ日と、湿った土の匂いと、倒木の上で固まっているコハクだけだった。
「……コハク?」
「にゃ」
いつもより小さい声だ。
たぶん、猫も少し引いている。
「リュミエラ、今の型、めちゃくちゃ強いな」
「状況に適していました」
「褒められてるんだから、そこは少しくらい喜んでもいいんだぞ」
「喜ぶと、次弾精度が落ちます」
「次弾ないよ。もう敵いないよ」
「では、今は喜ぶ必要がありません」
「マジで辛辣だな」
リュミエラは瞬きをした。
それから、ほんの少しだけ首を傾げる。
「そうですか」
「この型、会話の温度が低いな」
「平熱です」
「絶対違う」
視界の端に、表示が浮かぶ。
【精密魔導型】
接続安定率 七十八%
消費 小
戦闘適性 中
遠距離制御適性 高
「消費小。遠距離制御適性高」
「つまり、短時間なら負担は少なそうですか」
「たぶん。月光戦姫型ほどじゃない」
リュミエラは自分の手を見た。
藍色の光が、まだ指先にかすかに残っている。
怖がってはいないように見えた。
ただ、静かすぎる自分の状態を確かめている。
「この型は、私の心があまり動きません」
「それはそれで怖いな」
「はい。ですが、先ほどのような相手には、有効です」
「便利だけど、長く使うのはやめよう。戻ったあと、変に冷静になりすぎたら困る」
「変に」
「俺の面接七連敗を淡々と分析されたら、立ち直れない」
「分析は可能です」
「やめろ。本当にやめろ」
リュミエラの口元が、ほんの少しだけ動いた。
型の影響下でも、今のは少し面白かったらしい。
そのとき、倒木の向こうで枝が折れる音がして、俺は反射的に剣を構える。
リュミエラは藍色の光点をひとつだけ指先に残した。
「まだいるのか」
茂みから現れたのは、魔物ではなかった。
大きな背負い籠を背負った、初老の男だ。灰色の髭を生やし、手には木こり用の斧を持っている。
男は地面に落ちたブラッドバットを見て、次にリュミエラを見て、それから俺を見た。
「お前さんたちがやったのか」
「まあ、一応」
俺が答えると、男はしばらく黙った。
それから、落ちた魔物の翼を足でつつく。
「こいつら、ここ数日で増えて困ってたんだ。森の浅いところまで出てきてな。木を取りに入る連中が怖がって、誰も奥へ行かなくなっていた」
「やっぱり魔物の動きが変なんですね」
「やっぱり?」
「レギオンでも聞きました。浅いところに出るって」
男は顔をしかめた。
「そうだ。奥で何かが暴れてるのか、追い立てられてるのか……まあ、助かったのは確かだ。礼になるかわからんが、そこの倒木を使うなら、切り出し方を教えてやる」
「いいんですか」
「ああ。下手に剣で枝を払うと、刃が駄目になるぞ」
「もう少し駄目になってます」
「だろうな」
即答された。
リュミエラが静かに俺を見る。
「カナタ、刃を道具代わりにするのは非効率です」
「その言い方、型の影響だよな?」
「おそらく」
「その目、俺を失敗例として記録してないか?」
「記録済みです」
「するな!」
初老の男は、そんな俺たちを見て少し笑った。
「変わった連中だな。旧監視砦に出入りしてるのは、お前さんらか」
俺の背筋がわずかに強張る。
このあたりの人間には、もう見られているらしい。
隠れて暮らすには、砦は目立つ。
だが、完全に孤立するより、地元の人間と細く繋がる方が安全な場合もある。
「借りようと思ってます。まだ、雨漏り物件ですけど」
「雨漏りどころじゃないだろ、あそこは」
「そこまで?」
「そこまでだ。だが、昔はいい砦だった」
男は森の奥へ視線を向けた。
「何を始める気かは知らんが、屋根板くらいなら相談に乗ってやる。ブラッドバットを落としてくれた礼だ」
思わぬところで、修繕の協力者ができた。
リュミエラの精密魔導型は、派手な勝利を見せたわけではない。
ただ、空の小さな敵を正確に落とした。
その結果、森の人間が一人、こちらを見る目を変えた。
俺は藍色の光が消えかけているリュミエラを見た。
派手ではない。けれど、命中率が異常だ。
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