第十二話 なんか髪型まで愉快になってないか!?
その現実は、思っていた以上に重かった。
俺たちはホーンラビットの確認依頼と薬草採取を終え、夕方前には小さなレギオン出張所へ戻った。報酬は出た。狼型の魔物についても追加で危険報告料が少しついた。
だが、増えた銅貨を数えても、砦の修繕に必要なものには全然届かない。
釘。縄。布。油。保存食。水桶。鍋。掃除道具。湯浴み場に使えそうな桶。
買いたいものを並べれば並べるほど、財布の中身が可哀想になる。
「足りないな」
「足りませんね」
リュミエラは俺の横で、銅貨の袋を覗き込みながら静かに言った。
顔色は戻りつつあるが、月光戦姫型の反動はまだ残っているらしい。歩き方は昨日より安定しているものの、時々、息を整えるために立ち止まる。
俺は袋の紐を結び直す。
「戦える依頼は、今日はもう無理だ」
「はい。月光戦姫型は使えませんし、カナタも肩を痛めています」
「痛めてない」
「先ほどから、荷物を右手だけで持っています」
「観察力が鋭い」
「痛めていますね」
「少しだけ」
コハクが足元で「にゃ」と鳴いた。
たぶん、見栄を張るなという意味だ。
「でも、金はいる。だから、戦わないで稼げるものを探す」
「そのような依頼があるのでしょうか」
「ある。たぶん。なかったら、俺が泣く」
「泣くのですか」
「財布が先に泣いてる」
俺は出張所の掲示板へ戻った。
戦闘依頼以外は、報酬が低い。荷運び、修理補助、薬草の仕分け、店番、迷子の家畜探し。
その中に、一枚だけ少し変わった依頼票があった。
市場通りの共同倉庫に出入りする小型魔物の調査。
ただし、商人たちの話が食い違っており、現地で聞き取りが必要。
「聞き取り、か」
俺は依頼票を剥がした。
「戦わないかもしれない」
「かもしれない、なのですね」
「そこは依頼票を信用しすぎない方がいいと学んだ」
「賢明だと思います」
受付の老人は、依頼票を見るなり苦笑した。
「それ、誰も受けたがらないやつだよ」
「魔物が強いんですか」
「いや、魔物はたぶん小さい。問題は商人たちの話をまとめる方さ。誰が倉庫の鍵を閉め忘れただの、誰の荷の匂いが魔物を呼んだだの、揉めていてね」
「なるほど。人間が面倒な依頼」
「そういうことだ」
俺はリュミエラと顔を見合わせた。
戦闘より人間の揉め事の方が面倒なことは、前世の会社員生活でよく知っている。面接でも職場でも、結局一番しんどいのは人間だった。
「どうする」
「危険が少ないなら、よいと思います。ただ、私は人前に出ない方が」
「フードを深く被れば大丈夫……かどうかは微妙だな」
銀髪とすみれ色の瞳は隠せても、白い装束と雰囲気が目立つ。
商人たちの多い市場通りで、元聖女に気づかれる危険は避けたい。
視界の端で半透明のウィンドウを開く。
【町内社交型】
接続可能。
対象同意確認待ち。
「……また変なのがあるな」
「変なの、ですか」
「町内社交型」
リュミエラが瞬きをした。
「町内?」
「ああ。町内」
「社交」
「ああ」
「……戦えるのでしょうか」
「名前だけ見ると、町内会の集まりで最強になりそうだな」
「町内会とは」
「前世の地域共同体みたいなものだ。掃除当番とか祭りとか回覧板とか」
「強いのですか」
「ある意味、強い」
説明しながら、俺自身も何を言っているのかわからなくなってきた。
月光戦姫型の次が町内社交型。
高低差がすごい。
「どうする。嫌ならやめる」
俺が聞くと、リュミエラは少し考えた。
怖がっている様子はある。だが、月光戦姫型のときのような強い怯えではない。名前が名前だからかもしれない。
「人前に出るのが安全になるなら、試してみたいです」
「本当に?」
「はい。戦うためではなく、話を聞くためなら……おそらく、怖くありません」
俺は頷いた。
「じゃあ、使うぞ」
「お願いします」
ウィンドウが白く光る。
【町内社交型】
対象同意確認。
降臨を実行しますか?
「降臨」
光は、月光戦姫型とはまるで違った。
眩しくない。優しいというより、妙に生活感がある。朝の台所に差す日差しみたいな、薄い金色の光だった。
リュミエラの銀髪が、すうっと黒に染まる。
完全な黒ではない。艶のある、濡れた椿の葉みたいな黒髪だ。
そして毛先が、なぜかくるんと外側へ跳ねた。
いや、跳ねたというより、絶妙に愉快な曲線を描いた。
「待て。なんか髪型まで愉快になってないか!?」
思わず叫ぶ。
リュミエラは自分の髪先を指でつまみ、不思議そうに見た。
「あらまあ、髪型のことより、まずは周囲の安全確認でしょう?」
「その口調もだいぶ愉快なんだよ!」
リュミエラの声は、さっきまでより明るかった。
明るいというか、妙に世話焼きだ。勝手口から入ってきて醤油を貸してくれそうな落ち着きがある。
すみれ色の瞳も少し柔らかくなり、表情から警戒心が薄れている。
いや、薄れているというより、警戒を包み込む圧が出ている。
「カナタ、背筋が丸まっているわよ。市場では堂々としていないと、余計なものを高く売りつけられちゃうじゃない」
「もう俺の姿勢まで見られてる」
「コハクも、干し肉の匂いにつられて勝手に走っちゃだめよ」
「にゃ」
コハクが素直に返事をした。
まさかの猫にも効いている。
俺たちは市場通りへ向かった。
市場は、夕方前でも人が多い。
野菜を積んだ屋台、干物を吊るした店、布を売る露店、鍛冶屋の店先に並ぶ釘や金具。空気には焼いた肉の匂いと、香辛料と、馬の糞の匂いが混ざっている。
リュミエラはフードをかぶっていたが、黒髪になったおかげで目立ちにくい。白い装束も外套で隠れている。
そして何より、彼女の雰囲気が変わっていた。
元聖女の儚さは薄れ、どこかのしっかりした家の若奥さんか、商店街で顔の利く娘のように見える。
「すみません。共同倉庫の件で伺ってもいいかしら?」
リュミエラが一人目の商人に声をかける。
俺は少し身構えた。
市場の商人は、見知らぬ冒険者にあまり親切ではない。余計な揉め事に首を突っ込むなと怒鳴られる可能性もある。
だが、商人のおじさんはリュミエラを見るなり、眉を下げた。
「ああ、あの件かい。困ってるんだよ。うちの乾燥豆がかじられてね」
「あら、それは大変だったでしょう。豆は湿気にも弱いのに、倉庫で魔物まで出るなんて」
「そうなんだよ!わかってくれるかい!」
食いつきが早い。
リュミエラは相槌を打ちながら、商人の話を聞き出していく。
いつ被害に気づいたのか。どの棚に置いていたのか。鍵は誰が持っていたのか。匂いの強い荷はあったか。水濡れはなかったか。
質問は穏やかだが、的確だった。
「隣の香辛料屋の荷が怪しいと思ってるんだ。あんな匂いの強いものを置くから」
「香辛料は確かに香りが強いものね。ただ、豆をかじる魔物なら、甘いものや油の匂いにも寄るんじゃない?倉庫に菓子や油壺はなかった?」
「油壺?そういえば、三日前に魚油が入った樽を運び込んだ店があったな」
リュミエラが俺を見た。
俺は頷き、聞いた内容を頭の中で整理する。
町内社交型、すごい。
戦う気配はまったくないのに、情報が勝手に集まっていく。
二人目、三人目と話を聞くうちに、さらにわかった。
倉庫の被害は豆だけではない。乾燥果実、魚油、古い布袋もかじられている。被害が出たのは、決まって雨上がりの翌日。倉庫の裏手には排水溝があり、そこから小型魔物が入っている可能性が高い。
「これは、鍵の閉め忘れではなさそうね」
「だな。人間同士で責任押し付け合ってる場合じゃなさそうだ」
俺が言うと、リュミエラは困ったように眉を寄せた。
「まず、皆さんにそのことをお伝えしましょう。責め合っていると、修理も遅れちゃうわ」
「言い方が完全に町内の話し合いを仕切る人なんだよな」
「あらやだわぁ」
実際、その後のリュミエラは強かった。
共同倉庫の前に集まった商人たちに、被害状況を順番に確認し、誰のせいとも決めつけず、雨上がりと排水溝の話へ持っていく。
怒鳴り合っていた商人たちは、いつの間にか彼女の言葉に頷いていた。
「あらまあ、皆さん。今ここで言い合いをしても、豆は戻らないし、魔物も反省しないわよ」
「魔物も反省しないわよ、って言い方」
俺は小声で突っ込んだ。
だが商人たちには効いた。
「それもそうだな」
「排水溝なら、うちの若いのに網を張らせるか」
「魚油の樽は別の場所へ移す。匂いで寄ってるなら、そこも見ないとな」
話が進む。
怖いくらい進む。
リュミエラは最後に、共同倉庫の裏手へ回った。
石造りの排水溝の蓋が少しずれている。周囲には小さな足跡と、油の匂いに釣られたらしい爪痕があった。
「ここかしら」
「だな。小型魔物なら、この隙間から入れる」
「網と石で塞げば、ひとまず防げるんじゃないかしら」
「依頼達成だな」
そのとき、排水溝の奥から、がさ、と音がした。
小さな影が飛び出す。
鼠に似ているが、背中に硬い甲羅のようなものがある。口には、かじりかけの干し果実。
倉庫荒らしの犯人だ。
「出た!」
俺は剣に手をかけた。
だが、狭い裏路地で剣を振るには周りに物が多い。商人たちも近い。
「リュミエラ、下がれ!」
「はい。皆さん、危ないので少し離れるわよ」
リュミエラは落ち着いていた。
落ち着きすぎていて、魔物にまで話しかけそうな勢いだ。
「できれば、その果物を置いて出ていっていただけると助かるのですが」
「魔物に社交してる!?」
魔物は当然、聞いていなかった。
干し果実をくわえたまま、リュミエラの方へ突進する。
【町内社交型】
戦闘適性 低。
防御展開不可。
「低っ!」
表示があまりにも正直だった。
リュミエラも、さすがに目を丸くする。
「カナタ、ごめんなさいね。これ戦えないわ」
「だろうな!」
俺は前へ出た。
剣ではなく、さっき倉庫の横に置かれていた空の木箱を持ち上げる。
突進してきた魔物に、木箱をかぶせる。
がたん、と音を立て、木箱が跳ねた。
「押さえて!」
「よいしょ!」
リュミエラが木箱の上へ両手を置く。
力は強くない。だが、すぐに商人たちが駆け寄り、周囲から箱を押さえた。
中で魔物が暴れる音がする。
コハクが箱の前に座り、じっと見張った。
「にゃ」
「お前、今かなり得意げだな」
木箱の隙間から、干し果実だけがころんと転がり出た。
犯人確保。
かなり格好悪いが、依頼としては成功だ。
商人たちは一斉に騒ぎ出した。
「こいつか!」
「やっぱり排水溝じゃないか!」
「嬢ちゃん、助かったよ!」
「いやあ、話が早く済んだ!」
嬢ちゃんと呼ばれたリュミエラは、少し戸惑ったように目を伏せた。
聖女様ではない。
元聖女でもない。
ただ、面倒な揉め事をまとめた、少し世話焼きな娘として感謝されている。
「お役に立てたなら、よかったわ」
彼女の声は穏やかだった。
町内社交型の影響もあるのだろう。けれど、その言葉の奥には、彼女自身の安堵も混じっているように聞こえた。
依頼報酬は、少し色がついた。
さらに商人たちから、余った釘、古い網、破れはあるが使える布、油の少ない小瓶をもらえた。
倉庫修理のお礼らしい。
「すごいな、町内社交型」
「戦えないわね」
「でも、めちゃくちゃ稼いだ」
帰り道、リュミエラの黒髪はまだ元に戻っていなかった。
毛先は相変わらず、愉快にくるんとしている。
彼女はそれを少し気にしながら、抱えた布を見下ろした。
「この型は、戦うためのものじゃないみたいね」
「たぶん、話を聞いて、人を動かすための型だ」
「人を動かすって」
「怒ってる人をなだめたり、揉めてる話を前に進めたり、余り物をもらったり」
「カナタったら、もうちょっと言い方あるでしょ」
「でも事実だろ」
リュミエラは否定しなかった。
そのかわり、少しだけ目を伏せる。
「……聖女だった頃、みんな私の言葉を聞いてきてたのよ。でもそれは、私が聖女だったからなのよね」
「今日は違ったな」
「そうね。今日は、私の話し方が少し変だったからじゃないかしら」
「変ではあった」
「そこは否定しなさいよ」
「いや、いい意味で」
リュミエラが、わずかに頬を膨らませた。
町内社交型のせいか、普段より表情が出やすい。
「でも、助かった。戦えない型も必要だ」
「あら、そう?」
「ああ。レギオンって、戦うだけじゃ回らないだろ。金もいるし、人との付き合いもいる。俺一人なら、たぶん商人同士の喧嘩で心が折れてた」
「カナタは、面接にも七回落ちているものね」
「そこ、毎回刺してくるな」
「町内社交型の影響よ」
「本当に?」
「あら、疑うの?」
リュミエラが小さく笑った。
俺は言い返そうとして、やめた。
その笑みが消えるのが、少し惜しかった。
旧監視砦に戻る頃、髪色がゆっくりと銀へ戻り始めた。
くるんとしていた毛先も、何事もなかったようにまっすぐ落ちていく。
リュミエラはそれを指で確かめ、少しだけ息を吐いた。
「戻りました」
「名残惜しい?」
「少し、不思議でした」
「髪型が?」
「それもありますが……人と話すのが、あまり怖くありませんでした」
俺は、抱えていた釘と網を持ち直した。
「なら、収穫だな」
「はい」
彼女はそう言って、砦の門を見上げた。
壊れた門。蔦の絡む壁。中にはまだ埃っぽい広間と、不穏な地下扉がある。
それでも俺たちは、昨日より少し多くの荷物を持って帰ってきた。
金と、物資と、使える型の情報。
そして、戦わなくても前に進めることを知った。
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