第十一話 月光戦姫型を試させてほしい
翌朝、旧監視砦には二度目の火が入った。
昨夜のスープの残りを温め直しただけの朝食だったが、それでも腹に入るものがあるのはありがたい。干し肉の塩気は少し濃くなっていたが、豆は柔らかくなっていた。
暖炉の前で椀を抱えていると、壊れた砦の広間も、ほんの少しだけ生活の匂いを帯びる。
「今日の予定を発表します」
俺が言うと、リュミエラは木椀を膝の上に置き、真面目にこちらを見た。
コハクは暖炉の前で丸くなっている。聞く気はなさそうだが、尻尾だけは動いていた。
「まず、金がない」
「はい」
「昨日よりさらにない」
「でしょうね」
「この砦を人が住める場所にするには、釘、縄、布、油、食材、ついでに湯浴み場関係の何かが必要だ」
「湯浴み場関係は、何かではなく明確に必要です」
「はい。ごもっともです」
そこは譲らないらしい。
「なので、今日は小依頼を受ける。無理はしない。危なそうなら逃げる」
「それがよいと思います」
「あと、月光戦姫型を試させてほしい」
リュミエラの指が、椀の縁で止まった。
当然だ。
昨日、あの力を使ったあと、彼女は自分の身体が自分ではない誰かに動かされたと怯えていた。
俺は手を軽く上げる。
「嫌ならやらない。そこは絶対だ」
「……いえ」
リュミエラは少しだけ視線を落とした。
暖炉の火が、彼女の銀髪に淡く揺れる。
「怖くないと言えば、嘘になります。でも、あの力が何なのか、知らないままでいる方が怖いです」
「無理はするなよ」
「はい。ただ、使うなら私に確認してください」
「それは約束する」
コハクが「にゃ」と鳴いた。
見届けたぞ、とでも言いたげな顔。
「お前も監督のつもりか」
「にゃ」
「鳴き方だけは偉いな」
小依頼を出しているのは、昨日泊まった宿の近くにある小さなレギオン出張所。
首都のレギオン本部に比べると、建物は小さい。木の扉は少し歪んでいて、中には受付窓口と掲示板、あとは木の椅子が三脚あるだけ。
貼られている依頼票も、派手なものはない。
薬草採取。柵の修理補助。家畜小屋に出た小型魔物の駆除。森の手前で増えたホーンラビットの確認。
「ホーンラビットか」
俺は依頼票を一枚取った。
角の生えた兎型の魔物だ。兎と言いつつ、体格は柴犬くらいある。突進の威力は馬鹿にできないが、群れでなければ低級冒険者でも対処できるらしい。
報酬は安い。だが、薬草採取と合わせれば、釘と縄と少しの保存食くらいは買える。
「これにする」
「危険は少ないのですか」
「少ない、はず。依頼票にはそう書いてある」
「依頼票は、必ず正しいのでしょうか」
「痛いところを突くな」
受付の老人が、俺たちのやり取りを聞いて苦笑した。
「森の奥へ入りすぎなければ大丈夫だよ。最近は魔物の動きが少し妙だけどね」
「妙?」
「普段なら奥にいる連中が、たまに浅いところまで出てくる。まあ、低級依頼を受けるなら無茶はしないこった」
その言葉が、少しだけ引っかかった。
魔物の動きが妙。昨日の追手とは関係ないかもしれない。だが、リュミエラが狙われている状況で、妙な話を聞き流すのは危ない。
「浅いところだけ見て戻る」
「その方がいい」
依頼票に受付印をもらい、俺たちは森の手前へ向かう。
昼前の森は、旧監視砦の近くよりも明るい。
木漏れ日が草の上に落ち、風が葉を揺らしている。湿った土の匂いと、薬草らしい苦い匂いが混じっていた。
リュミエラは宿で借りた外套のフードを深くかぶり、手元の小袋に薬草を摘んでいく。
根元から抜かず、葉を数枚だけ切る。次にまた生えるように、ということらしい。
「丁寧だな」
「神殿の薬草園で、そう教わりました」
「本当にいろいろできるな」
「いろいろ、というほどではありません」
「少なくとも俺よりはできる」
「カナタは、剣が使えます」
「面接官にはあまり評価されない剣だけどな」
「面接官は斬ってはいけません」
「斬ってない」
コハクが茂みの中へ顔を突っ込み、すぐに引っ込めた。
耳がぴんと立つ。
「来るぞ」
俺は剣を抜く。
草の向こうから、がさがさと音が近づく。
まず一匹。茶色い毛並みに、額から短い角を生やしたホーンラビットが飛び出した。丸い目に、妙な殺気がある。
兎のくせに、可愛くない。
「一匹なら」
そう言いかけたところで、二匹目が出た。
三匹目。
四匹目。
「多くないか?」
「依頼票には、群れではないと書いてありました」
「依頼票、外れ!」
四匹のホーンラビットが一斉に身を低くした。
突進の前触れだ。
俺一人なら、木を盾にして一匹ずつ捌く。だが、リュミエラを背後に置いて四方向から来られると面倒だ。
「リュミエラ!」
「はい」
「使っていいか」
彼女は一瞬だけ息を止めた。
それから、こちらを見て頷く。
「お願いします」
その返事を聞いてから、俺は視界の端に意識を向けた。
半透明のウィンドウが開く。
【月光戦姫型】
接続可能。
対象同意確認。
降臨を実行しますか?
「降臨!」
白金の光が弾けた。
昨日と同じ、月光に淡い金色を溶かした光がリュミエラを包む。
銀髪の毛先が淡く染まり、すみれ色の瞳に星のような輝きが灯った。
そして彼女は、また胸の前で両腕を交差させかける。
「ポーズは省略!」
「わ、わかった!」
今度は自分でもわかっていたのか、リュミエラは途中で手を止めた。
そのまま両手を広げる。
足元に月の輪が浮かび、淡い光の盾が俺たちの前へ展開された。
一匹目のホーンラビットが盾に突っ込んでくると、ごん、と鈍い音がした。
角が弾かれ、魔物がひっくり返る。
「今だ!」
俺は前へ出て、腹を見せたホーンラビットを剣の腹で叩く。
殺す必要はない。依頼は駆除ではなく確認と追い払いだ。とはいえ、向こうが本気で突っ込んでくるなら遠慮はできない。
リュミエラの月光弾が二つ飛ぶ。
一発目は別のホーンラビットの足元で弾け、目を眩ませる。二発目は角を正確に叩き、突進の軌道をずらした。
俺はずれた一匹を木の幹へ誘導し、ぶつかったところを蹴り飛ばす。
「いいぞ、昨日より合わせやすい!」
「うん。昨日より、少しだけ身体がわかる!」
リュミエラの声も落ち着いている。
完全に平気ではないのだろう。だが、昨日のような混乱だけではない。自分の身体の中に入ってきた力を、必死に手綱を引く。
ただ、その光は最初ほど強くなかった。
月輪の端が、時々かすかに揺らぐ。
視界の隅に、新しい表示が出た。
【月光戦姫型】
接続安定率 六十二%
保持時間 残り百二十秒
対象疲労 中
「数字が出た!」
「何の数字ですか」
「安定率と残り時間!」
「残り時間?」
リュミエラの声に、わずかな緊張が混じる。
その一瞬を狙ったように、残った二匹が左右に分かれて跳んだ。
「右は俺!」
「左はあたしが止める!」
リュミエラが左手を向ける。
光の糸が草の上を走り、ホーンラビットの足を絡め取った。魔物が転がる。
俺は右から来た一匹を剣で受けた。角と刃がぶつかり、腕に衝撃が走る。軽い魔物のくせに、突進は重い。
「くっそ、可愛さを捨てて威力に振るな!」
押し返し、横へいなす。
コハクが飛び出し、魔物の鼻先へ砂を蹴った。
「にゃっ!」
「いい猫!」
目をしばたたかせたホーンラビットを、俺は剣の腹で叩き伏せた。
これで四匹。
終わった。そう思った瞬間、森の奥から低い唸り声がした。
リュミエラの光が、ふっと小さく揺れた。
「まだいるのか」
茂みを押し分けて現れたのは、兎ではない。
狼に似た体格。背中に短い棘。口の端からは粘りのある涎が垂れている。
ホーンラビットより明らかに危険な魔物。
「依頼票!」
「外れ、ですね」
「落ち着いて言うな!」
狼型の魔物が低く身を沈める。
俺は剣を構え直した。
月光戦姫型があるなら、どうにかなる。そう考えた瞬間、視界の端の表示が赤みを帯びた。
【月光戦姫型】
保持時間 残り十秒
対象疲労 大
「十秒!?」
リュミエラの足元の月輪が薄くなる。
彼女の膝がわずかに震えた。
「カナタ、ごめん。力が……」
「謝るな。十分だ!」
狼型の魔物が飛びかかる。
リュミエラは最後の力で光の盾を出した。
盾は魔物の爪を受け止めたが、昨日のような硬さはない。ひびのような光が走り、次の瞬間砕け散る。
その反動で、リュミエラの身体が後ろへ崩れた。
「コハク、リュミエラ!」
「にゃっ!」
コハクがリュミエラの前に飛び込む。
俺は狼型の魔物の横腹へ体当たりするように踏み込んだ。剣で斬るより、まず軌道をずらす。
肩に衝撃が走る。だが、魔物の爪はリュミエラには届かなかった。
「こっちだ、犬もどき!」
叫んで木の間へ走る。
狼型の魔物が追ってくる。速い。背後で爪が土を抉る音がする。
俺は太い木を回り込み、直前で身を伏せた。勢い余った魔物が幹に爪を立てる。
その隙に、剣を横から叩き込む。
刃が肩に食い込んだ。
魔物が吠える。耳が痛い。獣臭い息が顔にかかる。
「しつこいんだよ!」
俺はさらに踏み込み、剣の柄で魔物の顎を打ち上げた。
その瞬間、コハクが背後から飛びかかり、魔物の尾に爪を立てる。
「ぎゃんっ!」
魔物が変な声を上げた。
獣にも、尻尾は急所らしい。
できた隙に、俺は全力で剣を振り下ろすと、やっと魔物は地面に倒れ、動かなくなった。
森に、荒い呼吸だけが残る。
俺は膝に手をつき、しばらく息を吐いた。肩が痛い。腕も痺れている。頬の古い傷が汗でしみる。
だが、倒れている場合ではない。
「リュミエラ!」
振り返ると、リュミエラは木の根元に座り込んでいた。
月光の気配は完全に消えている。銀髪は元の色に戻り、顔色はひどく白い。
コハクが彼女の膝に前足を置き、心配そうに見上げていた。
「大丈夫か」
「……はい。少し、息が重いだけです」
「それは大丈夫じゃないやつだ」
俺は膝をつき、水筒を差し出す。
リュミエラは両手で受け取ろうとして、指先が震えていることに気づいたのか、小さく息を呑む。
「ごめんなさい。最後まで、持ちませんでした」
「謝るなって。むしろわかったことがある」
「わかったこと」
俺の視界には、まだ薄いウィンドウが残っていた。
【月光戦姫型】
接続終了。
連続使用不可。
再接続待機 二十三時間五十九分。
対象疲労 大。
俺はその表示を見て、喉を鳴らした。
「これ、便利だけど、無限には使えない」
リュミエラが、ゆっくり俺を見る。
「たぶん、一日に何度も使えない。持続時間も短い。強く使えば、その分お前に反動が来る」
「……そう、ですか」
「だから、次からはもっと慎重に使う。切り札扱いだ」
リュミエラは水筒を握ったまま、こくりと頷いた。
その顔には悔しさもあった。
怖さもある。でも昨日のように、ただ自分ではない何かに怯えているだけではない。
「切り札」
「ああ。使うなら、ここぞって時だけだ」
言い終えた瞬間、コハクが倒れたホーンラビットの方へ歩いていった。
そして、鼻先でつつく。
「お前、今もう飯の心配してるのか」
「にゃ」
「切り替えが早い」
リュミエラが小さく息を吐いた。
笑ったのか、疲れて息が漏れただけなのかはわからない。
だが、彼女は水を一口飲み、少しだけ肩の力を抜いた。
俺は倒れた魔物と、散らばった薬草袋を見た。
報酬は入る。食材も、少しは増える。だが、それ以上に重い収穫があった。
月光戦姫型は強い。
けれど、一度切れたら、もう次はない。
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