第8話 コア・サテライト戦略(後編)
「コア・サテライト戦略って……何それ!」
「すげえ……なんかプロっぽい!」
「鷹城さん、カッケーーーーッ!」
軽井沢たちが色めき立ち、白鳥も目をキラキラさせている。
「鷹城さん! 私にも教えてください!」
「ああ。オルカン一択より、その方がいい」
俺は座り直すと、真壁課長と向き合った。
「さて、投資で一番大切なことは何だと思いますか?」
「……損をしないことかしら?」
「いいえ。途中でやめないこと。市場に居続けることです」
「市場に居続ける……?」
「チャールズ・エリスの『敗者のゲーム』によると、株式市場のリターンの多くは、ごく限られた暴騰日に集中する。これを『稲妻が輝く瞬間』と呼びます」
「稲妻が輝く瞬間……」
「それを絶対に逃さない。そのために市場に居続ける。これが投資の鉄則です」
「稲妻が輝く瞬間、来たアアア!」
ギャラリーが一斉に沸き立ち、特に軽井沢たちが大騒ぎする。
「市場から退場する投資家の多くは、損失に耐え切れなくなった人たち。だから初心者は、勝つことより先に『退場しない仕組み』を作る必要がある」
俺は目の前の紙ナプキンを指差した。
「それが、このコア・サテライト戦略です」
俺の言葉に、真壁課長より先に白鳥が勢いよく前のめりになった。
「そこの所を詳しくっ!」
俺は黒く塗りつぶした部分に『コア』と、白い小さな部分に『サテライト』と書いた。
「まず資金を二つに分けます。全体の7〜8割を『コア』に」
黒い部分をペン先で叩き、次に白い部分を指し示す。
「そして残りの2〜3割を『サテライト』に振り分けます」
「人工衛星みたいな名前ね」
真壁課長が言う。
「意味もだいたいそんな感じです」
俺は説明を続けた。
「コアは、オルカンやTOPIXみたいな低コストのインデックスファンドで組んで、毎月コツコツ積み立てます」
「オルカンなら聞いたことがあるわ」
「世界中の株式に薄く広く分散投資できる投資信託。定番ですね」
白鳥がコクコク頷いている。
「ただ、為替リスクが気になるならTOPIXでもいいと思います。このコアに債券や金も組み合わせれば、値動きはもっと安定します」
「つまり徹底した分散投資ってわけね」
「はい。そしてコアで一番大切なことは、『退屈な投資』であること」
「退屈な投資?」
「退屈であればあるほどいい。投資していることを忘れるくらいに」
「投資してることを忘れる……?」
真壁課長が目を丸くする。
「初心者ほど資金を一気に突っ込みたがる。そして暴落が来ると全部売って退場する」
軽井沢が露骨に目を逸らした。
「だから、手元に資金があっても一括投資はしない。あえて積み立て設定にするんです」
「あえて積み立てに……」
「例えば『毎日積み立て』なら、上がった日も下がった日も買う。毎日買うから、日々の値動きなんてどうでもよくなる」
「確かにどうでもよくなるわね……」
「暴落が来ても全然気にならないし、むしろ『安く買えるラッキーイベント』くらいに思えてしまう」
その言葉に軽井沢が即座に反応。
「つまり白鳥ちゃんみたいになれと!」
「誰がNISAバーサーカーですかっ!」
「いや、そこまで言ってねえし……」
軽井沢と白鳥の漫才に、みんな腹を抱えて笑った。
「この『退屈なコア』こそが、さっき久我の言っていた『感情に流されない運用』そのものです」
俺は久我へ視線を向けた。
「しかも低コストファンドだけだから、手数料が異常に安い」
「ちなみにどれくらい?」
「オルカンなら年率0.06%程度。TOPIXなら0.15%程度。どちらも購入手数料はゼロです」
「えっ!? さっきの2%と全然違う!」
「だから白鳥ちゃんが青くなってたのか」
チャラ男たちがギョッとする中、俺は真壁課長に向き直る。
「コアの資産配分はお好みですが、年金基金のポートフォリオを参考にすれば、プロっぽい運用を低コストで再現できますよ」
真壁課長が感心したように頷いた。
「それなら私にもできそうね。年金基金の真似から始めようかな」
「このコアに使う投資信託は、NISA口座で買ってもいいし、老後資金が目的ならiDeCo口座も候補になります」
「NISAってよく聞くけど、どういう制度だったかしら?」
「生涯投資枠1800万円まで、運用益が非課税になる制度です。ラップ口座の代わりに、こっちを久我に作ってもらってください」
◇
「さて、次はいよいよサテライトです。こっちは積極的に利益を狙います」
「退屈じゃなくていいの?」
「ここは自由なので、投資の醍醐味を思う存分楽しんでください」
その瞬間、軽井沢たちが騒ぎ出した。
「来たあああ! レバナスだ、レバナス!」
「テンバガー株!」
「エヌビディア! キオクシア!」
「AIだ! 半導体だ!」
「あいつらが言ってるような個別株に投資する方法もあるし、サテライト側もインデックス中心で組んでもいい」
「積極的に利益を狙うのなら、インデックスより個別銘柄の方が……」
「個別株は当たればデカい。でも、本気でテンバガー株……10倍以上に上昇する株のことですが、それを見つけるのは運要素が強いし情報収集の時間もバカになりません」
「情報収集……そこまで暇じゃないのよね」
「その点、インデックスはお手軽です。日経平均株価やNYダウなら毎日ニュースで流れてくるし、相場の動きも追いやすい」
「クスッ。確かに何もしなくても勝手に情報が入ってくるわね。でも具体的にどうやるの」
「上場投信――ETFを使えば、インデックスファンドを株みたいにリアルタイムで売買することができます」
「え、そうなの?」
「はい。日経平均株価や東証株価指数TOPIX、NYダウ、S&P500、NASDAQ-100に連動するETFはたくさんあります」
「全然知らなかったわ」
「さらに、レバレッジ……つまり値動きが2倍になるETFもあります。日経平均レバレッジなら、日経平均が1000円上がれば、2000円上がったような動きになる。もちろん、下がる時も2倍です」
「そんなのがあるんだ……」
「こいつらが言ってた『レバナス』は、レバレッジNASDAQの略。アメリカのIT企業が多く含まれるNASDAQの値動きを、さらに増幅した商品です」
「そんなインデックスが……」
「爆発力がある反面、暴落時に資産が溶ける速度も芸術的です」
「芸術的に溶けるのは嫌ね……」
「一方、インデックスと逆の動きをする商品もあります。例えば『日経平均ダブルインバース』なら、下落相場で利益を狙うこともできます」
そこまで説明したところで、真壁課長が不安そうに眉を寄せる。
「話は分かったけど、私は初心者だし……もし失敗したら?」
「その時はコアが助けてくれます」
「え?」
真壁課長が首を傾げた。
「例えば初年度。コア400万、サテライト100万で投資を始めたとします」
俺は紙ナプキンに数字を書いた。
「コアの期待リターンを5%とすると、400万×5%で年間20万の利益。仮にサテライトで派手にやらかして20%負けても、100万×▲20%で損失は20万」
「あっ……」
「つまり、コアの利益で相殺できる」
真壁課長が目を見開く。
「次の年も同じ比率で増やしていけばいい。そうすれば、常にコアがサテライトの失敗を支えてくれる」
「なるほど……安全網みたいなものなのね」
「そういうことです」
俺は頷いた。
「そのうち腕が上がって、サテライトで利益を出せるようになるかもしれない。逆に欲を出して、信用取引で全部吹き飛ばすかもしれない」
「怖っ!」
軽井沢が素でドン引きする。
「サテライトは死んでもいい。でもコアだけは絶対に殺さない。市場に居続けてさえいれば、数年かけて取り戻せる可能性がある」
「……コアが生きていれば、復活できる」
「そう」
俺はペン先で黒く塗った『コア』を叩く。
「投資の醍醐味を楽しむ。失敗もする。でも市場からは退場しない」
真壁課長が静かに息を呑んだ。
「――そして、『稲妻が輝く瞬間』を絶対に逃さない」
ギャラリーがどよめく。
「投資初心者が負ける理由。それは投資が下手だからじゃない。怖くなって、途中でやめるからだ」
「…………」
「最強なのは、『勝つ人』じゃない」
俺は紙ナプキンの中央を指で叩いた。
「負けてもなお、市場に居続けられる人」
「……!」
「それを可能とするのが――コア・サテライト戦略です」
「「「おおおおっ!!」」」
食堂に歓声と拍手が広がる。
隣を見ると、白鳥の目が今まで見たことがないほどキラキラしていた。
「……久我。お前の言ってることは正しい」
久我が少し意外そうに目を細めた。
「ラップ口座にニーズがあるのも事実。忙しい人間には向いてるサービスだし、何も知らない初心者が個別株に突撃するより百倍マシだろう」
「でしたら――」
「でもな」
俺は真壁課長へ視線を向ける。
「真壁課長は最初に言った。『投資を始めてみたい』って」
食堂が静まり返る。
「旅行も、仕事も、人生もちゃんと楽しみながら1800万も積み上げた人だ」
白鳥が、ハッと息を呑んだ。
「つまり、『投資で人生を壊すタイプ』じゃない」
「……!」
「だったら、最初から丸投げするより、自分で理解しながら始めた方がいい」
久我が静かに口を開く。
「手間はかかりますよ」
「かかるな」
「相場に悩むこともある」
「あるだろうな」
「暴落で眠れない日が来るかもしれません」
「当然だ」
「それでも?」
俺は肩をすくめて笑った。
「自分の人生のハンドルくらい、自分で握った方が面白いだろ」
数秒の沈黙。
――そして。
「うおおおおおっ!!」
なぜか軽井沢たちが拍手した。
「鷹城が勝った!」
「銀行員対決、決着ゥゥゥ!」
「昼休み金融バトル完結編!」
「アホか」
俺は呆れながら味噌汁を啜る。
「こんなの勝負でも何でもねえ。昼休み終わるぞ。全員、持ち場に帰れ」
そして、久我を見る。
「……それから久我」
「なんです」
「NISAとiDeCoの手続き。詳しい説明はお前の仕事だろ」
一瞬。
久我が、少しだけ苦笑した。
「承知しました。では明日、お時間をいただければ」
「そうね」
真壁課長が頷く。
「明日の昼休みにお願いね。久我くん」




