第7話 コア・サテライト戦略(前編)
昼休みの社員食堂。
今日の日替わり定食は、唐揚げだった。
「いただきます!」
隣の白鳥が満面の笑みで頬張る。
「本当に美味そうに食べるな、お前」
「だってここの社食、凄くおいしいです!」
「無料の味噌汁しか飲んでなかったし、今までもったいないことをしたな」
「えへへへ……」
「あの……少しいいかな?」
そんな俺たちに声をかけてきたのは、システム部の真壁麻衣課長だった。
40歳独身。仕事は超優秀。
社内でも有名なバリキャリで、役員相手でも一歩も引かない鉄の女だ。
だが今日は、どこか落ち着かない様子。
「鷹城くんって、元銀行員だったよね?」
「まあ一応……」
「実はちょっと、資産運用のことで相談がしたくて……」
「資産運用?」
俺が尋ねると、だが彼女の背後から男の声が聞こえた。
「でしたら、私がそのお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
社食のあちこちから女子社員たちの黄色い歓声が飛ぶ。現れたのは、第一中央銀行が誇るエース営業・久我信一郎だった。
「久我……」
ピシッとしたスーツにネクタイ。
爽やかな笑顔。
銀行のパンフレットからそのまま出てきたような、清潔感あふれる男。
「真壁課長には、一度ご説明させていただきたいと思っておりました」
「あら、そうだったの?」
「是非、当行の商品を紹介させてください」
そう言うと、俺たちの向かいに並んで座る二人。久我はここで営業をかけるようだ。
まだ飯を食ってる最中だし、向こうでやってくれといいたいところだが、周りを見るとどのテーブルも一杯。しかも周囲の視線は俺たちのテーブルに注がれている。
「ここから抜け出せなくなってしまった」
見ると、いつの間にか軽井沢たちチャラ男軍団まで集まってきている。
「おおっ! 今日もまた鷹城の投資話か!」
「しかもライバル銀行員までいるぞ!」
「昼休み金融バトル、来たアア!」
いつものノリで騒ぎ出す営業部。
大きなため息を吐いた俺は、
「俺はここで飯を食ってるだけ。久我の営業に口出しはしないよ」
「チェッ! 銀行員同士の金融バトル、見てみたかったぜ」
つまらなそうにする軽井沢だったが、それでもどこかに行く様子もない。
みんな注目の中、久我の営業が始まった。
「真壁課長、資産運用を始めようと思われたきっかけを伺っても?」
「そうね」
真壁課長は少し考えてから答えた。
「ここ最近、物価も上がってきたじゃない? 預金だけでは不安で、そろそろ投資を始めてみようかと思って」
「つまり真壁課長は、投資にあまり詳しくないということですね」
「そうね」
真壁課長が頷く。
「ちなみに現在の金融資産は?」
「預金が1800万円ほど」
その金額を聞いた白鳥が、『ブフッ』と味噌汁を吹き出した。
「1800万!」
「うわああ……汚ねえなお前」
「ご、ごめんなさい……」
その辺にあった紙ナプキンでテーブルを拭く俺だったが、白鳥のこの反応には思い当たる節がある。
そう、彼女に最初に示したシミュレーションで『余裕投資組』が40歳時点でNISAに積み上げた金額と同じなのだ。
旅行も、趣味も、友人との付き合いも、全部楽しんだ上で辿り着ける数字。それが俺たちの前に実体を伴って現れたのだ。
「現在40歳とのことですので、年金受給年齢まで、まだ25年あります」
久我が営業用タブレットを操作する。
「既にこの金額ですので、ここから大切なのは『大きく増やす』ことではありません」
「そうなの?」
「資産を守りながら確実に増やし、インフレに備えること」
真壁課長が真剣な顔で頷く。
久我は滑らかな動きで画面を切り替える。
「そこでお勧めしたいのがラップ口座です」
「ラップ口座?」
「はい。お客様一人ひとりのニーズに合わせて、資産配分から運用、リバランスまで、すべてプロが一括管理するサービスになります」
「おおっ! なんか富裕層っぽい!」
軽井沢たちが盛り上がる。
「プロに全部任せられるんですか?」
白鳥も興味津々の様子。そんな彼女に久我がニッコリと答える。
「そうですよ白鳥さん。しかもオーダーメイドです」
「すごい……」
「投資で難しいのは、感情を排除すること」
久我は静かに続ける。
「相場が暴落すると、多くの個人投資家は耐えきれずに売却してしまう。しかしラップ口座なら、資産配分を調整しながら長期運用を継続します」
「それって!」
白鳥とチャラ男たちが目を合わせる。つい先日その話をしたばかりだったからだ。
「なるほどね……」
一方の真壁課長も、感心したように息を漏らす。
「ラップ口座って富裕層向けのサービスのように思われますが、退職金で投資を始めようと思ったけど損をするのが心配、そう言ったお客様にも人気の商品なんです」
久我の説明は理路整然としていて、間違ったことは何一つ言っていない。
白鳥なんか軽く感動している。
「……なんか大人の投資って感じですね」
「まあな。実際、相場の上げ下げに一喜一憂せず、のんびり暮らしたい人向けのサービスだし。そうだ、もしお前ならどんな運用方針を指示する?」
「それはもちろん、オルカン全力で!」
「それ、ラップ口座の意味ねえじゃん!」
そんな俺たちのアホな会話を完全にスルーして、久我は営業用のタブレットを操作しながら話を続ける。
「真壁課長の場合、国内外の株式・債券・REITなどへ分散投資し――」
「リートってなんですか?」
「不動産の投資信託です。賃料収入が収益源で安定した分配金を貰えるのが特徴。金利と逆相関なので、ポートフォリオに入れておくといいと思いますよ」
「へえぇ……」
「これらの資産を定期的にリバランスして、リスクを一定に保ちながら収益を――」
その後も久我の営業は続き、真壁課長の意向を聞き取りながらラップ口座の特徴を流れるように説明して行く。
「このようにラップ口座は、プロに任せられるので忙しい方にピッタリです」
「確かに、仕事しながら自分で運用の勉強するのは大変そう。プロの人に投資を教えて貰うのもありなのよね」
「ええ。担当者が付きますので、気になったことはお聞きになるといいですよ」
そのやり取りを聞いた時、俺の心に違和感がよぎった。
ラップ口座は運用代行サービス。
なのに真壁課長は、担当者に投資を教えてもらおうとしている。
――なるほど、そういうことか。
「久我、ストップ」
「……どうした鷹城」
久我が営業スマイルのまま俺に尋ねる。
「まだ大事な説明をしてないじゃないか。ラップ口座の手数料はいくらだ」
一瞬、食堂の空気が止まる。だが久我は穏やかな笑みを崩さない。
「諸々含めて2%前後になるとお考えいただければ」
「2%って……!」
白鳥が両手で口を押さえ、それを見た軽井沢たちがざわつく。
「2%って高いの? 安いの?」
「分からん。だが白鳥ちゃんの反応見ろよ」
「なんかガクガク震えてるっす」
だが、久我は落ち着いた声で答える。
「資産配分設計、運用管理、リバランス、継続サポート込みの手数料です。特に初心者の方にとっては『安心料』としての価値も十分にあるものと考えています」
完璧な答えだった。
営業として、銀行員として、たぶん満点。
だからこそ――俺はため息をついた。
「その2%をこれから25年間払い続けたらいくらになるのか教えてくれ」
食堂が静まり返り、真壁課長が不安そうに瞬きをする。
それでも久我は平然と、
「期待利回り5%なら年間約90万円の運用益。手数料36万円を差し引いても、資産は54万円ほど増加します」
「それで?」
「次年度は資産1854万円に対して手数料は37万円。資産の増加によって手数料も増えていきますが、長期運用では適切な資産管理こそが大切であり、その安心感を提供するのがこのラップ口座」
「年間36万円。資産が増えれば手数料も増える。25年続けば、累計コストは普通に数百万円。条件次第じゃ1000万近くになる」
「それだけお客様の資産が増えたという証」
「それにコストはそれだけじゃない。投信の信託報酬もあるし売買コストだって発生する。2%では済まないんだ」
「それだけ手間暇をかけた結果であって、正当な報酬とお考え下さい」
「問題は、儲かった分の一部を払う仕組みじゃないことだ。利益が出ていようが暴落して資産が減っていようが、銀行は資産残高に応じて手数料を受け取る、そんな商品だ」
「ですが富裕層の皆様には好評な商品で…」
「それは知ってる。自分で運用する時間のない人や、相場に煩わされずに穏やかな老後を送りたい人にはとてもいいサービスだということを。だが真壁課長は違う。彼女は資産をただ増やしたいのではなく、投資に興味があるんだ」
「…………」
「真壁課長。久我が今説明したこと――実は初心者でも、かなり近い考え方の運用はできます」
食堂が静まり返る。
「……え、そうなの?」
真壁課長が目を見開く。
久我でさえ、営業スマイルを崩す。
俺は紙ナプキンを手元に広げると、大きく円を描いてみせた。
「むしろこれは、投資初心者にこそ勧めたい最強の戦略」
そして、大半を黒く塗りつぶした円をペン先で叩いた。
「コア・サテライト戦略です」




