第23話 すべては、この瞬間のために
会場がシンと静まり、これから何が起こるのか、固唾を飲んで見守っている。
その壇上――鬼塚だけが額に汗を浮かべ、俺は次のスライドを映し出した。
【金融商品販売における主なコンプライアンス論点】
■金融商品取引法 第36条
利益相反管理体制
■金融商品取引法 第38条第1号
顧客に誤解を与える勧誘行為
■金融商品取引法 第38条第2号
断定的判断の提供の禁止
■金融商品取引法 第40条
適合性原則
見慣れない言葉の羅列に、再び会場がざわつき始める。
「何だこれは……?」
「金融商品取引法? なんかよく分からない法律が出てきたぞ」
軽井沢が首を傾げ、真壁課長も眉をひそめ、橘主任は俺を黙って見つめている。
俺は鬼塚に向き直る。
「俺は法律の専門家ではありませんので、違法かどうかをここで断定するつもりはありません。ですが――」
次のスライドを表示させる。
【100人が選ぶ! 老後マネー王決定戦】
タイトルの下には、第1回から第3回までの映像記録のサムネイルが並んでいる。
会場の空気が変わった。
「本大会は、全日程が録画されています」
ざわっ。
「討論内容、投票結果、参加者の反応。すべて保存済みです」
鬼塚部長の顔色が明らかに変わった。
「さらに――」
俺は一つのサムネイルをクリックし、再生位置を中盤まで進める。
「このように、鬼塚部長は毎回最後列で観戦されていました」
スクリーンに映像が流れる。
そこには確かに鬼塚の姿が映っていた。
「待て!」
鬼塚が初めて声を上げる。
「それが何だと言うんだ。金融商品の説明をしていたのは、お前たちだろ!」
「さて、問題はここからです」
俺が目配せすると、橘主任がマイクのスイッチを入れる。
そして真っすぐ鬼塚を見据えて、
「鬼塚部長。誠に申し訳ありませんが――」
そう言ってスマートフォンを取り出した。
「本件については、すべてのやり取りを録音しております」
会場がどよめく。
「録音……だと?」
鬼塚の声がかすれる。
「鬼塚部長が、弊社社長へ企画を持ち込まれた際の打ち合わせの音声です」
橘主任は静かに再生ボタンを押した。
スピーカーから小さなノイズが走り、そして聞き覚えのある声が響いた。
『毎回一つテーマを設定し、二人がそれぞれ金融商品を提案する。そこで議論を戦わせて、それを聞いた聴衆がどちらか一方に投票する』
『ほう……』
『どちらも金融のプロ。議論を聞いているだけで金融知識が身につくでしょう』
『メインバンク様から面白い提案をいただいてね。鬼塚部長、説明をお願いします』
『承知しました』
鬼塚部長による、金融三番勝負の説明。
『この企画は、御行の商品提案を行うのですね?』
『その認識で結構です』
『特定の商品について、メリットやデメリットを比較しながら?』
『ええ。議論を戦わせることで結果的に分かりやすくなります』
『なるほど』
そこから流れてきたのは、紛れもなく鬼塚の声だった。
会場のざわめきが徐々に大きくなる。
「貴様……嵌めやがったな」
鬼塚が橘主任を睨みつける。
だが、血の気の引いた顔では迫力もない。
「嵌めてなどおりません」
橘主任は淡々と答える。
「社長との応接記録は録音するのが社内ルール。それに今回のご提案には少々違和感がありましたので、元行員の鷹城くんに内容を確認してもらいました」
鬼塚部長の顔から血の気が消える。
「待ってくれ……!」
声が震えていた。
「私はそんなつもりで提案したんじゃ――」
橘主任にすがりつこうとした鬼塚の前に、俺が立ちはだかった。
「じゃあ、どんなつもりだったんだ!」
「それは……」
「久我と俺を使って、自分の営業成績を積もうとしただけだろうが!」
「違うっ! 私は御社社員の金融リテラシーの向上を――」
「この企画を横展開して、他の行員にもやらせるつもりだったんだろ!」
「違う……! 決してそんなつもりは――」
「まあいい」
俺は遮った。
「今回の件が違法かどうかを判断するのは俺じゃない」
「まさか……」
「本社コンプライアンス部門に報告させていただく」
鬼塚が一歩後ずさる。
「やめてくれ……」
「企画資料、セミナー映像、音声データ。証拠は全て揃っている」
「頼む……そんなことをされたら私は……」
「どうやら自覚はあるようですね」
「うっ……」
「本社の査察が入れば、職場の誰もあなたを助けてくれないでしょうね。今の部署にはいられませんし、左遷もしくは降格があるかもしれない」
「頼むっ!」
鬼塚が叫ぶ。
「私には家族がいるんだ! 高校生の娘は受験を控えている。それに住宅ローンも組んだばかりで……」
その言葉に、俺は冷たく答えた。
「その話は、あなたが売った商品で困っているお客様にしてあげてください。みんな大笑いすると思いますよ」
脳裏に浮かぶ。
あの女性の、途方に暮れた声が。
「もう二度としない!」
鬼塚が叫ぶ。
「心を入れ替える! だからもう一度だけチャンスを――」
「無理です」
俺は即答した。
「投資が自己責任なら、あなたのやった行動にも責任が伴う」
「頼む……」
鬼塚はその場に膝をついた。
そして――土下座。
会場がどよめく。
あの鬼塚が、
誰よりも傲慢だった男が、
俺に土下座をしている。
「どうか……今回だけは……このとおり」
額を床に擦りつける。
だが、俺は何も言わなかった。
沈黙。
それを破ったのは――久我だった。
「鬼塚部長」
そこにいたのは、銀行のパンフレットから抜け出たような優等生ではない。
確固たる意志を宿した、一人の男だった。
「もう終わりです」
「何を言っている……久我」
「部長がこの企画を社長に提案した日から」
久我は静かに告げる。
「僕と鷹城は、ずっとあなたを見てました」
鬼塚部長の顔から血の気が引く。
「まさか貴様ら……グルか」
「さあ、どうでしょうね」
久我が微笑む。
そう。
この『老後マネー王決定戦』は、最初から金融商品の優劣を競うためのものではなかった。
久我が教科書通りの説明に終止したのも、
俺があえて銀行を貶める説明をしたのも、
――すべては、この瞬間のため。
鬼塚を裁くために用意された、ここは処刑台だ。




