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NISA貧乏株式会社 ~元銀行員の俺。NISA貧乏の美人経理を金融知識で救ったら、妙に懐かれた~  作者: くまひこ


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第22話 エスケープ・ラダー戦略

「また鷹城さんのオリジナル戦略っすか?」


 軽井沢の問いに、俺は頷く。


「まあな。もしかしたら同じことを考えた人もいたかもしれないけど、少なくともネットで検索した限りは見つからなかった。だから適当に名前を付けてみた」


「マジすか……でも変な名前っすね」


「そうか? ちゃんと意味があるんだけど」


「へえ、どんな?」


「Escape=脱出。Ladder=ハシゴ。つまり、老後最大の罠から脱出するための避難ハシゴって意味さ」


「ふーん……」


 軽井沢が微妙な顔をするが、今度は高坂さんが尋ねる。


「名前の意味は分かったけど、普通の繰上げ返済と何が違うんだい?」


「一言で言うと、ローン返済用に『個人向け国債』を買っておくんですよ」


「個人向け国債?」


「国が発行する債券で、1万円から買えるし、預金派の高坂さんでも安心して持てますよ」


「それぐらい知ってるよ! まあ1000万円までしか保証されない預金より安全だし、選択肢としてはアリね。それでどう買うんだい」


「では次のスライドを」




【毎月の返済額と同額の国債を買う】


「……は?」


 軽井沢が固まる。


「それだけ?」


「それだけ」


「いや、意味分かんねえし!」


「じゃあ、さっき久我が出したモデルケースで考えてみよう。毎月10万円の住宅ローンを返済している人がいたとする」


 スライドが切り替わる。


・住宅ローン返済額──毎月10万円

・個人向け国債購入──毎月10万円


「国債の満期は10年。だから定年退職の10年前から、毎月10万円ずつ国債を買う」


「毎月10万円返済しながら、さらに10万円も積むんすか……」


 軽井沢が唖然とする。


「まあな」


「それ、結構きついっすよ」


「そりゃ俺たち20代には無理な金額だ。でも定年の10年前なら50代。子どもの学費も終わって、一番お金に余裕のある時期でもある」


「あ……なるほど!」


 ようやく軽井沢が納得した。


「もちろん、それでも楽じゃないさ。だが、この戦略には別の効果もある」


「別の効果?」


「50代のうちに生活レベルを落としておくんだ。老後になっても支出を減らせず、苦労する人は多いからな。これは老後の予行演習にもなる」


「なるほどっす」


「ただそれは副次的な効果であって、この戦略の真の狙いを今から説明する」


 スライドが切り替わる。




【国債の償還金が、そのままローン返済に】


「10年前に買った国債が、退職した翌月から順次償還を迎え、そのお金をそのまま住宅ローン返済に充てる。これを10年続ければ繰上げ返済しなくてもローンは勝手に消える。もちろん団信は残ったままだ」


「……あ」


 誰かが小さく声を漏らした。


「もしローン期間が10年以上残ってるなら、退職金で残期間を10年まで短縮する。そして残った10年分を、国債の償還金で順次返していけばいい」


 1200万円 × 1.27%(税引後)× 10年

  ≒ 153万円


「しかも手元には、10年分の国債利息が約150万円が残る」


「マジかよ……」


 会場がざわつく。


「ちなみに個人向け国債は変動金利だから、金利が上がれば利息も増えるし、下がれば減る。とはいえ、この利息は老後の小遣い程度に考えればいい」


「でも10万が厳しい場合は?」


「5万でも7万でも構わない。足りない分は退職金から繰上げ返済して、毎月の支払いを国債の額面に合わせればいい」


「なるほど」


 俺は参加者を見渡した。


「重要なのは、住宅ローンの重圧から解放されること」


「重圧からの解放……」


 会場の誰かがつぶやく。


「この方法だと退職金を一気に失うこともないし、団信も残るので、もしもの時は借金がチャラ。投資信託を原資にしないから相場の値動きを気にする必要もないし、国債金利が丸々懐に入るおまけ付き」


「つまり、私みたいな預金派にピッタリの投資法ってことだね」


 高坂さんが腕を組んで頷く。


 真壁課長も感心したように言った。


「住宅ローンそのものを消してしまうんじゃなく、返済資金を別に準備しておくわけね」


「ええ。この買い方は『債券ラダー戦略』という債券投資の古典的手法です。それを住宅ローン返済にマッチングさせたALM的アプローチなんです」


「Asset Liability Management、資産負債総合管理のことね」


「よくご存知で」


 住宅ローンからの脱出方法は伝えた。


 いよいよここからが本題だ。


「さて」


 俺は次のスライドを映し出した。




【限界税率の罠】


「限界税率? 何だっけそれ」


「なんか前にも聞いたような……」


「また税金の話かよ……」


 みんな嫌そうな顔をする。


 正直、俺だって税金の話は大嫌いである。


 だが、住宅ローンと限界税率は切っても切れない関係なのだ。


「住宅ローンを借りる時も、返す時も、多くの人が見落としている数字です」


「見落としてるというか、その存在自体知らないんだけど」


 会場がざわつく。


 俺はわざと久我へ視線を向けた。


「銀行も不動産屋も知っているのに、あまり説明してくれないからね」


 久我の眉がわずかに動く。


「ここから先は、住宅ローンの恐い話です」


「「「えっ!」」」


 俺はマイクを握り直した。


「その住宅ローン、本当は何%の金利を払わされているのか――その話をします」


「「「ひいいいいっ!」」」





「コホン……さて皆さん」


「お、おう……」


「先ほど久我は、退職後も働いて住宅ローンを返済する人もいると言いました」


 すると会場からは、


「普通にいるだろ?」


「年金だけじゃローンを返せないし」


「再雇用で返していく予定」


「ローンが残ってるなら、パートでも何でもして返すしかないさ」


 そんな声が返ってきた。


「では質問です。老後にパートで100万円稼いだ場合、手元にはいくら残りますか?」


「それ、前回のセミナーで聞いたな」


「税金取られるんだろ? 確か30万円?」


「覚えてましたか。そう、約30万円徴収されて手元には70万円しか残りません。先ほどのケースだと、住宅ローン返済のために年間120万円稼ぐ必要があります」


「全部働いて返すなら、それぐらいいるな」


「でも120万円はあくまで手取り。税引前に直すと――なんと170万円も必要なんです」


「170万円……そんなに必要なのか」


 会場がざわめく。


「つまり50万円も税金を引かれるんですが、誰もこれを住宅ローンのコストとして考えていません。ローン返済のために追加で税と社会保険料を払っているにもかかわらずです」


 スライドに数字が次々と表示される。


・住宅ローン残高 1200万円

・固定金利    1%

・利息      12万円

・税・社会保険料 50万円

・合計コスト   62万円


「これが何を意味するのか」


 俺は数字を指差した。


「1200万円の借金に対して利息だけでなく、年間62万円のコストを払ってます。つまり」


 62万円 ÷ 1200万円 ≒ 5.2%


【実質金利 5.2%】


 全員がスクリーンに驚愕し、会場にどよめきが走った。


「はああああ!?」


「嘘だろ!」


 みんな一斉に立ち上がる。


 なぜか軽井沢まで。


 いや、お前まだ住宅ローン組んでないだろ。


「金利1%のつもりで住宅ローンを返さず、その資金で期待リターン5%の運用をするつもりの人は、一度立ち止まって考えてください」


 会場が静まり返る。


「働かずに返せるなら俺は何も言いません。でも働いて返すつもりなら、その運用は逆ザヤかも知れませんよ」


「ひいいいいっ!」


「さらに恐ろしいのはここからです」


 スライドに数字が並ぶ。


1年目 5.2%

2年目 5.6%

3年目 6.2%

4年目 7.0%

5年目 7.9%

6年目 9.3%

7年目 11.4%

8年目 14.9%

9年目 21.8%

10年目 42.7%


 完全に沈黙。誰も口を開かない。


「返済終盤になるほどローン残高は減少し、代わりに実効金利は上昇します。なぜなら金利負担は減っていくのに、120万円を稼ぐための税負担はほとんど変わらないからです」


「もうやめてくれ……」


 悲痛な叫びを無視して、結論を告げる。


「老後に働いて住宅ローンを返済するという行為は、とんでもない高金利の借金を抱えているのと同じです」


 その瞬間、会場が爆発した。


「ふざけんな!」


「聞いてないぞ、そんな話!」


「先に教えろよ、銀行!!」


 みんなが一斉に久我を睨みつける。


 だが、俺が見ているのは最後列。


 今日も、のこのこ現れた鬼塚。


 能面のような顔。


 だが――目だけが動く。


 ほんの一瞬、その視線が揺れる。


 俺は心の中で笑った。


 ──くっくっく、効いてきたな。




「この問題、実は老後だけではありません」


「え……?」


「皆さんの中には、住宅ローン返済のために残業を増やした人はいませんか? あるいは副業で返済資金を捻出している人」


 何人もの社員が顔を見合わせる。


「その時点で限界税率の影響を受けてます」


「「「あああっ!」」」


 思い当たる節があるのだろう。


 あちこちから悲鳴が上がる。


「しかも現役世代は老後より所得税率が高い。仮に20%とすると、税金と社会保険料を合わせた限界税率は軽く40%を超えます」


「やめろ……」


「すると1%だと思っていた金利が実は――」


「聞きたくない!」


「頼むからもう勘弁してくれ……」


 頭を抱える社員たちには悪いが、ここは最後まで聞いてもらう。


「銀行はこの事実を知っています」


 ざわっ。


「それでもこう言います。住宅ローンは低金利です。住宅ローン控除もあります。だから借りた方が得ですよ――ってね」


「確かにそんな感じだった……」


「でも、限界税率は説明しない」


 会場が静まり返る。


「なぜなら、説明した瞬間に住宅ローンの本当のコストが分かってしまうからです。住宅ローン控除なんか軽く吹き飛ぶほど、追加で税金を取られる事実がバレてしまうからです」


「………なん……だと!」


「税金が戻ってくる話は都合がいいからする。でも返済のために余計な税金を払う話はしない。銀行に都合が悪いから」


「おかしいだろそれ!」


「税金は自分の説明責任の外にあるから、聞かれたら教えるけど、聞かれない限り教えないスタンス」


「知らないのに、聞けるわけないだろ!」


 怒号が飛ぶ。


「定年退職時も、繰上げ返済は銀行にとって悪い話ではないのに、リテール営業はその資金を目当てに投資信託やラップ口座を勧める。自分たちの営業成績になるから」


「ふざけんな……」


「その時決まって、銀行はこう言います」


『もしもの時のために、手元にまとまったお金を残しておきましょう』


『余裕資金は投資で増やし、心配ならプロに任せましょう』


『老後も働いて、社会との繋がりを持ち続けましょう』


「――とね」


「そのセリフ……くそ、騙されていたのか」


「限界税率を知りながらそれを教えず、客を骨までしゃぶり尽くす。それが奴らの手口」


「畜生ーーーッ!」




 会場がパニックになり、銀行に対する怒りが頂点に達したその時、


 最後列の椅子が勢いよく飛んで、鬼塚が立ち上がった。


「貴様ァァァァァッ!!」


 顔は真っ赤で、額には青筋。


 さっきまで能面のように無表情だった男が、感情を露わにしていた。


「銀行を何だと思っている!」


 会場が一瞬静まり返り、見覚えのない男に視線が集まる。


「鬼塚部長。まだセミナーの途中ですので、どうかお席に」


 橘主任が鬼塚を落ち着かせようとするが、この男は怒りで完全に我を忘れていた。


「鷹城ーーっ! 黙って聞いていればウソばっかり並べやがって!」


「俺、本当のことしか言ってませんが?」


「黙れっ! お前が言っていることは全てデタラメ! 銀行に対する侮辱と虚偽情報による業務妨害で訴訟を起こしてやる!」


「訴訟……ですか」


「ああ。銀行で働いていたことをかさに着て、さも内部事情を知っているかのように振る舞って銀行を貶めるその行為!」


「そこまで言うなら証拠を見せてください。俺がウソを言っている証拠を」


「何だと!」


「銀行は慈善事業ですか? 営利企業ですよね」


「だからどうした!」


「ラップを売れば手数料が入る。投信を売れば数字が積み上がる。住宅ローンが残れば運用提案もできる。退職金は当たり案件――」


 俺は鬼塚を見据える。


「全部、あなたが言ってたことですよ」


「黙れ、黙れ、黙れっ!」


 鬼塚が壇上へ上がってくると、俺の目の前までやって来て――、


 バンッ!!


 演台を拳で殴った。


「お前からも言え!」


 鬼塚が久我を睨みつける。


「鷹城の言っていることは全部デタラメ! 銀行はお客様本位の営業をしているとな!」


 だが久我が口を開く前に、俺は次のスライドを映し出した。




【100人が選ぶ! 老後マネー王決定戦】


■ 対決テーマ

・豊かな老後のために、俺が考えた最強の投資商品


・俺の年金繰下げビルドで、老後ダンジョン完全攻略!


・住宅ローン、繰上げ返済×運用 王道カプはどっち?




「さて」


 俺は鬼塚を見据える。


「この企画を発案したのは誰でしょうか?」


「何だと?」


「もう一つ質問です」


 俺は会場を見渡した。


「我々はここで何をしていましたか?」


「金融商品の提案対決だろ!」


 鬼塚が怒鳴る。


「その通りです。会場には御行の顧客が集まり、御行の商品説明を受けていた」


 鬼塚の表情がわずかに曇る。


「そして、商品の優劣を俺たちに競わせた」


「…………」


「最強。完全攻略。王道」


 スクリーンに躍る文字。


「それはお前たちが勝手に……」


「もし顧客が真に受けて、損失を出してしまったら?」


 鬼塚の額に汗が浮かぶ。


「苦情や訴訟に発展したら?」


 沈黙。


「鬼塚部長」


 俺は最後に尋ねた。


「あなたの企画、本当に大丈夫ですか?」


 鬼塚の顔から血の気が引く。




 やっと気づいたようだな、鬼塚。


 だが俺のターンは――ここからだ。

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