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NISA貧乏株式会社 ~元銀行員の俺。NISA貧乏の美人経理を金融知識で救ったら、妙に懐かれた~  作者: くまひこ


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第19話 老後まるごとHOWマッチ!

「確かに鷹城のシミュレーションは大変興味深い。ですが年金受給のタイミングを現在価値で判断するのは極めて危険です」


 久我がマイクを握ると、スクリーンが切り替わった。




【定年退職後の主なキャッシュフロー】


「退職時に考えるべきは、公的年金だけではありません」


 会場の視線が集まる。


「まず頼りとなるのは退職金、iDeCo、個人年金、預貯金などの自己資金。そして、加給年金や失業給付、経過的加算などの公的制度を利用して行くことになります」


 次々と項目が表示される。


「逆に支出もあります」


 スクリーンが切り替わる。




【税・社会保険料】


「所得税、住民税、国民健康保険、介護保険、子育て支援金。もし60歳未満で退職したなら国民年金を納付する義務もあります」


 会場がざわつく。


「そうか、会社を辞めたらこういったお金関係を全部自分でやらなきゃダメなんだ」


「住民税って翌年ドカンと来るんだったな」


 そんな不安な声が上がる。


「ですので、老後設計は年金受給開始年齢だけで決めるものではありません。むしろ重要なのは──」


 スクリーンが切り替わる。




【使える制度を絶対に取りこぼさないこと】


「例えば加給年金」


 高坂さんが首を傾げる。


「何だいそれ?」


「厚生年金版の家族手当です」


 会場がどよめく。


「年下の配偶者がいて、ある一定の条件を満たせば、年間およそ40万円が年金に上乗せされます」


「40万円はいいけど……年下だけ?」


 高坂さんの疑問に、軽井沢が食いつく。


「分かった、ロリコン応援年金!」


「そうそう、年が離れるほどたくさん貰えるし、5歳年下と結婚すれば40万✕5年=200万円って、そんな制度とちゃうわ!」


 思わず軽井沢とノリツッコミする俺だったが、


「これらは申請をしなければ1円も受け取れませんので、注意が必要です」


 完全に無視された。


「「………ボケ捨ては地味にキツイな」」


 そして会場も、俺たちのボケは無視して久我の説明に真剣な表情。


「そして退職するタイミングでもう一つ気をつけることがあります」




【失業給付】


「64歳までに退職した場合と、65歳以降に退職した場合で制度が変わります」


 スクリーンに数字が並ぶ。


「両者で受給額に大きな差が出ます」


「そんなの知らねぇぞ……」


 会場から悲鳴が上がる。


「だからこそ」


 久我は会場を見渡した。


「退職前から老後の資金計画はしっかり立てる必要があるんです」




【経過的加算】


「こちらは大卒の方にお勧め。在学期間中に国民年金を納めていなかった場合、60歳以降も働くと、厚生年金がその分の穴埋めをしてくれます」


「それ、メチャクチャでかいな!」




【国民健康保険】


「こちらは払う方の話。健康保険は……」


 ここで久我が少し声のトーンを落とす。


「退職者が失敗するポイントです」


 ザワザワ……


「退職後は国民健康保険に加入するか、会社の保険に任意継続するかのどちらかを選びます。ただし任意継続の場合、会社分の支払いはなくなるので、保険料は倍になります」


「マジか……なら国保一択だな」


 誰かが言うが、久我は首を横に振った。


「退職前の所得によっては、国保が非常に高額になるケースがあります」


 次のスライド。


【年間保険料 約100万円】


「「「ええええええっ!?」」」


 会場が爆発し、高坂さんが素で叫ぶ。


「ひゃ、百万円!?」


「前年の年収によっては上限に到達することも十分ありえます。だから退職後の健康保険をどちらにするのか、必ず比較検討してください。そして――」


 ここが本命とばかりに俺を見る久我。




【障害基礎年金】


「先ほど私が申し上げた障害年金ですが」


 会場が静まる。


「65歳になる前に重い障害になった場合」


 スクリーンに数字が出る。


「障害基礎年金1級だと、老齢基礎年金の満額を上回る金額が給付されます」


 ざわざわざわ………。


「しかも一生涯に渡って非課税となります」


 久我は続ける。


「繰上げ受給を選択すると、この権利を自ら放棄することになります」


 空気が変わる。


「鷹城……」


 久我が真正面から問いかける。


「現在価値だけ見れば、キミの主張は正しいかもしれない」


「…………」


「ですが人生はシミュレーション通りには進みません」


 会場が静寂に包まれる。


「だから僕は、繰上げ受給を安易に勧めるべきではないと考えています」


 ここで会場が、


「確かに……」


「障害年金は盲点だったな……」


「これは久我さんの言うことも分かる」


 そんな会場の雰囲気に。


 だが俺はニヤッと笑った。


「これでようやく本題だな」


「「「えっ………!」」」


 会場のどよめきが収まらない中、俺は次のスライドを映し出した。




【障害基礎年金】


「先ほど久我は、重要な指摘をしました」


 俺は素直に肯定する。


「確かに繰上げ受給には弱点があります」


 会場が静まる。


「それが障害基礎年金です」


 スクリーンに数字が表示される。


・老齢基礎年金満額 約83万円

・障害基礎年金1級 約104万円


「障害基礎年金は老齢基礎年金より手厚い。しかも生涯非課税です」


 ざわざわ……。


「年金生活者が負担するのは所得税や住民税だけじゃありません。国民健康保険や介護保険料もあります」


 俺は資料を指差した。


「これらも全て考慮すると、障害基礎年金を受けられるかどうかで年間30万円以上の差になることも珍しくありません」


「そんなに違うのか……」


 俺は頷く。


「仮に平均余命の85歳まで計算すると、支給総額の差は約775万円にもなります」


 会場がざわつく。


「そんなに差があるなら、繰り上げ受給なんかダメじゃないか!」


 誰かが叫ぶ。


「ところが、そう単純な話でもありません」


「え……?」


「問題は、障害認定される確率です」


 スクリーンが切り替わる。




【障害基礎年金のオプション価値】


「60歳から65歳までの間に重度の障害になる確率ですが、残念ながら正確な統計データは見当たりませんでした。そこで各種資料を参考に3%と仮定します」


「3%……たったそれだけ?」


「ジャストこの5年間に重度の障害認定される確率ですから。ただし持病がある方ならもっと高く見積もるべきでしょうし、どれぐらいを想定するかは個人の判断になります」


「分かったけど、それで結果は?」


「障害基礎年金の価値をそのまま775万円として計算。先ほどの確率をかけて、775万円 × 3% = 23万円」


「23万円……たったそれだけ?」


「勘違いしないでください。障害基礎年金そのものの価値は非常に高い。問題はその権利が行使される確率をどう見積もるかです」


 久我が眉をひそめる。


「随分と乱暴な仮定ですね」


「それは認める」


 俺は即答した。


「だから最後は個人の価値観になる」


 会場を見る。


「でも期待値で考えるなら、俺は障害年金のオプション価値を23万円程度と見ています」


 次のスライド。




【繰上げ受給の優位性】


 387万円 > 23万円


 会場にどよめき。


「現在価値なら、それでも60歳受給が有利」


 俺は数字を叩く。


「障害年金のオプション価値を考慮してもなお、60歳の繰上げ受給の方が合理的という結論は変わりません」


「そしてもう一つ」


 俺は追撃の手を緩めない。


「老後に働くことを前提にするなら、絶対に知っておかなきゃいけない話がある」


 スクリーンが切り替わる。




【国民健康保険】


 参加者たちの反応が鈍い。その実態を知らないからだ。


「退職後は健康保険を自分で払います」


 会場が静まる。


「さっき久我くんが言ってたけど、所得税や住民税だけじゃなく、国保も払うのね」


 真壁課長が呟く。


「そう。しかも老後で一番痛いのは、税金よりむしろ国保です」


 ざわざわ………。


「国保は住民税同様、前年の所得で決まる」


 次のスライド。


【働く】⇒【所得増加】⇒【税・国保徴収】


「老後の安心のために働く、それ自体は何も悪くありません」


「当然です」


 久我も頷く。


「そして当然ですが、稼いだお金がそのまま手取りになるわけじゃありません。老後に働けば、その収入には所得税、住民税、そして国民健康保険料がかかります」


「納税は国民の義務。それは老後になっても変わりません」


 久我が当然のように話す。


 だが、目の前の参加者はみんな会社員。どれだけ徴収されるか肌感覚がないのだ。


 それを今から、叩き込んでやる!


「国保は自治体によって異なりますが、収入を増やすとその10数%以上が所得割として徴収されることもあります」


「え、そんなに?」


「はい。所得税5%、住民税10%と合わせれば、最低でも収入の約3割が徴収されます」


「3割……だと!?」


 会場がざわつく。


「つまり1万円稼いでも、3000円取られる」


「うわぁ……」


「この1円の追加収入に対する租税の追加負担率を、経済学では『限界税率』と呼びます」


「限界税率……」


 俺は続ける。


「老後の収入を考える際、この限界税率を無視することはやめてください。所得が増えれば所得税率も上がり、限界税率はさらに5%、10%と重くなっていきます」


「ひいいいいっ!」


「ただし、老後の収入のすべてが同じ扱いではありません」


 スクリーンが切り替わる。




【限界税率が気になるもの】

・パート、アルバイトの給与

・公的年金

・iDeCo年金受取


【限界税率を気にしなくていいもの】

・NISAの運用益

・特定口座の源泉徴収

・預金


「例えばNISAの運用益は非課税です」


「NISAなら大丈夫なのか!」


「大事なのは、収入の額ではなくそれを得る手段なんです」


 俺は会場を見渡す。


「老後はキャッシュフローを無駄に大きくせず、余計な税金は払わない。余裕資金はNISAで回し、家計の現在価値を最大化させる。そこまで計算して初めて老後設計と言えます」


 誰も口を開かない。


「何となく不安」


「みんながやっているから」


「銀行に勧められたから」


 俺は首を振った。


「そんな理由で働きすぎたり、金融商品を買うのは本末転倒。銀行を喜ばせるだけ」


 その瞬間、鬼塚の顔が露骨に歪んだ。


「もちろん結論を出すのは皆さん自身です」


「障害年金の権利を残し、繰下げ受給で安心を買う。それも立派な選択です」


 そして俺は笑った。


「俺はそのアンチテーゼとして、別の道を提示したに過ぎません」


「アンチテーゼ……」


「60歳で退職し、退職金とiDeCoを同時に受け取る。その後ただちに失業給付を満額受取り、その後に年金受給を開始。健康保険は1年目は任意継続。国保への切替え時期は退職の翌年。その後は限界税率を意識しながら手持ちの資金を最大化」


 会場が静まり返る。


「それが――」


 スクリーンに巨大な文字が映し出された。




【老後まるごとHOWマッチ戦略】


「収入の最大化を目指す久我のオーソドックスな戦略に対し、俺の戦略はバランスシートをスリム化して、割引現在価値の最大化を目指す。言わば対極の老後デリバティブ戦略」


 俺の説明に、会場は絶句。


「老後まるごとHOWマッチ? それ昔のテレビ番組じゃん。よく知ってたな鷹城」


「老後デリバティブ。俺にはついて行けん」


「そこまでやるか、普通?」


 年配社員たちは唖然。


 だが若手社員たちから拍手が巻き起こる。


「老後キャッシュフローを全てデリバティブするのか!」


「発想がエグすぎるぜ、鷹城さん!」


「現在価値の最大化、つまり今の貨幣価値に換算してリターン最大を目指す戦略!」


「でも、老後に税金や国保まで気にしながら生活するのか……正直キッつ」





 ここで久我が反論。


「鷹城の戦略はある意味合理的かもしれませんが、実行不可能。ナンセンスです」


 そして営業スマイル。


「老後はマネーゲームではありません」


 会場が静まる。


「退職後の人が求めているのは、金融工学で導き出した現在価値+387万円ではなく、明日も安心して眠れることです」


「もし病気になったら?」


「配偶者が先に亡くなったら?」


「資産運用が思うようにいかなかったら?」


 年配社員たちが真剣な顔になる。


「僕は銀行員です」


 久我が言う。


「人の不安をゼロにすることはできません。ですが不安を小さくすることはできます。安心を提供することができます」


「年金や手取りを増やす」


「働けるうちは働く」


「資産も活用する」


「多少税金が増えようとも、僕はその方が安心だと思います。万が一に備えてキャッシュフローは大きくしておくべきです」


 この瞬間、軽井沢のようなリターン重視派は「鷹城が正しい」と言い、定年間近の年配社員は「久我が安心」と意見が真っ二つになった。




「どうやらここまでのようね」


 ここで橘主任登場。投票の結果は。


  鷹城 42票

  久我 58票


「勝者――久我くん!」


 拍手。


 久我が軽く会釈する。


 一方で若手社員たちは不満げだ。


「理屈は明らかに鷹城さんだっただろ!」


「でも自分の親に勧めるなら、やっぱり久我さんかな……」


「それ分かりみ」



         ◇



「今回も勝ったと思ったんだけど、やっぱりやりすぎだったかな」


 俺は頭をかきながらひな壇を振り返った。


 すると後半ほぼ発言の無かった白鳥が、なぜか思い詰めた顔をしていた。


「……白鳥?」


 心ここにあらずと言った表情で虚空を見つめていたが、俺が声をかけると、彼女はさっと目をそらして会場を後にしてしまった。

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