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NISA貧乏株式会社 ~元銀行員の俺。NISA貧乏の美人経理を金融知識で救ったら、妙に懐かれた~  作者: くまひこ


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18/24

第18話 悲報!年金70歳繰下げ受給、実は損だった!?

 あの飲み会以降、白鳥とは少しギクシャクしている。


 だがあっという間に、老後マネー王決定戦の第2回戦の日がやって来た。


 今日も満員の会場。


 司会の橘主任が、本日のテーマをスクリーンに映し出した。




【俺の年金繰下げビルドで、老後ダンジョン完全攻略!】




「来たアアア! 鷹城さんの最強ビルド!」


「年金繰下げ受給だ、ワッショイ!」


「ダンジョン完全攻略、待ったなし!」


 チャラ男たちが歓喜の雄叫び上げる一方、タイトルの意味が分からずポカンとする年配社員たち。


 昨日、橘主任から『テーマは年金』とだけ通知があったけど、こんなふざけたタイトルだとは聞いてなかった。


 ていうかチャラ男にしか伝わってねえし、これわざとやってるだろ橘主任。


 前回が中二病タイトル、今回が廃ゲーマータイトルなら、次が何になるのかむしろ楽しみになってきたわ。


 そんなカオスな状況にも関わらす、今日も口火を切ったのは久我だった。


「お前、絶対サイボーグだろ……」



         ◇



「さて、本日のテーマは年金の繰下げ受給について。まずは少し整理してみましょう」


 普通に始まった久我のプレゼン。


 俺はズッコケ、チャラ男たちは固まり、年配社員たちはようやくテーマを理解した。


 そして模範的銀行員は、営業スマイルを湛えながらスクリーンを操作する。


「原則65歳受給の公的年金は、受給開始時期を遅らせることで金額を増やせます」


 画面にグラフが表示される。


「仮に70歳まで繰り下げた場合、老齢基礎年金と老齢厚生年金合わせて42%増額されます」


 会場から驚きの声が漏れる。


「42%も増額……」


「そんなに増えるのか!」


 久我は頷く。


「身体に無理が利かなくなる70歳以降の年金をできるだけ手厚くしておく。それが長生きリスクへ備える有用な選択肢です」


「なるほど……」


「では、65歳からの5年間をどう乗り切るか」


 スクリーンが切り替わる。


「そこで重要になるのが老後の働き方です」


 会場の視線が集まる。


「フルタイムで働き続けるだけが仕事ではありません。貯えの額によっては、週2~3日のパートやアルバイト、シルバー人材センターなどを活用して生活費の一部を補うだけでも十分な場合もあります。まずはしっかりした老後設計を行うのが大切です」


「蓄えはやっぱり大事ね」


 そう言って、高坂さんが腕を組む。


「未来の自分のために、できるだけ年金を繰り下げて、働けるうちは働かなきゃ」


「決して無理はいけませんが、いいことだと思います」


 久我が営業スマイルで頷く。


「働くことは、収入面以外でもメリットがあり、社会とつながることで健康寿命にも良い影響が期待できます」


 頷く人が増え始める。


「もし、退職金に余裕があるなら」


 再び画面が切り替わる。


「その一部を運用に回す方法もあります」


(来たな。ここでラップ口座の登場か)


「新NISAを活用した積立投資がお勧めです。低コストの4資産バランス型ファンドでリスクを抑えつつ運用。未来の自分への仕送りをこれで作っておくのもよいでしょう」


 ラップを勧めない……だと?


 見ると、今日も最後列には鬼塚の姿が。


 だが、久我の今の説明には何の感情を見せず、能面のような顔をしている。


「老後とは、ただ資産を取り崩す時期ではありません」


 久我は聴衆を見渡す。


「公的年金をより手厚くするとともに、無理のない範囲で働き、資産運用でお金にも働いて貰う。この三つを組み合わせることで、より安心できる老後設計が可能となります」


 営業スマイル。


「繰下げ受給は、そのための有力な選択肢の一つとお考え下さい」




 久我のプレゼンが終わると、会場から一斉に拍手が起こった。


 老後の不安。それを安心に変える提案。


 さすがは銀行のトップ営業マンだ。


「では今の提案について、何かコメントがあればお願いします」


 橘主任がひな壇にマイクを向ける。


「インデックス運用を組み込むのは、妥当な選択だと思います」


 白鳥がそう言うと軽井沢も、


「老後はさすがに『レバナス』ってノリじゃねえしな」


「できるだけ収入を手厚くする。実に合理的な考え方だと思います」


 真鍋課長がきれいにまとめた。


「コメンテーターの皆さんも特に異論はないようですね。久我さんの提案はとてもオーソドックスで、特に問題となる点が見当たりません。果たして鷹城くんは、これを超える提案ができるのでしょうか」


 そう言って煽り気味に話をふる橘主任。


 いや、そこまでして盛り上げたいか!


 ……まあ乗ってやるけど。


「もちろん久我とは異なる提案をさせていただきますが、その前に一つ確認があります」


「確認?」


「今日のテーマって、繰下げ受給が前提なんですか?」


 会場がざわつく。


「と、言いますと?」


「繰下げじゃなく、繰上げ受給を選んだ方が得なケースが多い、という話をしようと思うんですが」


「え……?」


 橘主任が目を瞬かせるが、繰上げ受給はどうやら想定外だったようだ。


 俺からすれば、今日のテーマがそもそもおかしい。繰下げ受給ありきで考えるから話がおかしくなる。


「つまり――」


 プレゼン画面を切り替える。


「俺がこれからするのは、繰上げ受給を前提とした話です」


 一瞬の沈黙。そして、


「65歳はまだまだ現役なのに、もう年金を貰うのかよ!」


 会場が一気にざわめき始めるが、その反応を見て俺は確信する。


 やはり誰も知らない。


 この会社には『繰上げ受給した方が得する人』が大量にいることを。


「では始めましょう」


 俺は最初のスライドを映し出した。



         ◇



【繰下げ受給で消えるお金】


「さて皆さん」


 俺はマイクを握る。


「先ほど久我は、繰下げ受給を勧めました」


 会場のあちこちで頷く人がいるが、それも当然のことだ。


「ネットの記事も銀行セミナーも、ユーチューバーまで繰下げ受給を勧めます」


「それが正しいからだろ?」


「確かに年金を繰下げると手取りが増える。長生きするほど得をする。だからそうするのが正しい。果たしてそうでしょうか?」


 実際、間違いではない。


 65歳で年金200万円受け取れる人が、70歳まで繰り下げる。


 すると年金額は42%増えて、284万円。


 この数字だけ見れば確かに魅力的だ。


「だから多くの人は、繰下げ受給が得だと考えています。ですが」


 俺はスライドを切り替えた。


 そこに表示された文字を見て、会場がざわつき始める。




【インフレ】


「今の日本はインフレです」


「「「…………」」」


 会場が静まる。


「皆さん。5年前と比べて、お米の価格はいくらになりましたか?」


「倍近く値段が上がった」


 誰かが呟く。


「物価の優等生と言われた卵の価格は?」


「高い」


「電気代は?」


「……上がったな」


「補助金で無理やり抑えてこの有り様。でも国家財政にも限度があります」


 会場のざわめきが徐々に大きくなる。


「同じ100円でも、5年前と今では全く価値が違う。買えるものが本当に少なくなってます」


 そして次のスライド。




【割引現在価値】


「金融の世界では常識ですが、お金には時間的価値があります」


「時間的価値?」


 会場の大半が首を傾げる。予想通りだ。


「何も難しく考える必要はありません」


 俺は笑った。


「今、皆さんに100万円差し上げます」


 会場がざわつく。


「あるいは、『5年後に100万円差し上げます』と約束したら、どちらを選びますか?」


「今くれ」


 即答だった。会場からも笑いが起こる。


「ですよね。だって5年も待つ意味ないし」


「常識だろ」


 俺は頷く。


「つまり皆さんは本能的に知ってるんです」


 一拍。


「未来のお金より、今のお金の価値が高い。それが時間的価値です」


「あ……」


「お金は運用すれば増える。預金も増える。未来のお金は、今のお金より確実に価値が下がるんです」


 会場が静まり返る。


「たとえ物価が1円も上がらなくても、お金の価値は時間と共にどんどん下がる」


 スライドが切り替わる。




【物価上昇と金利上昇のダブルパンチ】


 ざわざわざわ………。


 会場のざわめきを代表するかのように、ひな壇から真壁課長の質問が飛ぶ。


「つまり先の未来になるほど、お金の価値は凄い勢いで目減りしていくと」


「その通りです。昨今の急激な物価上昇を見込まなくても、インフレ率2%、個人向け国債金利1.5%というごく普通の数字で、10年後の貨幣価値は今の約4割下がります」


「10年で4割も!」


「ところが、繰下げ受給を勧める人はなぜかこの事実を伝えないのです」


 次のスライド。




【繰下げ受給の落とし穴】


 久我が静かにこちらを見る。


「60歳時点の平均余命はあと25年。仮に85歳まで年金を受給した場合はこんな感じ」


・65歳受給開始──総額4200万円

・70歳受給開始──総額4544万円


「ほら繰下げ受給の方が得ですよね……そんな説明ばかりです」


 会場がざわめく。


「もう一度言います。今の100万円と10年後の100万円を同じ価値として扱うのは、本当に正しいんでしょうか?」


 会場が静まり返る。


「だから今日は」


 俺は次のスライドを表示。




【割引現在価値で見る年金の真の価値】


「この視点から、繰上げ受給と繰下げ受給の損得勘定を比較します」


 ざわっ――会場の空気が変わった。


 さっきまでの『繰下げ有利』という前提が、足下から揺らぎ始めていく。




【繰上げ受給とは】


 俺はスクリーンに1枚のスライドを映す。


「現在の制度では、年金は60歳から受け取れます」


 会場の多くが頷く。


「ですが65歳から1年早めるごとに4.8%、60歳受給だと24%減額されます」


 会場からは大きなざわめき。


「先ほどの70歳受給と比べたら年間の支給額は大変な差が生じます。その差なんと72%、ほぼ倍近くです」


「やっぱ、繰上げはあり得ねえ……」


「確かにこれだけ見れば70歳受給の圧勝ですが、割引現在価値という手法で両者を比較してみましょう」


「どうやって?」


「今あなたは60歳だとします。すぐに受給を開始する場合と、10年間待つ場合の両方の現在価値を試算してみます。その際に必要になるのが『割引率』です」


「何だそれ?」




【割引率 = インフレ率 + 無リスク金利】


「先ほど申し上げたように、未来の貨幣価値に影響を与えるのはインフレ率と金利。例えばインフレ率を2%、個人向け国債の金利を1.5%とすると、1年間で約3.5%ほどお金の価値が目減りします」


 ここで白鳥が手を挙げる。


「二つの率は単純に足せばいいんですか?」


「厳密には掛け算ですが、どちらも数字が小さいので、足してもほぼ同じです」


「つまり毎年3.5%ずつ目減りするから、3.5%×10年で35%ということ?」


「いいえ、1.035の10乗=1.41、つまり41%。目減りも複利で増えていくんです」


「複利で目減り……ひいいいいっ!」


 会場がどよめく。


「ホントにそんな減るのかい」


 高坂さんが疑いの目を向けて来るが、


「数学的には大体あってますし、この考え方の方が肌感覚に合うんですよ」


 俺は参加者全員を見渡した。


「なぜなら、割引現在価値は未来のお金を、今の貨幣価値に換算したものだからです」


「今の貨幣価値に換算……」


「例えば70歳で年金受給を開始したとして『あれ? 増額されたはずなのに思ったほど生活が楽じゃない』といったギャップを、この方法なら先に織り込んでくれます」


 会場の空気が変わる。


「さてシミュレーションの前に、もう一つだけ知っておきたい事実があります」


 俺は次のスライドを映した。




【マクロ経済スライド】


 会場から困惑した声が上がる。


「何だそれ?」


「初めて聞いたぞ」


「名前だけで眠くなるな」


 分かる。


 俺も銀行員になるまで知らなかった。


「年金は物価上昇に合わせて毎年見直され、増える仕組みになっています」


 何人かが頷く。


「ですが、少子高齢化で現役世代が減っているため、増額にはブレーキがかかります」


 スライドを切り替える。厚生労働省の公表した今年の年金改定率の資料だ。


【物価上昇率 3.2%】

【年金改定率 1.9%】


「今年の数字です」


 会場がざわつく。


「物価は3.2%上がってるのに、年金は1.9%しか増えていないぞ!」


 会場が静まるまで、一拍置く。


「つまり物価上昇に対し、年金生活者は毎年少しずつ貧しくなっていきます」


 会場が息を飲む。


「そんなバカな……」


「年金生活者はインフレに負けるのか?」


「少なくとも今の制度では、その可能性が極めて高い。だから年金を考える時は、額面の金額だけ見ていてはダメなんですよ」


 そして次のスライド。




【シミュレーション結果】


「以上を踏まえ、60歳、65歳、70歳、75歳と受給開始年齢を4種類に分け、『65歳で200万円受け取れる人』が85歳まで生きた場合の年金の支給総額と割引現在価値を発表します。そのシミュレート結果がこちら」


   支給総額 割引現在価値

60歳 3952万円 3209万円

65歳 4200万円 2822万円

70歳 4544万円 2529万円

75歳 4048万円 1867万円



「えっ?」


「ちょっと待て」


「60歳が最強って……ウソだろ?」


 当然だ。普通の人ならそう思うだろう。


「一般に言われてるように、総支給額で考えると70歳が最強。ですが今の貨幣価値に換算すると、最も有利なのは60歳受給となります」


 その瞬間、会場は大騒ぎ。


「「「はああああ!?」」」


「絶対ウソだろ!」


「繰下げ受給が有利じゃなかったのか!」


 突然、軽井沢が立ち上がる。


「待ってくださいよ、鷹城さん!」


「なんだ軽井沢」


「それじゃあ世の中の記事は、全部ウソだってことに!」


「ウソは言ってないさ。額面ベースなら正しいこと言ってるし」


「でもっ!」


「それにこれはあくまでシミュレーションの結果。条件次第で結論はいくらでも変わる」


「結論が……変わる?」


「長生きすれば差は縮まるし、インフレ率が変われば逆転もあり得る。だから絶対に繰上げ受給が正しいとは言わない」


 ここで少し間を取る。


「だが少なくとも――」


 会場全体を見渡した。


「繰下げ受給が正しいというのも幻想」


 静寂。


 さっきまで当たり前だと思われていた常識が、目の前で崩れていく。


「そして、これが今日一番言いたいことです」


 俺は久我を見る。


 久我も黙って聞いている。


「年金を繰り下げる。不足する生活費を補うために働く。さらに金融商品を買う。それを前提に老後設計を組む」


 一拍。


「それ、本当に必要ですか?」


「え……?」


「もちろん、本当に年金が少ない人はそうせざるを得ません。ですが、ここにいるみなさんには退職金が出ます。厚生年金も手厚い。老後のために貯蓄もしているでしょう」


 ざわざわ……。


「それでも老後のお金の不安が拭い去れないことは、気持ちとしては分かります。でもその不安、誰かに吹きこまれてませんか?」


 ざわざわ……。


「例えば銀行。金融商品を売る側は、繰下げ受給を前提に話をした方が都合がいい」


 会場がざわめく。


 久我の眉がわずかに動いた。


「なぜなら、年金を受け取らない期間が長いほど――」


 俺はスクリーンを指差す。


「その穴を埋めるための金融商品が必要になるからです」


 どよめき。


 参加者たちが一斉に久我を見る。


「金融商品を買うなとは言いませんし、投資を否定する気もありません」


「ただし――」


 最後に言い切る。


「金融商品を選ぶ際は、老後の人生設計を自分自身で立ててみてください。本当に生活資金は足りないのか。年金の受給開始はいつにするのがベストなのか。銀行の言いなりになってませんか?」


 最後方の席の鬼塚が、まさに鬼の形相で俺を睨んでやがる。


 くっくっく。


「でも、繰下げ受給にこだわらずに少し柔軟に考えるだけで、手元のお金が数百万円は変わる可能性があります」


「鷹城……」


 そして久我までもが、珍しく営業スマイルを消していた。


「銀行を否定するのは構いません!」


 ちょっと煽りすぎたか。


「ですが、そのシミュレーションは都合のいい前提を置きすぎです!」


「ほう?」


「まず、インフレ率」


 久我はスクリーンを指差した。


「あなたは将来にわたってインフレが続く前提で話をしている。しかし日本は30年以上もデフレだった国です」


 ざわり。


「インフレ率が下がれば、結果は逆転する」


「…………」


「さらに長寿リスク」


 久我は続ける。


「85歳で区切っていますが、90歳、95歳まで生きた場合はどうなります?」


 会場からも頷きが漏れる。


「そして何より――」


 久我は俺を見た。


「年金は金融商品ではありません!」


 空気が変わる。


「年金は保険です!」


 その一言に会場が静まり返った。


「長生きした時の生活を守る保険」


「障害状態になった時の保険」


「遺族の生活を守る保険」


「それを金融デリバティブのごとく現在価値で評価して本当にいいのでしょうか!」

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