第15話 鬼塚部長の陰謀
第一中央銀行、支店リテール営業部。
部長の鬼塚は、四半期報告書に目を通し、思わず声をあげた。
「何だ……これは」
彼の目に入ったのは、異常な伸びを示す、あり得ない数字だった。
『法人別売上実績――ウミネコ商事』
資産運用セミナー実施回数
ラップ口座獲得件数
新NISA・iDeCo口座獲得件数
投信販売額
データベースを自ら操作し、何度も集計し直してみたが、間違いなくここ数か月、成約件数が右肩上がりに増え続けている。
「……おい久我」
「何でしょうか」
鬼塚のデスクに呼び出される久我。
「最近、ウミネコ商事の案件がよく取れているな」
「ありがとうございます」
いつもの営業スマイル。
いつもの模範回答。
だが鬼塚部長は視線を外さない。
「営業手法を変えたのか?」
ほんの一瞬だけ、久我の返答が止まった。
「……はい。多少は」
鬼塚部長の目が細くなる。
「聞かせろ」
沈黙。
久我は珍しく言葉を選んでいた。
周囲の視線が二人に集中する。
「……ウミネコ商事に元行員がいます」
「元行員? ウチのか」
「鷹城です」
一瞬、鬼塚部長の眉が動く。
「鷹城……だと?」
「数か月前に転職してきました」
久我は淡々と続ける。
「僕が営業をかけると、必ずと言っていいほど口を挟んできます」
「口を挟む……?」
「はい。僕の提案に対する反論です」
鬼塚部長は眉をひそめる。
久我は珍しくため息を漏らした。
「変額保険を提案すれば必ず理由を聞いてくるし、投信を提案すれば他の商品とのコストやリターンの比較を始めるんです」
「あいつ、まだそんなことを……」
「しかもiDeCoをやたらと勧めたがり、説明を始めれば入口の税制メリットから出口戦略のシミュレーションまでやらされるので、とにかく長くなるんです」
「ちっ……」
「あいつがいると、本当に面倒くさい」
いつもの営業スマイルが消え、珍しく愚痴をこぼす久我に、リテール営業部の面々が目を丸くする。
「ただ――」
少し考えて、久我は続けた。
「結果的に、顧客の理解は深まりました」
「ほう?」
「社員食堂で議論を繰り返すうちに、それを面白がって聞いていた社員たちの間で、様々な金融商品のメリットとデメリットが整理されていったんです」
「なるほど……そういうことか」
「結果、納得感が高まり、成約件数も自然と増えていきました」
会議室が静まり返る。
鬼塚部長の口元に微かに笑みが浮かんだ。
「……これは使える」
ほとんど独り言のような呟きだったが、久我にはそれが確かに聞こえた。
◇
翌日。
鬼塚部長はウミネコ商事を訪れていた。
その応接室。
向かいには、ウミネコ商事の代表取締役社長が座っている。
秘書がコーヒーを置き、静かに退出した。
「本日はどういったご用件でしょうか?」
社長の問いに、鬼塚部長は営業スマイルを浮かべた。
「実は面白い企画を思いつきましてね」
「企画……ですか?」
「ええ。定年退職者向けの資産形成セミナーです」
社長が眉を上げる。
「それなら御行には定期的に開いていただいてますが」
「今回は少し趣向を変えます」
鬼塚部長が身を乗り出す。
「御社の社員様には弊行の商品を数多くご利用いただいております。その感謝を込めまして、ぜひご提案したい企画がございます」
「それは?」
鬼塚部長の口元がゆっくり歪む。
「金融バトル三番勝負です」
社長が目を瞬かせた。
「金融バトル?」
「はい。毎回一つテーマを設定し、二人がそれぞれ金融商品を提案する。そこで議論を戦わせて、それを聞いた聴衆がどちらか一方に投票する」
「ほう……」
「これを三回行い、先に二勝した方が勝利」
社長の表情に興味が浮かぶ。
「つまり金融版ディベート大会ですかな」
「まあそんなところです」
鬼塚部長は頷いた。
「どちらも金融のプロ。議論を聞いているだけで金融知識が身につくでしょう」
「面白そうじゃないか!」
社長が食いつく。
「弊行からはトップ営業の久我を出します」
「一人だけ? なら対戦相手は?」
「御社の社員、鷹城恒一氏」
「はあ? どうしてウチの社員が」
「鷹城は弊行の元行員です」
鬼塚部長は微笑む。
「しかも私の元部下でして……」
「なるほど……」
「最近、弊行の商品を買っていただけるのも、彼の影響が大きいと聞いております」
社長は腕を組み、しばらく考えた。
そして――ニヤリと笑い、次の瞬間には受話器を手に取っていた。
「人事部長か? 今すぐ来てくれ」
数分後。
応接室の扉が開いた。
「失礼します」
入ってきたのは人事部長と一人の女性社員。
人事部主任、橘真琴(31)。
黒髪ショートカット。
きちんとしたスーツ姿に理知的な眼差し。
いかにも仕事ができそうな雰囲気をまとっている。
「退職者向けセミナーを新たに企画したい」
社長が楽しそうに言うと、人事部長が首をかしげる。
「今でも定期的に開催してますが?」
「メインバンク様から面白い提案をいただいてね。鬼塚部長、説明をお願いします」
「承知しました」
鬼塚部長は落ち着いた声で企画の概要を説明する。
金融三番勝負。
金融のプロ同士による公開討論会。
参加者による投票。
そして勝敗の決定。
説明を聞き終えた人事部長は、しばらく考え込んだ。
「……なるほど」
部長が頷くが、主任の橘は何も言わない。
資料に目を落としたまま、静かにページをめくっている。
そして――
「一点、確認してもよろしいでしょうか」
初めて口を開いた。
鬼塚部長が視線を向ける。
「どうぞ」
「この企画は、御行の商品提案を行うのですよね?」
「その認識で結構です」
「特定の商品について、メリットやデメリットを比較しながら?」
「ええ。議論を戦わせることで分かりやすくなると考えております」
橘は小さく頷いた。
「……なるほど」
鬼塚はほんの一瞬、居心地の悪さを覚えたが、すぐその感覚は消える。
橘主任が納得した様子を見た人事部長は、
「この企画は橘くんに担当してもらいます」
「ではよろしくお願いします」
鬼塚も営業スマイルを浮かべる。
そして橘主任も、丁寧に頭を下げた。
「ではいつものように、弊社に久我さんを講師としてお招きする形を取ります」
そう事務的に告げた橘主任を見て、張り付けた営業スマイルの裏で鬼塚はほくそ笑んでいた。
(この企画が上手くいけば――)
他の部下たちに横展開ができる。
実績を積み上げ本社へのアピールになる。
何より――私の数字が作れる。
鬼塚の瞳の奥に、何かが光った。
◇
昼休みが終わり、自分のデスクで午後の仕事の準備をしていると、内線が入った。
『鷹城さん。社長がお呼びです。今すぐ社長室までお越しください』
「……社長が?」
転職したばかりのただの平社員が、社長に呼ばれることなどまずあり得ない。
嫌な予感しかしなかったが、何かをやらかした覚えもない。
仕事でミスしたことはないし、そつなくこなしているつもり。
強いて言えば、昼休みが終わったのに高坂さんたちと話し込んでいて、人事部長に叱られたことくらい。
絶対ろくな話じゃないが、呼ばれたからには仕方がないので、重い足取りで社長室へ向かった。
「失礼します」
社長室のドアを開け、中に入る。
「おう、来たか!」
社長はやたらと機嫌が良く、どうやら怒られるわけではなさそうだ。
応接テーブルのソファーには、見たことのある顔が座っている。
人事部主任、橘真琴。
会社でも随一の切れ者で、将来の人事部長候補と目されている。社員なら誰でも知ってる仕事ができる女だ。
「もしかしてさっき電話をくれたのは……」
「ええ私よ。まずはここに座って」
まるで人事面接のように、隣に座るよう指示する彼女。そして向かいには社長。テーブルの上には企画書。
その表題を見て、俺は思わず声を上げた。
「何、これ……?」
『定年退職者向け資産形成セミナー』
〜老後マネー王決定戦〜
数秒、沈黙。
「……なんですか、これは?」
やはり理解が追い付かず、呆然としている俺に社長がニヤリと笑った。
「どうだ、面白そうだろ!」
「いいえ、全く……」
「随分テンションが低いな。そんなことだと負けてしまうぞ」
「負けるって……誰が?」
「キミだ。元銀行員の鷹城恒一くん」
「これ、俺が出るんですか!?」
「聞いたぞ。久我くんといつも、昼休みの社員食堂で金融バトルをしているそうだな」
「金融バトル? いや、そんなんじゃなく、アイツがいい加減な営業をするから注意しているだけで……」
「ならこの勝負、勝ったも同然じゃないか」
「だからって何で俺が勝負を……え、相手は久我ですか?」
誰が考えたのかは知らんが、俺は企画書のページをめくった。
・定年退職者向け金融セミナー(全3回)
・二人の銀行マンによる提案対決
・セミナー参加者による決選投票
……何だこれ。
「誰です、こんなアホな企画を考えた奴は」
そう尋ねると橘さんが、
「第一中央銀行リテール営業部長、鬼塚さんです」
「……鬼塚……だと?」
アイツの顔が脳裏によぎる。
そして企画書をもう一度見る。
……正気か?
俺が黙り込んでしまうと、社長が念を押すように俺に告げた。
「何をためらう必要がある。面白い企画じゃないか」
「ですがこの企画は……」
「鬼塚部長から聞いたぞ。キミは彼の元部下らしいじゃないか」
「それは……」
「前の職場で何があったのかは聞かん。その顔で大体の想像はつくがな」
どうやら俺は顔に出るタイプらしい。久我が羨ましいよ。
「元上司の提案、受けて立てばいい!」
「社長……」
「先方が何を考えているのかは知らん。だが勝てば意趣返しができる。違うか?」
「それは……」
「わが社にとってもメリットがある。こんな面白い企画なら、社員の金融リテラシーも上がるだろう」
「金融リテラシー……」
「企画書を見て分かるとおり、対象は定年退職予定者。金融リテラシ―が最も求められる年代だ」
「確かにそうですが……」
「定年はいずれ誰もが訪れる。全社員が知っておいて損はない」
「…………」
「分かりまし――」
「勝てば特別ボーナスも出してやるぞ」
「やります!」
「ちょっと待て。今、ボーナスがなくても、やろうとしていたよな?」
「いえいえ、ボーナスがあればこそ!」
「社員たちの老後のためではなく?」
「もちろん老後も大事ですが、ボーナスは今もらえるお金。現在価値が違いますので」
◇
翌日の会議室。
集まったメンバーに、俺は頭を抱えた。
「……何でこの4人もここに」
そう、今回の企画の担当となった橘主任と俺の他に、なぜか白鳥と軽井沢、真壁課長に高坂さんまでいたのだ。
「この4人にはコメンテーターとして参加していただきます」
「コメンテーター?」
橘主任は、ホワイトボードに会場の配置図を描く。
「会場正面真ん中にスクリーンを置き、その両サイドに鷹城くんと久我さんが立ってプレゼン合戦をしてもらいます」
「それは分かったが、右手のひな壇は?」
「この4人に座ってもらって、二人のプレゼンに対し中立の立場から質問やコメントをしてもらいます」
「私はインデックス派の代表です!」
白鳥が元気よく手を挙げる。
「俺はリターン重視派っす!」
軽井沢が親指を立てる。
「私は預金派なのに何でここに呼ばれたの。投資なんかやらないよ」
高坂さんが腕組んで、橘主任に尋ねる。
すると、
「定年間近の社員ほど投資がよく分かってないんです。だから高坂さんに共感を持ってる人が多いはずで、そんな社員たちのバロメーターになっていただきたいんです」
「そういうことなら。私が理解できない商品は片っ端からぶった切ってあげる!」
さすがは総務部30年のベテラン。一切容赦はなさそうだ。
そして最後に真壁課長が、
「どうやら私はテクニカルな立場らしい」
「テクニカルな立場?」
すると橘主任が、
「真壁課長は投資を始めたばかりと聞きましたが、初心者ながらしっかり勉強されています。ですので、ちゃんと学びたい人代表ということで」
「私もちゃんと勉強してます!」
白鳥が頬を膨らませるが、橘主任が一刀両断にする。
「あなたは趣味がオルカンなので、参考になりません」
「そんなあ……」
最近、白鳥の正体がNISA女だと社内に知れ渡り、『高嶺の花』から『ただの変人』に格下げされてしまった。
そんな彼女に向けられる視線も、以前のあこがれから生暖かいものへと変化している。
「それで橘さんは何を?」
俺が聞くと、
「私は司会進行よ」
「了解。それで三番勝負のネタはどうするんですか? 今からみんなで考えます?」
「いいえ。対戦前日に私から通知します」
「前日って……それじゃあプレゼンを作る時間が」
「これは公平を期するための措置。プロならどんな相談にも応じられるでしょ?」
「鬼か!」
「発案者は鬼塚部長ですけど?」
「……なるほど、アイツらしい」
久我。
鬼塚。
金融三番勝負。
老後マネー王決定戦。
正直、面倒事に巻き込まれたとしか思えないが、因縁の元上司が仕掛けてきたなら逃げるつもりはない。
今ごろ久我も、同じ企画書を渡されているはず。
次に会う時は、銀行員と顧客じゃない。
互いの金融知識をぶつけ合う対戦相手。
こうして、俺のボーナスと社員の老後を賭けた金融三番勝負が幕を開ける。




