第13話 真夏のNISAバケーション
月曜の朝。
始業前の営業部が、異様な熱気に包まれていた。
「決まったぞォォォ!!」
軽井沢の絶叫がフロアに響く。
「今年の会社レクリエーション!」
「海だァァ!!」
「湘南だァァァ!!」
「水着回だァァァァ!!」
……ちょっと待て。
海に行く件って、てっきり仲間内の話だと思ってた。
なのに、会社のレクリエーションだと?
朝から「水着回! 水着回!」と騒いでる時点で軽井沢が会社に持ち込んだのは確定だが、どうせロクでもない企画に決まってる。
俺はコーヒーを一口すすり、営業部からそっと目を逸らした。
だが野良犬の法則なのか、なぜか営業部長が経理部までやって来ると、フロア全体に響く声で高らかに宣言した。
「諸君! 社員同士の親睦促進、および組織活性化施策として――営業部プレゼンツ夏季レクリエーション大会の開催が決定した!」
いや、大声で発表しなくても、軽井沢が朝から騒ぎ散らしてたから全員知ってますって。
……だが、俺以外の社員はなぜか大盛り上がりだった。
夏だぞ。
湘南だぞ。
暑いんだぞ。
なのに、なんでそんなに乗り気なんだ?
「行きたい奴が勝手に海に行くなら分かりますが、こんな企画よく人事が通しましたね」
俺の冷静なツッコミに、だが営業部長は得意げに胸を張った。
「キミは転職組だから知らないだろうが、うちは昔からこういうアットホームな社内交流を続けてるんだ」
「へえ……」
「大手と違って人数が多くない分、部門間の繋がりを重視していてね。社員全体が束になって大手に食らいつくスタイルだ!」
「はあ……」
前職の銀行じゃまずあり得ない。
だが中堅商社なら、こういう昭和テイストな社風もまだ残っているのかもしれない。
――その時だった。
いつの間にいたのか、営業部長の隣に軽井沢が立っていた。
そして、いつの間に作ったのか、満面の笑みで申込書を配り始めたのだ。
俺は渡された紙に目を通す。
■ウミネコ商事 夏のレクリエーション大会
日 時 8月4日(土)午前10時〜
場 所 湘南海岸(現地集合)
参加者 社員・家族(無料) 友人(自費)
「マジで社員無料だった……」
会社の太っ腹ぶりに俺が呆れていると、隣の席の白鳥が脇腹をつんつん突いてきた。
「鷹城さんも当然参加ですよね?」
「そ、そうだな……」
元はといえば、白鳥をNISA貧乏から脱出させる流れで決まったような企画。
今さら「暑いので俺だけ行きません」なんて言えるはずがない。
……それに。
こいつの水着を一緒に買いに行った手前、最後まで面倒を見る責任もある。
あと、こいつをビーチに単独放流するのは極めて危険だ。
俺が見てないと絶対何かやらかすし、変なトラブルにでも巻き込まれたら大変なことになってしまう。
そう、俺はコイツの保護者なんだ。
「……まあ、白鳥が行くなら参加しないこともないが」
「では参加ということで」
「お、おう……」
白鳥は一切迷わず参加希望欄に二人の名前を書くと、そのまま軽井沢へ提出した。
「待て待て待て。なんで俺の分までお前が出してるんだよ」
「私が行くなら一緒に行くと、たった今、鷹城さんが言ったと思いますけど?」
「いや、確かに言ったけど! でも俺は俺で申込書を持ってるし!」
俺は軽井沢から配られた申込書を見せる。
だが白鳥はあっけらかんとしてるし、周囲からは生暖かい視線が飛んで来るだけ。
……なんなんだこの空気。
女子社員たちがこっちを見ながらひそひそ話してるし、自販機の前では真壁課長がコーヒー片手にぽつりと呟いた。
「本人たちだけ、まだ未公開株のつもりなのかしら?」
「……未公開株?」
未公開株って、上場前の株式ってことだよな?
……一体、何の話だ?
◇
八月の湘南海岸。
空には入道雲。
太陽は容赦なく砂浜を照り付け、人、人、人で浜辺は大混雑。
そして営業部だけ、異常なテンションで暴走していた。
「夏だァァァァ!!」
軽井沢が両手を広げて叫ぶ。
「海だァァァァ!!」
チャラ男後輩たちが叫ぶ。
「水着回だァァァァ!!」
営業部全員が砂浜へ突撃した。
……ていうか、アニメのOPかよ!!
そんな俺――鷹城恒一(29)は、現地到着五分で帰宅欲求に支配されていた。
暑い。
砂が熱い。
人が多い。
営業部がうるさい。
あと普通に恥ずかしい。
どう考えても、自宅の冷房とアイスコーヒーの圧勝である。
そんなことを考えていると――
「お、お待たせしました……」
後ろから、控えめな声。
振り向いた瞬間、俺の思考が止まった。
白鳥美月(24)。
白×水色のフリル付き水着。
あの日、一緒に選んだ水着。
露出は控えめ……なのに、おかしい。
控えめだからこそ、逆に破壊力が高い。
ショッピングモールで見た時より、危険度が数倍に跳ね上がっている。
ここまで来るともはや兵器。
しかも実戦投入された途端に殺傷力が増すなんて反則だろ!
俺が完全にフリーズしていると、だが周囲は妙に静かだった。
誰も露骨にこちらを見ない。
営業部は相変わらず騒いでるし、女子社員たちも普通に会話をしている。
――だが、どこか不自然だ。
全員、視線だけ妙に忙しい。
ちらっ。
逸らす。
ちらっ。
逸らす。
……何だこれ? 社会人の嗜み?
軽井沢だけは、俺たちに何か言いたそうな素振りを見せていたが、後輩たちに口を塞がれ羽交い締めにされている。
そんなチャラ男たちを周囲が大爆笑し、そしてこちらには生暖かい視線。
……だから何なんだよ、この空気!
だが白鳥は周囲が一切気にならないのか、俺のすぐ目の前まで近づく。
「鷹城さん」
「……な、何だ?」
白鳥が真顔で尋ねる。
「市場評価をお願いします」
「お、おう……」
だが脳が正常運転できてなかった俺は、思わず本音を漏らしてしまった。
「……ストップ高」
「えっ……ストップ高って?」
「違う! 言い間違えた!」
「あの……ストップ高って何ですか?」
白鳥がきょとんと首を傾げる。
危っぶねえ!!
そうだった。
オルカンにストップ高の概念はなかった。
初心者相手に、うっかり墓穴を掘るところだったぜ。
……セーフ!!
「し、市場評価は終了! 早くみんなの所に行くぞ!」
「あ、待ってください!」
これ以上は危険だ。
俺は振り返ることなく、経理部の群れへと避難した。
◇
レクリエーションの開始前。
まずは人事部長からの注意事項の説明。
今日は社員だけでなく、家族や友人も参加している。
小さい子供もいるし、事故でも起きたら洒落にならないからな。
――その時だった。
「皆さん、お待たせしました」
背後から聞き慣れた声。
振り返ると、そこには完璧な営業スマイルと無駄に姿勢のいい爽やか男が立っていた。
なぜか海でも、銀行員オーラ全開。
久我信一郎(29)である。
「……何でお前がいるんだよ」
「僕は友人枠として女子社員の皆さんに誘っていただきました」
「マジかよ……」
「つまり今日は仕事抜き。純粋な個人参加ですよ」
久我が現れた瞬間、女子社員たちが色めき立った。
「久我さんが来た!」
「今日も爽やか!」
「海でも営業力高すぎない!?」
……何なんだ、この人気。
だが久我は自然な動作で、白鳥へ視線を向けた。
「白鳥さん」
「はい?」
「その水着、とてもお似合いですね」
さらっと。
自然に。
スマートに。
――大人の褒め方だった。
……なのに何だろう。妙にイラッとする。
別に変なことは言ってない。むしろ銀行マンとしては満点の対応だ。
なのに、何でだ?
そして周囲もざわつき始める。
「おいおい、開幕五分でもう修羅場かよ」
「女子社員たちの白鳥を見る目つきを見てみろよ。みんなガチで久我狙いなんだな……」
「おい鷹城! 何とかしろ!」
軽井沢たちはなぜか観戦モードで、俺をけしかけてくる。
……いや、何をどうするんだよ。
そんな周囲の空気など意に介さず、白鳥はいつも通り頭を下げた。
「ありがとうございます、久我さん」
普通。
実に普通の反応だった。
――なぜかホッとしたが、久我は続ける。
「その水着、今年の流行ですね」
「はい。バランス型だそうです」
「……バランス型?」
久我の頭上に大きな『?』が浮かぶ。
「資産をしっかり保全しつつ、成長性も取り込む私にピッタリの水着だそうです」
「それ、誰が?」
「鷹城さんです」
「なるほど。確かにバランスがいい水着だ。まるで4資産バランス投信みたいに」
「やっぱり!」
白鳥がぱっと笑顔になる。
久我も爽やかな営業スマイルを崩さない。
「何でお前まで金融に寄せてんだ!」
なんかムカついたので思いきりツッコむと、だが久我は涼しい顔で答えた。
「お客様のニーズに応える。それが銀行員の基本です」
「やかましいわ!」
「次回お買い替えの際は是非ラップ口座を」
「ここで営業を始めるな!」
すると白鳥が真顔で反応。
「では、ラップ水着ですね」
「「ラップ水着?」」
俺と久我の声が、完璧にハモる。
そして俺の脳内に、ラップ水着のイメージ映像が流れ込んできた。
「それ、水着として機能してなくないか?」
「え……?」
数秒遅れて白鳥が理解する。
「あああっ!? う、うそうそ! 今の忘れてください!」
耳まで真っ赤に染め、その場にしゃがみ込んでしまった。
チャラ男軍団、大爆笑。
久我は気まずそうに視線を逸らし、女子社員たちは白鳥に鋭い視線。
そして先輩社員たちは、ニヤニヤが止まらない様子。
「ちょっと待て。まだレクリエーションは始まってもいないのに、既にカオス!」
今日、俺は無事に家に帰れるのだろうか。




